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2006.05.16
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights2006年5月号(NO.218)
戸籍制度−個の尊重とプライバシー保護
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連載 走りながら考える 第61回

最近の差別事件の背景を考える
−「同和バッシング」の影響−

北口 末広(部落解放同盟大阪府連合会書記長、近畿大学教授)

時代を反映する差別事件

 近年の差別事件を分析していくと今日の部落問題を取り巻く状況が顕著に反映していることが理解できる。この連載においても最近の代表的な差別事件を紹介し、その差別性や背景を論じてきたが、ここで改めて総括的に整理しておきたい。多くの読者に最近の差別事件の特徴や背景を知っていただくことは多種多様な差別事件を克服するために最も重要なことだと考えるからである。

 すでに部落解放・人権研究所発行の研究誌『部落解放研究紀要』二月号(一六八号)に同様のテーマの拙稿を発表しており、加筆修正を加えつつもその要約的な内容になることをお許し願いたい。

ネット上の事件が多発

 まず第一に差別事件の内容に関する特徴では、ネット上の差別事件が多発しているという現状と重なって、煽動的・挑発的な内容や憎悪に満ちたものが増加している点を指摘することができる。東京都のUさんが主要な被害者になった全国大量連続差別投書・ハガキ等事件はその典型である。加害者は刑事訴追され実刑の有罪判決を受けたが、その内容は憎悪に満ちたものであった。このような内容になったのも加害者の供述によれば、近年矢継ぎ早に出版されている「同和バッシング」本に大きな影響を受けており、それらに代表される社会的風潮の存在を上げることができる。

 二〇〇二年三月の同和行政に関わる「特別措置法」失効以降、一部のメディアの活動が差別事件の内容に色濃く反映している。部落解放運動の在り方に関する批判は自由であるが、これらの批判が一方的であることによって偏見を不当に一般化したり、差別を助長・煽動したりするものになっているケースもあり、「批判の自由」と「差別の自由」を混同している傾向が見られ、今日の差別事件の特徴を形成している。

「同和バッシング」の影響

 最近の「同和バッシング」関連の出版物も既存の偏見を活用する形で描くことによって偏見に基づく「同和嫌い」の人びとの支持を受けており、その最も極端な支持者の一人が全国大量連続差別投書・ハガキ等事件の犯人である。

 差別意識が最も活性化するのは、優越意識と被害者意識が重なったときである。

 一般的に差別意識が伝播する場合、うわさ、デマ、流言などが重要な役割を果たしているが、特に社会的な偏見や差別意識に迎合する形で強調・歪曲された情報は、正確でない情報でも容易に真実だと受け止められる。被差別部落に対する偏見や差別意識があるもとでは差別的な情報の方が抵抗なく伝播しやすく、偏見に合致した部分的な情報だけが流されることによって差別が助長されることになる。

 差別が強化されるときのパターンの一つに被差別者の「悪人」をヤリ玉にあげ、反論しにくい雰囲気を作り上げた上で、攻撃するというものがある。

 後に紹介する差別事件の背景においても、以上の「同和バッシング」の社会的風潮や傾向を明確に指摘することができる。

旧来の差別事件と同じ構図も

 さらに最近における差別事件の特徴として上げられる代表に戸籍不正入手事件等がある。正確にいえば最近ではなく、従来からある事件であるが、時代が進み差別撤廃が進展したといわれる反面、旧来の差別事件と同じ構図を引きずっているのも最近の差別事件の特徴である。

 この間の取り組みによって差別意識の克服に向け前進している部分と旧来の意識を根強く温存している部分が並存している状況にあるといえる。時代の前進とともに根強い差別意識の部分が減少しているとはいえ、今なお根強い差別意識をもち続けている人びとの意識はほとんど変化していない。

 その顕著な事例が結婚差別事件や戸籍不正入手事件であり、依然として多い差別落書きや市町村合併・校区編成の再編に伴う差別事件である。これらの事件は被差別部落出身者や被差別部落を忌避・排除する古くから存在する差別事件である。

行為者不明の事件が依然として多い

 第二に差別行為者や被害者に関する特徴では、特に差別行為者に関しては行為者不明の事件が多く、闇から執拗に攻撃をしてくる事件が続発している。全国大量連続差別投書・ハガキ等事件においても極めて執拗で悪質なものであり、この事件も長期間犯人不明の事件であった。

 また、ネット上の差別事件が増加している傾向とネット上の悪質な事件の分析からいえることは、差別意識と実際の差別行為の距離が非常に短くなってきていることである。

 ネットが普及するまでの差別事件は差別意識とそれを表出させるエネルギーが相当な量に達するまで実行行為に移らなかったが、ネット社会では差別意識を表出させる小さなエネルギーでも実行行為に移るようになった。それは匿名性を高める手段としてネット社会が都合がよく、そのことによって犯人不明の差別事件が増加するという傾向が進んでいるのである。これらの犯人は匿名性の保障がなければ自身の差別行為の発覚を恐れて多くの場合、実行行為に及ばなかったが、ネット環境では容易に差別行為に及ぶ。情報化の進展が差別意識や差別事件を増幅させているといえる。

