1.「CSR」の広がりとそのコミュニケーションツールとしてのCSR報告書
「企業の社会的責任(以下「CSR」とする)」は、90年代に欧州で登場し、その後、米国へ、そして日本へと広がってきた概念である。日本では、2003年が「CSR」元年と呼ばれており(1) 、日本に当該概念が浸透してきたのは最近のことである (2)。
「CSR」は一般的に、「企業の社会的責任(3) 」や「企業の社会に対する責任(4) 」などと訳される。この概念の意味をより適切に反映させるために、「企業の社会的信頼性(信頼度)」という訳を当てる見解(5) もみられる。企業の社会的責任は、文字通り、企業が自身の属する社会との関係で果たすべき責任であり、「CSR」の具体的内容は、企業が属する社会によって決定される。
社会とは、言い換えれば企業とステイクホルダーとの関係である。ステイクホルダーとは、消費者・労働者・投資家・地域社会・政府・国際機関などをいう(6) 。企業は、その活動の態様や性格などによって、関係をもつステイクホルダーが異なり、また、ステイクホルダーの価値観や態度も時代(7) や地域 (8)により変化するため、「CSR」としての取り組みの対象にも内容にも差が出てくる(9) 。企業は、個々のステイクホルダーとの関係を重視しながら、「国ごとのローカル対応に加え、グローバルレベルでの新たな社会問題への対応に迫られている(10) 」のである。
企業は、具体的内容に差はあるものの、ステイクホルダーとの関係において社会的責任を負ってきた。企業の社会的責任は、企業の影響力に対するステイクホルダーからの期待・圧力への反応であると同時に、ステイクホルダーの支持・評価によって支えられている (11)。
ステイクホルダーの期待・圧力への反応として、企業は、<1>情報公開や行動綱領・企業憲章の策定、コーポレートガバナンスの実現といった企業活動への「CSR」の浸透、<2>社会的要素に配慮した商品やサービス、社会的事業の開発、及び<3>企業の資源を活用したコミュニティへの支援活動、といった「CSR」活動を行う 。(12)
このような企業の「CSR」活動に対するステイクホルダーの支持・評価は、次のような形で現れる。企業をモニタリングし、消費者として個人やNGOは消費ボイコットや「CSR」の評価に基づく購入を行い、政府は調達に反映させる。投資家としての個人や金融機関、大学は、社会的責任投資(SRI) (13)という形で反映させる。NGOや民間の評価機関は、モニタリングの結果を、批判や格付け、ソーシャル・ラベリング (14)という形で発信する。国際機関 (15)もモニタリングの結果を、調達に反映させたり、またプロジェクトパートナーを決定する際に反映させたりしている (16)。
かつての企業の社会的責任に対して、今日の「CSR」が対象・内容ともに拡大したその背景には、企業と関係する多様で広範囲なステイクホルダーを取り込み、その要請の集約化をはかり、効果的に企業活動に反映させようとする、上記のような社会メカニズムが構築されてきていることがある。この社会システムは草の根レベルから国際的レベルまで、さらには民間レベルから公的レベルまでと、様々な段階で発展している。社会との関係によって確立される「CSR」は、その履行も社会との関係に依存する。地球規模に拡大した「CSR」はそれをめぐる社会メカニズムの規模や多様性も地球規模に拡大させた。
「CSR」という価値観が浸透しつつある社会メカニズムのなかで、企業は自社の「CSR」活動に対して、ステイクホルダーの理解及び支持を得なければならず、ステイクホルダーとのコミュニケーションは企業活動の上で重要な鍵となってくる。企業のコミュニケーション活動としては、一方的コミュニケーション、双方的コミュニケーション、及び意思決定過程への参加などがある。この一方的コミュニケーションの代表が、CSR報告書の作成・配布である。
KPMGインターナショナルによれば、先進国でかつ大企業という限定のもと、報告書作成企業数は、調査開始時の1993年と比べて、2005年には3倍になったとしている。さらに、2002年までは環境及び安全衛生に関する報告書が大半を占めていたが、2005年にはCSR報告書が大半を占めている。また世界16カ国の上位100社を対象とした調査では、日本企業の80%がCSR報告書を発行しているという(17) 。
ここで問題となるのが、本調査が対象とするCSR報告書とは何か、ということである。CSR報告書と一口に言っても、その名称はさまざまである。今回の調査からも明らかなように、「CSR」または「企業の社会的責任」が名称にあるものから、「環境」のみのもの、また企業独自の名称を設けているものまである。持続可能性報告のガイドラインを発行してきたグローバル・リポーティング・イニシアチブ(以下、「GRI」とする)(18) の定義を用いれば、CSR報告書とは、経済・環境・社会的パフォーマンスの3要素から構成され、その最大の目的は、継続的なステイクホルダーとのコミュニケーションを手助けする(19) ものである。今回の調査の目的は、企業が発行する報告書において人権尊重に関する取り組みがどの程度提示されているかを問うことであるため、ここでのCSR報告書の定義はGRIのものよりも広義となっている。すなわち、例えば、報告書の内容が環境に関する記載のみであったとしても、「人権に関する活動に関する記載なし」と評価する調査の都合上、当該企業報告書をCSR報告書としての範疇に入れることにする。
