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2008年3月19日 読売新聞 大阪 僕らのあしたニートからの卒業 1 遠い街でやり直したい
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2008年3月20日 読売新聞 大阪 僕らのあしたニートからの卒業 2 やっと居場所を見つけた
5回の連載記事の初回、第2回分のみからの抜粋報告になります。
達也さん(仮名)は21歳、6年間のひきこもりから約1年前、「若者自立塾」に入り、今は福祉用具のレンタル販売会社で働きはじめたばかりだそうです。会社での達也さんは、誰よりも早く出社し、お茶を沸かし、今はまだ上司の連れ回りにより得意先の福祉施設を訪問している新人の見習い社員です。
達也さんのひきこもりの発端は中学2年生の時、「髪の毛が薄い」と思いこむようになり、誰かに見られていると思うと息苦しくなったり、全身に大汗をかくようになってしまいます。その頃から学校をサボりはじめ、中学校3年生からは、ほぼ不登校状態となり、自室にこもり、寝たい時に寝て食べたい時に食べるという生活に陥ってしまいます。高校へも進学せず、友人もいなくなってしまいます。しかし、中学の同級生たちが高校生活を送っていることを思うと、焦りが募ったそうです。
そんな時に「若者自立塾」という存在をテレビで知ります。
自分も「やり通せるかもしれない。でも、通う姿を誰にも見られたくない」そんな思いから、自宅から電車でも2時間以上を要する泉佐野市にある「若者自立塾」の見学会に参加します。
「若者自立塾」とは、社会生活や職業生活になじめずに、働いておらず教育訓練も受けていない若年者層を対象に、基本として3ヶ月の合宿形式による集団生活をおこないます。その合宿生活の中で、生活訓練をはじめ労働体験なども実施し、働くことの動機付けを手始めに、働く意欲を喚起・向上し、職業人としての基本的な力を培うことによって、就職や職業訓練機会などへと誘導していくというものです。
厚生労働省の委託事業で、全国に30ヶ所が存在し、泉佐野市にある「NPOおおさか若者就労支援機構」もそのひとつとして受託しています。
おおさか若者就労支援機構の営む自立塾の特長は、5名程度のユニットの集団で生活をともにする「若者グループホーム」を基本としています。3ヶ月の合宿期間のうち、前半では主に演劇手法を用いて、会話力や自己表現力を身につけながら舞台を創造し、その中で人との関わりや劇の上演による達成感などを重ねてゆき、自信を深めていきます。合宿の後半部分では、個別相談を軸において、就業に関わる講座や、しごとの体験などを通じて就業をめざしていきます。
達也さんは、この自立塾に入塾し、瞬く間に3ヶ月がすぎていきます。演劇の舞台では、老人ホームのおとしよりを前に、国定忠治を上演したそうです。
3ヶ月という期間限定の中で、達也さんのように長くひきこもっていた若者のすべてが就職実現を果たせるわけではありません。第2回までの記事にはありませんが、達也さんも、何度も面接にチャレンジし、ようやく泉佐野市にある関西国際空港内の航空機の機内清掃のアルバイトに採用されることになります。
おおさか若者就労支援機構の営む自立塾の、もうひとつの大きな特長として、合宿終了後の支援が挙げられます。卒塾者のための住まいと生活支援の「チャレンジハウス」制度というものを設けています。この制度は、2つあり、ひとつは泉佐野市の協力により市営住宅を月2万2000円で賃貸でき住まいの確保ができるものです。もうひとつは「チャレンジハウス」という名の卒塾者のアフターケアとして相談会を実施したり、食事会や医療面での支援、またレクリエーションなどをおこなう集いの場を設けているものです。
達也さんもアルバイトをしながら、市営住宅にひとり住まいをし、「チャレンジハウス」のメンバーとして、不慣れな仕事での苦労や、気持ちの落ち込みを支え続けてもらっていました。
そうした中で、自立塾の合宿生活の時に、職場体験をさせてもらった福祉用具レンタル販売の会社から就職の誘いの声がかかります。
ようやく慣れ始めた機内清掃のアルバイト先に迷いながらも事実を話すと、上司や仲間からも励まされ、転職をチャンスとして歓迎されて、今の生活に辿りつきます。
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