今日の部落差別の現状はどうなているのか。社会構造の中でどのように位置づけられて存在し、再生産されているのか。同和対策の一般対策への移行を反動勢力が画策し、その根拠として部落の現象的な変化を持ち出しているとき、部落差別の現状を明らかにすることは極めて重要である。
このドキュメントは、事実の羅列ではなく、その背景にある社会の構造にまで迫り、今日の差別の現実をん明らかにしている。現象的な変化に幻惑されている人びとにとって、改めて部落とは何か、なぜ今日も部落差別が存在しているのか深く考えさせてくれる。
部落差別は差別が人を深く傷つけ、時には人の生命をも奪うという意味で深刻である。この作品は、主として後者の面から描いており、新鮮な視点を持ったものだといえる。
部落解放基本法制定運動の中で、なぜ部落差別を根本的に解決するための法的措置が必要なのかを、改めて考えさせてくれる作品となっており、是非とも上映活動を実施していただきたい。
<軍隊と被差別部落−広島市呉市−>
広島県呉市は1886年軍港となってから、軍隊と共に歩んできた街である。
呉市内には、明治以降に造られた被差別部落がある。この地域の形成は、海軍への牛肉の納入を見込んでと場作られたことに始まる。仕事を求めて県内の部落の人が集まり、そこへ行政が墓地、火葬場、刑務所などを作ることによって、差別意識が醸成されて行った。
1970年代の初め、地域の人びとは解放運動に立ち上がった。墓地を除いて他の施設はすべて撤去された。しかし、仕事保障がなされなかったために、生活保護所帯が急増し、新たな問題を抱えることになる。
<石炭産業と労働者−福岡県田川郡川崎町−>
石炭産業は戦前戦後を通じて、日本の主要なエネルギー産業であった。
筑豊はかつて全国の石炭の50%を産出し、1959年には12万5000人が働いていた。そして、中小炭鉱の労働者の8割が被差別部落出身者であったと言われている。
1950年代末のエネルギー政策の転換の結果、川崎町では大量の失業者が発生し、その多くが仕事を求めて県外に流出するか、生活保護に頼らざるを得なくなった。かつての石炭労働者の高齢化はすすみ、被差別部落の場合には、とくに年金がないため失業対策事業が主たる仕事になっている。川崎町は過疎化が進む中で、企業誘致など活性化の道を模索している。
<自動車産業と解体業−京都府八幡市−>
1960年代以降の日本の高度経済成長の推進力になったのは自動車産業である。1955年には年間生産7万台足らずだったものが、10年度には180万台を突破している。その自動車産業の中でも、また被差別部落の人びとは割の合わない仕事を担うことになる。
京都府八幡市には自動車解体を仕事とする被差別部落がある。廃車を買い、解体し屑鉄やパーツとして売る。しかし自動車生産台数の増加と屑鉄の値下がりで解体する自動車は急増、処理に困った廃タイヤを野焼きした。その煙が公害となり、周辺住民と対立する原因になる。解放運動の中で無煙焼却炉を建設するが故障、再び廃タイヤは山積みに。労働条件は悪く、人手不足と後継者難で前途は厳しい。
<答申と放置された部落− 新潟県神林村−>
全国の被差別部落のうち、およそ1000の部落が対策もなされずに放置されている。新潟県神林村にもそのような地域がある。人びとは身分制度によって川の傍に住むことを強制され、「渡し」の仕事をして暮らしていた。水害で多くの人の命を失い、堤防を作るためにわずかにあった田畑も手放した。その結果、土木工事などで旅稼ぎで生活することを余儀なくされている。地域には、お年寄りと子どもたちだけが残された。
<周辺地域住民の意識−大阪府羽曳野市>
解放運動の結果、差別は見難くなっているが、より陰湿化している。
被差別部落を校区に含む羽曳野中学校では、年々生徒数が減少し、来年度には200人台になる。空き教室が増え、19のクラブが廃部になった。一方、隣接の中学校は生徒数が1000人を超えるマンモス校になりつつある。羽曳野中では校区の再編を要望したが周辺地域の住民から反対の署名運動ヶ起こった。地元不動産業者はこの背景に、校区になると地下が下がるなど、部落差別に基づく利害があると指摘する。
<皮革産業と外国人労働者−東京都墨田区−>
東京には部落も差別もないという人が少なくないが、果たしてそうだろうか。墨田区には皮なめしを業とする地域がある。全国の豚皮の8割を生産している。被差別部落と皮革とのつながりは、身分制度によって死牛馬の処理を強制された封建制度に遡る。それは差別政策の結果であるが、部落の人びとによって日本の皮革技術と文化が育まれてきた。しかし、その作業環境は厳しく、労働者の高齢化と共に、ここ数年外国人労働者の労働力に依存しつつある。日本社会の差別構造の中に、新たに外国人労働者が組み込まれつつある。