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人物 松本治一郎(元部落解放同盟中央本部委員長・参議院副議長)のある足跡 |
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東京・松本治一郎記念会館で収蔵されていた資料が、大阪の部落解放・人権研究所図書資料室「りぶら」へ移され、本格的な整理をがされてきました。
この資料は、1940年代後半から70年代に部落解放同盟中央本部に集められた部落解放運動関係資料で、松本治一郎・英一関係資料、中央本部関係資料、都府県連関係資料等、二万点からなり、戦後部落解放運動関係資料としては最大規模のものです。この間、順次、目録化と永久保存対策の作業が実施されてきましたが、松本治一郎関係の資料の整理がほぼ終了しました。 松本治一郎記念会館に保存されていた松本治一郎宛の書簡は、1945年から66年11月の没年まで、計1080通です。1959年が282通で一番多く、続いて56年の113通となっています。それ以外に100通を超えた年はありません。郵便物は大量にあったはずで、残っていた郵便物はごく一部であろうと推察されます。なお、書簡以外にも、新聞・雑誌記事、国会質問、国際会議での演説原稿や選挙演説の原稿、各種団体の案内文や報告書、選挙の一件資料等が残されています。 これらの資料のうち、松本が関わった解放運動や社会運動にともなってやりとりされた貴重な書簡・資料について、個人のプライバシーに配慮しつつ、順次、解説をつけて資料紹介していきます。これまで紹介されることのなかった松本治一郎の足跡を知っていただければとと存じます。 資料整理は、本多和明(部落解放・人権研究所図書資料室)、久保在久(近現代史研究者)が担当しました。所蔵資料からの引用は、一部現代表記に変えたり、省略して抜き書きしているものもあります。なお、本文中、敬称は略させていただきました。 松本治一郎(まつもとじいちろう)1887年~1966年。福岡県の被差別部落に生まれ、「不可侵不可被侵」を信条とし、戦前・戦後の部落解放運動の中心的リーダーであった。また、衆議院議員3期、参議院議員4期と、戦前戦後の30年近くにわたって国会議員として活躍する一方、「世界の 水平運動」を提唱し、アジア・アフリカの被抑圧人民の解放のためにも尽力した。 |
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