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2006.02.16
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Human Rights2006年2月号(NO.215)
わたしたちの共通財産
―地方の国内人権機関
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鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例
―批判に対する多角的検討

  内田博文(九州大学教授)

 2005年10月12日、鳥取県議会で「鳥取県人権侵害救済推進及び手続きに関する条例」が可決され成立した。全般的な人権侵害救済に関する条例が制定されるのは全国でも初めてである。しかし、成立後、鳥取県弁護士会会長声明(10月8日)や県内報道機関15社による声明が出されたがその中では条例に対してきびしい批判が行われている。

 そこで、内田博文九州大学法学部教授に条例の制定過程、特徴、内容、意義を踏まえてこれらの批判についてさまざまな角度から検討を加えていただいた。内田先生も指摘しているように全国に先駆けて制定された条例だけに多くの山や谷が横たわっている。それらを乗り越えていくために、いま、市民、議会、行政、専門家、マスメディア関係者などが叡智を集める必要がある。(編集部)

一 条例制定までの経過

 鳥取県によれば、条例制定までの経過が左のように説明されている。

 鳥取県では1996年に「人権尊重の社会づくり条例」を制定し、差別と偏見のない社会の実現を目指し、県民と共にさまざまな取り組みを進めてきた。その結果、人権意識の高まりや主体的な人権学習の取り組みが盛んになってきた。しかし、その一方で、さまざまな人権侵害もあとを絶たない。たとえば、2004年に鳥取地方法務局に寄せられた人権相談は約3800件で、そのうち約220件が人権侵害事件として処理された。しかも、これらは氷山の一角にすぎない。また、2005年2月に実施した鳥取県人権意識調査によれば、人権侵害を受けたことが「たびたびある」、「たまにある」と回答した人が約23%にものぼっている。そして、自分や家族が差別や人権侵害を受けたとき、「公的機関(国や県、市町村の相談機関)に相談を希望するもの」と回答した人は64.1%にのぼり、そうした機関に求める役割としては「法律的な知識や経験に基づいたアドバイス」(48.6%)、「公平公正な仲裁」(33.3%)と回答している。

 ところで、人権侵害に対する実効性のある救済制度の必要性から、国では人権擁護の法律制定に取り組んでいるが、成立の目途は立っていない。また、国の法整備ができたとしても、県独自の人権救済制度を設けることが、迅速できめ細かな人権侵害の救済につながる。もとより人権侵害の最終的な解決は司法の場で行われる。しかし、差別や虐待の被害者など弱い立場にある人が、自らの力で裁判制度を利用することは現実には容易なことではない。そのための裁判制度を補完し、より身近で迅速に人権救済できる仕組みが求められている。こうしたことから、知事は早くも、人権擁護法案が国会に提出された2002年3月から3カ月後の6月、県議会一般質問に対し地方レベルでの人権救済制度の必要性を表明していた。

 県議会の提案を受け、県は2003年6月に人権救済制度導入検討経費を計上し、11月から検討委員会にて人権救済制度の在り方、条例案の検討を開始した。2004年8月に人権救済制度の概要について常任委員会報告がなされ、県民からの意見募集が行われた。県民や「鳥取県人権尊重の社会づくり協議会」の意見等を踏まえ、2004年の12月議会で「鳥取県人権救済手続条例案」が知事から提案された。同じ名称の条例案も議員提案され、知事案、議員案ともに継続審査となった。知事案は、2005年の2月議会、6月議会でも引き続き継続審査となった。2005年9月議会に議員から新たな条例案として「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例案」が提案され、10月12日に成立した。これに伴い、知事案は審議不要、廃案となった。

二 条例の特徴及び内容

 鳥取県条例の特徴の第一は、次の行為を人権侵害として禁止した(第二条及び第三条)ことである。<1>人種等を理由として行う不当な差別的取扱い又は差別的言動。<2>特定の者に対して行う虐待。<3>特定の者に対し、その者の意に反して行う性的な言動又は性的な言動を受けた者の対応によりその者に不利益を与える行為。<4>特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で、その者を公然とひぼうし、若しくは中傷し、又はその者の私生活に関する事実、肖像その他の情報を公然と摘示する行為。<5>人の依頼を受け、報酬を得て、特定の者が有する人種等の属性に関する情報であって、その者の権利利益を不当に侵害するおそれがあるものを収集する行為。ûチ身体の安全又は生活の平穏が害される不安を覚えさせるような方法により行われる著しく粗野又は乱暴な言動を反復する行為。ûツ人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を公然と摘示する行為。ûテ人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として不当な差別的取扱いをする意思を公然と表示する行為。

 特徴の第二は、議会の同意を得て知事が任命する五人の委員からなる人権侵害救済推進委員会を県レベルでの人権侵害救済機関として設けた(第四条〜第一五条)ことである。

 特徴の第三は、委員会は人権侵害に関する問題について相談に応ずるものとし、そのために、委員又は事務局の職員に右の相談を行わせることができる(第一六条)としたことである。

 特徴の第四は、何人も本人が人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれがあるときは、委員会に対し救済又は予防の申立てをすることができるとし、また、何人も本人以外の者が人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれがあることを知ったときは、委員会に対しその事実を通報することができる(第一七条)としたことである。

 ただし、次のいずれかに該当する場合は、右の申立て又は通報は行うことができないとされた。<1>裁判所による判決、公的な仲裁機関又は調停機関による裁決等により確定した権利関係に関するものであること。<2>裁判所又は公的な仲裁機関若しくは調停機関において係争中の権利関係に関するものであること。<3>行政庁の行う処分の取消し、撤廃又は変更を求めるものであること。<4>申立て又は通報の原因となる事実のあった日(継続する行為にあっては、その終了した日)から一年を経過しているものであること(その間に申立て又は通報をしなかったことにつき正当な理由がある場合を除く)。<5>申立て又は通報の原因となる事実が本県以外で起こったものであること(人権侵害の被害を受け、又は受けるおそれのある者が県民である場合を除く)。ûチ損害賠償その他金銭的補償を求めるものであること。ûツ現に犯罪の捜査の対象となっているものであること。ûテ関係者が不明であるものであること。ûトその性質上、申立て又は通報を行うのに適当でないものとして規則で定めるものであること。

 特徴の第五は、人権侵害の被害等の調査に関して規定した(第一八条及び第一九条)ことである。委員会は右の申立てがあったときは当該申立てに係る事案に関して必要な調査を行わなければならない。また、委員会は右の通報があったときは、当該通報に係る事案に関して必要な調査を行うことができる。さらに、委員会は人権侵害の被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは職権により調査を行うことができる。委員会は委員又は事務局の職員に調査を行わせることができる。委員会は、右の調査に関し必要があると認めるときは、当該調査に係る事案に関係する者に対して、事情の聴取、質問、説明、資料又は情報の提供その他の必要な協力を求めることができる。この協力の要請を受けた調査に係る事案の当事者は、法令で特段の定めがある場合その他正当な理由がある場合を除き、当該調査に協力しなければならない。これらの規定がそれである。