差別事件の態様を変える情報環境

 第三に差別行為や差別事件の発生・発覚場所や時間に関する特徴では、これまでにも指摘してきたように電子空間上の事件の増加をあげることができる。電子空間上の差別事件といっても、これまでの差別事件と同様にネットに書き込んでいる現実空間の差別行為者が存在しており、紛れもなく現実空間の事件である。差別行為者の視点から見れば差別落書きの落書き場所が変化しただけだと捉えられないこともないが、現実空間にいる差別行為者が現実空間のトイレや壁、ビラ等に落書きする行為とでは大きく異なる。ネットを通じて世界中の人びとが自由に閲覧できるようになるのである。行為者にとっては差別行為は旧来と同じであり、変わったのは手書きからキーボードに変わっただけであるが、その社会的影響は大きく異なる。

 ネット上の差別事件は、情報環境が世界を変えたように電子空間上の差別事件が差別事件の態様を変えるような状況になりつつある。

ネット環境を利用した差別事件

 人権問題は社会の進歩、科学技術の進歩とともに、より高度で複雑で重大な問題になっていくといわれる。それらのより高度で複雑で重大な人権問題や差別事件に対応していく必要性が今日の差別事件の特徴からも指摘できる。

 今日、インターネット上で多種・多様な差別事件が発生しているが、一五年前には考えられなかった問題であり、このような問題にも的確に対応するシステムが必要なのである。

 例えばインターネットの特色は、時間的・地理的制約がないこと、不特定多数の人が対象であること、匿名で証跡が残りにくいことである。また、情報発信や複製・再利用が容易であり、場所が不要であること等である。こうした特性を縦横に利用したインターネット環境下の差別事件に対しては、現実空間を前提としたこれまでの取り組み方では不十分であり、これらの特性をふまえた新たな取り組み方が求められているのである。 

結婚差別、土地差別も根強い

 第四に動機・目的に関する特徴では、例えば結婚差別事件のように忌避・排除といった動機・目的の差別事件が後を絶たない。戸籍不正入手事件やその先にある結婚差別事件はその典型である。結婚差別、就職差別、土地差別は多くの人びとにとって人生の重要な局面での差別である。就職差別は克服に向け大きく前進したが、被差別部落出身者を忌避する典型である結婚差別や被差別部落を避けようとする不動産購入時等の土地差別は依然として根強い。

 また、近年の特徴は市場原理至上主義やそこから生じる経済的格差が基盤となって、思想的傾向が差別を助長する方向に向いてきており、それらの思想的な背景を持った確信犯や愉快犯が根強く存在し、攻撃、挑発、煽動等の動機・目的でなされている差別事件が続発している。

格差拡大の社会も大きな背景

 以上のような特徴を持つ差別事件の背景として、第一に根強い差別意識が依然として存続している点を上げることができる。これらの偏見に基づく差別意識は、社会システムと密接に関わっており、今日のような市場原理至上主義が席巻するような社会システムでは差別意識の再生産は容易になされる。

 第二に格差拡大の経済情勢が大きな背景を形成している。貧富の格差は多くの統計数字からも明らかなように拡大傾向にある。

 第三に以上のような社会情勢のもと平等思想とは逆に差別の強化につながるような思想が社会的に大きな影響力を持ち始めている。それらの思想にプラスして一部の「同和バッシング」の内容と社会的風潮が今日の特徴的な差別事件の背景になっている。

差別を温存・容認する社会システム

 第四に差別を温存・容認するような社会システム上の問題を上げることができる。戸籍不正入手事件に代表されるように現在の戸籍制度の個人情報保護の観点からみた自己情報コントロール権の未整備をはじめとする多くの制度的な問題が背景になっている。

 端的にいえば「部落地名総鑑」から三十年以上が経た今日においても「大阪府部落差別調査等規制等条例」のような法制度がない都道府県では「部落地名総鑑」の作成・販売ですら法令違反にならない現実が存在しているのである。このような社会制度上の問題が今日においも差別事件の大きなバックボーンを形成している。昨年一二月と今年一月に回収された新たな「部落地名総鑑」の発覚はその顕著な事例である。

 これらの差別事件の特徴や背景をふまえた取り組みが部落解放運動をはじめとする関係各機関に求められている。

 特に経済格差拡大による社会的不満の鬱積が弱者や被差別者に向き、差別意識を増幅するネット社会等の情報環境が重なれば、ナチス時代のような差別意識の爆発的現象が生まれても不思議ではない。