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2008.05.01
書籍・ビデオ案内
 

「非人」研究を含む被差別民衆史・警察史・法制史・都市社会史・家族史・風俗史研究を大きく深化・発展させる歴史史料集

悲田院長吏文書

悲田院長吏文書

長吏文書研究会編
B5判 上製 函入り 801ページ 定価 32000円+税
978-4-7592-4048-1  C3021
2008年5月30日発行 限定200部

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1200点におよぶ最大規模の「非人」集団内部関係史料

(社)部落解放・人権研究所 理事長 寺木伸明

 このたび刊行された長吏文書研究会編『悲田院長吏文書』は、神戸市立博物館所蔵の古文書群を収録したもので、大坂四ケ所「非人」のうち最も古く、かつ最大規模を有する四天王寺悲田院の長吏家(頭)に伝蔵された「非人」集団内部の関係史料集である。

 これらの文書群は、そのすべてが大坂の「非人」に関係するものであり、その内容も、「非人」の由緒、公役、番株・番役、風聞探索、仲間統制、人別・人口、相続・跡式、キリシタン類族改、賃貸、宗教など、生活全般にわたるものである。その他、四ケ所関係や在方非人番関係史料も含まれている。

 したがって、『悲田院長吏文書』は、たんに「非人」研究のみならず、警察史、法制史、都市社会史、家族史、風俗史などの研究にとって第一級の史料集であるといえよう。本書の活用により、それらの方面の歴史研究が大いに発展・深化することが期待される。

 「長吏」とはどのような存在か

(中尾健次著 本史料集解説編より)

 江戸の場合、浅草の車善七を筆頭に、品川松右衛門、深川善三郎、代々木久兵衛、以上四人の「非人頭」がおり、町奉行の支配下にあって、清掃事業や番人その他の雑業に従事していた。この「非人頭」に相当する“役職”を、大坂では「長吏」と呼んでいる。

 「長吏」は、古代から中世の初頭(平安~鎌倉時代)にかけては、寺院の財政や行事を担当する役職名だった。それが、中世の後半(室町~戦国時代)には、神社や寺院に属する職人集団の頭を「長吏」と呼ぶようになり、しだいに被差別民衆の頭を意味するようになった。江戸時代の関東では、かわた集団そのものを「長吏」、その頭である弾左衛門は「長吏頭」と称している。「長吏」という言葉には、元々「頭」という意味が含まれているので、「長吏頭」という言葉は、“屋上に屋を架す”に等しいが、“被差別”の状況に対する抵抗感が、その背景にあったのだろう。

 大坂の場合、「非人」身分の頭を「長吏」と称している。また、四天王寺悲田院・鳶田・道頓堀・天満の四ヶ所に居住していたので、「四ヶ所」とも呼ぶ。江戸にも四人の「非人頭」がおり、「四ヶ所非人」とも称することがあったので、その点は似通っている。しかし、その系譜については、江戸と大坂とではかなり異なる。

 江戸の車善七・品川松右衛門は、元々「口入れ屋」と称する“人足派遣業者”だったと推定されるが、江戸の「非人」組織は、その仕事に注目した町奉行が、窮民対策の一環として、善七や松右衛門を利用したことに端を発する。そして、町奉行から江戸市中に流入してくる窮民たち(後には「野非人」と呼ばれることになる)の支配を任されたのが、「非人頭」の起源となる。

 大坂の場合は、窮民に粥を施したり、行倒人の看病をしたり等、四天王寺の福祉政策が発端のようで、その一端を担う役職が「長吏」だったのではないかと推定される。これについては、『悲田院文書』(清文堂出版)の「由緒」の項に収録された諸史料をご参照願いたい。いずれにせよ、大坂の場合、「長吏」の元々の意味合いが残された役職名であったということができる。その大坂の「長吏」の中で、最も歴史が古く、勢力も絶大であったのが「悲田院長吏」である。 

もくじ

発刊にあたって   (社)部落解放・人権研究所
刊行によせて    神戸市立博物館
凡例
目次
細目次
解 説
一 由緒
二 四天王寺支配
三 天王寺村支配
四 人別・人口
五 類族改
六 相続・跡式・代勤届など
七 宗教
八 仲間統制
九 垣外での生活
一〇 公役
一一 風聞探索
一二 番株と番役
一三 賃貸
一四 四ケ所関係
一五 在方非人番関係
一六 町触・口達
一七 雑件

長吏文書研究会(五十音順)

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