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2006.10.25
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights2006年7月号(NO.220)
氷山の下にある人種差別・人種主義
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過去の歴史に目を閉ざすな

友永健三(ともなが・けんぞう 部落解放・人権研究所所長)

歴史的教訓に学ぶことの重要性

  教育基本法の「改正」案が閣議決定され、4月28日、第164通常国会に上程された。5月連休明けから衆議院に特別委員会が設置され審議が始まったが、国会の会期が6月18日までということで、継続審議になった。

  9月に自由民主党の総裁選挙があり、その後新しい首相の下で国会が召集され、そこでいよいよ教育基本法の「改正」案について議論が本格的に行われることになっている。

  この問題を考えるときに、敗戦40年の1985年5月、西ドイツ(当時)のヴァイツゼッカー大統領が行った「過去の歴史に目を閉ざすものは、未来に対しても目を閉ざすこととなる」という有名な演説を踏まえることが適切だと思う。具体的には、なぜ教育基本法が制定されたのかという歴史的な教訓からしっかりと学ぶことが必要だということである。

教育基本法制定の歴史的背景

  教育基本法が制定された歴史的な背景としては、第二次世界大戦の反省がある。日本は、この戦争において、朝鮮や中国をはじめ周辺諸国に筆舌に尽くしがたい被害を与え、自らも広島や長崎への原爆投下、沖縄等での多大な犠牲をこうむり敗戦した。このことへの痛切な反省から、戦争放棄を定めた九条を伴った新しい憲法を制定したのである。

  もうひとつ問題となったのは、どうして日本は無謀な戦争を始めてしまったのか、またなぜ戦争への道を食い止めることができなかったのかという点である。その原因は、戦前の教育にあった。戦前の教育で、人びとは「お国のために」、「天皇陛下のために」存在しているのだということを徹底的に叩き込まれ、天皇をはじめ国の指導者に従順に従っていったのである。また、日本は「神国」である。大和民族は優秀な民族であって、他の民族は大和民族の支配下に入ることによって繁栄することができるのだという考え方を教え込まれたのである。一部に、戦争への道に反対した人びとがいたが、「非国民」とのレッテルを貼られ、治安維持法等によって弾圧されてしまったのである。

  そこで、新しい憲法では、主権は国民に存在しているのであって、天皇の地位も国民の総意で決めることができることを明らかにしたのである(主権在民)。また、国家は人びとの幸せを守るために存在していることを明らかにする(基本的人権の尊重)とともに、他の民族や国家との協調(国際協調)を謳ったのである。

  以上の基本的な考え方を盛り込んだ日本国憲法が、今から60年前の1946年11月3日に公布され、この考え方を教育を通して実現していくために翌1947年3月31日、教育基本法が制定されたのである。

  このような歴史的経過を踏まえたとき、「改正」案の基本的な問題点として、以下の諸点を指摘することが出来る。

「公共の精神」「伝統」「文化」「愛国心」の強調

  まず、前文に現行の基本法にはなかった「公共の精神を尊び」、「伝統を継承し」という文言が盛り込まれていることである。しかしながら、「公共の精神」や「伝統」とは極めて抽象的な概念で、このような字句を基本法の前文に盛り込むことは危険である。たとえば、「公共の精神」の中味は、時々の権力者=政権与党によって都合の良いように決められる危険性がある。また、「伝統」といっても、豊臣秀吉が朝鮮を侵略した歴史や、前近代において「えた」、「ひにん」に代表される賤民制度を伴っていた歴史も「伝統」と考えられなくもない。

  つぎに、第2条(教育の目標)3項に、「公共の精神に基づき」、「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに…」という文言が盛り込まれている。このうち、「公共の精神」、「伝統」という文言が持っている危険性についてはすでに言及したが、「文化」についても極めて抽象的な概念である。たとえば、「長い物には巻かれよ」、「天皇のため、お国のために命を捧げよ」という考え方や、こういう考え方を行動規範とすることが「伝統と文化の尊重」として主張される危険性が多分にある。

  しかし、第2条3項に「我が国を愛する」という字句が新たに盛り込まれた点が、最大の問題であるといわねばならない。なぜなら、日本にとって第二次世界大戦の最大の反省点が、愛国心が強調される中で、一人ひとりの人間の幸せ=人権よりも、国家の利益=国権が優先されてしまったことにあるからである。

  さらに、第5条(義務教育)2項に「…また、国家および社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」という文言が盛り込まれている。ちなみに、現行の基本法では、第1条(教育の目的)で、「教育は、人格の完成をめざし、平和な国家および社会の形成者として…国民の育成を期して行われなければならない。」と規定されている。「改正」案の、「国家および社会の形成者」と現行法の「平和な国家および社会の形成者」とでは、根本的な違いがある。前者は無限定であるのに対して、後者は「平和な」という限定があるからである。

教育行政が教育内容に介入してくる危険性

  第16条(教育行政)に「教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担および相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」との規定が盛り込まれている。一方、現行法の第10条(教育行政)1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を持って行われるべきものである。」2項は、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定されている。

  教育行政に関する改正案と現行法とを比較したとき、二点において根本的な違いを指摘することが出来る。一つは、「改正」案では、現行法にあった「教育は、…国民全体に直接責任を持って行われるべきものである。」という文言が無くなって「この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの」となってしまっている点である。しかしながら、これまで指摘したように「この法律」事態が教育そのものを危うくする危険性が大きいこと、さらには時々の権力者=政権与党が自分たちにとって都合のよい法律(たとえば、「日の丸」、「君が代」の強制)を制定し、それに基づいた教育を強いてきた場合、これに抵抗することができなくなってしまうという問題が生じてくる。

  時々の権力者が、自分たちにとって都合のよい法律を制定し、教育に介入してきたために、無謀な戦争を引き起こしてしまったということを反省することの中から、現行の基本法は、教育行政の条項で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を持って行われるべきものである。」とした規定を盛り込んだのだということを再度強調しておきたい。

  もう一つは、現行法では、教育行政の目標が「教育の目的を遂行するために必要な諸条件の整備確立」にあることが明確に規定されているのに対して、「改正」案では、「諸条件の整備確立」という字句が無くなってしまっている点である。

  この結果、教育行政が、教育内容にまで介入してくることに道を開いてしまっているという問題がある。

日本国憲法に違反する「改正」案

  冒頭に述べたように、現行の教育基本法は、戦争放棄、主権在民、基本的人権の尊重、国際協調等を基調とした日本国憲法の内容を教育の力によって守り発展させていくための人材を育成するために制定された、いわば憲法付属法である。今日、様々な攻撃を受けてはいるが、その憲法が現存しているにもかかわらず、その精神を否定している今回の教育基本法「改正」案は、日本国憲法に違反するとともに日本国憲法の改悪につながるものといわねばならない。