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2005.10.06
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights2005年10月号(NO.211)
痛みなき加害者
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第54回 小泉劇場はなぜ勝利したか
―メディア・リテラシーの視点で―

北口 末広(部落解放同盟大阪府連合会書記長、近畿大学教授)

政党支持基盤の流動化

 本年9月11日、衆議院選挙において自由民主党が圧勝した。多くの評論家は自民党の大勝、強さを強調したが、ある面では弱さを露呈したともいえる。これまでの磐石の保守層に支えられた選挙から移ろいやすい浮動層を取り込まなければ勝利できなくなった。

 小選挙区制度のもとでは自民党も民主党もこれまでの支持層だけでは多くの選挙区で当選できなくなった。これまでの支持基盤が日本社会の変化とともに弱体化し、減少した分だけ浮動層が多くなった。浮動層というよりは是々非々層といった方が良いかもしれない。行財政が拡大し利益誘導ができた時代は、その利益誘導によって保守基盤を培養することもできたが、その余裕はバブル崩壊以後、徐々になくなっていった。

 民主党の支持基盤の一つである労働組合にしても社会の変化とともに組織人員は減少し組合員の組織への帰属意識も希薄になってきた。

「自民党をぶっ壊す」というマジック

 バブル崩壊以後、日本の財政事情は急激に悪化し危機的状況を呈している。(詳細については拙著『変革の時代ー人権システム創造のために』2005年6月刊・解放出版社発売を参照)これらの状況が生み出されたのも行財政が悪化しているにもかかわらず、利益誘導型の政治を続けてきた自民党政治の結果である。多くの国民はそのことをよく理解している。それでも自民党が圧勝した。なぜなら小泉自民党総裁がそのような自民党を再生するとは言わず「自民党をぶっ壊す」と言ったからである。

 本来、自民党を「ぶっ壊す」なら自民党の議員を落選させれば自民党は減少し崩壊するが、結果は全くの逆であった。また、「ぶっ壊す」必要があるほどの政党であるなら他の政党に勝利させればよいのであるが、そのようにはならなかった。そこに小泉マジック・小泉劇場といわれる所以がある。2001年参議院議員選挙のときも同様の現象が生じた。

メディア戦略が勝敗を決する

 小泉総裁自らが自民党政治を否定する発言を通して小泉総裁と自民党にプラスをもたらしたのはなぜなのか。多くの視点が存在するが、ここではメディアの取り上げ方の視点で考えてみたい。

 まず、多くの有権者は今回の衆議院選挙で政党やそのリーダーに何を求めたのかということを明らかにしておきたいが、この点においてもメディアは有権者に大きな影響力を持つ。選挙の争点や課題設定もメディアに負うところが大きい。

 今回の選挙では「郵政民営化」とそれを推進するための「改革」、「強力なリーダーシップ」、「決断力」、「実行力」だけが与党やメディアによって選挙争点にされた。そしてイエス・ノーを明確にする決断力と責任感、やり抜く実行力とそのためのエネルギーを持った小泉首相が演出された。

ブッシュのように二者択一を迫る

 かつて米国のブッシュ大統領が米国での同時多発テロ事件の後、多くの国家に「テロの側に付くかわれわれに付くか」と迫ったように、小泉首相も「郵政民営化」に「反対か賛成か」と二者択一を迫ることを通して以上のようなイメージを作ることに成功した。

 前回2003年の衆議院選挙のキーワードは紛れもなくマニフェストだった。このキーワードはあらゆる選挙にとって重要であり、今後も有権者の投票行動の基盤にならなければならないが、今回の選挙ではほとんど争点になることはなかった。しかし小泉首相はマニフェスト選挙を経た有権者の考え方を巧妙に活用している。

 つまり、この連載の三二回でマニフェストを取り上げて「これまではバラ色の選挙公約とそれを実現しない政治というパターンが暗黙のうちに了解されていた。選挙が終わったら候補者も有権者も選挙公約のことなどすっかり忘れ、それを検証することさえしなかった。(中略)マニフェストに代表される時代のシグナルは、あらゆる分野で進行しており、日本的な「あ・うん」の呼吸や「あいまいさ」を否定している。政党に明確な約束と実行を求めている。時代がそうした状況下にあるといえる」と述べた。

 これらの視点を小泉首相は巧みに活用して、「明確な約束と実行」を成し遂げるリーダー像を描くことに「郵政民営化」という単一の課題を設定することを通して成功している。

 自民党のコマーシャルで「私は四年前に国民の皆さんと約束しました」と力強く語る様はテレビのワイドショー映像の多さと相まって、多くの有権者に強力なリーダーシップを印象付けた。刺客報道も「ホリエモン」立候補も視聴率のアップを目指すワイドショー放送と合致した。ワイドショーでこれほど選挙が取り上げられたことはかつてなかったし、自民党だけがこれだけ取り上げられることもなかった。

ワイドショー政治の功罪

 なぜこのような状況になってしまったのか。私はここにワイドショー政治の大きな問題点を感じる。政治を多くの市民に近付けたプラス面はあるが、そのことがマイナス面とも直結している。 

