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近代日本のマイノリティ |
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黒川みどり編著
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マイノリティはなぜ作り出されるのか。近代日本は、被差別部落、沖縄、アイヌ民族、在日朝鮮人などをはじめとして様々「マイノリティ」を次々に作りだし、排除をし、差別をし時に包摂をはかりつつも今なお差別を生み出し続いている。差別をする側(=マジョリティ、社会)はいかなる論理でマイノリティを「排除」し、あるいは「包摂」していったのか。マイノリティは社会からの「眼差し」をどのように受けとめ、自分たちをどのように主体化し、差別に向きあっていったのか。本書は、小林丈広編『都市下層の社会史』(解放出版社、2003年)を執筆した「都市下層の部落問題」研究会の成果をふまえつつ、新たなメンバーを加え、歴史学・科学史・文化人類学・社会学などさまざまな領域の研究者を含めた新しいマイノリティ研究を提示するものである。 本書の構成は次のようになっている。
本書が対象とした「部落民」「都市下層」「ハンセン病」「エスニシティ」はそれぞれが個々の分野において分厚い研究蓄積をもっている。しかし、それらを「マイノリティ」として共通の遡上にのせ、その共通性と差異性を見いだし、それぞれの個別史を近代史の中に位置づけようとする本格的な研究は本書が初めてであろう。また、マイノリティ研究の隆盛に伴って相対的に下火となっていた被差別部落の問題を改めて主要な研究対象の1つとして取り上げたことも本書の特徴だろう。 このような表現は誤解を招くおそれがあるが、それをおそれずに言えば、「都市下層」や「ハンセン病」、「エスニシティ」と比べたとき、「部落民」は差別される「徴」が自明ではない。本書でも議題にされる、「部落民」がどのような眼差しを受けてきたのかという問題を突き詰めると、近代日本社会が被差別部落に対して差別する徴を常に作り変え続けてきたという事実は、被差別部落をという枠組みがいつか差別の対象として機能しなくなった時、別の新たな差別の対象が作られるであろうという危惧を抱かせる。近年のマイノリティ研究の発展は目を見張るものがあるが、差別問題を考えるとき、被差別部落の問題はやはり重要な位置をしめるのではないかと思う。 1980年代後半に登場した国民国家論は、近代の国民国家それ自体が矛盾に満ちた不安定な機構であり、つねに支配と従属、搾取と被搾取、中央と周縁、差別と被差別の構造化を作り出すものであることを明らかにした。それ故、国民国家論とは、近代を生きる我々の心身の一部と化している「国民」や「国民国家」といった概念を歴史的に考察し、それを乗り越える道を提案する試みとなる。その試みは必然的に自分自身の脱国民化、非国民化に至り、国民国家が統合のよりどころとしていたものの虚構性を暴露し、国民国家を超えることへつながる。そして、その研究の中核をなすのが、差別され、排除される側であるマイノリティの研究なのではないだろうか。 本書は、国民国家論の登場によって注目を集めるようになったマイノリティ研究をさらに発展させ、「排除と包摂/表象と主体化」という共通の研究視角を設定する。その上で、それぞれのマイノリティに注がれる「眼差し」の共通性と差異性を見いだし、それがどう歴史的に形成され、変遷を遂げていったのかを明らかにし、ひいてはマジョリティをも問い返そうと試みる。執筆者の問題を優先したこともあって、対象としたマイノリティ集団や時代は必ずしも近代のマイノリティ全体を俯瞰した構成をとっていはいない。 今回対象とされなかったマイノリティの問題や、それを見渡した通史的な把握、研究視角のすりあわせ等、残された課題は多いが、本書は今後のマイノリティ研究にとって重要な指標を提示したといえるだろう。本書をきっかけにより開かれた議論が活発に行われることを期待したい。 |