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2007.05.16


一九四九年の春

上田 正昭


 私の第一論文集ともいうべき『日本古代国家成立史の研究』(一九五九年一二月刊、青木書店)の”あとがき“に、つぎのように書いたことがある。

 「本書の誕生を前にして、いま多くの方々の学恩をひしひしと感じている」と、恩師・諸先輩の学恩に感謝しながら、「とりわけ一九四九年、当時在職していた園部高校で、部落出身生徒をめぐる差別問題がおこり、部落問題を身近かに感得して、部落問題研究所の発足と同時に研究所に関係するようになったことは、わたくしの生涯にとってきわめて有意義なことであった。あえて『律令制における賎民支配」を本書に収めたのも、このこととけっして無縁ではない。調査・研究の上で刺戟を与えられた研究所関係の人々にも御礼を申し述べたい」。

 この”あとがき“の文の一節のみでは、読者の方々には、いまひとつ納得してもらえないかもしれない。しかし一九四九年の春は、いまも忘れがたい部落問題とのありがたい出会いの節であった。

 当時、京都大学文学部の学生であった私が、助教諭の資格で、三回生のおりに、京都府立の園部高等学校の教師となったのは、たまたま山陰線の車中で、中学二年生の時に教えていただいた岡田四郎先生に出会ったのがきっかけである。「いま、どうしているか」と聞かれて、京大で歴史学を勉強していますと答えたところ、「それは都合がよい」、教師が足りないので、園高へきて、歴史の授業を担当してもらえないかということになった。

 現在では考えがたい話だが、ほんとうの話である。「教員免状はまだありません」と申しあげたが、園高の校長(のちに鴨沂高校校長)であった岡田先生は、「助教諭」という制度があるからということで、生徒諸君とはわずか四歳ばかりの年長にすぎない私が、風呂敷きづつみを抱えて(皮製の鞄を買ったのは、一九五〇年の一二月、岩波『文学』に執筆した論文で、はじめて原稿料なるものをいただいて購入した時からである)、週に四日、亀岡から園部へと通勤することになった(土方鉄さんと出会うようになるのも、この園高時代である)。

 この年の教え子(それぞれ第一線で活躍しておられる)が主催する同窓会には、いまも必ず出席するようにつとめているが、その園部高校で就任問もなしに、差別事件がおこった。

 事件の内容は(その場にいたわけではなく、糺弾の場で真相をうかがった)、聞けば生徒会の会長候補の立会演説会で部落出身生徒の演説中に、聴衆の生徒が差別のヤジをとばしたという。そのことが判明して、部落鋺解放委員会(部落解放同盟と改称されたのは、一九五五年の八月)による園高糺弾闘争が展開された。

 教職員の会議が緊急に招集され、解放委員会の人びとが学校の責任を追及した。岡田先生からは「上田君はまだ学生だから出席しなくてもよいのではないか」といわれたが、教壇にたってほどないとはいえ、やはり一斑の責任はあると思って、その末席に列なった。

 そのいわゆる糺弾の場で熱弁をふるっておられたのが、若き日の三木一平さんであった。説得力にみちていたが、ひとりひとりを問責されるその態度がいかにも烈しい。

 終りのころに私の番となった。どのように申したか、正確にはおぼえていないが、教育の責任は追及されてしかるべきだが、問責のみでは問題の本質を解決できないのではないかというようなことを喋った記憶がある。

 会議が終って教職員の反省会があり、帰宅しようと思っているところへ、園部の”よろず相談所“(部落の会所)から電話があって、「上田をよこすように」とのこと。緊張してでかけたところが、三木さんたちが待ちかまえていて、「お前さんは多少見込みがある」と、夜を徹しての話合いになった。観念的にしか理解していなかった部落問題を(もとより今もなお充分ではないが)、三木さんが中心になって、その現実と本質とを、おのが実践をまじえて力説された。終りのころから酒宴となった。それは私にとってのまことにありがたい出会いであった。

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 こうして三木さんのさそいで、部落問題研究所とかかわりをもつようになる。創立当初のころの研究員となり、(後に研究所員となる)、雑誌『部落問題』(後に『部落』)に、ささやかな調査と研究の成果の一部を発表することとなったのも、そうしたいわれがあってのことであった。

 京都市中京区両替町二条下るにあった北大路書房に、創立のころの機関誌『部落問題研究』の発行所があって、そこで温厚誠実な木村京太郎さんとはじめてお会いした。一九五一年に、研究所は下京区の河原町七条西南角の、懐しい建物へ移転した。

一九五〇年の七月末に、園高教諭(同年三月、京大卒業にともなって、助教諭から教諭となる)から鴨沂高校へかわり、北山茂夫・奈良本辰也・林屋辰三郎の各先輩とのつながりはいっそう深くなった。研究所の初代所長は新村猛さんであり、社団法人部落問題研究所の初代理事長が奈良本辰也、常務理事が木村京太郎、三木一平、理事に北山茂夫・林屋辰三郎・高桑末秀・小林茂の各氏という顔ぶれであった。

