三重県学力・生活実態調査の意義
『三重県高等学校学力・生活実態調査』は部落生徒の教育問題に関する調査の中でも、数少ない高校生を対象とするものであり、その意味で極めて貴重なデータである。また、従来の高校生調査ではなされなかった、生徒意識・保護者意識・成績と進路の三つの領域を同時に調査するものであり、部落問題にとどまらず高校教育全般にわたって貴重なデータを提供するものである。
この調査は「高等学校の同和地区生徒の生活及び学習の状況、保護者の教育に対する関心や態度を把握することにより、生徒の学力を向上させている要因や学力の向上を阻害している要因を明らかにし、その実態が示す成果と課題にそくして今後の同和教育の取り組みを進めると同時に、広く高校教育改革についても視野に入れた、高等学校における教育課題を明らかにする」(『高等学校学力・生活実態調査実施要項』より)ことを目的として行われた。
一九九五年六月に、学識経験者二名(大阪市立大学 桂正孝、同 鍋島祥郎)と教員・地域関係者一五名によって調査委員会が組織され、調査の計画・実施・分析が行われた。
調査対象は、一九九五年度全日制高校在籍三年次生二二、七二一名からおおむね二〇分の一にあたる一一八四名を抽出し、さらに全日制高校在籍同和地区生徒三年次生についてはそのすべてを把握することを目標とし、三八七名をリストアップした。
調査票は、生徒調査票、保護者調査票、担任が記入する学校調査票の三つから構成され、各学校において配布・回収した。一九九五年一二月に生徒および保護者に対する意識調査、一九九六年三月に成績と進路に関する調査(学校調査)が実施された。有効票数は全県抽出分が一〇九五(有効回収率九二・五%)、同和地区生徒は三三三(有効回収率八六・〇%)であった。
なお、調査の手続きや方法について詳しくはこの調査の報告書『ハイスクール白書三重』(1)で報告しているので、そちらも参照されたい。
この間に膨大な数の教職員、生徒・保護者の協力を得たわけであり、あらためてここに感謝の意を表したい。
進路構造に見る社会階層の問題
それではまず、三重県の高校生の進路が、教育平等という観点、より正確には、社会階層の観点からどのような構造を有しているのかについて見てみよう。図1は、それを示したものである。
この調査ではプライバシーへの配慮から、家庭がどのような階層に属するかについては限られた情報しか得られなかったので、保護者の学歴を家庭の階層を示す指標として使用している。図1の左端は、三重県の高校生の父親たちの学歴構成を見ている。六割弱の高卒層をはさんで、中卒、大卒が約二割というのが現状である。
父親の学歴は、生徒の進路に劇的な影響をおよぼしている(2)。
まず高校への進学段階での階層の影響について見てみよう。専門学科(その大多数が工業科などの職業高校)への進学率は、父中卒生徒では四〇%弱に達するが、父大卒では一五%弱に過ぎない。他方、進学普通科(短大・大学進学率が九〇%以上の高校、いわゆる進学校)への進学率は父中卒生徒で二〇%弱だが、父大卒生徒では六五%に達する。高校進学は、家庭の階層が露骨に表面化する時でもあることがよくわかる。
高校卒業後の進路選択時においても、家庭の階層は生徒たちの進路に影響をおよぼす。例えば、同じ進学普通科を卒業しても、父中卒生徒の四年制大学への進学率は六〇・六%であるが、父大卒生徒では六八・四%となる。高校進学時の階層差よりははるかに小さいが、高校卒業時にも階層差が生じている。
結果的に、図1の右端に示したように、高卒後の進路においては、父中卒生徒の就職率は五〇%にも達するが、父大卒生徒では一〇%未満である。他方、四年制大学への進学率は父中卒生徒では二〇%未満であるが、父大卒生徒では五〇%に達するのである。このような高卒後の進路格差は、高校入学時における階層差の影響を強く受けており、その背後に中学卒業時点の階層による学力格差があることは推測に難くない。むろん、階層によって選別された生徒たちを受けとった高校側の努力によってこれを埋めることも論理的には不可能ではないが、現状ではさらに階層差を広げて高校から送りだしているのである。
