県レベルでは初の救済条例
本年10月12日、鳥取県議会において人権侵害からの救済や予防を目的とする「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」(以下「救済条例」という)が賛成多数で可決された。37議員の内34議員が賛成し、圧倒的多数での可決となった。
一方、鳥取県弁護士会やマスコミ各社は批判的な論調のオンパレードという状況になっている。鳥取県弁護士会は「憲法違反の恐れすらある」との会長声明を出し、マスコミ各社は「『両刃の剣』を握った県民」(日本海新聞社説)、「拙速な制定に追従すべきでない」(読売新聞社説)、「擁護法案と同様問題多い」(産経新聞主張)、「危うさ隠せぬ『人権』の分権」(毎日新聞社説)といった論調になっている。
否定的な面だけが強調されていないか
私はこの救済条例を手放しで賛成するものではないが、否定的な面だけが強調され過ぎた報道と指摘せざるを得ない。より冷静に救済条例の内容を検討していく必要がある。なぜなら私自身も大阪府で20年前の1985年、「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」の制定運動を展開し、大阪府議会で成立させることができた経験を持っている。その時、法律家の組織である自由法曹団大阪支部や日本共産党などから同じような批判を受けたことがあったからである。
そもそもこの規制条例は、部落差別の身元調査と「部落地名総鑑」を規制するためにできた条例であったが、「解放同盟の治安維持法版」、「人権と自由蹂躙する条例」、「憲法で保障された営業の自由を侵害する」、「部落地名総鑑」の出版を規制することは「出版・表現の自由を侵害することにつながる」等々の批判の大合唱で、この規制条例がなぜ提案されたのかといった立法事実等は完全に軽視されたキャンペーンが横行した。
積極面・消極面の冷静な評価を
この規制条例が制定・施行されて今年は20年目にあたる。この間、2件の違反事案が摘発されたが、この20年の現実は「解放同盟の治安維持法版」にもならなければ、「人権と自由を蹂躙する」こともなかったことを実証した。また、「憲法で保障された営業の自由を侵害」し、「出版・表現の自由を侵害する」こともなかった。逆に規制条例制定の結果は、彼ら大々的な批判キャンペーンを展開した人びとの予想に反して部落差別をはじめとする差別身元調査の撤廃に大きく貢献することになった。
私たちは当時、この規制条例が施行されても行政機関のサボタージュや怠慢がこの条例の効果を低下させるのではないかと危惧したぐらいである。
以上のような経験を踏まえて、この救済条例の積極面と消極面を冷静に評価し、積極面を伸張させ、消極面を抑える取り組みが現時点において求められている。
私の考えは変わっていない
そのためにも私の立場を改めて明らかにしておきたい。この連載第48回(本誌2005年4月号)で「『人権擁護法案』は異常な法案か-驚きを隠せない主張-」と題して、産経新聞正論(2005年3月11日)に掲載された西尾幹二氏の「『人権擁護法』の国会提出を許すな」「自由社会の常識覆す異常な法案」と題した主張の誤りを批判したことがあった。その際、私も研究者として内心の自由や表現の自由を極めて重要な自由だと認識していること。国会に提案された「人権擁護法案」は不充分なものであり、多くの問題点を持っており、この法案をそのまま擁護するつもりは毛頭ないこと。人権委員会の独立性、実効性の問題、メディア規制が存在していることなど、この法案が抱えている多くの問題点を機会あるごとに指摘してきたこと等を明らかにしてきた。この考えは今も変わっていない。
救済条例がなぜ提案されたか
そうした立場に立って、この救済条例がなぜ提案されたのかということを明確にしておく必要がある。そもそも国レベルの人権擁護推進審議会が、現行の法務省人権擁護局や人権擁護委員制度を中心とする人権救済システムが不十分であり、抜本的改革の必要性を明記し、人権委員会の創設を提起したのである。
つまり現行の人権救済システムが不十分であり、人権侵害事象が充分に解決・救済されていない現状が、今日の人権救済法制度に関わる論議の原点であることを忘れてはならない。現行システムが充実し、人権救済が充分に行われているような状況であれば、人権擁護法案の論議も救済条例の必要性も検討する必要などないのである。
成立させた意義は大きい
メディアも地域で深刻な人権侵害事象が発生した場合、それらを救済できない行政機関の怠慢や行政システムの問題点を鋭く批判し、現行人権救済システムの問題点を指摘し、より強力な救済システムの必要性を識者の意見も掲載して報道する。それはメディアの役割の重要な部分であり、そうした取り組みをさらに強化することは実効性ある人権救済機関を構築する上で重要なことである。これからもメディアには、人権侵害事象の深刻な現実とそれらをどのように救済するのかという適切な報道が求められている。