 一九五三年の五月、『新しい部落の歴史』が研究所から発行されたが、その古代・中世は私が執筆した。小冊子(B六・一三〇ページ)ではあったが、部落史研究にかんする私にとって思い出の書のひとつである。

 一九五四年から林屋辰三郎立命館大学教授を中心に、部落史にかんする綜合的研究がはじまり、私もまたその編纂に参加した。一九六〇年の六月には『部落の歴史』(共著・三一書房)、一九六一年二月には『部落問題入門』(共著・部落問題研究所)が公にされ、一九六五年の一二月には『新版部落の歴史と解放運動」(共著・部落問題研究所)が出版された。古代・中世を私が、近世を原田伴彦さんが執筆することになって、原田さんとたびたび打合せをした。いまでは青春のつきぬ想い出である(なお同書のあとがきは私が執筆した)。

 一九六三年の六月に「いわゆる人種起源説の再検討」(『部落』一六二号)を公にし、異民族・異人種起源説のあやまりを、史料にそくして問いただした。そのおりの問題意識は消えることなく、その後の私みずからの古代史研究のなかになお持続しているつもりである。

 古代の曰本における殺牛馬の信仰を、東北アジアから東南アジアにかけての史料・遺物・遺跡・習俗をめぐって検証しつづけてきたのも、さらに古代の日朝関係史のあらたな解明に、私なりのささやかな努力を積み重ねてきたのも、かえりみれば、ありがたい部落問題との出会いを、その発端としての探求であったといえるかも知れない。

 一九五六年一二月、人権週間にちなんで朝曰新聞大阪本社が連載した「部落・三百万人の訴え」、ついでNHKの大阪放送局がはじめて取組んだ教育テレビの「部落」など、部落問題を媒体に朝日新聞の林神一さん・平野一郎さんをはじめとする方々や、NHKの田辺宏さん・福田雅子さん、当時のBKの皆さんなど、それ以前の寄稿や出演でのふれあいとは、ひとあじもふたあじも違う、人間としての交わりを続けさせてもらえたのも、ひとえに、部落問題との出会いがあってのことではあった。

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 一九六五年の六月に『帰化人』(中公新書)を世に間うて、古代における「帰化」と「渡来」の原義を明らかにし、渡来の波を史実に照射して提起したおり、「いわゆる通念としての『帰化人』観は、再検討されねばならない」と強調したのも、その前提には鴨沂高校教諭のおりのクラスの生徒A君の、差別のなかの在日朝鮮人生徒としての生きざま、あるいは鴨沂高校における不十分ながらの同和教育の実践(京都府立同和教育研究会会長をへて、のちに全同教副委員長となる)があった。全同教の広島大会で出会った門田秀夫さんとのつきあいも、同和教育を通じてであった。

 したがって『帰化人』の終章で、「わが国における差別の実態は、ふつうに六千部落三百万人といわれている被差別部落の現状に、はっきりと見出すことができる」と書いたのは、古代史の問題も私にとっては、たんなる過去の問題とは考えていなかったからである。

一九八九年の六月、『部落解放史』(部落解放研究所)の編纂に加わって、上巻古代を編集・執筆したが、そこには『帰化人」以後の私なりの研究の成果の一部を簡単に要約した。これも、こうした歩みにつながってのことである。

 京大を卒業して満四〇年ばかりになる。歳月は早くもすぎて、京大の在職約二九年、一九九一年の三月には、京大を定年退官する。古代史にかんする処女論文を『国史学」(五五号、一九五一年七月)に発表してからちょうど四〇年。京大ではじめて開講して今日におよぶ部落史ゼミ、そのおりおりのゼミ参加の学生誌君との出会い、京大の全学組織の同和問題委員会の発足から現在までの軌跡(一九八七年四月から委員長)、その歩みは遅々たるものではあろうが、私にとってはいずれもが、さまざまな想い出に重なりあう。くりかえしになるが、部落問題のきびしさと重さと深さ、その出会いなくしては、いまの私はありえなかったのではないかと、しみじみと回想する。

 これからも部落問題に学び、在日の韓国・朝鮮人の問題をはじめとする、さまざまな人権問題に、生涯をかけて学習したいと願っている。いわゆる生涯学習も人権学習と無関係ではないと考えているからである。

(一九九一年三月)

上田正昭(うえだ まさあき)

一九二七年生まれ。
一九五〇年、京都大学文学部卒業。園部高校・鴨沂高校の教員をへて、京大教養部長、同埋蔵文化財研究センター長などを歴任し、現在、京大教授。
著書に『日本古代国家論究』(塙書房)、『帰化人宍中央公論社)『喜田貞吉』(講談社)、『古代の日本と朝鮮』(岩波書店)、『古代の道教と朝鮮文化』(人文書院)、『大王の世紀』(小学館)など。

出会い-私と部落300万人-(1991年3月19日発行)より