ところが、その性教育への批判がここ数年激しくなっている。性教育を行ったことで処分を受ける教師まで実際に出ている。性教育を、「過激だ」として批判している代表格といえば、山谷えり子参議院議員だろう。彼女の性教育批判を「功績」として認め、内閣総理大臣補佐官に指名したのはいうまでもなく現総理大臣である。「男女共同参画社会基本法」が成立し人権教育としていっそうの充実が期待される性教育の、どこが「過激で危険」と批判者たちに目されたのか。「過激で危険」な要素は、性教育にではなく、批判者たちが敢えて突きつめようとしない事実にこそあるのではないか。エッセイでは、問いの答えを探しつつ、性教育を学校現場が取り戻すための方法についても考えたい。
批判された事実
2005年5月26日に自民党本部ホールで開かれた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム」で、山谷えり子ら「実態調査プロジェクトチーム」のメンバーが発言した。後述のように、かれらの批判は多くの場合、「性教育」と「ジェンダー・フリー教育」をセットにして行われる。性教育に関して山谷は、大阪府吹田市教育委員会が作った小学一、二年用教材と、10代の性病感染の増加に対して批判を展開している。前者については、「お父さんはペニスをお母さんのワギナにくっつけて、せいしが外に出ないようにしてとどけます」という教材の記述が、「微妙な年齢にある子どもの両親を見る目が変わってしまう」との理由でお気に召さなかったらしい。「そういう親の意見もあるかもね」と教師経験者としては拝聴しておくが、わざわざ「シンポジウム」で披露するような水準の批判ではない。性教育批判の根拠は、おおむねこの程度の主観に基づくものだ。
他方、後者の指摘は立ち止まって考える意味がある。山谷は厚労省の調べとして、19歳女子は13人に一人が性病に感染している、という数字をあげ、それが「欧米の5~10倍である」という。また「中高生の68%が見知らぬ人とのセックスも本人の自由だと答えている」との警察庁による調査結果を紹介したうえで、子どもの将来の生活設計と国家の未来が、これからの教育にかかっていると述べる。「10代の乱れた性」も「過激な性教育」の結果だといわんばかりの剣幕である。もし「13人に一人の性病感染」を「過激な性教育」のせいにしたいのなら、残念ながら、山谷があげた「国際比較」が彼女の論理を崩壊させている。なぜ日本で「欧米の5~10倍」もの感染者数を出したのか。それは欧米では、山谷のいう「過激な性教育」が小学生から徹底されているからだ。
性教育指導者の代表格である北沢杏子や村瀬幸浩らは、自身が主宰する性教育の会の機関誌(北沢『あなたとわたしと性』アーニ出版、村瀬『ヒューマン・セクシュアリティ』東山書房)や著書のなかで、早い時期から欧州の性教育事情を紹介してきた。1970年代前半、日本ではどういうわけか「フリー・セックス」の国と宣伝された北欧諸国の性教育は、一方では婚姻関係にのみ「認可される性」を否定しながら、他方では性暴力や買春、性感染などを防止するため、他者の性に対する配慮と責任をこどもたちにも厳しく求めている。
かつて生殖のみに限定され、その機能を国家権力が管理し、他方では男性だけが快楽として行使することを許された日本の性のあり方をふりかえった結果、北沢らの深い洞察が、先進国の性教育の紹介と日本の教育事情に合った実践方法の考案へと進ませていった。とりわけ北沢は、いち早く「ペニス・ワギナ」という生殖器をさすことばや、人形などを使った出産のメカニズムの解説を、戦後から続く「純潔教育」に代わる新しい性教育に導入した。それは、マスメディアや大人の性行動が垂れ流す性的偏見を浴びてしまう前に、こどもたちに「正確に知ること」からはじめさせたいという理念の実践でもあった。
批判されることのない事実
