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近代日本のマイノリティ |
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マイノリティと「多文化共生」
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「多文化共生」は、日本独自の言葉です。輸入概念である「多文化主義」(マルチカルチュラリズム)と一見似ていますが、「主義」の代わりに、在日の反差別闘争で使われてきた「共生」が用いられていることで、むしろ啓発の言葉としての役割を果たしているといえるでしょう。
「多文化共生」という言葉は、1993年神奈川で使われ始め、1995年の阪神・淡路大震災後の被災外国人支援活動を通して一気に全国に広まりました。震災直後に組織された「外国人地震情報センター」が同年10月に「多文化共生センター」と改称し、その後全国数カ所に支部を設置したことも、この言葉が広まったことに大きく寄与しています。その後2005年に、総務省が「多文化共生社会を目指した取組み」を重点施策と位置づけ、「多文化共生の推進に関する研究会」を設置しました。この他、政府や自治体レベルでの本格的な取り組みが始まり、多文化共生がNGOだけでなく、政府や地方自治体による施策づくりにおいても根を下ろし始めたといえるでしょう。 この後の誕生から15年が経過し、施策として諸方面で根づきつつある今、この言葉がもたらしてきた「光」と「影」に目を向け、その課題を見つめ直す時機が来ているように思われます。私は、特定のマイノリティ集団を支持したり、代弁する意図はありません。あくまでも研究にもとづいて吟味した上で課題と思われる点を指摘したいと思います。 前述のような政府や地方自治体の対応の背景には、日本社会が直面している深刻な人口問題と、増え続ける海外からの移住者の存在があります。政府は、「出入国管理及び難民認定法」の改正(1990年)前後から、さまざまな審議会等を設置して、外国人受け入れに関する諸問題を検討していました。それらは、外国人の受け入れの是非をめぐる議論や、外国人の在留管理などに主眼が据えられていました。しかしこの2,3年は、外国人だけを議論の俎上に載せるのではなく、「外国人」(新渡日者)もそれぞれの地域の住民であり、地域住民すべてが互いに言語や文化、習慣の異なる多様な人々と共生するのだ、という考え方にもとづいた新たな動きが見られるようになっています。その新たな方向性とは、「外国人」ではなく、「多文化共生」という言葉を含んだ諸会議や報告書等にも示されています。 ここで、総務省が前述の「多文化共生の推進に関する研究会」が発表した報告書「多文化共生の推進に関する研究会報告書-地域における多文化共生の推進に向けて-」(2006年3月)を例にとり、吟味したいと思います。 まずこの報告書では、「多文化共生」を以下のように定義されています。
ここで登場するいくつかのキーワードに目を向けてみると、「国籍や民族などの異なる人々」とあります。言葉だけをみれば、「など」には、被差別部落も含まれると解釈することも可能だと考えます。 「互いの文化的ちがいを認め合い」とありますが、この「文化」が何を指すかは後述するように現状では曖昧です。 「対等な関係」は、文化の上下関係を否定する意味合いをもつ「多文化」や「共生」という言葉が元来含むものです。また「地域社会の構成員として共に生きていく」という箇所でも、国籍やルーツの違いを超えて、同じ地域住民として共生することが謳われています。 ところでこの報告書では、①コミュニケーション支援、②生活支援、③多文化共生の地域づくり、という三つの観点からさまざまな取組の課題を指摘しています。
ここでは、以下のような説明が加えられています。
ここで明らかに「日系南米人を始めとする多くのニューカマー」が、多文化共生推進の念頭におかれた存在であることに気づかされます。 この報告書が、歴史的なマイノリティよりニューカマーを意識したものであることは、本文中の用語使いから伺えます。たとえば「ニューカマー」という用語は、15箇所で登場します(同一箇所に何度も登場する場合でも1カ所として計算)。「在日」「コリアン」に言及しているのは、高齢化問題を指摘した1箇所のみです。ちなみに「ブラジル人」については9カ所あります。
しかし、この報告書が特別なケースだというわけではありません。次に、「多文化共生」の名の下の施策やボランティア活動などを全国的に概観した場合に見受けられる、いくつかの特色を指摘したいと思います。 地域によって温度差はあるものの、政府もほとんどの自治体も、新渡日者(「ニューカマー」)を念頭においているといえます。その反面、在日コリアンや華人、被差別部落などの歴史的マイノリティに対するプログラムが、一部に限られている(あるいはほぼ皆無である)おり、「多文化共生」のなかに必ずしも組み込まれているとは言い難いことは、重要な課題だと指摘しておきましょう。これに関連していますが、さまざまな取り組みのなかで、日本語指導(支援)を重視しており、構造的側面に対する着手は、むしろ回避しているようにさえ見受けられます。とくに、日本語の不自由な「外国人」への言語サービスの提供=多文化共生、だと考えられているきらいがあります。 また「多文化」という言葉についても、「文化」が何を指すのかは曖昧なままです。実際には「多民族共生」を謳っているわけですが、それにオブラートをかぶせるために「文化」が使われているのかもしれません。あるいは文化の中身を吟味してみると、大抵の場合「祭り」「食べ物」「衣服」が取りあげられがちです。もちろんこれらは、異文化に不慣れな日本人にとって、入りやすい多文化共生の入り口であることには間違いなく、その活動の意義は否定できません。しかし問題は、そこからさらに深い価値観や思考体系、生活様式といった、より踏み込んだ「文化」が、言及されることはあまりないということです。現在それにもっとも近づいているのが、教育をめぐる議論です。保護者の価値観や本人や家族の生活様式がおのずと関わるからです。ただし教育の現場自体が、あまりに目の前のさまざまな困難な課題の対応に追われており、文化について体系だった議論の場がもたれる機会はほとんど存在しないと言えるでしょう。 また「文化」の名の下に同集団内の多様性が覆い隠されたり、ステレオタイプ化されていることにも注意が促されるべきでしょう。たとえば、「ブラジル人」といえば、サンバ、サッカーが紹介されがちですが、日系ブラジル人の多くは、三世であっても、一部を除いてサンバやサッカーに馴染みが深いわけではない例がそうです。 現在の多文化共生では、外国人支援にあまりに力点がおかれ、日本社会の文化的多様性を増すという考え方につながってはいないように思われます。それは例えば、さまざまな自治体の公立高校入試の特別枠で「外国人等特別枠」が導入されていますが、そこでも高校入試特別枠「入国後○年以内」(通常3年から5年)のような条件が付随しています。最近は外国籍に限定しない自治体もありますが、それでも「帰化後○年」と限定を設け、来日してまもなく帰化するニューカマーの子どもたちを実質的な対象としています。言い換えれば、歴史的なマイノリティの子どもたちは、このようなプログラムの対象には含まれていないのです。 社会の根本的性格は異なりますが、アメリカ合衆国における現在の大学選考のアファーマティブ・アクションの考え方は、ダイバーシティ(多様性)が学生母体に必要であるというものです。つまり多様性が大きい環境が、マイノリティの上昇を支援するだけでなく、マジョリティにも恩恵をもたらすという考え方です。 現在アイヌ、沖縄出身者、被差別部落出身者などが「多文化共生」の射程に含まれることはほとんど公的な場面ではありませんが、今後新渡日者だけでなく、歴史的マイノリティもマジョリティである日本人も対象とした多文化共生の施策が進められることが望まれます。 以上 詳細は、竹沢泰子「多文化共生の歩みと課題」『文化人類学研究』(日本文化人類学会(旧「日本民族学会」)2009年3月刊行予定をご覧下さい。
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