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近代日本のマイノリティ |
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《研究展望》歴史研究における「レイシズム」概念の活用可能性
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【新たに注目されるレイシズム】近年、レイシズムという言葉を見聞きする機会が増えてきました。従来ならば、この言葉は「人種主義」へと疑問の余地なく変換されるところでしょう。ところがいま増えているのは、レイシズムとカタカナ書きされた表現なのです。「人種主義」という漢字では捉えられない意味の広がりや変化が(少なくとも現在の)'raicism'という言葉にこめられていることを表すために、あえてカタカナ書きが採用されていると考えられます。 レイシズムという表現が採用される背景には、従来ある外形的な差異を差別の根拠とする人種差別とは異なる差別が顕れてきた状況があります。旧来の人種主義を「生物学的人種主義」とよぶならば、新たな人種主義はそうした観察可能で形質的な「人種」観念にしたがう差別を否定するほどには科学的な装いをもち、個人の権利や集団的な文化的価値を認めるとしながら、まさにその文化的価値がマジョリティの文化と相容れないとしてマイノリティの文化を排斥します。これらは一般に「文化的人種主義」とよばれ、肌の色などにもとづく「人種」から、エスニックな表象にもとづく「文化」が差別の根拠とされるようになっています。多文化主義政策に反発して起こる移民排斥の運動などがその典型です。 しかし、問題はもう少し複雑です。現在、EU内先進国の移民受入政策のなかで、受入国の言語のみならず、新たに文化的な生活規範の習得度も審査の対象になろうとしているように、文化的な差異は出自によって永久に変更できないものではなく、個々人の才覚や技能によってはこれを変更できるものとされているからです。しかも、そうした選別は結果として性別や階級別に偏差をもたらし、エスニシティだけでなく他のさまざまなカテゴリーとも結びついて差別の構造を(個々人の社会的移動をともないつつも、全体としては)再生産することになります。こうした政策は、移民排斥の運動がもつ直接的な暴力・差別に比べれば、より洗練され、社会構造のなかに埋め込まれて見えなくなった差別といえるでしょう。 レイシズムという表現は、こうした新しい人種主義を指す場合に用いられることが多くなりました。この言葉がグローバル化のもとで進行する新たな差別や国民統合を批判的に分析する場面で頻出するのは、以上のような経緯があるからなのです。 【タカシ・フジタニによる戦時日米のレイシズム分析】こうして新たな意味をもって捉えられたレイシズム概念は、現在、歴史研究の分野でも活用され始めています。なかでもここで注目したいのは、米国の日本研究者であるタカシ・フジタニの研究です。フジタニは、近代天皇制による民衆支配のあり方をミシェル・フーコーの社会理論を大胆に援用して分析した研究から出発しましたが、2000年代に入り、アジア太平洋戦争期の「朝鮮出身日本国民」と「日系アメリカ人」のそれぞれに対する日本帝国とアメリカ合衆国の政策をあえて比較するという論文を連続して発表しています。その一連の研究の中核にあるのがレイシズムの概念であり、彼は戦時期に現れた新しい人種主義を、現代レイシズムのひとつの起源として解明しようとしています。そこで以下、タカシ・フジタニの論考(参考文献参照)を手がかりに、歴史研究、とりわけ日本近代史研究にとって、レイシズム概念がいかなる有効性を持つのかを考えてみましょう。 フジタニは、戦時下の全体主義国家日本の植民地民族政策と、民主主義国家アメリカの日系アメリカ人政策が「人種主義の否認」という点で類似性をもっていたと主張します。まずこの指摘自体、驚かれることでしょう。一般に日本帝国は天皇に収斂する血統を原理とする排他的な特殊主義を支配原理とし、普遍主義のアメリカ合衆国とは共通の土台で比較することが不可能(共約不可能)とされているからです。アメリカも日系アメリカ人を強制収容しましたが、やがて前線で日系人兵士が活躍し、戦後には全面的な名誉回復までなされているのですから、たとえば同じ兵士でも朝鮮人「皇軍」兵士に対する戦後の処遇を考えれば両国の差は歴然としています。 しかし、当時の実態を垣間見ると、アジア太平洋戦争期の日米は、いずれも国家戦略として人種主義を否認する方向に舵を切ります。どちらにとっても、兵士・労働力不足を打開する有用な人的資源として植民地民族や敵国系の民衆を利用せざるをえなくなっており、そのために彼らを「国民」として処遇する必要に迫られたからです。これを国内的要請とすれば、国際的要請といえるのが、地球規模、とりわけアジアでの支持をとりつけるためのプロパガンダとしての人種主義の否認です。いうまでもなく、日本帝国がアジア民族の解放をうたって対英米戦争を開始した以上、アメリカはアジアの戦争に勝つためにも国内の人種問題への対処を迫られたのです。 フジタニは「人種主義の否認」を、その政策の背後にある意図が不誠実で二枚舌の虚偽に過ぎないと無視するのではなく、否認をうたうことがもったさまざまな効果に着目します。