山谷の性教育批判に戻ろう。19歳女子の性病感染の深刻さを訴えることはまちがいではない。中高生が見知らぬ相手とのセックスを本人の自由だと思っていることを憂う気持ちも理解できる。ところが、諸悪の原因が「過激な性教育」や「ジェンダー・フリー教育」以外には考えられないかのような批判をするだけで、山谷はこれらの深刻な状況を作り出すより大きな社会的要因を、それ以上追求しようとはしない。10代の少女に性病を感染させるのは、中高生がセックスをしてもよいと思う「見知らぬ人」とは、そもそも若者だけなのか? みずからが示した事実や数字から当然出てくるはずの問いに彼女は答えない。それは山谷だけの傾向ではない。不思議なことに「過激な性教育」を批判する論者たちに共通する姿勢である。かれらのリーダーである現総理大臣も、もちろん例外ではない。
そもそも「性の乱れ」は若者の専売特許ではない。私たちの暮らすこの社会はきわめて性的に乱れた社会である。たとえば、少女の「性の乱れ」だけが騒がれる「援助交際」の実態は、大人の男性による少女買春にほかならない。また「フーゾク」と書けばどこか気軽な大人の遊び場のような印象すら与えるが、外国人女性が強制的に働かされている場である可能性が極めて高い。アジアの貧しい地域から、ことば巧みにだまし渡航させ売春させるブローカーが横行している。日本のメディアがほとんど伝えない「人身取引」の多さは先進国のなかでも特異的であり、すでに国際社会の批判を受けている(岡村、小笠原「日本における人身取引対策の現状と課題」、『調査と情報』四八五号、国立国会図書館、2005年、及び、NHK『クローズアップ現代』2006年8月21日放送、「人身取引はなくせるか」)。もちろんこの批判には、「人身取引」の要因としての「需要の大きさ」も対象になっている。
つまりこの社会は、ことほどさように「性を買うこと」が、大人の、とりわけ男性に広く容認されている社会なのだ。性教育批判を展開している山谷らは、まるで気づかないかのように、決してこの事実に怒りの矛先を向けることがない。
若者の「性の乱れ」を批判する際、もう一つ必ず引き合いに出されるのが「10代の妊娠中絶数の増加」である。たしかに10代の人工妊娠中絶件数は、2001年には4万6千件を超え、ここ10年間でおよそ35%増加している(『女性のデータブック』第四版、有斐閣、2001年)。ところが、人工妊娠中絶件数を年齢別構成の割合で見直すと、意外なことに気づく。10代は全体の13.6%、20~29歳の中絶件数はおよそ45%に対して、30代と40代前半の割合合計が40%強になることである(前掲書)。年々上昇傾向にあるとはいえ、日本の女性の平均初婚年齢は、2001年でも27.6歳であることを考えると(前掲書)、かなりの数の既婚女性が中絶を経験していることになる。
大学で性教育について講義をする機会があるのだが、そのたびに、女子学生の身体への無知さには驚かされる。100人ちかくの女子学生に排卵という現象について簡単な説明を求めても、せいぜい3、4人程度しか正しく答えることができない。いわんや男子学生をや、である。男女とも妊娠のメカニズムを理解できていないことが、避妊への関心や注意にかれらを向かわせにくい状況をつくっている。そしてそのことも、若者だけの傾向ではないのだ。社会的経験を積んだ、しかも生活をともにしている可能性の高い年齢の男女が、「このセックスで妊娠してもいいのか、したくないのならどうするか」を話しあわない状況の方が、「10代の性の乱れ」よりよほど深刻で哀しい実態ではないのか。それとも、このような男女の関係のあり方も、「守りたい日本の伝統」だというのだろうか。
フェミニズムという理論的支柱
少女を買うのは誰か?「人身取引」に加担しているのは誰か? 妊娠や避妊の知識のないのは誰か? このような問いを発して「国家の未来」を救おうと本気で取り組むのならば、性教育批判者たちは、かれらが憎悪するフェミニズムや、その思想に多くを学んだ現在の「過激な性教育」および「ジェンダー・フリー教育」に賛同しなくてはならないはずだ。そうしないでも済むように、かれらは時に支離滅裂な理屈を用いて、男女平等をめざす教育の一つの呼び名に過ぎない「ジェンダー・フリー教育」を標的に、その豊かな中身を故意にねじ曲げ貶めることに躍起になっている。先述の、「過激な性教育」批判が多くの場合「ジェンダー・フリー教育」批判と抱き合わせで行われている理由は、ここにある。
