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human Rights139号掲載
連載・部落解放運動は今
辻 暉夫(つじ・あきお 解放新聞大阪支局)

新しい風42

水俣・おおさか展開催に奮闘

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今、原点に立ち戻るとき

 敗戦から五四年。今年の夏は後世の人から「戦後日本のターニングポイントになった夏」と評されるだろう。国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正案がいずれも成立したからだ。先の日米ガイドラインと合わせ、日本が危険な方向に向かっていると思わざるをえない。それを一言で言えば"新国家主義への道"である。個人の自由や人権よりも、国の都合や利益を優先させる考え方である。その行きつく先は軍国主義、いつか来た道だ。

 反戦・反核・平和の原点ともいうべきヒロシマ、ナガサキの風化が指摘されている。こんな時代だからこそ、ヒロシマ、ナガサキをしっかりと胸に刻まなければなるまい。あのミナマタもそうである。環境破壊が進行するなか、果たしてこの宇宙船地球号は生き残れるのか。ミナマタは世界に問いつづけてきた。反公害の原点である。

共通する差別意識

 「水俣・おおさか展」が九月四日から一九日まで大阪市南港でひらかれた。開催のきっかけをつくったのは、部落解放同盟大阪府連である。

 一九九六年九月。東京で「水俣展」がひらかれた。主催者は水俣フォーラム。この東京展の代表委員の一人で、東洋大学の内田雄造教授が、大阪展開催を大阪府連に打診してきたのである。内田教授は部落のまちづくりについて提言をつづけてきた人で、大阪府連とも親しい。大阪府連は水俣展開催の意義を重く受けとめた。そして自治労大阪府本部、大阪教組と協議を積み重ね、連合大阪の賛同を得て、開催にこぎつけたのである。

 大阪府連は昨年から学習会や水俣の現地の患者からの聞きとり、水俣病関西訴訟の原告の人たちと意見交換を行ってきた。そのなかで、水俣の問題は部落解放運動にとっても大きな意味をもっていることがはっきりしてきた。大阪においても、水俣出身者が「水俣出身」と言いにくい社会の偏見と根強い差別意識が存在する。それは胸を張って「ふるさと」を語れなかった部落出身者の生いたちと重なりあうものだ。水俣出身であるがゆえに、結婚差別を受けた青年の苦悩は、部落出身であるがゆえに結婚差別をうけてきたそれと何ら変わるものではない。また胎児性患者に対して、奇病とか伝染病とかいって、偏見と差別意識を助長させてきた。水俣病を公害であるとして訴える人たちを「騒いで金にしようとしている」とまで口にする者もいた。公害がもたらせた被害者の病苦、それに追い討ちをかけた偏見と差別意識。部落解放運動だからこそ、すべての人たちの人権確立という観点から、この水俣展にとりくんだといえる。

記憶に残る"証言"

 大阪府連の担当者らは現地での聞きとりや関西訴訟の原告の人たちと意見交換してきた。そのなかで今も鮮明に記憶に残っている"証言"が数多くある。

 「水俣病の原因がはっきりしていなかったころ、伝染病とか奇病とかいわれ、栄養をもっととる方がよいと以前にもまして有機水銀に汚染された魚を食べた」「一番の苦しみは上の娘が二歳で発病し、三歳で亡くなったこと」「語り部として水俣病事件を話しているが、いまだに自宅周辺では患者であることを隠しているので、不特定多数の前では語れない」(関西在住の患者)等々。まさに差別の残酷さと厳しさを実感させられた発言だったという。

利益優先の社会を問う?

 「水俣・おおさか展」は水俣病の原因、患者らの闘い、水銀ヘドロなどを説明するとともに、写真、美術作品、語り部による証言、ビデオなど盛りだくさんの内容。シンポジウム「薬害エイズと水俣病」などもひらかれたほか、水俣物産展、水俣ブックフェアなども。水俣病がつきつけた問題は決して過去のことでなく、今日もなお私たちに鋭く問いかけている。おおさか展開催にあたって、水俣フォーラム事務局の実川悠太事務局長は次のように指摘している。

 「水俣病事件が終わったといえないのは、和解内容や残された裁判の評価を語る前に、重要な二つの問題を残しているからだ。第一は被害者に病苦以上の苦痛をもたらしてきた差別と排除が今だになくなっていないということがある。"うつる"といわれたり、結婚やつき合いを拒否されたりするため、水俣病であることを隠している患者が数多くいる。第二は水俣病を引き起こした根本的、構造的な原因が改められていないという点。直接的な原因は有機水銀の排出だったが、もっと根本的な原因は、多少の犠牲をだしても豊かさと利益を優先させるという行政と企業の姿勢だった。当時の行政や企業の姿勢は、今日のエイズやダイオキシン、環境ホルモンの問題を考えるとき、本質的に改められていないといわざるをえない。さらにその思想は利便性や経済性を無意識に判断基準としている私たちの暮らしのなかにもある」。

 おおさか展の成功に向けて、大阪府連は積極的に取り組んだ。ポスターやチラシを配布、各地区の掲示板にはりだされた。また各学校にも大阪教組、大阪府同和教育研究協議会、大阪市同和教育研究協議会などを通して配布された。また行政にも働きかけ、ポスター掲示を徹底した。各支部ではそれがきちんと行われているか、点検してまわった。また支部ごとに入場チケットを購入。子ども会、高校生大学生、青年部、女性部など階層別に、おおさか展見学を研修の一環と位置づけるなどきめ細かい取り組みを展開した。さらに組織外に対しても、人権研修として取り組むよう訴えてきた。入場者がどれだけあったかは、残念ながら本稿の締め切りまでにはわからないので、省略させていただく。水俣・おおさか展の開催は、部落解放運動にとっても有意義だったことは確かである。