東京地方裁判所は7月1日、連続・大量差別はがき事件の被告人Aに懲役2年の実刑判決を言い渡した。判決は、今回の差別事件を重大な犯罪として認定し、厳しい処罰の判決を出したものであり、評価できる。
この事件は2003年5月から2004年10月まで1年半もの長期にわたって、部落解放同盟の事務所や多くの同盟員の自宅に「お前なんか綾瀬川に沈めてやる」「死ね」「えたは人間ではないから人権もないし、殺しても犯罪にならない」などという匿名の差別はがき・手紙が送りつけられた事件である。実に全国で400通にのぼり東京では275通にも達する最悪の差別事件である。
さらに同盟員の名前をかたって商品を注文し、嫌がらせ的に執拗に繰り返し送り続けるなど極めて悪質な差別事件である。被害者の受けた精神的苦痛や回復しがたい名誉毀損など被害は甚大であった。Aは2004年10月に「脅迫罪」で逮捕され、同年12月から公判が開かれていた。
判決は量刑の理由で「本件は、被告人が5名の被害者に対し、差別表現を含む脅迫文言を記載したはがき等を郵送して脅迫した事案、3名の被害者の居住周辺の住民にあてて被害者らを差別する内容とともに被害者らが暴力集団に属しているなどと記載したはがきを郵送頒布して名誉毀損をした事案、他人を中傷する3通の封書を送付する際に差出人として前記脅迫の被害者のうちの1名の署名をいずれも冒用した署名偽造・同使用の事案である。…これらの各犯行において、被告人は、他者の名前をかたるという匿名的な手法で、はがき等にいずれも不当極まりない差別表現を執拗に記載しており、そのこと自体が強固な犯行の意志を被害者らに伝えるものとなっており、名誉毀損や脅迫の各被害者は、被告人のこのような犯行の被害に精神的苦痛を受け、身の不安を感じるなどしている…以上の諸事情からすれば、被告人の責任は重いというべきであり、…被告人には前科前歴がないことなどの被告人のために考慮すべき一切の事情を考慮に入れても、被告人については、主文の実刑に処するが相当であると判断した」としている。
本判決は、差別犯罪は重い犯罪であることを認定したものであり、評価するものである。
また、本事件が社会に与えた影響は大きいとの考えから重い量刑の判決が出されていると考える。今回の事件の被害者は被差別部落大衆に集中しているが、被害は多くの被差別者・マイノリティ団体にも及んでいる。ハンセン病療養所入所者自治会や在日朝鮮人団体や「障害児を普通学校へ」を求める市民団体などである。被差別者・マイノリティをターゲットに差別脅迫や差別扇動を執拗に繰り返した本事件が社会に与えた影響は図り知れない。判決はこうした観点からも重い判決を出したものと考える。
また、この判決がなされたのは、差別犯罪は絶対に許さないとの運動と世論の力によるものであることをしっかりと確認しておかなければならない。
まず、匿名性を悪用して、姿を隠したまま差別はがきを執拗に送りつける卑劣な犯罪行為・差別事件に対して、私たちは、まず、被害者である同盟員・仲間を守る取り組みを中心におこなってきた。差別犯罪から被害者を守るためには、早く犯人を見つけ出し犯行をやめさせることである。そのために部落解放同盟の組織をあげて犯人特定の調査活動を行なってきた。さらに被害者を守るために告訴をおこなった。こうした組織的な取り組みの中で被害者は差別犯罪に屈することなく差別糾弾の闘いに立ちあがったのである。
そして、2003年12月3日に1回目の真相報告集会をおこなった。この集会の目的は、悪質な差別事件の真相を社会的に明かにし、犯人を社会的に追いつめ、逮捕することにあった。事件は新聞・テレビ等で報道され、社会的注目が集まる中、犯人を包囲し追いつめていった。
2004年10月19日、Aが浅草警察署に逮捕された、きっかけは、Aが青梅市役所の食堂で差別封書を書いているところを職員が目撃し、青梅署に通報したことであった。逮捕は差別犯罪を許さないとする運動・世論の成果であった。青梅市役所には、部落解放同盟都連と被害者が何度も行き、被害者の人権救済と事件の解決のための取り組みの要請を繰り返し、差別はがきのコピーなどの資料も提供していた。差別はがきの筆跡を知っていた職員が目撃し、逮捕のきっかとなったのである。
また、マスコミ報道だけでなく、真相報告集会に参加した被害者団体はもととより、多くの共闘団体や東京人権啓発企業連絡会、東京同宗連、東京都・区市町村行政、労働組合、市民団体等々がそれぞれの機関紙や広報誌、そして真相報告学習会などさまざまな方法で取り組み世論を広げていった。
こうして、匿名性を悪用し、差別犯罪を繰り返す犯人に対して、差別犯罪を許さない世論で包囲し、社会的に追いつめる運動の広がりが逮捕へとつながっていった。
2004年12月17日、2回目の真相報告集会をおこなった。この集会では、裁判・差別糾弾闘争・人権侵害救済法を求める取り組みを通じて、真相究明と再発防止の闘いをおこなっていくこと、差別犯罪を世論で包囲していく取り組みをおこなっていくことを確認した。そして、社会的注目が集まる中、本日の判決に至ったのである。この判決がなされたのは、差別犯罪は絶対に許さないとする運動と世論の力によるものであり、本判決の意義を正当に位置付けし、今後の闘いに活かさなければならない。
さらに、本判決は、東京法務局や法務省の対応に比べると差別による人権侵害を重く認識しているものとして評価できるものである。今回の事件を通じて、法務省を中心とした人権擁護行政の限界と人権侵害救済法の必要性がより具体的に明らかになった。また、法務省に人権救済機関の所管省庁になる資格はまったくないことも明らかとなった。
法務省・東京法務局は、容疑者が逮捕されてから「告発」をおこなっただけであり、遅きに失している。1年半もの長きにわたって差別脅迫にさらされている被害者の人権救済において、無策と無力さをさらけ出しただけである。むしろ、私たちに身近な東京都や区市町村行政の方が被害者の人権侵害救済において実効性ある取り組みをおこなったのである。「人権侵害は人の生活の場で発生し、迅速で実効性のある救済のためには、地方にも人権委員会の設置が必要である」との部落解放同盟の主張を本事件の取り組みは裏付けているのである。最後に本裁判で事件の真相がすべて解明されたわけではない。被告人は動機の一部を語っただけであり、今回の事件を起こした核心である部落差別意識や動機・背景を完全に究明していかなければならない。また、新たな差別犯罪が起きないように再発防止の課題を明確にしていかなければならない。今後とも被害者の人権回復の取り組みをすすめるとともに、事件の真相をさらに広く世論に訴え、差別犯罪を根絶する取り組みをすすめていくものである。
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