進む学校選択制の導入
昨年12月末に、内閣府にある規制改革・民間開放推進会議(以下、規制改革推進会議)は「学校選択制の一律導入」を「答申」に盛り込もうとしたが、文科省等の強い反対を受け、「引き続き検討を深めていく」という結果になった。(1)
しかし2006年度には異例の六月「答申」を打ち出し、改めて学校選択制と教育バウチャー制度の一律導入を図ろうとしている。他方、全国ですでに小学校で227自治体(8.8%)、中学校で161自治体(11.1%)が何らかの学校選択制を導入しており、東京、埼玉、鹿児島、広島、等でその傾向は顕著で(2)、状況は予断を許さないと言える。
教育課題の原因をすり替えた議論
現在のように「いじめへの対応」などの人権に関わる緊急避難の場合、校区変更は当然である。しかし、規制改革推進会議が主張する「学校選択制の一律導入」には同意しがたい。
規制改革推進会議「答申」は、学校選択の権利がないために「児童生徒・保護者というユーザー本位の教育が実現するはずがなく、特に真にきめ細かい対応が必要とされる学力的に不利な立場にある児童生徒、すなわち「教育弱者」が置き去りにされ、早い段階から学習意欲を喪失してしまうことになりかねない」としている。しかしそれは、社会的困難を抱える子ども達をめぐる教育課題の原因をまったく誤って認識していると言わざるを得ない。
なぜならば「答申」は、社会的困難を抱える子ども達を置き去りにしている原因は、学校選択の権利がないことであると言うが、戦後60年に及ぶ人権・同和教育の営みが明らかにしてきたのはまったく別の原因である。
被差別部落の生徒児童をはじめ、社会的困難を抱える子ども達を置き去りにしてきた原因は、「勉強が分からない」「学校に馴染めない」などの「しんどい」子ども達やその社会的背景を無視し排除しがちな学校教育の内容・教職員(教育行政)の質といった「学校文化」にこそあるということである。だからこそ人権・同和教育は、学校改革(学校づくり)を長年にわたり進めて、一定の成果をあげてきたのである。そして「学校選択の自由」は、後でも触れるように、差別的な学校文化の変革をもたらすどころか、「しんどい」子ども達を忌避し、他の学校に通学するという差別越境に保護者を向かわせたのである。
したがって、規制改革推進会議が主張する「学校選択制の一律導入」は、「学校文化」のもつ差別性を解決するどころか、以下のような弊害を一層深刻化させると言わざるを得ないのである。
学校選択制がもたらすデメリット
第一に学校選択制は、1960年代まで存在した差別越境(3)(部落の子ども達が通学する学校を忌避し他の校区の学校へ通学する)を、教育を受ける権利の名の下、公然と認め学校間格差・序列を再び拡大するものである。1960年代末から差別越境の是正のため、保護者に粘り強く理解を求めると共に、重大な決意を持って取り組んできた教育行政や人権・同和教育の取り組み、府・市に設置された適正就学推進委員会の取り組み等々の歴史を無視するものである。
第二に、人権・同和教育は差別越境に反対するだけでなく、すべての子ども達の人権確立をめざす学校づくりに取り組んできた。その中で、地域(校区)住民の参加による学校づくり・地域づくりの成否は、多様な幅広い住民がそれぞれの力・持ち味をいかして参画し、人権をはじめとした「社会性」をどれだけ豊かに実現していけるかにかかっていることを明らかにしてきた。
例えば、子ども達の通学安全や土曜日の充実した過ごし方、図書室の充実や絵本の読み聞かせ、総合学習だけでなく教科学習への参加、クラブ活動の指導など、地域住民によるさまざまな学校・学習応援、さらには学校・地域の協働による運動会や人権を配慮した地域防災活動、余裕教室などを地域に開放する取り組みなどがある。しかし、学校選択制は、地元の校区を離れて他校区の学校へ行くことを促進するため、地域(校区)住民の絆を弱め、地域の教育力を低下させかねない。そのため、「魅力ある(特色ある)学校づくり・地域づくり」の実現をはるか彼方へ追いやってしまうものである。
第三に学校選択制は、教育サービスを個人的に受け取ろうとする消費者主義・功利的個人主義の立場に立つ考え方である。しかも学校選択をできる人は、現実には遠方の学校への送り迎えができるという点などで、経済的社会的に余裕のある人に限定されがちである。その意味では、教育を受ける権利の「特権化」「不平等化」を招くものである。人権・同和教育は、多様な地域住民が「魅力ある(特色ある)学校づくり・地域づくり」に多様な形で責任を持って参画するという主権者の立場に立ってきた。こうした姿勢こそが、今の教育改革で最も求められているのではないだろうか。
第四に学校選択制は、公教育の内容に関わる問題でもある。なぜなら、学校選択の問題に留まらず、教育内容の選択にもおよぶ問題であるからである。教育内容は、学校選択制の前提となる消費者主義・功利的個人主義の立場から選択・構成されるのではなく、憲法の理念・原則である主権在民・平和主義・基本的人権の立場から選択・構成されるべきである。したがって、学校選択制は、こうした公教育の内容・本質を否定する危険性をも秘めているのである。
住民参加の学校づくり・地域づくりから
以上のような学校選択制導入の危険性があるにもかかわらず、規制改革推進会議は異例の本年6月「答申」でその一律導入を図ろうとしている(4)。
さらに何らかの学校選択制の導入を検討している自治体は、小学校で150(5.8%)、中学校で138(9.5%)にも及んでいる(2004年11月文科省調査)。こうした状況をしっかりと踏まえ、まず自治体レベルから「学校選択制の導入反対」の声を強めていく必要がある。
同時に、導入に反対するだけでなく、多様な住民が参画できる学校づくり・地域づくりをこれまで以上に強力に推し進める中で、学校の課題や不満を具体的に確実に克服していくことが大切である(5)。学校は「地域に学ぶ」ことを重視し、地域の人も子ども達や学校のために汗をかくことを厭わない人権・同和教育の良き伝統をさらに発展させていくことが急務である。