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2007.06.05

人物 松本治一郎(元部落解放同盟中央本部委員長・参議院副議長)のある足跡


民族教育への弾圧を乗り越えて
―東京都立朝鮮人学校PTA連合会からの手紙


 1952年10月22日、東京都立朝鮮人学校連合運動会に、松本は花環を贈呈し、関係者から感激と感謝をされた。

 やや長文にわたるが、重要な内容を含んでいるので、礼状の全文を掲載しておく。

 この御厚情は運動会に集った大衆ばかりでなく六十万同胞にも同じき感謝と感激を与えることでしょう。

 大運動会は警察官憲の妨害にもかかわらず大衆に守られ大衆の中に育った五千の児童と生徒達は意気揚々と日頃の訓練と組織力によって大成功裡に終了することを得ましたことは更に大きな自信と覚悟を与えたのであります。

 世界の勤労者階級が平和を渇望しているにもかかわらず、一握りの独占資本家共が自己のあくなき利潤追求の為に戦争を挑発し我が祖国の山河は焦土と化しました。

 無辜の民は父母兄弟を失ひ飢餓にあえいでいる時、血ぬられた金を儲けてほくそえんでいる一部反動共の罪悪は人類道徳上許さるべきものではありません。米帝のあくなき世界支配の野望とその手先反動吉田政府は世界の民主平和勢力の増大と共に日増に高まって行く日本の平和勢力をおさえ、日本をしてアジア侵略の地盤たらしめんとして帝国主義の復活に努めています。しかし人類の歴史は正しく平和の道を指向しているし、日本の歴史そのものも正しき方向へと進んでいます。このことはアジア太平洋平和会議が北京で開かれることによって、ここに結集された各国の強き意志表示が何よりも明確に示していると思います。

 先生は日本の平和のとりでとして、否世界の平和のとりでとして、日本八千万民族の平和使節として、この歴史的会議に参加しようと心命を投げ打って斗ったことを我々はよく知っています。この崇高なる御精神をかけがえのないものとして八千万民族は胸にたたんでいることと信じます。しかし野獣共の妨害でとうとうこの崇高なる使命が達せられず北京会議に御参加できなかったことはかえすがえす残念でなりません。戦争屋共に限り無き憎悪を抱くのであります。

 先生の御心状を察するに余りあります。

 在日朝鮮人が民族的差別と共に世界の平和、就中朝鮮の平和の為に勇敢に斗っていることは御存じのことと思います。戦争犠牲を何時の世に於ても一番受けて来た民族であればこそ平和への欲望は切実なものであります。

 在日朝鮮人が解放と同時に民族教育を叫び粒々辛苦を積み重ねて今日やっとその成果を得ようとする時、日本の反動共は機会ある毎にあらゆる誹謗と中傷によってこれを抹殺しようとしています。東京に於ては現に都立校として平和的民主的な教育を実施してその成果は22日の連合大運動会には如実に発揮されました。当日見物された体育専門家達はこの恐るべき成果を激賞して呉れています。この事実と反してあらゆる誹謗によって都立校を廃止し私立学校に移管してその果は民族教育を抹殺すべく廃校に導こうとする陰謀を東京都並に日本政府は企んでいるのであります。我等はあくまでこれ等の陰謀を暴露して斗っているし斗うつもりです。どうか先生に於かれては多事多難な御繁務とは存じますが、倍旧の御声援と御鞭撻の程を御願い致します。

 平和のとりでである先生の御健康を御祈りすると共に我が連合運動会によせられた御厚志に深く感謝致します。

 手紙にあるように、戦後、在日朝鮮人の子どもたちに対する教育は非常に困難な状況に追い込まれていた。1949年九月、法務総裁は団体等規制令違反を理由に在日本朝鮮人連盟(朝連)の解散を命じ、10月には、文部省管理局長・法務省特別審査局長共同通達を出した。

 その内容は、<1>旧朝連設置の学校については廃校になったとして処置する、<2>無認可の朝鮮人学校(民団系含む)に解散を勧告し、応じない学校は二週間以内に私立学校の認可申請をしなければ閉鎖する、というものだった。

 10月19日には「(第二次)学校閉鎖令」(92校)を発布し、多くの朝鮮学校を武装警察官によって強制閉鎖した。また、11月4日「改組令」(245校)を強要し、学校改組の勧告に応じない学校を自動的に閉鎖し、ついで私立学校認可申請手続きをした128校については、文部省で一括審査し、大阪の1学園3校(白頭学園建国小・中・高)以外をすべて不認可として閉鎖を命じた。

 同年11月20日、東京都教育委員会は、「東京都立朝鮮人学校設置に関する規則」を制定し、「朝鮮人学校取り扱い要綱」を発布した。これにより、都内の朝鮮学校14校はすべて都立学校になった。55年3月には、東京都立朝鮮人学校などそれまで公費で運営されてきた朝鮮学校を在日朝鮮人の自主的運営に戻すという名目のもと、都立朝鮮人学校は、14校すべてが廃校となり、自主学校に移行した。同年に在日本朝鮮人総連合会(総連)が発足し、朝鮮学校は再建されることになる。


参考文献

枝川裁判支援連絡会編『とりあげないでわたしの学校 枝川朝鮮学校裁判の記録(第一集)』樹花舎、2006年

本多和明(部落解放・人権研究所図書資料室)