その効果こそ、人種主義による差別がそれを否認することと共存可能な「新しい人種主義」を生み出したのです。フジタニは両国の政策、特に人口・社会政策等の「生政治」(bio-politics)にかかわる領域の変化を分析して、マイノリティを馴致不可能な民族として放逐するそれまでの「粗暴な人種主義」から、訓練によって改造可能な人々と見なし積極的に管理・育成して活用しようとする「慇懃な人種主義」へ転換したと、人種主義の構造転換を描いています。権力の関心がこのように変化したことは、フーコーの議論を援用して、放逐・排除する「殺す」権力から「生かす」権力への変化ともまとめられています。ただし後者の権力は、優秀な兵士として育成して「祖国のために死ぬ」ように促す、という策略も含めて「生かす」のですから、マイノリティさえも全面的に把握し国家のために動員できるように技術が高度化していくのであって、文字どおり「生かす」善意や生存権思想にもとづくのではありません。 このようにフジタニが、日米をあえて比較するのは、日本も主観的には善意を持っていたとか、アメリカもひどいことをしたというように、どちらかを叩いて相対化しようとするのではありません。それどころか、まさにそうした比較のあり方自体をナショナルな枠組に捕らわれたジレンマとして批判するのです。ふたつの「国民国家帝国」を同時に問題とし、かつ現在まで続く「新しい人種主義」の登場を捉えようとしており、極めて野心的かつ現状批判的な試みだといえます。 【日本近現代史研究におけるレイシズム概念の重要性】こうした批判的姿勢は、必ずしもフジタニが特別というわけではありません。彼の研究にも刺激を受けながら、現在では日本の研究者のあいだでもレイシズム概念の使用が模索されています。 もっとも注目されるのが、駒込武の用い方です。1990年代後半以降の日本「帝国史」研究の潮流を先導する駒込は、日本帝国を鳥瞰する立場での研究ではなく、日本帝国主義のみならず欧米の帝国主義など、複数の帝国のはざまに生きざるをえなかった植民地出自の人々の視点から歴史を捉えるべく、レイシズム概念を植民地研究の分野で彫琢しています。 日本語の「人種主義」は「日本人」を黄色人種とし、白人との対抗を歴史的前提として使われるため、日本と欧米の帝国主義が共通にもつ差別のあり方を捉えられません。また「人種」分類による差別だけを指す「人種主義」では、血統観念にもとづく民族差別を原理とする近代天皇制をうまく位置づけられません。そこで駒込は、天皇制を「レイシズムを包含したナショナリズム」と捉え、レイシズムをあえて「人種/民族差別主義」と訳すよう提唱しています。これは、戦後日本の市民社会における差別を考えるうえでも重要だと思われます。注意したいのは、駒込もフジタニと同様に、従来の日本・欧米間の比較が陥ってしまう相対化の罠を越えて、マイノリティへの暴力を多面的に照らし出すためにこうした問題提起をしていることです。 また被差別部落の研究でも関心が寄せられています。廣岡浄進は、すでに部落解放・人権研究所の共同研究において、朝鮮人との関係性のなかで戦時期の被差別部落の諸運動を分析する視座としてレイシズム概念を用いています。そこにあるのは、近代日本の差別の実態を、当時の日本帝国のさまざまな主体の複雑な関係性のなかで構成されるものとして把握しようとする視点です。従来のマイノリティ史研究、あるいは差別の歴史的研究は、差別する「日本人」と個々のマイノリティとの一貫する関係(差別)の変遷に注意が集中しており、植民地出身者も含めたマイノリティ間の関係が日本帝国の差別構造全体にどのように組み込まれているのかを考える視点は生まれにくかったといえます。またエスニシティ以外の差別の要因(性差、階級など)との複合的な関係を分析する視点が育ちにくかったことも、特徴のひとつです。これまで見てきた最新の研究はすべて、そうした問題点を受けとめて「日本(史)研究」の枠組みを超えようとする模索と考えられます。 【今後の研究のために】もちろん「共約可能性」にしても差別の複合構造を描きだすにしても、すべてを収斂するある統一した理論を求めているのではありません。それでは、階級や民族に問題を還元してきた過去の「理論」の病弊をくり返すだけでしょう。歴史研究としては、個別の対象にはらまれた共通性と差異を丹念に検証していくしかありませんし、厳密には共通性といっても類似性と同一性は注意深く別けて考える必要があります。 また歴史の各時点ではたらくレイシズムの機能は、「生物学的人種主義」から「文化的人種主義」へと一時に段階が移行するのではなく、複数のレイシズムの型が組み合わさって支配を形作っていると考えられますから、その組合せと支配のあり方の関係をさらに精密に分析する必要があるでしょう。そのときに重要となるのは、マジョリティのなかでも下層・周縁に位置する人々がもっとも苛烈に振るうレイシズムの内実、あるいはレイシズムの変貌によってマイノリティのアイデンティティがどのように変化するかなど、より主体に密着した分析によって、この概念を鍛えていくことでしょう。そうした試みはまだ始まったばかりですが、「近代日本のマイノリティ」の歴史を、日本史の一分野にとどめるのではなく、より広いつながりのなかに開いていくためには、以上に見てきた研究動向から多くを学び取れるように思われます。 《参考文献》
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