前代未聞の差別放送
本年(二〇〇五年)一月二三日、テレビ朝日系列の放送局によって前代未聞の差別放送がなされた。多くの人たちからの連絡によって差別放送の事実を知らされた私は、知人から借りた録画ビデオを見て本当に唖然とした。部落問題をよく理解しているはずの旧知の大谷昭宏さんが関わっていて、そんな差別放送はあり得ないと思っていたからである。しかしそんな私の認識は、録画ビデオの冒頭を見て根底から覆された。
それは一月二三日と三〇日の午前一〇時から放送されたテレビ朝日と朝日放送の共同制作である「サンデープロジェクト」という放送番組である。「『食肉のドン』の犯罪-『政・官・業』利権構造-」と題して、食肉商社ハンナングループの浅田満氏を取り上げ、その二三日の番組冒頭に以下のような部落差別発言が行われた。
差別放送の具体的内容
まずメインキャスターの田原総一郎氏が、「だいたいこの人をやんないマスコミが悪い」「被差別部落のなんとかと言ってね、恐ろしがってる。何にも恐ろしくない、本当は。タブー視されている、ここが問題。(取材に当たったジャーナリストの大谷昭宏氏と内田誠氏を指して)この人は、被差別部落をタブー視しないからできる」と大谷氏と内田氏を持ち上げ、続いてコメンテーターの高野孟氏が、「マスコミがタブーとしてきた」と言葉をはさみ、さらに田原氏が、「それを大谷(昭宏)さんは取り上げた」と繰り返し褒めあげた上で、高野氏が、「大阪湾に浮くかもしれない」と発言し、司会役のうじきつよし氏が、「危ないですよ。二人とも」と念を押し、田原氏が、「変にマスコミがタブーとすることが、逆に言えば差別」と締めくくったのである。
これら一連の差別発言に対して、番組の途中で司会役の女性アナウンサーが不適切な発言であることを認め一応の謝罪がなされたが、極めて不充分なものであった。
関係者の謝罪放送
続いて二回目を放送した一月三〇日の番組冒頭で関係者が謝罪し、宮田アナウンサーが、「先週の放送の冒頭のコーナー、ハンナンの浅田満被告の特集を説明するくだりで、被差別部落の人達の心を傷つける発言があったことをお詫びします」と述べた後、出演者によって以下のような謝罪が行なわれた。
最初に田原総一郎氏が、「放送後に、私の古い友人から手紙を貰いました。手紙には浅田被告の犯罪は憎む。しかし、浅田被告の犯罪と被差別部落とは、別のものであると。それを田原さんの発言は結びつけるようなニュアンスがあったと。大変残念だと。という手紙を貰って、『うんーっ』と思いました。そして、もうひとつ、あたかも被差別部落を取材することが困難、タブーだというようなことを言ったと。これは、まったくの間違いであると、ということが書かれていました。『そうだ』と私は、差別の問題には、とっても取り組んでいるつもりですが、私の深層の中で、ついそういうものがあったのかなという事を非常に反省しています。申し訳なかったと思っています」と謝罪したが、その間、全くテレビカメラに視線を向けることはなく、うつむき加減であった。
高野孟氏も、「私の発言で、被差別部落の皆さん、そして関係者の方々に心を傷つけてしまい、大変申し訳ありませんでした。私も長年、人権意識の普及向上のための活動に取り組んでおり、差別は断じてあってはならない、また、許してはならないと思っています。そういう私が差別と犯罪を関係づけるかのような印象を与える発言をしたことに、まことに申し訳なく思っています。申し訳ありませんでした」と謝罪したのである。
そして、謝罪の最後にうじきつよし氏が、「私にも軽率なところがありました。あらためて深くお詫びします」と発言し本来の放送がなされたのである。
部落差別を利用していないか
以上が放送内容の事実であるが、これら一回目の田原氏、高野氏、うじき氏の一連の発言には読者の皆さんもお気づきの多くの問題点を含んでいる。
まず田原氏は、番組の冒頭「つかみ」の部分で、番組後半に放送される「『食肉のドン』の犯罪」への関心を高めて、後半にも視聴率を維持しようとする意図のもと、番組内容のシンボリック(象徴的)な紹介を行なうとともに、視聴者の好奇心を高める発言を行なっている。
私自身もサンデープロジェクトを視聴するときがあるが、彼の冒頭の発言は上記のようなねらいでなされていることが多い。だからこそ一層許せないのである。彼が視聴者の関心を最も高めることができ、番組内容を端的に表現する凝縮した発言内容が冒頭発言なのである。そこにタブー視される被差別部落イコール浅田氏を持ってきているのである。つまり計算された発言であり、ついうっかり発言したというものではない。
被差別部落出身と断言してよいか
さらに「だいたいこの人をやんないマスコミが悪い」「被差別部落のなんとかと言ってね、恐ろしがってる」と言って、浅田氏の出自を何の前触れもなく突然明らかにしている。
公共放送が特定の人物を被差別部落出身と断言して許されるのか。
