中世では「穢」を「清目」る(掃除する)ことがさかんに行われたが、その実行者でもある「清目之輩」に関する史料は意外に少ない。大阪府域に地域を限定すると、管見では『勘仲記』の弘安七(一二八四)年九月二一条の記事が初見である。
同様の事例は大阪・京都の境目に位置する石清水八幡宮の文書中にも散見する。この「清目之輩」に対する世間の視線は少なくとも鎌倉時代中頃には差別的であったようだ。
大阪市の住吉神社近傍に位置する被差別部落は、『勘仲記』にみえる「清目之輩」の系譜をひくものと推断でき、被差別部落の中世から近世への連続性を示唆する数少ない一事例である。
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