 もしA政党とB政党を取り上げた場合、A政党を取り上げると視聴率10%でB政党では5%とする。どのテレビ局も公共放送であるとともにNHK以外は株式会社として商業主義・市場原理にさらされている。視聴率が企業の収益に反映するのは当然であり、民間の企業の製品やサービスの売上と同様である。

 しかしテレビ局の報道は有権者の投票行動に大きく影響する。また今日のワイドショー番組はほとんど下請け・外注に頼っており、ワイドショーのコーナーごとに視聴率が出され、コーナーで競争しているという過酷な状況にある。

 これらの状況が放送の公共性や政治的バランスを考えることを軽視する傾向を生む。さらに報道番組もワイドショー的になってきているという面があり、報道番組とワイドショー番組のボーダーレス化が進行しているように見えてならない。多くの視聴者にとっては報道番組もワイドショー番組もほとんど区別がついていないように思う。

視聴率圧力と政治的バランス

 本来、メディアは権力の暴走を防ぐチェック機関であるはずであるが、視聴率確保のために政党や政治権力の宣伝機関になってしまったのではないかと疑いたくなるような報道まで存在する。ただ本来のメディアの役割を担うべく努力している報道関係者も多くいることも事実である。

 第二次世界大戦中の軍部の圧力によるデマ報道の代名詞「大本営発表」が当時の多くの国民の現実認識を誤らせ悲惨な結果をもたらしたが、視聴率確保の圧力が政治的バランスを大きく逸脱するようになれば同様のことが生じるおそれがある。

 そこでまず「郵政民営化」という争点設定について考えてみたい。選挙における争点設定は勝敗に直結する最も重要な問題である。私は「郵政民営化」問題を軽視するつもりは全くない。今日の日本の重要な政治課題と考えているが、それだけではない。多くの重要課題が山積している。しかし今回の選挙では、ほとんど「郵政民営化」問題だけが争点になった。これでは「郵政民営化」問題に決着が付けば、再び選挙を行って新たな課題に対して国民の信を問うことが必要になるが、その気配もない。

デマの伝播と同様の経路

 私は差別意識や偏見に関わってデマがどのように伝播するのかということをこの連載においても述べてきた。その基本は平準化・強調化・同化という経路を経て伝播する。「平準化」とは問題になっている事柄の部分だけを抜き出すことであり、「強調化」はその抜き出した部分だけを強調し、「同化」は社会的な偏見や差別意識に迎合する形で情報を歪曲することである。

 今回の選挙における争点設定にこのデマの伝播と同様の経路を感じるのである。つまり政治的課題は山積しているが、その部分である「郵政民営化」問題だけを取り出し、それが全ての改革の中心であるかのごとく強調し、公務員に対する多くの市民が持っている税金を無駄遣いしているといった予断を活用して情報を歪曲しているのである。

 郵政で働く労働者の賃金に税金は投入されておらず、独立採算でやっているにもかかわらず、そんなことには一切触れず、多くの人びとが持つ公務員に対するイメージだけで政治的スケープゴートにしているのである。

 本来、メディアは多様な争点を有権者の前に提示することが必要であるにもかかわらず刺客騒動を面白おかしく放送することによって争点単一化を助長しているのである。

 さらに、それら刺客報道等を通じて小泉首相の「改革」、「強力なリーダーシップ」、「決断力」、「実行力」を強調する役割も担っているのである。このようにメディア戦略の良し悪しだけで政治権力が決定されるようなことが続けば、いずれそのツケは有権者が支払うことになる。

メディア・リテラシーの必要性

 また、今回の選挙戦をめぐってはいくつかの政治宣伝の原則が利用されている。先に示した「デマの伝播」とも関わって、郵政労働者の組合を支持基盤とする民主党に「守旧」というレッテルを貼っていることである。ほとんどの有権者は「郵政民営化」法案の内容など知らない。それを「賛成か反対か」と単純化し、賛成を改革派、反対を守旧派とレッテル貼りすることによって「改革の自民党」「守旧の民主党」というイメージを強調しているのである。これは先に紹介した拙著で述べた米国の宣伝分析研究所がナチス等の宣伝を分析して出した「政治宣伝七つの原則」でいう「ネーム・コーリング」である。

 さらに公務員ではない人びとと同じ立場・考え方であることを示して安心や共感を引き出す「平凡化」も使われている。それだけではない。「いかさま」といって、自分たちにとって都合のよい事柄だけを強調し、不都合な事柄を矮小化することも多用されている。

 彼は国民と約束したことを実行することを強調したが、彼は多くの約束を守っていない。それらについては全く触れず、なぜ約束を守れなかったのかという説明すらしていない。自身にとって不都合な事柄を矮小化するどころかテーマにもしていない。決断力や実行力、強力なリーダーシップのある指導者が年金問題を追及されて「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」といった答弁はしない。

 それらのことを全て除外して都合の良い事柄だけでリーダーシップのイメージを作っているのである。このイメージだけで投票した人もかなり存在し、2003年総選挙で目指したマニフェスト選挙とはほど遠い選挙になっている。メディア関係者も視聴者も選挙報道の在り方を再検証すべきではないだろうかと思う。

 もっと多くのことを指摘したいが、最後に人権教育という視点だけではなく政治や選挙の民主化にとってもメディア・リテラシーが極めて重要であることを強調しておきたい。