2.人権尊重の活動報告としてのCSR報告書の展開
<1>企業活動に対する人権基準の発達
ここ15年における「CSR」ツールの拡大で、倫理綱領、原則、ガイドライン、基準、及びその他文書を含めると、現在世界には、300以上のものが存在するといわれている (20)。このようなツールは、「CSR」の基準としてだけではなく、提示すべき項目として、CSR報告書に反映されてきている。ここでは特に、本稿との関係で、人権に関する「CSR」基準の発展に焦点を当てる。
1960年代後半から多国籍企業への第三諸国の懸念が高まったことを受け、企業活動に対する基準設定ための多国間協力が始まった。国連では1975年に「多国籍企業に関する国連行動綱領案 (21)」の検討が開始された。また、1976年には「OECD多国籍企業指針(22) 」、1977年には「ILO多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言 (23)」、そして1981年には「WHO/UNICEF人工乳のマーケティングに関する行動綱領(24) 」が採択された。
さらに、1990年代以降は、個人・地域社会との関係で企業の影響力が国際関心事項となった。2000年に発足した国連グローバル・コンパクト(25) (以下、「GC」とする)では、自発的イニシアティブという形ではあるが、国際機関が企業を直接の対象として原則を設け、実現を働きかけている。さらに、2003年8月には、国連人権小委員会で「人権に関する多国籍企業およびその他の企業の責任に関する規範 (26)」が全会一致で採択された。この規範の前文では、上記諸国際文書を含む、30以上の人権文書が挙げられており、これら諸文書の内容を反映させた包括的な基準となっている。
民間団体による基準設定の国際的な動きも、「CSR」の広がりを受け、同様に活発化している。1977年に南アフリカに投資する米国企業でのアフリカ人労働者への差別を非難した「サリバン原則」が、1999年世界中、地域・業種に関係なく、企業で用いることができる「グローバルサリバン原則」として、再発足した。1998年にはソーシャル・アカウンタビリティ・インターナショナル(SAI)が労働環境のための基準SA8000を、1999年にはアムネスティ・インターナショナルがガイドラインを、2000年にはGRIが「GRIサステナビリティ報告ガイドライン(第1版)」を発行している。
新たな動きとして、国際標準化機構(以下、「ISO」とする。)による「社会的責任に関するガイダンス規格ISO/TMB N 26000」の開発がある(27) 。この規格は、あくまでも、ガイダンスを提供する国際規格であり、第三者認証を意図するものとはしない、とされている。この規格の発行は2008年12月を予定している。
また、日本国内に目を向けると、環境省の「環境報告書ガイドライン(28) 」には「社会的取り組みの現状」という項目があり、そのなかで人権・労働に関する項目が取り上げられている。さらに、環境省(29) のほかにも、厚生労働省(30) 、及び経済産業省 (31)が、企業の社会的責任もしくは「CSR」をテーマに研究会を開催し、それぞれ中間報告書を出している。一方、民間組織では、パブリックリソースセンターによる「企業の社会性に関する調査」(32) 、また、経済同友会の「企業評価基準」、及び日本経団体連合会の「CSR推進ツール」など、国内の「CSR」ツールへの注目も、国際的な動きとともに、強まってきている (33)。
人権・労働に関する具体的チェック項目については次章に譲り、ここでは、上記の動向から読み取れる人権基準の傾向・特徴を示す。
労働者の人権における、「人権」と「労働」の区別
多くの「CSR」ツールは、「人権」と「労働」を区別している。GRIはこの相違を次のように説明する。両者は密接に関連しているが、指標の目的に基本的な違いがあるため分けられており、「人権」の指標は、報告組織がどのような基本的人権を維持・尊重しているかを評価する上で役に立ち、「労働」の指標は、組織がいかに基本的人権の維持・尊重以上の貢献をしているかを測定するものである。
労働者の権利以外を包括する「人権」
企業の人権侵害の対象となるのは労働現場だけではない。ステイクホルダーには、企業活動の結果生じる人権侵害による被害者も含まれる。例えば、先住民族がいる。彼らは、先祖伝来の土地への企業の進出・強制移住により、土地への権利・住居への権利を侵害されたりしてきた。さらに、アスベスト被害など、地域住民の健康への権利の侵害なども含まれる。
「企業の活動と影響の範囲内」という基準