 ただし、協力の要請を受けた関係行政機関は、当該協力の要請に応ずることが犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他公共の安全と秩序の維持(以下「公共の安全と秩序の維持」という。)に支障を及ぼすおそれがあることにつき相当の理由があると当該関係行政機関の長が認めるときは、当該協力の要請を拒否することができる。また、協力の要請を受けた関係行政機関は、当該協力の要請に対して事実が存在しているか否かを答えるだけで公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあるときは、当該事実の存否を明らかにしないで、当該協力の要請を拒否することができるとされた。

 特徴の第六は、人権侵害の救済の実効を図る趣旨から、人権侵害事案の当事者が正当な理由なく調査を拒み、妨げ、又は忌避したときは五万円以下の過料に処する(第二八条)としたことである。

 特徴の第七は、委員会は調査を行ったときは当該調査に係る事案の当事者に対しその調査結果の内容を書面により通知するものとし、通知を受けた者は当該調査結果の内容について不服があるときは当該通知を受けた日から二週間以内にその理由を記載した書面により委員会に再調査を申し立てることができる(第二〇条)としたことである。委員会は申立てに理由があると認めるときは再度、調査を行わなければならない。

 特徴の第八は、委員会は調査の結果に基づき人権侵害による被害を救済し又は予防するため必要があると認めるときは、次に掲げる措置を講ずるものとする(第二一条)とされたことである。<1>人権侵害の被害者等に対し必要な助言、関係公的機関又は関係民間団体等の紹介、あっせんその他の援助をすること。<2>人権侵害の加害者等に対し当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること。<3>被害者等と加害者等の関係の調整を図ること。<4>犯罪に該当すると思料される人権侵害について告発すること。これらの措置であるが、委員会は、人権侵害の被害等の調査を行い、又は前条に規定する措置を講ずるに当たっては、当該調査に係る事案の当事者による自主的な解決に向けた取組みが促進されるよう十分配慮しなければならないとされた。

 特徴の第九は、勧告及び公表について規定した(第二四条)ことである。委員会は、生命若しくは身体に危険を及ぼす行為、公然と繰り返される差別的言動、ひぼう若しくは中傷等の重大な人権侵害が現に行われ、又は行われたと認める場合において当該人権侵害による被害を救済し又は予防するため必要があると認めるときは、右の救済措置を講ずるほか、次の勧告等を行うものとする。<1>加害者等に対し当該人権侵害をやめ、又はこれと同様の行為を将来行わないよう勧告すること。<2>加害者等に対し人権啓発に関する研修等への参加を勧奨すること。これらの勧告等で、勧告を受けた当該加害者等は、委員会に対し当該勧告に関して行った措置を報告しなければならない。委員会は右の勧告を行ったにもかかわらず当該加害者等が正当な理由なく当該勧告に従わないときはその旨を公表することができる。勧告及び公表に当たっては、いずれも実施前に当事者に弁明の機会が設けられなければならない。これらの規定がそれである。委員会は、勧告等を行ったとき、あるいは加害者等から報告があったときはそのことを申立人、通報者及び被害者等に通知し、また、正当な理由なく勧告に従わない旨の公表を行ったときは申立人、通報者、被害者等及び加害者等に通知するものとされた。

 特徴の第十は、訴訟援助について規定した(第二七条)ことである。委員会は、第一八条に規定する調査に係る人権侵害の被害者等若しくはその法定代理人又はこれらの者から委託を受けた弁護士から委員会が保有する当該人権侵害に関する資料の閲覧又は写しの交付の申出を受けた場合において、当該人権侵害に関する請求に係る訴訟を遂行するために必要があると認めるときは、申出をした者に当該資料(事案の当事者以外の者の権利利益を不当に侵害するおそれがある部分を除く。)の閲覧をさせ、又は写しを交付することができる、などの規定がそれである。

三 条例の意義

 本条例の歴史的意義を評価する声は強い。たとえば、2003年3月に国会に上程された人権擁護法案は国のレベルのみに人権委員会を設置したものであることから、日常地域で生起する差別や人権侵害に効果的な対応ができないとする批判もあって、同年10月の衆議院解散に伴って自然廃案になったという経緯、さらには2005年1月から開会された第162通常国会においても与党内からの批判で上程すらもできなかったという事情を考慮したとき、鳥取県で県レベルの人権侵害救済推進委員会の設置を盛り込んだ条例が全国に先駆けて制定された意義は大きい。このような評価である。

 そして、このような評価を踏まえて、条例の具体的な意義として、次のような点が挙げられている。一つは、不当な差別的取扱いや差別的言動、部落差別身元調査や部落地名総鑑の作成販売が禁止されたこと。二つは、被害者の救済に取り組む人権侵害救済推進委員会が設置され、この委員会が、<1>相談、<2>調査、<3>関係者に対する助言や関係機関の紹介等の援助、<4>人権侵害を行った者等に対する説示、啓発等の指導、<5>被害者等と加害者等の関係の調整、ûチ犯罪に該当すると考えられる人権侵害の告発、ûツ悪質な差別や人権侵害を行っている者に対する勧告、勧告の公表、ûテ訴訟支援、等を行うとされたこと。三つは、現行法の下では差別や人権侵害に関する訴えがあっても任意調査しかできなかったが、条例では一定の強制力を伴った調査ができるようになったこと。四つは、現行法の下では差別や人権侵害と認定されても説示しかできなかったが、条例では生命、身体に危険を及ぼす行為、公然と繰り返される差別的言動等、重大な人権侵害が現に行われ、被害を救済するために必要な場合には、委員会は人権侵害をやめるように勧告でき、この勧告に従わないときはその旨を公表できるようになったこと。五つは、差別や人権侵害の被害者が訴訟を提起する場合、委員会は資料の閲読、写しの交付を認めることによって訴訟支援ができるようになったこと。

四 鳥取県弁護士会の会長声明

 県条例については厳しい批判も加えられている。なかでも注目されるのは鳥取県弁護士会からのものである。条例制定の直前の2005年10月8日、鳥取県弁護士会は、同日付の会長声明を鳥取県議会議員に送付し、「本条例案はなお重大な欠陥を覆いがたく、憲法違反の恐れすらもある。よって、鳥取県弁護士会としては、このまま可決されるについては強く反対の意を表せざるを得ない。また、可決されたとしても、このような制度であれば、人権侵害救済推進委員会委員(委員のうちには、弁護士の資格を有する者が含まれるよう努めなければならないこととなっている。)の派遣については、現時点において当会として明確な態度を表明することが出来ない」として、「同条例の制定については御再考のうえ慎重な態度をおとりいただきたく、とり急ぎ、書面をもってお願いする次第です」と訴えたからである。

