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2007.05.17

人権のゆかりの地


貝塚御坊・願泉寺


 南海本線の貝塚駅で下車し、北へ向かって数分歩くと、大きな寺院がそびえています。これが願泉寺です。1467、8年ごろ、本願寺の八世・蓮如が逗留したという言い伝えのある古い寺で、1555年以降は「貝塚御坊」とも呼ばれました。江戸時代には、その住職が貝塚寺内町の領主も兼ねていました。

 願泉寺の太鼓は、口径4尺といいますから120㎝。これだけになると張り替えが大変です。1782年のこと、この太鼓の皮が破れました。その修理に名のりを挙げたのが、渡辺村の河内屋吉兵衛さんです。河内屋さんは、1711年にも一度修理をしていましたが、1759年の修理では、貝塚・島村の太鼓屋さんが請け負いました。「今度こそは」というわけで、吉兵衛さんが名のりを上げたのです。

 吉兵衛さんが添付した書類には、それまでの張り替え記録もあり、それによれば、河内屋吉兵衛が張り替えた皮は48年も破れなかった、嶋村の太鼓屋さんが張り替えた太鼓は24年だったなどと記されています。こうした宣伝が効果を上げたのか、この時は吉兵衛さんが請け負っていますが、それにしても、島村と渡辺村の太鼓職人同士の、高度な競い合いがかいま見えます。

 ところで1784年11月には、願泉寺のそばで差別暴行事件が起こりました。

島村の弥右衛門さんは、寺内町の門先で雪踏の店を出していました。となりでは、古くからの友人である堺・塩穴村の徳兵衛さんが、綱貫ぐつを売っています。弥右衛門さんの店は、毎年11月に催される貝塚御坊の報恩講の時だけ開かれています。

11月28日、弥右衛門さんの息子の弥四郎さんが店番をしていると、突然、となりの綱貫屋へ14、5人の人足が押し入り、因縁をつけたうえ、店の者になぐりかかりました。驚いた弥四郎さんが止めに入りますと、こんどは弥四郎さんの店へ踏み込み、「おのれもか!」と叫びながら、弥四郎さんにもなぐりかかり、雪踏をまき散らし、荷物箱を踏みこわすなど、暴挙のかぎりをつくしました。

この事件は、地元の人足派遣業者が、綱貫と雪踏の販売店だけを計画的にねらったもので、犯人は堺奉行所で処罰されています。

中尾健次(大阪教育大学)