水平社支部のなかには融和運動との関係を保ちながら運動を進めたところもあることが明らかにされているが、香川県水平社もその一つである。
香川では、1932年に『四国同胞新聞』が水平社幹部によって発行されたが、幹部とともに県社会課職員や融和団体の讃岐昭和会関係者らが名を連ねていた。
内容は、「仏教融和」色が強く、また、戦時色が強まるなか、全国水平社に先行して国民一体論的な主張を展開した。
新聞発行の理由は行き詰まる運動資金の確保にあったととらえられるが、その運動路線の転換は、翌年に起こる高松結婚差別裁判闘争において内部の確執を生み、主要な幹部は水平社を去ることとなった。
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