 会長声明では、条例の大きな欠陥として次の五点が指摘された。第一点は、適正な手続の保障が欠けるという問題である。懸念されるべきことは、委員会の勧告に従わない場合は、その旨を公表できることで、この公表は刑事罰ではないにしても刑事罰に匹敵するあるいはそれ以上の重大な制裁を科す可能性を否定できない。日本国憲法は第三一条において「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定め、刑事罰を科す場合に法の適正な手続がとられることを求めている。この適正手続は、刑事罰に限らず国民の自由の制約を伴う行政手続においてもとられることが必要であり(最高裁1992年7月1日大法廷判決)、それ故、本条例事案の如き刑事罰に匹敵する重大な制裁を科す場合は、刑事手続に匹敵する適正な手続がとられることが必要である。しかるに、本条例は、一応は弁明の機会を与えてはいるものの、申立人に対する反対尋問権も保障されておらず名ばかりのものである。また、委員会の審理は非公開であり、弁護人選任権も制度として保障されておらず、さらには、刑事罰を科す場合に当然のこととして遵守されている事実を厳格な証拠のみによって認定するという原則も確立されていない。

 第二点は、人権を擁護するはずの本条例案が却って国民の基本的人権を著しく制約する結果をもたらす懸念を払拭できないという問題である。本条例案が人権侵害として取り扱う対象範囲は一見極めて広い。近代市民社会において最大限に尊重されるべき報道の自由(国民の知る権利の保障)を含む報道の自由(憲法第二一条)もその対象としている。「差別」、「ひぼう・中傷」、「虐待」、「性的な言動」など対象行為はすべて抽象的な概念規定であり、現実に即した場合、その認定作業は至難であり誤判の恐れがあるにもかかわらず、それを防止する手続的保障すらない。さらに、表現の自由との関係から見れば、刑法第二三〇条の二による、「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」との限定もない。本条例案が規定するような、是正勧告が発動され、しかも勧告に従わない者が氏名を含めて公表されるというような事態を想定した場合、それは、憲法が厳しく戒める表現の自由の事前検閲に他ならない。言論・表現の自由に対する看過しがたい重大な制約になると言って過言ではない。

 第三点は、調査過程そのものが国民の基本的人権を侵すということである。刑事手続ですら、任意捜査が原則であり、被疑者を含め国民は捜査に応じることを強制されない。罪を犯したと疑うに足る証拠がある場合に裁判官の発する令状によって逮捕されたり捜索・差押を受けることがあっても、供述や自白は決して強制されないこと(憲法第三八条、刑事訴訟法第一九八条)は、近代憲法、近代刑事司法の大原則であるのに、本条例案ではこのような刑事被疑者にすら認められている人権も保障されていない。本条例案は、人権侵害の調査という美名の下に刑事司法すらはるかに乗り越えようとしているのである。

 第四点は、行政権力による人権侵害に対する救済規定が極めて不十分であるという問題である。本条例案は救済対象を私人間の紛争のみならず公権力からの侵害についても含めるものとした旨明言されている。しかし、公権力の行う人権侵害の類型を十分に含んでいるものではない。例えば、全国的に問題となっている刑務所の中での医療体制の不備などはどの類型にも該当しないとされる可能性が高い。また、刑務所・警察に対する人権救済申立においては、「刑の執行」、「捜査」に支障を来たすとまさに侵害者の立場にある側の刑務所長・県警本部長が判断しただけで調査を拒否できるというものであり、実効性に重大な疑問がある。公権力の側の調査拒否が容易に認められる可能性を残す反面で、私人においては罰則等の不利益を科して極めて重い調査協力の義務を負わせるということは明らかに均衡を欠いている。

 第五点は、委員会の独立性の保障が極めて不十分だという問題である。人権侵害救済推進委員会については、職務権能行使については独立性は保障しているものの、その機構上の独立性は保障されていない。本条例案でも委員の任命権、予算編成権、事務局職員、規則の制定がすべて県知事に握られており、私人間の人権侵害をも対象とすることから考えると、任命がこのような形でしか行われないとすれば、行政機関の市民生活への干渉を招くための道具となりかねない。これについて当会は、議会内に推薦委員会を設け、その推薦委員会の委員として県議会議員のみならず司法、報道関係者、弁護士会、学識経験者・人権福祉関連団体等の外部委員を置くなどの対処により、上記弊害が生じないための工夫を考えるべきであると指摘していたものであるが、本条例案においても選任過程についての対処はなされていない。わずか五名の委員に代わって職員が相談や調査を行うことを明文で認めている以上、実質的な処理は職員中心でなされることになることは明らかであり、職員に対する監督をどのように行うのかが重大な問題となる。そうであれば職員の選任過程についての工夫も委員同様に必要である。本条例案は独立性の保障が極めて不十分であり、権力の濫用的な行使の道具となりかねない。

 会長声明は、条例案をこのように批判したうえで、「本条例案は人権救済の名のもとに行政機関による人権侵害を引き起こす可能性が極めて高いものであると判断せざるを得ず、憲法違反のおそれすらある重大な欠陥を有するものであり、当弁護士会としては到底賛成し得ないものとして当初の意見に至ったものである」と述べて結ばれている。

五 マスメディアによる批判

 マスメディアからの批判も厳しいものがある。「『人権救済条例』成立へ 加害者に勧告/調査に強制力 鳥取県 セクハラ・中傷↓『人権侵害』 『定義あいまい』と批判も」(2005年10月9日、朝日新聞)、「人権救済条例成立 鳥取県 表現の自由に懸念も 鳥取県条例の主な内容」(10月12日、朝日・夕刊)、「行政側、協力拒否も可能 人権救済条例 鳥取県で成立 公正さ確保課題に 『官には弱く』 法務省は複雑」(同)、「鳥取県議会委 『人権』条例案を可決 県弁護士会『表現の自由制約』 『官』に甘く『民』に厳しい」(10月12日、毎日新聞)、「人権条例が成立 国の法案 先駆け 加害者氏名公表も 鳥取県議会 運用、厳しい監視を 『周知』欠き見切り発車 委員会の独立性なし」(10月13日、日本海新聞)、「社説 鳥取県の人権条例 『諸刃の剣』を握った県民」(同)、「社説 鳥取県人権条例 拙速な制定に追従すべきでない」(10月14日、読売新聞)、「主張 鳥取県人権条例 擁護法案と同様問題多い」(10月14日、産経新聞)、「社説 鳥取県人県条例 危うさ隠せぬ『人権』の分権」(10月16日、毎日)、「鳥取の人権条例 『報道を制約』 新聞など15社が声明」(10月17日、日本海)、「鳥取『人権条例』報道15社が批判」(10月17日、読売)、「鳥取県条例『知る権利侵害も』報道15社申し入れ」(10月18日、朝日)、「片山善博知事に聞く 報道規制の意図はない」(10月18日、毎日)、「鳥取・人権救済条例が成立 『表現の自由、奪う』▼『権力濫用のおそれ』▼ 知事早くも軌道修正?」(10月18日、同)。このような記事見出しからも、それは明らかであろう。