いずれにせよ、このような進路構造は、日本の教育制度が学歴世襲の構造を有していることを裏付けている。日本はただの学歴社会ではなく、閉ざされた学歴社会であるといえよう。すべての子どもたちに学歴を獲得するチャンスが等しく開かれている状態にすることを、教育運動としても、また行政政策としても目標として掲げるべきなのではなかろうか。それとも、学歴獲得における平等性を課題とすることは、やはり「能力主義」への迎合なのであろうか。
この問題は、社会の平等性に関する哲学や倫理の問題としては、誰しも逡巡するところである。だが、一方では学歴における平等の追究が排他的な学歴主義に陥らないように、他方では教育達成における平等・開放性の確保が情緒的な能力主義批判のもとに捨て去られないように、現実的な「落としどころ」があるのではないだろうか。それを模索する政策研究・施策立案の努力が必要であろう。
部落生徒の進路の特徴
図2に、部落生徒の進路構造を示している。県全体では就職率が三〇%程度であるのに対し、部落生徒の場合は五〇%弱に達する。他方、四年制大学への進学率は県全体では三〇%強にも達するが、部落生徒では二〇%に満たない。著しく達成水準は低い。その原因は何か。
まずは階層的要因を指摘しておかねばならない。部落生徒の父親の学歴構成は著しく中卒に偏り、大卒がほとんどいない。部落生徒の間でも階層差が大きく、階層的要因が部落生徒の進路におよぼす影響は大きい。とくに、大学進学率の低さに対して、父大卒層が部落では著しく少ないことの影響は大きい(3)。
だが、階層的要因では説明がつかない問題が部落生徒の場合には隠されている。
図3は、父中卒層のみを取り出した部落内外の進路比較である。この層では部落生徒の大学進学率が五ポイントほど低いのが気にかかるが、部落内外の進路格差は小さい(4)。しかし、図4に見るように、父高卒層のみを取り出して部落内外の進路を比較した場合、就職率が部落外生徒では二六・三%に対し部落生徒四五・三%と著しく高く、短大・大学進学率が部落外で四六・八%に対し、部落生徒では二八・三%と著しく低い。部落と部落外では同じ高卒という学歴であっても雇用上の差別によって就労上の地位や所得が低いということであれば、同一階層間の比較とはいえないかもしれない。だが、同じ階層を比較しているとすれば、この差は部落に特有の要因と考えられる。雇用上の差別があるかどうかは、この調査の範囲ではわからない。あるとすれば大変な問題である。ひとまずこれは部落に特有の教育上の要因が背後にあると考え、分析を進める。
階層要因の効果と部落特有の要因の比重
階層か身分かという問題は水平社の創立以来長らく争われてきたテーマである。部落生徒の教育達成もこのテーマともちろん無縁ではない。データが示すところは、ひとくちにいえば「階層も身分も」ということである。
ところで、地域を対象とした調査で把握された教育達成上の問題に関わっての「身分」とは、もちろん身分制度のことではない。身分制度を端緒として生成された部落に特有の物的・文化的諸条件のことである。社会階層に基づく物的・文化的諸条件と、部落に特有の物的・文化的諸条件によって、部落生徒の教育達成は規定されていると考えることができる。では、それぞれどのような比重を有しているのであろうか。
この問いへの答えは、いろいろありうる。
すでに見たように、部落の父中卒生徒の進路は、部落外の同一階層とほぼ同じであったので、階層的要因が一〇〇%であると考えることもできる(注4参照)。逆に父高卒層では部落の就職率が部落外の二倍程度もあり、高等教育進学率が半分程度であったので、階層要因五〇%、身分要因五〇%と考えることもできる。