CSR報告書において記載すべき範囲は、「企業の活動と影響の範囲内」によって異なる。これは、企業活動における上流部門(サプライチェーン)及び下流部門(消費・分配)で関わるステイクホルダーの範囲を、企業は自身の特徴(規模・業種・市場など)に応じて判断しなければならないことを意味する。また、「企業活動と影響の範囲」は、企業の活動地として本国・受入国の双方に及ぶものであり、国境で区切られるものではない。よって、企業活動の結果生じる人権侵害には、本国のみならず、受入国の地域社会や住民も含まれる。
企業の人権尊重の取り組みと「本来の業務」及び「事業(ビジネス)活動」の関係
前提として、「CSR」は、日々の企業活動のなかで実現されていくべきものである。このような視点から、企業による人権尊重の取り組みが、企業が本来の業務と関連して進められているか否か、本来の業務を通じた活動である場合、この活動が事業活動(ビジネス)として行われているのか否かを意識することは、「CSR」の浸透度をはかる上で有用である。
<2>CSR報告書の報告方法の発達
企業活動に関する人権基準の発達の一方で、いかにCSR報告書自体を効果的なコミュニケーションツールとするかについて、議論され、ガイドラインが出されてきている。
このテーマをリードしてきたのが、GRIである。GRIは、経済・社会・環境の3分野(トリプルボトムライン)をカバーするサステナビリティ報告書のガイドラインを2000年より提示してきた。本調査時の第2版ガイドラインを改正し、2006年には第3版を発行している。
さらに、GCにおいても、同様にCSR報告書について議論がなされている。法的義務の発生しないGCであるが、GC参加企業のコミットメントのひとつとして、年次報告書における活動報告がある。この年次報告書をGCでは、「コミュニケーション・オン・プログレス(以下、「COP」とする)(34) 」と呼んでいる。このCOPはただGC事務局に提出する活動報告の意味だけではなく、ステイクホルダーとのコミュニケーションであり、また誠実性確保のための手段と位置づけている (35)。
ISOも社会責任に関するガイダンス規格を検討する過程で、コミュニケーションとしての社会的責任報告を検討し、考慮されるべき指針・ツールを提示している (36)。ISOは、GRI、GC、そして「ISO14063-2005(E) 環境マネジメント:環境コミュニケーション指針及び事例 (37)」を挙げている。ISO 14063は、環境に関する内部・対外的コミュニケーションに適用されるものではあるが、規格の多くの部分はそのまま社会的、経済的問題にも拡大して適用できるものである、としている。
以上の動向から読み取れるCSR報告書の報告方法に関する傾向は以下の通りである。
一方的コミュニケーションから、双方的コミュニケーションへ
CSR報告書は企業からステイクホルダーへの情報の提供であり、活動としては一方的なものとならざるを得ない。コミュニケーションツールとして、双方的となることが望ましい。CSR報告書にアンケート用紙の添付や、後日ステイクホルダーミーティングの設定など、ステイクホルダーとの対話を試み、その結果をCSR報告書に反映させるよう求めている。
ステイクホルダーへのメッセージ性:具体性、継続性と比較可能性
双方的なコミュニケーションツールとなるためには、CSR報告書は、ステイクホルダーに理解されるものでなければならない。内部または外部ステイクホルダーの視点を反映し、ポジティブ情報・ネガティブ情報の両者を盛り込むなど、バランスがとれ、納得のいく、組織の持続可能なパフォーマンスの提示となるべきである(38) 。また、継続的に発行すること、内容が具体的であること、及び他の企業との比較が可能なことは、ステイクホルダーへの理解を助ける。
パフォーマンスは「影響」ではなく「活動」
CSR報告書に記載されるべきパフォーマンスは、これまで、取り組みによる影響を意味するとして受け止められてきた。しかし、影響に注目することで、取り組みそのものを無視してはならない。活動を行う上でのマネジメント、すなわち、企業が基づく指標または目標・課題・トップステイトメント、「CSR」活動を行う組織、活動のプロセス、活動の結果(数値など)・評価、そして次年度への課題をCSR報告書には提示すべきである。
「CSR」活動はステイクホルダーからの期待・圧力への企業の反応であり、企業の本来の経済活動に、その「CSR」活動に対するステイクホルダーの支持・評価が影響を与えるようになってきている。このような社会メカニズムのなかで、CSR報告書は企業とステイクホルダーをつなぐ重要なコミュニケーションツールである。多様化したステイクホルダーの人権尊重への期待・圧力を示すように基準が発達し、その多様化したステイクホルダーの支持・評価を促す報告方法が工夫されている現在、日本企業はこの動向にどの程度対応できているのだろうか。
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