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2007.05.16


〝やさしさ〟の波紋から

福田 雅子

 山口県光市の海は、今年の春も青い松林と白い砂の海岸線が続いておだやかだった。私は丸岡忠雄さんに、二〇年前に詩〝ふるさと〟をよまれたときの心境をインタビューしていた。同和対策審議会答申がでて、この八月で二○年目を迎えるのを機会に、答甲の精神である〝同和問題の解決は、国の責務と国民的課題である〟ことがどう達成できたのか、市民意識からとらえるテレビ番組「差別からの解放」の冒頭のシーンであった。

 人権教育の副読本『にんげん』にも掲げられてきたこの詩は、丸岡さんが、長男誕生の日、被差別部落に生きる父の願いをこめてよまれたものであった。

「…吾子よ
お前には胸張ってふるさとを
名のらせたい
瞳をあげ何のためらいもなく
これがわたしのふるさとです と
名のらせたい」

 私はここ一〇年余りNHKで部落問題に関する番組を制作しているが、差別落書きなどがふえる傾向の中で、私たちがともにどのようにふるさとを誇れるかを考え続けていた。

 その日の丸岡忠雄さんは、私がこれまでお目にかかったいつよりも、力強く熱っぽく語られた。取材のお願いをしたとき、私は、「また今年、このことを丸岡さんにおききしなければならないことを心苦しく思います。もうこの課題を卒業していなければならないのに。これを最後にさせていただくつもりです」と許しを乞うた。

 丸岡さんは、この曰、中学の女生徒から寄せられた一通の手紙のことを、話したいといわれた。

 〝四国のある被差別部落に住むこの少女の兄は近く結婚する。しかし、お嫁さんになる人の家族は、部落出身の青年との結婚を反対し結婚式に列席しそうにもない。どうしたら説得できるだろうか。〟という相談であった。詩〝ふるさと〟は、丸岡さんの息子さんを力づけただけでなく、被差別部落に生きる若ものが、結婚や就職の差別に出会ったときひそかに、この詩をとり出して勇気をふるい起としていた。

 丸岡さんはこの少女への返事に「差別をする人こそが、かなしいのであり、部落の人たちの心のやさしさを何回でも説き続けてほしい」と書き送ったといわれた。そして「〝ふるさと〟の詩を書いた頃、身近なものの結婚式の空っぽの席の、うずめようもない穴ぼこみたいな悲しみをよんだのに、この訴えも同じなのですよ」とも語られた。

 しかし、丸岡さんの提起された〝胸張ってふるさと〟は、福岡の保母松江ちづみさんの詩〝手紙〟にもあるように、差別のためひと度は逃れたふるさとに立ち、後輩の教育にあたる姿に受け継がれた。そして、かつて結婚差別の取材でお会いした大阪の上田和子さんは、夫・正勝さんが差別を克服しながら生きる道にともに寄りそい、あらたなふるさとの創造を詩〝冬のひがん花に〟に結晶したことを伝えてきてくださった。

 このドキュメント「差別からの解放」は、放送のあと確かな手応えの反響を得た。再放送がきまり、九岡さんはよろこんでくださった。そして五月一〇日、思いもかけず、丸岡忠雄さんは、急性心不全で亡くなられた。差別への怒りをたたえながら、それでもやさしくありたいと願っていられたあのまなざしが、私の心に焼きついている。人間の解放を訴え、その達成の峠をのぞみながら、闘いの中で倒れられた。謹しんでご冥福を祈りたい。

          *

 部落問題との出会いは、私にとっては、仕事冥利ともいえる取材をとおして一期一会でもある人間との出会いに織り込まれていく。それぞれの方の人生の事実の重みに圧倒ざれ触発され、畏敬しながら、次への出会いが方向づけられていく。取材をへるごとに部落差別が人間の自由を侵してきた淵のような深さに驚き、またこれをはねのける人間変革の思想に私自身がただされていく。それは番組純の視聴者から投げかけられた波紋の中にもある。

 昨年放送した「いま問う部落の歴史」では、長野県浅科村の古文書返還闘争にあたった高野政夫さんから、差別をされてきた人間の立場から、いやその立場であることから、その地域の歴史を古文書の資料よりも、より鋭く読みとれる力があることを教えられた。悪質な差別落書きを糾弾する方法として自分たちの歴史を明らかにしていく。返還を要求された大学側が、古文書は難解だからと渋ったとき、高野さんらは、自分たちが生きてきた地域だから、またちがう感覚で水路も雑木林も読みとれるのだと切りかえした。

 この鋭さに驚いた私は、また放送終了後、もうひとつの厳しい出会いを持つ。まだお目にかかっていない東京の被差別部落に生きてこられたお年寄り、ひとりのおじいさんとの出会いである。

 部落差別への理解を、差別成立の背景からもお話いただこうと私たちは、歴史学者の奈良本辰也先生にお願いして、大阪府立文化情報センターで公開フォーラムを開催した。そして、この場でお話いただいた講義の一部を短く編集して放送の中にも使わせていただいた。