批判者たちのいう「ジェンダー・フリー教育」の源流は、1970年代半ば頃から女教師たちが展開した議論である。日教組婦人部(当時)が問題意識を反映させた季刊誌、『女子教育もんだい』の創刊時1977年から90年代はじめ頃までの内容を読み返すと、彼女らの理念や実践を支えたものの変遷を追うことができる(季刊『女子教育もんだい』、労働教育センター)。60年代おわり、女教師たちは、みずからが女子生徒にとっての生きた見本になっていないことに苦悩していた。育児休業も制度化されていなかった共働きの女教師たちの多くが、家事・育児・介護をこなしつつ日々の授業に取り組んでいた。彼女らは、とくに戦後「民主化」された新制共学高等学校で学ぶ女子生徒に、職業を持つことでみずからの後に続いてほしいと願っていた。ところが女子生徒らは、仕事を続けるために髪の毛を振り乱して苦闘する女教師たちに、追随すべき生き方のモデルを見出せなかった。
女教師たちは、まずは労働環境の改善から着手した。一方では産休・育休の制度化を粘り強く働きかけながら、他方では、女子生徒がみずからの将来設計を主体的に組み立てられるよう、カリキュラムのなかでも積極的に援助することの重要性を訴えはじめた。家庭科の男女共修の授業実践だけでなく、女性の人生設計を主体的に考えさせる必要から、性教育の充実も重要な課題となった。妊娠・出産を女性の人生の一コマに計画的に位置づけるためには、当然のことながらそれらに対する知識を深める必要がある。妊娠時期をコントロールするためには避妊の知識も教えねばならない。
1980年代半ば当時大学院生だった筆者が、「女性論」の講義に招かれた産婦人科医師、河野美代子、性教育実践者、北沢杏子の話に圧倒されたのは、妊娠・出産の可能性を持つゆえに、男性よりあえて女性の性を大切にしたいという両者共通の強い思いに触れたからだ。どうすれば女性が望まない妊娠を避けることができるか、どうすれば女性が主体的に人生設計できるかを考えたとき、性教育の理念や実践が、1960年代末から欧米で興隆したフェミニズムに学んだのは当然だった。その後の性教育、つまり山谷らが批判対象とする「過激な性教育」は、フェミニズムの深化に伴って、避妊薬の臨床実験をめぐる「南北問題」や、性同一性障害の認知、男性の心身をも蝕む現代の就労のあり方など、さまざまな性(セクシュアリティ)をめぐる問題を提起することで、児童・生徒により深い思考を求めている。
性教育を取り戻すために
このような性教育とその土台になったフェミニズムの理念を、批判者たちにどう説明しようとも無駄である。かれらの目的が性教育とフェミニズムの全否定である以上、どのような理論も故意に曲解される。甲斐のない努力はこの際なるべく避けたい。かといって、かれらが性教育へのフェミニズムの影響をやり玉にあげても、そのことを否定したりぼやかしたりするつもりは少なくとも筆者には毛頭ない。むしろ、性教育はその土台となったフェミニズムについて、これまで以上により積極的にわかりやすく学習者に説明する必要があると強く感じる。実際、北沢や村瀬はその作業を続けながら、そのうえで、誰もが取り組める授業実践案を示してきた。ところが残念なことに、努力なしに誰もが北沢や村瀬になれるわけではないという簡単なことが、近頃忘れられているように思えてならない。
教育現場には、教育行政機関からトップダウン式にさまざまな「教育研究課題」が下りてくる。体面を気にする一部の管理職はそれらを消化することにかかりきりで、教師が日常必要とする授業実践や研究活動を支援する余裕を失っている。そのような状況で付け焼刃的な人権教育を行えば、たとえ性教育でなくとも批判者たちの格好の標的になりかねない。その一方で、長く性教育の実践に取り組んできた教師は多い。かれらを孤立させることなく、かれらから学び、また外部の指導者や保護者を交えての意見交換ができれば、バッシングに翻弄されないだけの共通理解が深まることは間違いない。教師個々人の努力に頼るだけでなく、管理職、教育行政機関、教職員組合、あるいは筆者も含めた教育関係者のこれまで以上の支援が、性教育を現場に取り戻すために、今最も必要とされている。