たとえ公判中の被告人であったとしても公共放送で出自を明らかにされることは、紛れもなく重大な人権侵害であり、差別である。テレビ朝日はこれらの事実をどのように是正し謝罪しようと考えているのか。
検察側も浅田被告側も被差別部落といったようなことは、公判では全く触れていない。そのことは公判を傍聴していたテレビ朝日関係者も証言している。にもかかわらず冒頭に被差別部落がなぜ話題になるのか。
部落差別意識を助長
この冒頭の一連の発言によって、関係者が計画的であるかどうかは別にして部落差別が実に巧妙に利用されているとともに、助長されていると指摘せざるを得ない。
つまり、部落差別が二つの目的のために明確に利用されている。一つは浅田氏の「悪さ」を強調するための道具として、もう一つはタブーに挑戦するサンデープロジェクトの取材姿勢を強調するための道具としてである。
「被差別部落のなんとかと言ってね、恐ろしがってる」(田原発言)、「マスコミがタブーとしてきた」(高野発言)、「それを大谷(昭宏)さんは取り上げた」(田原発言)、「大阪湾に浮くかもしれない」(高野発言)、「危ないですよ。二人とも」(うじき発言)といった一連の発言で被差別部落の取材をすれば「大阪湾に浮くかもしれない」「恐ろし」さを強調し、タブー度を高めれば高めるほど、浅田氏の「悪さ」とサンデープロジェクトの勇敢な取材姿勢が増幅されるという構図ができあがっている。
そしてこの二つを強調し増幅する役割を通じて、被差別部落に対するステレオタイプを強化し、部落差別意識を助長するという許し難い役割をも担っているのである。
世間でいわれる「悪い人」が登場するときには被差別部落に冠がにつき、善人やスターが登場してくるときには被差別部落に冠がにつかなければ、視聴者がどのような認識になるのかは明白である。
殺人集団と断定したに等しい
また、田原氏の発言は、視聴者や他のマスコミは被差別部落に偏見を持っており、被差別部落を「恐ろしい」と思っているという前提に立っており、だから「何にも恐ろしくない」となっている。
このように視聴者の差別意識状況を認識していながら上記のような報道をすれば差別意識がさらに拡大し、助長されるのは明白であり、一層悪質である。
例えて言うなら、水の入ったプールに火のついたタバコの吸殻を投げ捨てるのと、ガソリンが入っていると分かっているプールに吸殻を投げ捨てるのとでは、その行為の意味は全く違うということである。ガソリンの入ったプールであることを知りながら火のついたタバコの吸殻を投げ入れる行為は、主観的にはどうであれ、客観的には明確な差別煽動行為と言わざるを得ない。
このような状況下で「悪い浅田氏」イコール被差別部落出身を強調し、そのような人の取材をすれば「大阪湾に浮かぶ」となれば被差別部落を殺人集団と断定したに等しく部落差別を助長する極めて悪質な行為である。
タブー視と差別意識
田原氏も言うようにタブー視と差別意識は表裏一体である。そのタブー視を良くないと言っておきながらタブー視するような「高野発言」、「うじき発言」があってなぜ是正しないのか。
また、タブー視こそ差別というならテレビ朝日・サンデープロジェクトはこれまで差別撤廃のために何をしてきたのか。テレビ朝日にとってタブーを破ることは、差別を煽動することなのかと問いたい。
さらに、タブー視の責任は誰にあると考えているのか。
タブー視とともに差別意識を持って「恐ろしい」と思っている人なのか、思われている被差別部落出身者なのか。それともマスコミにあるのか。もしマスコミに問題があるというなら、なぜそのマスコミの問題を是正する取り組みをこれまでのサンデープロジェクトで行ってこなかったのか。疑問は無限に拡大する。
最大の被害者は誰か
ところで、差別意識が最も活性化するのは、優越意識と被害者が重なったときである。
一般的に差別意識が伝播する場合、うわさ、デマ、流言などが重要な役割を果たしている。特に社会的な偏見や差別意識に迎合する形で強調・歪曲された情報は、正確でない情報でも容易に真実だと受け止められる。被差別部落に対する偏見や差別意識があるもとでは差別的な情報の方が抵抗なく伝播しやすいのである。
差別が強化されるときのパターンの一つに被差別者の「悪人」をヤリ玉にあげ、反論しにくい雰囲気を作り上げた上で、攻撃するというものがある。今回の冒頭発言は制作者の意図はどうであれ客観的にはその典型であるといえる。
この放送によって裁判官の心証に悪影響を与え、公判中の浅田氏の量刑に影響が出るようなことになれば、紛れもなく部落差別である。罪を犯せば法に従って裁かれるのは当然のことであるが、被差別部落出身であるがゆえに量刑が重くなれば、それは日本国憲法の平等原則に反する。
最後にサンデープロジェクトの番組内容によって最も大きな被害を被ったのは、被差別部落出身者であることを忘れないで欲しい。