 県内報道機関一五社は、条例制定から5日後の10月17日、「報道の自由は、民主主義の根幹を成す国民の『知る権利』に応えるためにあり、憲法が保障する基本的人権である『表現の自由』の中核をなしている。しかしながら、本条例は、報道の自由を制約し、国民の『知る権利』を犯す危険性が強い。報道機関として、メディア規制につながりかねない本条例を容認することはできない。別紙の通り条文の問題点を指摘し、報道の自由に十分配慮した制度をつくるよう強く求めるものである」とする声明文を片山知事と県議会議長に手渡した。この声明文によると、次の点が条例の問題だとされている。

 第一は、「条例では、禁止行為のひとつに『特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で、その者を公然とひぼうし、若しくは中傷し、又はその者の私生活に関する事実、肖像その他の情報を公然と摘示する行為』を規定している。しかし、この禁止行為の条文の表現は極めてあいまいであり、正当な取材・報道活動が人権侵害行為として規制される恐れがある」(声明文)、「そもそも報道においては、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合、それが真実であるにもかかわらず、その報道が禁止されることは、最高裁の多くの判例にも反し、刑法第二三〇条の二の規定にも反するといえる。報道の自由を著しく制限することになり、また、権力による監視となることが考えられる」(別紙「条文の問題点」)という点である。

 第二は、「本条例には『適用上の配慮』として、報道機関の報道や取材の自由、表現の自由を最大限に尊重するとの規定が設けられている。しかし、本来、報道機関は、本条例の適用除外とすべきものである。規定の文言も抽象的で、取材の自由は何ら担保されておらず、表現の自由も保障されていない」(声明文)、「第三一条に報道機関の自由を最大限に尊重するとの規定はあるが、その文言が抽象的であり、必ずしも表現の自由を保障する規定とはなっていない」(別紙)という点である。

 第三は、「本条例は、救済手続きの名の下に報道機関に対し不当な調査協力義務、過料処分が課せられる恐れがあり、このことは取材活動を萎縮させることになる」(声明文)、「第一九条の規定によると、『委員会は、前条に規定する調査に関し必要があると認めるときは、当該調査に係る事実に関係する者に対して、事情の聴取、質問、説明、資料又は情報の提供その他の必要な協力を求めることができる』とある一方、第二八条第二項の規定には『正当な理由なく第一九条第二項の規定に違反して調査を拒み、妨げ、又は忌避した者は、五万円以下の過料に処する』と定めている。このようなことから、上記の通り、報道に関する除外規定がない以上、取材源の秘匿に対する圧力は極めて強いものとなり、また、報道機関を萎縮させる効果をもたらすおそれがある」(別紙)という点である。

 マスメディアからの批判は、このように報道機関の報道や取材の自由、表現の自由等に与える条例の影響に的が絞られている。国の人権擁護法案に対しマスメディアが採用した態度とほぼ同様で、鳥取県弁護士会が問題とするような他の点について特には触れられていない。

六 人権侵害の救済と表現の自由

鳥取県とマスメディアが向かおうとする方向

 条例の適用によって報道や取材の自由、表現の自由等が妨げられることがあってはならないことは「県内報道機関15社声明」の指摘する通りである。日本国憲法第二一条第一項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しており、また、地方自治法第一四条第一項は「普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて…条例を制定することができる」と規定しているからである。いかなる条例も表現の自由を犯すことはできない。鳥取県条例も、「この条例の適用に当たっては、報道機関の報道又は取材の自由その他の表現の自由を最大限に尊重し、これを妨げてはならない」(第三一条)と規定し、このことを明示している。問題は、人権侵害の救済と表現の自由とをいかにして両立させるかにある。

 ここで問題を考える共通の土俵として確認しておかなければならないことの第一は、「報道や取材その他の表現」行為によって人権侵害を引き起こすという残念な事態が現に発生しており、そのことがマスメディアに対する信頼を揺るがしかねない深刻な現状を招いているという点である。第二は、マスメディアの報道等といえども治外法権ではなく、人権侵害を引き起こしたときは、名誉毀損罪(刑法第二三〇条)や不法行為(民法第七〇九条)などによる法的な制裁に服さなければならないという点である。マスメディアを被告とした名誉毀損の損害賠償請求訴訟に対し原告の訴えを認容した判決が数多く出されており、枚挙に暇がないといっても過言ではない状況にある。第三は、国際人権法の確立された見解によれば、人種差別を犯罪とするよう特別法を制定することは表現の自由とは矛盾しないとされている点である。たとえば、人種差別撤廃条約に基づく日本政府からの定期報告書を審査した国連人種差別撤廃委員会は、現行法制を超える刑罰法規をもって人種差別を規制することは日本国憲法が保障する表現の自由等と抵触する恐れがあるとした日本政府の見解に対し、人種差別を犯罪とするよう確保することなどを改めて勧告したからである。

 このような共通の土俵から見ると、「本来、報道機関は、本条例の適用除外とすべきものである」というような主張はいかがであろうか。右に述べたようなマスコミ報道等による人権侵害の状況に照らすと、類似の人権侵害が鳥取県内においても生じる可能性は否定できない。その場合、これらの被害を受けた県民がとりうる手段は最終的には裁判所による救済である。だが、裁判所による救済には当事者の負担は大きすぎる。少なからぬ資金が必要で、結論が出るまで時間がかかることも少なくない。泣き寝入りを余儀なくされる被害者も稀ではない。人権侵害救済推進委員会に救済を求める被害者が出てくることも予想される。にもかかわらず、人権侵害が報道機関によるものだからという理由だけで門前払いにすることが許されるだろうか。国内人権機関が設置されたとしても、報道機関による人権侵害についてだけは依然として裁判所による救済しか道はないというようなことでよいのだろうか。国民の知る権利の保障の名のもとに報道による人権侵害の被害者に一方的に犠牲を強いるようなことで、マスメディアに対する信頼が醸成されることになるのだろうか。そうとは思われない。人権救済の申立て自体を認めるのは問題だという議論は、裁判を起こすこと自体を規制しろといっているようなもので、いささか無理があるのではないか。