このような意味で県内の深刻な人権侵害事象を克服するために、一つの人権救済システムを条例という法制度で提案し、成立させた意義は大きいといえる。
深刻な人権侵害事象の分析を
私は、メディアや鳥取県弁護士会に深刻な人権侵害事象を分析し、それらの事象の実効性ある救済システムを今後も提案していただきたいと考えている。今一度、現実に発生している人権侵害事象をいかに克服するのかということが原点であることを読者の皆さんに申し上げたい。
私も多くの人権侵害事象に対応しているが、例えば、DVに苦しむ女性、近親者からの暴行やネグレクトで病んでいく子ども、介護施設や家族内で虐待を受ける高齢者や「障害」者、不当な労働条件で働かされている外国人労働者、闇金融からの少額の借金によって自殺に追い込まれた高齢者夫婦等、きりがないほど多くの事例を並べることができる。このように多くの社会的「弱者」が人権侵害事象の被害者であるが、それらの問題が改善する兆しはなかなか見えてこない。
評価されるべき救済条例制定
このような現状を踏まえた上で、メディアに悲痛な声も届けることができない多くの人権侵害被害者が泣き寝入りしている現状を直視し、他の地方自治体に先駆けて救済条例を制定した鳥取県と鳥取県議会を評価したい。
地方自治体が救済条例制定等の取り組みを行わず、人権侵害に対して何もしなければ批判もされない状況が継続されることは良いとはいえない。
また、救済条例制定を目指した多くの人びとも、救済条例制定の根拠である人権侵害事象の深刻な事例を含む社会的事実等の立法事実を多くの人びとに知らせ、救済条例の必要性とその救済システムを啓発していかなければならない。
救済条例の周知・啓発を
人権侵害事象が解決に向けて取り組まれる出発点は、事象の発覚・認知からであるが、解決・救済にむけた最も大きな問題は、人権侵害事象が発生しているという事実が通報・把握されないことである。「知られない人権問題は解決されない」という言葉があるが、「知られない人権侵害事象」は統計数字にすら掲載されないのである。
被害者が情報的・教育的「弱者」であることによって、最悪の場合、自身が置かれている状態が人権侵害状態であると認識されず、日常的な人権侵害が継続されることになっている。
また、人権侵害事象であると自覚し、そのような状態から抜け出したいという願望を抱いてもどのように対処してよいのか分からず、どこに相談すればよいのかすら理解していない人がかなり多い。そのような情報「弱者」には人権侵害を解決するための情報が届いていないのであり、救済条例システムを周知・啓発することは何よりも重要である。
問題点を是正していく取り組みを
そうした活動を通して救済条例の意義もシステムも県民に理解され、問題点などを是正していく取り組みが円滑に進められていくといえる。
この救済条例にはメディア等も指摘しているいくつかの問題点が存在することも事実である。ただ、先に指摘しているように問題点があることによって、救済条例の積極面まで否定することも正しくない。
指摘の中には「人権侵害救済推進委員会の独立性と権限の問題点」、「人権侵害の定義」、さらに救済条例第一九条三項で「当該協力の要請に応ずることが犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあることにつき相当の理由があると当該関係行政機関の長が認めるときは、当該協力の要請を拒否することができる」となっている。重大な人権侵害の発生が指摘されてきた刑務所や拘置所などの調査が行えなくなる等々の指摘があり、救済条例をより良いものにしようとする批判や意見もある。
過剰な批判は人権救済にマイナス
これらに関しては実際の運用状況を踏まえ、改正等の論議を積み重ねて行く必要がある。そうした点も考慮に入れた条文上の配慮も第四章(適用上の配慮)の第二九条(人権相互の関係に対する配慮)、第三〇条(不利益取扱いの禁止)、第三一条(報道の自由に対する配慮)、第三二条(個人情報の保護)や付則の(この条例の失効)「この条例は、平成22年3月31日までに延長その他の所要の措置が講じられないときは、同日限り、その効力を失う」等の中に随所に見られる。
いずれにしても条例に問題があれば制定した県議会で改正すればよいのであり、過剰で過敏な批判は人権救済全般にとって好ましくない。先に紹介した「部落差別調査等規制等条例」の制定前後の論議とその後の20年の経験からも指摘しておきたい。
最後に私自身がより恐れているのは救済条例の憲法違反の疑いではなく、最近の政治情勢の中で憲法そのものが改悪され「表現の自由」等に悪影響を与えるのではないかということである。メディアの方々にも注視していただきたい。