 明治の「解放令」以降も、部落差別はなくならなかった。教育や兵役や納税の義務が加わったばかりで、自立への手だては何ら講じられなかった。この説明の中で、それまで被差別部落がもっていた斃牛馬を処理する特権も取りあげられてしまったという文脈があった。奈良本先生は、ここで「特権といっても低い特権、武士の特権とはちがいますよね」ともつけ加えて解説されている。編集をしながら、そのことばの響きや、前後のニュアンスが十分伝わるかなと一瞬こだわりながらも、「解放令」でも部落は解放されなかった、それがポイントだと考えた。

 放送直後、東京都同和対策部の榎本・高橋のおふたりが私に面会をもとめられた。行政の窓口意見を寄せられたお年寄りの代行として。「封建時代に我々の祖先が支配者から差別をされ、被差別部落に仕事として課せられたのが、たとえば斃牛馬の処理ではなかったか。これを特権だといわれることには合点がいかない。説明してほしい」という主張であった。

 公開講義の中味を編集した責任は私にある。ただ、奈良本先生以外の方の著書においても、経済的な利益を得ることの意味において〝特権〟ということばは使われている。奈良本先生にもご報告をしながら、私は、やはり〝合点がいかない〟といわれるこの指摘を卒直に受けとめ、今後の番組制作の中にいかしていかなければと考えた。経済権を説明する場合にも、差別を受けてきた立場の人が、好んでえらんだ権利ではないのだからといわれる発想、当事者感覚をまず第一に大切にしなければならない。いま東京で皮革関係のお仕事をしていらっしゃるという方が、この意見をお寄せくださったことで私はただされたのだ。

 東京都の同和行政担当者が、たったひとりの都民のかかえる気持をも大切にしたいと、再度、私をたずねてこられたことにも、血の通った仕事の一端をみて敬服した。まだお目にかかっていないこのお年寄りは、部落差別の歴史をどのように生き抜いてこられたのであろうか。「いま問う部落の歴史」は、民衆が歴史を創り出していく主人公であることを改めて私に知らせた。

 私は、いま、ドキュメンタリー「証言 水平社運動」の番組制作を起点に、水平運動の戦士の人たちに証言を聞き書きした記録の最後の仕上げのゲラ刷りに、向い会っている。水平社六〇年目を迎えた四年前から、テープに収録できた貴重な証言は、一五○時間に及ぼうとしている。阪本清一郎さんは、九四歳、〝水平〟ということばの命名から、その運動が発祥できた風土についても、きわめてみずみずしい精神と手づくりの人権宣言の誕生を語ってくださっている。米田富さんからは、糾弾の心を、そして、高松差別裁判へと闘いぬかれた軌跡をうかがっている。

 この記録は創立メンバーや、リーダーだけのものではない。〝福岡連隊事件〟の井元麟之さんら兵卒同盟の方々の証言とともに、この救援物資を荷車で運んで八木山峠越えをした永井芳兵衛さんが、凍る轍にわらを巻いた話をしてくださった。水国争闘事件、世良田村事件、岡山県厚生小学校ピオニールの人たち、差別と闘ってきた先覚者の人たちの人生が蓄積ざれ今曰のあらゆる差別をなくす歩みを展望していく原点ともなっている。

          *

 私にとっても、この水平社との出会いは、四○年前、小学校で被差別部落の友だちと学ぶ教室での体験からはじまっている。部落の外から通学した私は、部落の友だちを〝むらの子〟と呼ぶことを入学後間もなく知った。きたないとか、くさいとかいう差別的なことばが教室にあふれていた。

 部落に葬式があって担任の先生につれられてはじめて住吉の部落をたずねたときの、あの真っ暗がりの印象は、私の心にずっと刻まれて消え去らない。差別が貧困な生活を強いた。その由縁を、私の父は、一〇歳のこどもに”水平社“の闘いの歴史があったことを通して教えた。

 かつて〝むらの友〟と私がよんだ人たちは取材に訪れた私を、大きなやさしさで包みこんで力を貸してくださる。小学校の先輩でもある大川恵美子さんと、丘の上から母校の教室をみた。「あの窓からみえる廊下で友だちが勉強している姿が、ちらちらみえたんや。子守りをして背中に負っているこどもも泣くし、自分も(大川さん自身も)泣いていたんや」。

 そして、太平洋戦争で私が疎開をしてこの小学校から去ったとき、部落の友だちは、疎開に持っていく肌着の着がえや、文房具をそろえることができなくて、この市街地の空襲の空の下に残っていたことも告げられた。部落差別が、戦火の中で生命をも、おびやかしていた事実を私は決して忘れない。

(一九八五年八月)

福田雅子(ふくだ まさこ)

一九三四年生まれ。大阪市立大学家政学部(現在、生活科学部)卒業。現在、NHK大阪放送局制作部チーフディレクター兼解説委員。家庭教養向け番組及び人権問題の特集番組の制作にあたっている。著書に「証言・全国水平社』(NHK出版協会)、『水平社宣言を読む」(共著、解放出版社)など。

出会い-私と部落300万人-(1991年3月19日発行)より