 もっとも、2005年11月4日の朝日新聞の社説は、次のように説いている。「政府の人権擁護法案は…2年前に廃案になったままだ。成立のめどは立っていない。そんななかで、地方単位の人権救済機関を自治体の議会が自ら提案し、成立させたことを基本的に評価したい。中央で一元的に運用するより、きめ細かく判断できることも少なくないだろう。(中略)とはいえ、今回の条例には問題点もある。行政機関は委員会から調査への協力を求められても、『公共の安全と秩序の維持』に支障を及ぼすおそれがあると判断したときは、要請を拒否できる。そんな規定が入った点だ。(中略)条例がメディアや市民の正当な活動に適用されかねない点も気にかかる。人権侵害の一つとして、条例は『特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で、その者を公然とひぼうし、若しくは中傷し、又はその者の私生活に関する事実、肖像その他の情報を公然と摘示する行為』を挙げる。たとえば報道機関や市民団体が県議会議員の不正や県職員の天下り実態を報じようとしたとき、人権侵害にあたるとされる心配はないだろうか。朝日新聞を含む鳥取県内の報道機関一五社は『正当な取材・報道活動が規制されるおそれがある』との声明を出し、制度の見直しを求めている。この規定を濫用してはならないことを、県議会は条例制定の趣旨として、改めてはっきりさせた方がいい。」

 地方単位の人権救済機関の成立を基本的に評価したうえで、条例の規定が濫用されないような工夫を求めたいということであれば、マスメディアの向かおうとする方向が鳥取県とそれほど違っているわけではない。条例の適用除外にすることが無理だとしても、たとえば、報道機関が独自に相談・救済機関を持っている場合には、人権侵害の救済等の申立て等を受けた人権侵害救済推進委員会はその調査に先立ち、上記相談・救済機関による自主的な問題解決をまず図ることとするための条例改正は検討の余地がありうるように思われる。そこで自主的に問題解決が図られるとすれば、マスメディアが危惧するような事態は事前に回避しえるということになろう。人権侵害の救済と表現の自由とを両立させるべく、鳥取県と県内報道機関とが問題解決に向けた協議を積み上げて、一日も早い合意形成にいたることを要望したい。

立法趣旨を踏まえた厳格な適用の必要

 15社声明文は、前述したように、「条例では、禁止行為のひとつに『特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で、その者を公然とひぼうし、若しくは中傷し、又はその者の私生活に関する事実、肖像その他の情報を公然と摘示する行為』を規定している。しかし、この禁止行為の条文の表現は極めてあいまいであり、正当な取材・報道活動が人権侵害行為として規制される恐れがある。」「そもそも報道においては、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合、それが真実であるにもかかわらず、その報道が禁止されることは、最高裁の多くの判例にも反し、刑法第二三〇条の二の規定にも反するといえる」と批判している。しかし、この批判には誤解の部分も含まれているように見受けられる。

 名誉毀損罪は「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」と規定されている。また、侮辱罪(刑法第二三一条)は「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」と規定されている。さらに、信用毀損罪(刑法第二三三条)は「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し…た者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する」と規定されている。条例の「特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で、その者を公然とひぼうし、若しくは中傷し、又はその者の私生活に関する事実、肖像その他の情報を公然と摘示する行為」というのは、これらを一括りにした規定だといってよい。そして、名誉毀損罪に関する「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、事実の証明があったときは処罰しない」(刑法第二三〇条の二第一項)という規定も、条例では、規制の対象を「私生活に関する事実」に限ることによって「公共の利害に関する事実」を規制の対象から除外するという形で、また、規制の対象を「特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で」行った場合に限ることによって目的が「専ら公益を図ることにあったと認める場合」を規制の対象から除外するという形で、取り込もうとされている。このような立法趣旨を踏まえて厳格に適用される限りは、本条例によって、「公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合、それが真実であるにもかかわらず、その報道が禁止される」という事態が生じることはないように思われる。

 表現の自由を保障することの実質的な意味の一つは、多数者に対する少数者の表現の自由を保障する点にある。権力者等を批判する自由と、そのための国民の知る権利の保障は憲法上、最も強く保障されているところであって、本条例の制定によっても憲法上の基本原則は不変で、本条例の効力もこの原則と合致する範囲内に限定される。権力者等を批判する行為を本条例によって規制することはできない。かりに権力者等が本条例に基づき救済の申立てをしても、当該行為は正当業務行為として違法性が阻却されるために、当該申立ては却下されることになろう。

 むしろ条例の方が表現者側の負担を軽減しているといえないこともない。刑法の場合は、「公共性」及び「公益性」の要件を満たしたとしても、真実証明が表現者に科され、この真実証明があった場合に限って免責されるのに対して、条例の場合には、このような真実証明は科されていないからである。

 もっとも、条例による「公共性」及び「公益性」概念の取り込みに難点がないわけではない。規制の対象を「私生活に関する事実」に限ることによって「公共の利害に関する事実」を除外しえるかについては学説上も異論がありえるからである。規制の対象を「特定の者の名誉又は社会的信用を低下させる目的で」行った場合に限ることによって「その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合」を規制の対象から除外しえるかについても、それは同様である。判例・学説は、公務員に対する公衆の批判の自由を確保するという立法趣旨に鑑み、公務員の私行に関する事実であっても「公共の利害に関する事実」に該当する場合があると解しており、また、主要な動機が公益を図る点にあれば多少は私益を図る目的が混在していてもなお「専ら公益を図ることにあった」と解しているからである。その意味では、報道一五社の懸念に理由がないわけではない。立法趣旨を踏まえた厳格な適用を改めて要望しておきたい。ただ、右に述べたような、報道機関が独自に相談・救済機関を持っている場合におけるその「先議制」が導入されたあかつきには、ここでも問題は解消ということになろう。