県全体の進路の散らばりに対して、父学歴と部落出身であるかないかがどれくらいの効果を有しているかを重回帰分析という方法で算出すると、父学歴の効果は一〇・六%、部落出身であるかないかの効果は〇・四%とはじき出された(5)。これらの数値は小さくはない。本来本人の個性や努力で占められているはずの進路が、父学歴や部落出身という生得的属性によってこれだけ占められているのは、驚くべきことである。また、部落出身生徒は全生徒の一・五%に過ぎないにも関わらず、部落出身であるかないかが〇・四%もの効果を全体の進路のちらばりに持っているのは、極めて大きい。部落出身生徒の進路のちらばりに対しては、単純に計算すると〇・四%÷一・五%=二六・七%という数値になる。部落生徒の進路は、その四分の一にあたる部分が「身分」の効果であるともいえる。
さらにパス解析という方法で検討してみよう。この方法では本当は父学歴の効果であるが、部落生徒の父親の学歴が偏っていることによってあたかも部落出身であるかないかの効果であるように見える部分(部落出身であるかないかが父学歴を迂回して進路におよぼす間接的効果)と、部落出身であるかないかが進路におよぼす直接的効果とを「パス計数」として算出することができる(図5参照)。間接的効果のパス計数は〇・〇二、直接的効果のパス計数は〇・〇三であり、直接的効果の方が大きい。部落内外の格差に対する階層要因と身分要因の比重は階層四〇%に対し身分六〇%ということである。
苅谷剛彦が一九八五年の『大阪府学力総合実態調査』のデータを用いて、同じパス解析で階層か身分かの検討をしている(6)。これによれば階層が五五%で、身分が四五%と算出されている。いずれにせよ、部落の子どもたちの進路にとって、両者の影響力は拮抗している。
調査の方法や時期が違えば容易に動く数値なので、厳密に階層と身分の比重を確定することはできないし、またそのようなことをしてもあまり意味があるとも思えない。重要なことは、部落の子どもたちの進路にとってどちらの要因も解決しなければならないものであるということである。
今や部落問題はなくなったとして身分的な要因を無視することはできないし、また、部落の子どもたちの実態にのみ実践的な努力をむけて階層問題を二の次にすることは、前出の苅谷が「解放教育のダブルスタンダード」として批判するとおり、同和教育・解放教育あるいは人権教育の名の元に階層問題を隠蔽することになりかねない。
なお、この論文を読まれた保護者の方には、階層要因や身分要因はあくまでも部落内外の格差に対しての話しであり、実際のお子さんの学力や進路においては、本人と家庭の努力が大きな比重を占めているということを強調しておきたい。社会には不平等がある。不平等解決のために大きな努力が払われなければならない。しかし、目前の子どもの進路は、あなたの手に委ねられているのである。
(注)
1. 大阪市立大学人権問題研究センター、二〇〇〇年発行。
2. 母親の学歴でも同じ結果となるが、母親の学歴階層より父親の学歴階層の方が分散が大きいので、よりわかりやすくするために父学歴を採用している。
3. 父大卒層が少ないのは、一つには大卒層の部落からの流出が原因である。この調査は属地的な調査であるので、部落外在住の人びとを加えると、進路格差は縮まる可能性が高い。ただし、これは「部落民」の定義に関わる問題でもあり、部落問題をあくまでも属地的な問題と考えるならば、特定の地域に進路問題が集中的に現れることは、依然として重大な部落問題ととらえなければならない。
4. この部落内外の父中卒層の進路の共通性は、異なる要因が重なって見かけ上は同じになっている可能性があることに注意する必要がある。実際、『ハイスクール白書三重』において分析しているが、同じ父中卒層であっても部落内外で生徒や保護者の進路と密接に関連する意識や生活が異なっている点が多々見られる。
5. 地区外生徒を二〇倍に重み付けし、進路に対する父学歴と部落出身であるかないか決定係数を算出。決定係数は進路に対する父学歴〇・一〇六、部落出身の当否が〇・〇〇四。いずれも有意水準は一%未満である。
6. 苅谷剛彦「教育における不平等と〈差別〉」『シリーズ解放教育の争点?A解放教育のアイデンティティ』明治図書、一九九七年、一四二頁。