本号では、舳松村の堺市編入反対運動のなかでも第二期の編入反対運動を中心に考察する。
第一期の編入反対運動によって、合併が六カ月延期されたので、一九二五年四月、舳松村でも村会議員選挙が実施された。編入反対派は組織的に行動し、南方から反対派の者を村会議員に選出した。
その後行われた村長選挙においても、反対派の坂本権一郎を選び、反対派主導のもとに村政を推進することになった。だが、北方から選ばれた村会議員は編入賛成派であったから、改選後の村会では両派の対立がつづき、合併にむけて新希望条件を作成することも、また、それを堺市に認めさせることも容易ではなかった。そこで反対派は、再び村民大会を開いたり内務省に陳情するなど反対運動を繰りひろげたが、浅田義治の調停で、運動を終結させたことを明らかにする。最後に、反対運動全体を総括する。