長年の間サーヒズ利用者にとって制度上権利性を認めない、「くびき」としての「措置制度」は、高齢者福祉の世界では、その大部分が契約制を機軸とする介護保険方式に移行した。「措置」の世界では、すべて提供側にお任せだった。つまりこれまではサービス事業者と行政との契約関係であったものが、サービス事業者と個別利用者との契約関係に移る。
しかし「契約」はそれを交わした双方を縛るものだ。標準的な「これだけは生活水準として不可欠」というレベルのサービスもあれば、その時その時の状況に応じて臨機応変に対応して欲しい、提供側と利用者の交渉の余地のある自由裁量の部分もあるだろう。財源的な制約の中でそのバランスをとるにはどうすればよいのか。
このような個別のニーズのバランスを行政がすべてとりしきることは、熱意の問題ではなく、行政の権限になじまない。例えば提供側の善意であっても、一人ひとりの利用者側の要望とのギャップは、提供者側、利用者側が横ならびで、いわば市民間の利害調整を自分たちでしきる、という自治の発想でなければ解決できないのではないか。
利用する施設を次つぎと望みのものに変えるということが、現実には容易でないとしたら、サービス提供側と利用者側は、長期間かつ日々顔を合わせる関係ー閉鎖空間の中に置かれるから、互いの善意や積極性を損なわない調整が必要となるからだ。つまり当事者間の関係性を、そう簡単には壊すわけにはいかないということが前提となる。ここにどうしても「市民自治」の発想が求められる。
「お上の裁き」「行政の監督」では解決できない世界のページが、介護保険によって開かれようとしている。その先端的な試みがNPO「介護保険市民オンブズマン機構大阪」である。