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部落の拠点
隣保館。解放会館。文化センター等々。名称は様々だが、今、これらが大きく変わろうとしている。それを大阪を中心に見てみよう。
大阪で初めて隣保館が設置されたのは一九二八年の浪速市民館である。当初は社会福祉事業法にいう隣保館事業として、いわば"救貧対策"が主であったが、戦後、特に「同対審答申」以降、部落解放運動の発展によって、部落問題の解決に向けた拠点施設として、積極的に会館活動が展開されてきた。現在、大阪には四七の解放会館がある。大阪では一、二を除いて名称は解放会館であるが、全国的にみると、隣保館三六・一%、文化会館・文化センター一一・一%、解放会館九・四%、福祉館・福祉センター六・六%、総合会館・総合センター四・三%、このほか地区名と会館を組み合わせたものが三二・五%となっている。解放会館という名称は全国的にみれば少ないわけだが、大阪ではこれがほとんどを占めている。
名称は異なっても、中心的な目的は部落差別をなくしていく拠点としての役割である。これらの館をつなぐ組織として全隣協(全国隣保館連絡協議会)があり、大阪では大阪府解放会館連絡協議会がある。全隣協では数年前から「新しい館活動像」を求めて協議を重ねてきた。全国各地でも同様の検討が行われているが、大阪では今年八月、部落解放同盟大阪府連が運動体の立場から「今後の解放会館のあり方に対する見解」をまとめた。この見解を柱に、大阪における館活動の歴史をごくかいつまんで振り返ってみる。
果たしてきた役割
先にふれたように一九二八年に大阪で初めて隣保館が開設された。一九七〇年に「大阪市同和地区解放会館条例」が制定され、それまでの「隣保館」「市民館」という名称が、わが国で初めて「解放会館」という名称に改められた。この条例の目的の項では「館は基本的人権尊重の精神に基づき、同和地区住民の社会的、経済的向上を図り、同和問題のすみやかな解決に資することを目的とする」とうたっている。部落問題解決のための中心的な公の施設の誕生でもあった。同和行政の総合的窓口としての機能を果たしてきた。解放会館の事業は、労働、教育、生活等の実態調査、生活相談、保健衛生、社会福祉等の生活対策、産業・労働対策、教育、啓発等々広範囲に及んでいる。
? この解放会館が果たしてきた大きな成果として大阪府連の「見解」は次の三つをあげている。第一は解放会館という名称は「寝た子を起こすな」という考えが強かった部落でも「隠すことができない」という衝撃的なものとなり、それなら「堂々と名のり、差別を許さない拠点に」と、部落住民の被差別当事者としての運動発展に寄与していったことである。第二は「読み書きが不自由」な人が少なくない部落住民にとって、また交通の便が悪い部落の人たちにとって、解放会館は「より身近で親切な行政施設」として大きな役割を果たしてきた。第三には、教育、福祉、労働、文化等生活全盤にわたる総合行政としての同和行政が展開されてきたこと。住民に密着した行政サービスを行う拠点として機能してきた。
求められる変化
しかし、時代は移り、社会は大きく動いている。解放会館もまたそれに対応した役割が求められている。それは時代の、社会の、そして何よりも部落解放運動の側からの要請である。
大阪府連は今年四月の第四五回大会で「第三期部落解放運動論」を提起した(本誌六月号に骨子)。内容は多岐に渡っているが、柱となる考え方は「補償から建設へ」という点である。これまでは差別の結果に対する「補償」、格差是正に大きな成果を上げてきたが、同時に限界や問題点も浮かびあがってきた。住宅や仕事、教育等々、部落が抱える問題は決して部落特有の問題ではない。日本社会全体に存在する問題でもある。それが部落においてはより厳しい形で現れている。社会の矛盾がより深刻に、集中的に表れているというのが部落差別の現実である。
「第三期論」は「補償」の段階をのりこえ、差別の真の原因をなくする、人権が確立された民主社会のなかに部落解放を展望するとしている。部落差別からの解放とは、被差別・加差別の双方が差別のくびきから解放されることにある。これを実現する社会の建設、社会構造そのものの変革を追求していかなければならないという視点、これが「第三期論」の大きな柱となっている。
そうした考え方は当然、解放会館についても変化を迫るものとなってくる。解放運動は同和対策を実施するために設けられた行政の地区指定という範囲を越え、その校区全体、自治体全体へと、より広いフィールドでの運動を追求していくことが求められている。そうした中にあって解放会館が部落住民だけを対象とした施設にとどまっているというわけにはいかない。これまでも大阪では会館を広く一般開放してきた。今後はそれをさらに押し進めていこう、より広く、よりオープンにしていこうというのである。
こうした運動論とともに、行政の側からも提起が行われた。昨年九月、厚生省事務次官の「隣保館の設置及び運営について」という通達が自治体首長あてに出された。そこで隣保館は「福祉の向上や人権啓発の拠点となる地域に密着した福祉センター(コミュニティーセンター)として」という文言が新しく入っている。そして「人権・同和問題の速やかな解決に資すること」を目的としてうたっており、館の果たすべき"守備範囲を拡大。また従来は差別の結果による生活実態の救済面を主要課題としてきたが、通達では「生活自立支援」を明確に打ち出している。「自立支援を基本とすること」が明記されているのである。
人権行政の拠点に
以上のような点をふまえ、大阪府連は「今後のあり方」の見解のなかで、次のように述べている。一言で言えば解放会館を人権行政の拠点施設にしていく必要があることを強調している。言い換えれば、解放会館や隣保館など部落内の公共行政施設が、部落住民だけを対象とする時代ではなくなった、人権行政全般に対応する出先機関として位置付けるということだ。あらゆる問題を人権の視点からとらえ、それに対応する行政機能をもつ施設にしていくこと、いわゆる「人権センター」となるように改革していくこと、そして広く市民を利用の対象者とするということである。
さらに見解では次のように指摘している。同和行政が今後、人権行政の核となるためにも、人権行政の最も効果的な施設として、また人権全般にかかわる施設として改革していかなければならない。解放会館という名称にこだわることなく、解放会館条例の改正、名称の変更等を運動の側から大胆に、積極的に提起していく必要がある。
改革は避けて通れぬ道
「人権センター」としていくために幾つかの提案も行っている。その第一は「まちづくり」。これまでの部落だけに限った環境改善から、校区や行政区全体を対象にした「まちづくり」を追求していかなければならない段階を迎えており、多くの市民による「人権のまち」をつくっていくために、住民が交流し、力を合わせていく場としての「人権センター」づくりが重要となっている。
第二は「自立」という視点。様ざまな相談に対し、適切な一般対策を可能な限り追求し、一人ひとりの自己実現をサポートできる機能を人権センターが持つこと。自立就労支援事業の確立を図る拠点としての人権センターという位置付けである。
第三は「人権」という視点。周辺の人たちとともに、「人権の視点による新しいコミュニティの創造」の拠点となりうる人権センターに発展させていかなければならないと強調している。
大阪府解放会館連絡協議会の北場好信事務局次長は「端的に言えば、解放会館をこれまで以上に開かれたものにしていくこと、そして部落問題だけでなく人権全般に対応する会館にしていくということになると思います」と話す。
解放会館は大阪において部落解放運動のシンボル的存在であったし、今後もそうであろう。しかし、これからは人権行政の拠点としての機能が求められている。全国の隣保館や文化センター等も同様で、全隣協もそうした方向を目ざしている。部落問題の解決を真に国民的課題とするために、解放会館の改革は避けて通れない道である。