中尾健次さんと黒川みどりさんの共著で二年前に出された、『人物でつづる被差別民の歴史』の続編が刊行されました。近年の研究成果を「中学生や高校生にもわかるように」という前作からの方針で、文体も「ですます」調によってやわらかく、読みやすさが工夫されています。それにならって、この紹介文もそうしてみます。
基本的なつくりは前作と同じく、それぞれの項目の末尾には参考文献や関連書籍がかかげられ、ときには博物館なども紹介されています。また本文に関連する事典的情報がコラムに整理されていますし、巻末にも文献案内があります。
中尾さんが執筆した前近代で九項目が、黒川さんが執筆した近代で十項目が立てられています。先頭きって登場するのは、源義経との悲恋で知られる「白拍子の静」です。前作で課題とされていた歌舞伎の祖「出雲の阿国」も今回、取りあげられています。芸能をになう被差別民、そのなかでも女性たちの姿を伝える代表例だといえるでしょう。もっとも、欲をいえば、コラムを活用するなどして、多様な性のありかたに言及してもよかったようにも思います。
前近代編はこのほかに、教科書との関連から、腑分け(人体解剖)にたずさわった虎松らの項なども立てられています。「人物でつづる」というタイトルではありますが、「『かわた』と呼ばれた人びと」などのように、集合として取りあげている項目もあります。「名もなき」民衆たちが自分たちの手で史料をのこすことは少ないためです。
前作には観阿弥と世阿弥、弾左衛門、西光万吉、松本治一郎など、部落史のなかで著名な人物がまとめられていました。これにたいして本書とりわけ近代編の出色であるのは、反差別へとつながらなかった生き方にも尊ぶべきものがあると位置づけていることです。部落に生まれて「からゆきさん」として生きた善道キクヨや、最後の瞽女(旅する盲目の女性芸能者)小林ハルの項には、差別のなかで生きぬいてきた人びとへの著者の敬意が感じられます。
また木村京太郎、米田富、北原泰作ら部落解放運動の闘士たちや、アイヌ民族運動の貝澤正、婦選運動の市川房枝についても、運動面での輝ける功績だけでなく、その生いたちでうけた差別や、侵略にかかわらざるをえなかった側面も書かれています。生きざまをできるだけまるごと伝えたいという意図でしょう。もっとも、被差別民にとっての戦争という問題をどう語ったらいいのかについて、著者は解を示しません。
当事者だけでなく周辺的な立場から差別に向きあった人物も取りあげられています。「癩●らい●者」の息子として育ち、解放教育(同和教育)運動のなかで父を語ることを選んだ林力で本書が閉じられることで、メッセージが次世代へと向けられ、被差別から人間性を回復する運動とそして歴史が現在にリンクしてきます。
ただし、コンパクトにまとめることの難しさか、気になるところも全くないわけではありません。米田富の項で僧侶の水平運動とも報じられた黒衣同盟に触れて、米田ら水平社が主導していたかのように紹介されています。たしかに米田が後年聞きとりでそう語ってはいますが、しかし水平社のまわりには当時さまざまな関与があったのではないでしょうか。
「人物でつづる」という方法は当初、小学校社会科の学習指導要領の指示にねらいを定めたものでした。列伝というこの手法にはわかりやすいという利点があります。しかし、項目相互のつながりは弱いため、時代の流れや、差別の構造がつかみにくくなってしまうという制約もかかえています。また、戦後にかんする記述が薄いのですが、このことは歴史研究と学校教育両方の課題の反映といえるでしょう。
あとがきでは、「こんどは人物をとおしてではない、別のアプローチによって」論じたいと予告されています。研究の第一線にいる著者たちによって新しくこうした手に取りやすい本がつくられていくことは、教育現場だけでなく、さまざまな現場からも待望されているはずです。