七 弁護士会が指摘した点

裁判制度と国内人権機関

 周知のように、人権擁護推進審議会は2001年5月25日、「人権救済制度の在り方について」と題した答申を法務大臣に提出した。この答申によれば、裁判制度には、次のような制約があると分析されている。すなわち、第一に、裁判制度の中心となる訴訟は、法と証拠に基づき権利・義務関係を最終的に確定するものであるため、本質的に厳格な手続を要するものであること(公開性、様式性等)や、現行不法行為法上、採り得る救済措置が限られていること(事後的な損害賠償が中心)などから、簡易・迅速な救済や事案に応じた柔軟な救済が困難な場合がある。第二に、裁判手続を利用するためには、権利侵害を受けた者による申立てと手続の遂行が必要であるが、差別や虐待の被害者のように、自らの社会的立場や加害者との力関係から被害を訴えることを思いとどまったり、たとえ訴えようとしても、証拠収集や手続遂行の負担に耐えられずにこれを断念せざる得ない者が少なくなく、そもそも被害者意識が希薄な被害者すらいるなど、自らの力で裁判手続を利用することが困難な状況にある被害者がいる、といった問題がある。

 そこから、答申は、「人権救済にかかわる世界の潮流に目を向けると、…近時、人権救済をその重要な任務の一つとする国内人権機構の整備の動きが活発化しつつある。国際連合…総会で採択された『国内機構の地位に関する原則』(いわゆるパリ原則)や国連人権センター作成の『国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック』は、国内人権機構の整備に指針やモデルを提供するものであり、各国における実際の取組(ママ)と並んで、我が国における人権救済制度の在り方を考える上でも貴重な資料である。本審議会も、これらの国際的潮流を十分視野に置いて審議を行ってきたものである」とし、この国内人権機関として「人権委員会」を設置することなどを答申した。鳥取県条例もこのような国際的潮流を視野に置いている。

 鳥取県弁護士会による条例批判で気になるのは、人権侵害の救済は裁判制度に専ら拠るべきだという立場に依然として基づいているのではないかというようにもうかがえる点である。同会長声明は、既に紹介したように、人権侵害救済推進委員会による救済の手続においては厳格な手続が採用されていないことをもって条例批判の主な理由としているからである。たとえば、条例では申立人に対する反対尋問権も保障されていない。委員会の審理は非公開で、弁護人選任権も制度として保障されていない。事実を厳格な証拠のみによって認定するという原則も確立されていない。刑事手続ですら任意捜査が原則で、被疑者を含め国民は捜査に応じることを強制されない。供述や自白は決して強制されない。本条例案ではこのような刑事被疑者にすら認められている人権も保障されていない。このような批判である。

 しかし、裁判では厳格な手続が要求されるために簡易迅速な救済や事案に応じた柔軟な救済が困難な場合があることなどから、国内人権機関の設置が必要となっているのではないか。にもかかわらず、国内人権機関の手続にも裁判と同様の厳格な手続を要求するのでは屋上屋を重ねるだけで、問題解決には一向につながらないのではないか。問題を振り出しに戻すだけではないかと思われるが、いかがであろうか。

任意の救済活動と実効的な救済活動

 厳格な手続を採用することが難しいというのであれば人権侵害救済推進委員会は任意の救済活動に徹すべきではないか。このような反論があるかもしれない。しかし、このような反論も現実からいささか遊離があるように思われる。前述の答申は、次のように提言していたからである。

 「法務省の人権擁護機関による現行の人権侵犯事件の調査処理制度においては、専ら任意調査により事実関係の解明が図られているが、関係者等から協力が得られない場合は調査に支障を来し、事実関係の解明が困難になる。積極的救済を図るべき人権侵害については、救済手法を実効性あるものとするだけでなく、その前提となる事実関係の解明を的確に行えるようにすべきであり、実効的な調査権限を整備する必要がある。もっとも、人権救済制度の性格上、裁判所の令状を要するような直接的な強制を含む強い調査権限まで認めるべきでないと考える。」「他の裁判外紛争処理制度(ADR)における調査権限の整備状況等も踏まえながら、例えば、過料又は罰金で担保された質問調査権、文書提出命令権、立入調査権など、救済の対象や救済手法の内容との対応関係において真に必要な調査権限の整備を図るべきである。また、人権救済機関の調査に対する公的機関の協力義務を確保する必要がある。」

 鳥取県条例もこのような提言を踏まえたものといえる。条例が調査に協力しない当事者に対し過料を定めたことも、他の裁判外紛争処理制度(ADR)における調査権限の整備状況等と比べると、突出した規定という印象を与えるものではない。実効的な救済の確保という観点から勧告及び公表を定めたことも同様である。行政機関の命令違反に対し刑罰を科することが常態化しつつある今日では、条例の態度はむしろ抑制的だといってもよい。

 たとえば、全会一致で国会を通過したストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)は、「警視総監若しくは道府県警察本部長又は警察署長…は、つきまとい等をされたとして当該つきまとい等に係る警告を求める旨の申出を受けた場合において、当該申出に係る前条の規定に違反する行為があり、かつ、当該行為をしたものが更に反復して当該行為をするおそれがあると認めるときは、当該行為をした者に対し、国家公安委員会規則で定めるところにより、更に反復して当該行為をしてはならない旨を警告することができる。」「公安委員会は、警告を受けた者が当該警告に従わずに当該警告に係る第三条の規定に違反する行為をした場合において、当該行為をした者が更に反復して当該行為をするおそれがあると認めるときは、当該行為をした者に対し、国家公安委員会規則の定めるところにより、次に掲げる事項を命ずることができる。一 更に反復して当該行為をしてはならないこと。二 更に反復して当該行為が行われることを防止するために必要な事項。」「警察本部長等は、警告又は仮の命令をするために必要があると認めるときは、その必要な限度において、第四条第一項の申出に係る第三条の規定に違反する行為をしたと認められる者その他の関係者に対し、報告若しくは資料の提出を求め、又は警察職員に当該行為をしたと認められる者その他の関係者に質問させることができる。」と定めている。そして、報告又は資料の提出に応じない者に対する罰則は規定していないものの、禁止命令等に違反した者に対し五十万円以下の罰金を科している。これに対し、鳥取県条例の場合は刑罰を用いることは控えている。担保措置は行政罰(五万円以下の過料)にとどめ、その対象も「人権侵害事案の当事者が正当な理由なく調査を拒み、妨げ、又は忌避したとき」に限っている。

 ちなみに、道路交通法は、交通事故の場合の措置として、事故を起こした車両等の運転者等に対し、当該交通事故等を直ちに警察官に報告しなければならないと定め、この報告義務に違反した者に対し三月以下の懲役又は五万円以下の罰金を、また、死傷事故の場合においてこの報告義務に違反したものに対し五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金を科している。

 だが、鳥取県弁護士会の会長声明によれば、県条例が人権侵害の救済の実効を図る趣旨から人権侵害事案の当事者が正当な理由なく調査を拒み、妨げ、又は忌避したときは五万円以下の過料に処するとしたことを、前述したように、刑事手続ですら供述や自白は決して強制されないとして厳しく攻撃している。県弁護士会によれば、審議会の答申内容にそもそも疑問があるということであろうか。あるいは、行政罰といえども科す以上は厳格な手続きによるべきだということであろうか。

