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誇りを失わぬアイヌ民族
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かなり前、ある市から講演を頼まれ、同和問題以外のさまざまな人権問題に触れて欲しいと要請されました。当時は、人権問題イコール同和問題というような状況でした。「同和問題だけでなく、さまざまな人権問題に関心をもって欲しいので…」という担当者の願いは当然といえます。それまでの私は、アイヌ民族に関しては全く無知でしたので、あわてて、何冊かの本を読みました。
アイヌ民族は、北海道、千島列島、サハリンを「アイヌモシリ」(アイヌの住む大地)として、固有の言語と文化をもち、独自の歴史を築いてきました。江戸時代、幕府や松前藩の侵略、圧迫がありながら、民族としての誇りと自主性を失いませんでした。ところが、明治維新になり、政府はアイヌ民族と交渉をすることなく、その土地を日本領土としました。戸籍は「平民」籍に編入され、日本式の姓名が強制され、独自の風習は禁止され、日本語の習得を押しつけられるなど、「同化政策」が強行されました。官有地となったアイヌモシリは、日本人には10万坪単位で払い下げられたのに、アイヌ民族は1万5000坪が限度とされました。それだけでなく、その土地は農耕に適さない土地でした。森や海も奪われ、食糧としての鹿をとれば密猟、鮭をとれば密漁、煮炊きや暖房に必要な薪をとれば盗伐(とうばつ)とされ、苦しい生活と差別にあえぎました。 名称から差別的な「北海道旧土人保護法」が制定されたのは、1899(明治32)年でした。しかし、この法律は、アイヌ民族の仕事の安定、教育の充実に役立ちませんでした。生活は苦しく、人権は侵害されたままでした。そのため、民族としての権利の回復を目指す運動が起きたのは当然といえます。北海道アイヌ協会(後にウタリ協会と改称)が設立されたのは1930(昭和5)年でした。そして、1984(昭和59)年には、「旧土人保護法」の廃止と、アイヌ民族に対する差別の絶滅を基本理念とする新しい法律案を提出しました。 1997(平成9)年3月の札幌地方裁判所の判決は画期的なものでした。アイヌ民族の聖地とされる二風谷(にぶたに)にダムの建設がはじまったのは1973(昭和48)年、工事の完了は1997(平成9)年でした。アイヌ民族の訴えに対して、札幌地裁は、ダムの運用中止の訴えは棄却しましたが、工事のための土地取得は違憲との判断を示しました。「先住少数民族であるアイヌ民族の独自の文化に最大限の配慮をしなければならないのに、…最も重視すべき諸価値を不当に軽視、無視した」と断定し、歴史的経緯への反省を求めたのです。 これを受けて、同年「アイヌ文化振興法」が成立しましたが、「日本は単一民族」といった総理大臣がいたように、国民の理解は不十分です。教育や仕事などの生活面での遅れもなくなっていません。生活でも、意識の面でも、差別はまだあるのです。 1999(平成11)年、北海道知事は「管理能力の欠乏」を理由に管理してきたアイヌ民族の共有財産を、裏づけが不十分なまま、100年前の貨幣価値で返還することを申し出ました。これを不当とした提訴に「原告に有利な行政処分なので、訴えても利益がない」と却下されました。この決定への不満は少なくないようです。 私がアイヌ民族の人と直接話したのは1度だけですが、この問題解決は日本の大きな課題の1つだと思います。 |
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2006年11月1日
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