国内人権機関に相応しい適正手続

 行政手続にも適正手続が必要で、判例も要求するところだということは会長声明の指摘する通りである。ただ、だからといって、「刑事手続に匹敵する適正な手続が必要」で、「反対尋問権や弁護人選任権を制度的に保障すること」や「事実を厳格な証拠によってのみ認定すること」が必要だというのはやや論理の飛躍で、形式論に過ぎるのではないか。そもそも、それでは、裁判所と別に国内人権機関を設けることは不可能となろう。日本弁護士連合会が国内人権機関の設置を国等に要望していることとの整合性をどのように理解すればよいのか。当該手続の目的に応じて、当該手続に要求される適正手続の内容も異なりえるのではないか。たとえば、保護処分の要否を問題とする家庭裁判所の少年審判手続と、刑事責任の有無を問題とする刑事裁判所の公判手続とでは、適正手続のあり方も異なりえるのではないか。公判手続では当事者主義が採用されているからといって、少年審判手続でも検察官関与が必要だということになるのだろうか。この点はかつて少年法改正に際し一大争点とされたところで、適正手続の保障を理由にして少年審判手続への検察官関与が導入されたが、これには、「審判は、懇切を旨とし、和やかに行うとともに、非行のある少年に対し自己の非行について内省を促すものとしなければならない」という少年審判の特質を却って損なうことになったのではないかとの批判も少なくない。ちなみに、最高裁は旧所得税法上の質問検査権を違憲ではないと判示した。

 要は加害者等からの反論にいかに耳を傾けるかということで、国内人権機関に相応しい適正手続のあり方、それも「専門家の無謬性」という虚構に依存するのではなく、人間は間違った判断を犯すことがありえるという認識に基づいた適正手続のあり方が工夫されるべきであろう。その際、「理解促進型の手続」と「処分型の手続」とでは区別が必要となろう。後者の場合、適正手続の主眼は「誤判の回避」に置かれるのに対して、前者の場合は、人権侵害等の理解が加害者等と被害者等とでは大きく異なることなどについて「相互理解を図ること」に求められるからである。県弁護士会によれば、後者の「処分型の手続」が専ら問題にされているが、「理解促進型の手続」に「処分型の手続」を持ち込むことは、「処分型の手続」に「理解促進型の手続」を持ち込むのと同様に、問題をいたずらに混乱させるだけではないか。

人権侵害救済推進委員会の独立性

 日弁連人権擁護機関設置ワーキンググループの藤原精吾座長は、2005年12月13日の朝日新聞で、「地方が人権救済制度に取り組むことに反対はしない。人権侵害に対する調査権が行政や日弁連にない現状では、独立性が担保できれば人権救済機関に実効性のある調査権限を与えてもいいと、個人的には思う。だが、鳥取県の条例は抜本的な見直しが必要だ。(中略)独立性の確保が難しいなら強制力のある部分はあきらめ、行政に『これも人権侵害だ』と提言、気付かせる機能を持たせる方法もあるだろう」と述べている。委員会の独立性が担保できれば委員会に実効性のある調査権限を与えてもいいというのであれば、県との溝を埋めることも不可能ではなかろう。条例では国家行政組織法第三条の規定するような独立の委員会を設置することができないにしても、県弁護士会は、右の独立性を担保するための具体的な提言として、既に紹介したように、「議会内に推薦委員会を設け、その推薦委員会の委員として県議会議員のみならず司法、報道関係者、弁護士会、学識経験者・人権福祉関連団体等の外部委員を置くなどの対処により、上記弊害が生じないための工夫を考えるべきである」と指摘しているからである。条例の運用等に当たって、この提言が生かされることも要望しておきたい。

屋上屋を架するものか

 県弁護士会からの批判は次のような点にも及んでいる。県条例における調査協力義務の必要性の根拠といわれている児童虐待に対しては「児童の虐待の防止に関する法律」及び「児童福祉法」が、家庭内暴力に対しては「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」が、ストーカー行為に対しては「ストーカー行為等の規制に関する法律」が各整備されており、本条例案はこれらの法律との関係において屋上屋を架するものであり、本条例案はその必要性を支える立法事実にも乏しいと言わねばならない。

 このような批判の当否を判断する上で参考になるのは前述の審議会答申である。次のように分析されている。

 「近時、女性に対する暴力の関係では、ストーカー規制法が成立し、ストーカー行為が犯罪とされるとともに、行政的対応が整備され、また、配偶者暴力防止法が成立し、保護命令制度の導入や、婦人相談所を中心とした配偶者暴力相談支援センターの整備等、被害者保護のための手当てがなされた。児童虐待の関係では、児童虐待防止法が成立し、児童福祉法の下での児童相談所の対応が強化された。行政面では、警察が、女性、子どもを守るための積極的対応を打ち出している。各種施設における虐待に関しては、都道府県知事等による監督の仕組みがあるほか、近時、地方公共団体によるオンブズマン組織設置の動きがある。」「虐待に関しては、上記の通り、一定の立法的・行政的な手当てがなされているが、いまだ十分な取組(ママ)が行われていない分野もあり、人権救済制度においても積極的救済が必要である。その前提として、積極的救済の対象とすべき虐待の範囲を明確にする必要がある。…加害者・被害者間に法律上又は事実上の力の優劣を伴う関係がある中で起きる虐待、すなわち、家庭、施設、職場その他の場所で、女性、子ども、高齢者、障害者等の相対的に弱い立場にある者に対して行われる身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト(保護義務者の場合)を含むものとすべきである。」「人権救済機関は、関係機関等との連携協力により、早期発見や被害者の保護・支援に努めるべきである。」「なお、自己の意思を表示できない乳幼児などが、その保護者等から虐待を受けているときは、被害者からの救済の申立ては全く期待できないことから、早期発見がより重要である。」「虐待については、被害者に対する事後的なカウンセリングが重要であるほか、加害者ヘのカウンセリングにより再発防止を図る必要がある場合も少なくないが、カウンセリングには心理学等の専門的知識を要することなどに照らすと、人権救済機関は、公私の関係機関・団体における取組(ママ)を踏まえつつ、これらと連携協力していく必要がある。また、被害者の生活支援の面でも、公私の関係機関・団体と連携協力すべきである。」

 このような分析であるが、これでも県条例は屋上屋を架するもので立法事実にも乏しいといえるのだろうか。虐待等の被害者等からすれば、警察だけでなく委員会にも相談できるようになったことのメリットは小さくないであろう。

八 行政権力による人権侵害に対する救済規定が不十分

職権濫用行為が県条例では救済の対象

 刑法は公務員職権濫用罪及び特別公務員職権濫用罪等として「公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、二年以下の懲役又は禁錮に処する」(第一九三条)、「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、六月以上十年以下の懲役又は禁錮に処する」(第一九四条)、「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、七年以下の懲役又は禁錮に処する」(第一九五条第一項)、「法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁されたものに対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときも、前項と同様とする」(同条第二項)、「前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」(第一九六条)と規定している。そして、刑事訴訟法は、これらの罪について準起訴(付審判請求)手続を定めている。「刑法第百九十三条から第百九十六条まで…の罪について告訴又は告発をした者は、検察官の公訴を提起しない処分に不服があるときは、その検察官所属の検察庁の所在地を管轄する地方裁判所に事件を裁判所の審判に付することを請求することができる」(第二六二条第一項)などの規定がこれである。しかし、加害者側の者だけで占められる密室の空間において犯される犯罪ということから付審判の請求をするだけの証拠を集めることが困難だということなどのために、全体としてみれば、この準起訴手続は機能しているとは必ずしもいえない現状にある。

 そこで、この面での期待が国内人権機関に向けられることになるが、前述の審議会答申でも、次のように述べられている。

 「公権力による人権侵害には、まず、差別、虐待の問題として、各種の国営・公営の事業等における差別的取扱いや虐待等、私人間におけるものと基本的に同様の態様の問題に加え、捜査手続や拘禁・収容施設内における暴行その他の虐待等、固有の問題がある。このほか、公権力による人権侵害としては、違法な各種行政処分による人権侵害や、いわゆる冤罪や国等がかかわる公害や薬害等の問題に至るまでさまざまな問題がある。」「行政処分に対しては一般的な行政不服審査や個別の不服申立ての手続が整備されている。また、捜査手続や拘禁施設内での虐待等については、付審判請求を含む刑事訴訟手続のほか、内部監査・監察や苦情処理のシステムが設けられている。」「公権力による差別、虐待については、他の手続との関係にも留意しつつ、調停、仲裁、勧告・公表、訴訟援助の手法により、積極的救済を図るべきである。」「公権力によるその他の人権侵害については、各種行政処分に対しては一般又は個別の不服申立制度が整備されており、また、人権救済機関が冤罪や公害・薬害等の問題にまで幅広く対応することは、関係諸制度との適正な役割分担の観点からも、救済機関の果たすべき役割の観点からも適当ではない。」

 このような答申を受けて、人権擁護法案でも、公務員ないし特別公務員の職権濫用行為については「公権力の行使に当たる公務員による虐待」に、それも、「人の身体に外傷が生じ、又は生ずるおそれのある暴行を加えること」、「人にその意に反してわいせつな行為をすること又は人をしてその意に反してわいせつな行為をさせること」、「人の生命又は身体を保護する責任を負う場合において、その保護を著しく怠り、その生命又は身体の安全を害すること」あるいは「人に著しい心理的外傷を与える言動をすること」という類型の虐待に限って特別救済の対象にすることとされている。

 「国の法整備ができたとしても、県独自の人権救済制度を設けることが、迅速できめ細かな人権侵害の救済につながる」というのが鳥取県で独自の人権委員会を設置する趣旨だとすれば、公務員ないし特別公務員の職権濫用行為について実効性のある救済手続を定めることは県民の強く望むところといえよう。県条例が右の職権濫用行為をも救済の対象としたことは高く評価されなければならない。

一番の残された課題

 要はその実効性如何ということになろう。その意味で、この実効性に関して県弁護士会やマスメディアなどから出された批判は看過しえないものがある。警察・検察・矯正等の公権力の行使に伴う人権侵害の場合、条例では救済規定が極めて不十分で、県警本部長・検事正・刑務所長の判断による調査拒否が容易に認められる可能性があり、救済の実効性に重大な疑問がある。このような批判であるが、実はこの点が条例の一番の残された課題だといってもよい。ただ、明文規定の存否はあくまでも形式的な問題で、その奥にある実質的な問題は調査拒否があった場合、人権侵害救済推進委員会がどのような態度をとるかということになろう。明文規定がなくても公益を理由として、調査には協力できないなどと警察等が委員会に返答してくる場合も考えられうるからである。

 救済の実効性を確保するための知恵を出すことが求められている。県も、公務員ないし特別公務員の職権濫用行為については救済を手抜きしたいということではなく、この知恵を出して欲しいというところであろう。県弁護士会には県内切っての法律家専門集団としての知恵の提供を強く期待したい。もっとも、それは条例を適正に運用するための残された課題というべきで、このような課題が残されている以上は条例の実施は見合わせるべきだということでは少しもなかろう。行政権力による人権侵害に対する救済規定が不十分だということであれば、早急にその改善が図られるべきであって、改善されるまでは私人間における人権侵害の救済の整備を見合わせるべきだということでは決してなかろう。

 なお、県弁護士会によれば、刑務所の中での医療体制の不備等は県条例では禁止される人権侵害のどの類型にも該当しないとされる可能性が高いと指摘されている。鋭い指摘といえないこともないが、このような人権侵害を救済するためには制度改正が必要な場合も生じえる。そのための所要の予算措置や定員措置等を講じることを国等に求めることも場合によっては問題となりえるが、地方自治体段階の国内人権機関にそのような任務をも担わせることの当否については多様な意見がありえる。この点も残された課題といえよう。適切な問題処理のための論点整理の労を県弁護士会が率先してとることを要望したい。

九 おわりに

 県条例にはこのほかにも更に整理を要すべき部分も存する。「裁判所又は公的な仲裁機関若しくは調停機関において係争中の権利関係に関するものである」ときは、委員会に対し人権侵害の救済の申立て又は通報は行うことができないとされている点もその一つである。裁判制度と国内人権機関との役割の相違という観点から見た場合、これとは異なる考え方もありえるからである。ただ、これらの作業はまさに先駆者ならではの苦労ともいうべきものであろう。全国に先駆けて設置された地方レベルでの国内人権機関だけに、その行方には多くの山、谷が横たわっている。これらを乗り越えていくための関係者の努力は想像以上のものがあると推察される。この努力をひとり県だけに押し付けるのでは、山、谷を乗り越えることはできない。21世紀は人権の世紀だといわれる。国内人権機関が正しく機能することは国民ないし市民の財産といえる。この共通の財産を守り、育てていくことは国民、市民の双肩に係っている。専門家には専門家にふさわしい貢献が、また市民には市民にふさわしい貢献が求められる。人権侵害救済推進委員会による人権救済を一日千秋の思いで待ちわびている被害者等は少なくないのである。

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