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2008.05.09


「朝鮮」生まれの1人の思い

小森哲郎(北九州市立大学名誉教授)


 私は、父親の勤めの関係で、1927(昭和2)年、「朝鮮」の釜山で生まれました。日本が「日韓併合」によって「朝鮮」を植民地としたのは、1910(明治43)年ですから、厳しい差別がありました。町の中央には日本人が住み、私が通った小学校は、全部日本人でした。中学校では、50人のクラスにいた数人の「朝鮮人」と、へいそは仲良くしていましたが、なにかトラブルが起きたとき、私たちの口から「なんか、"朝鮮人"のくせに…」という許しがたい言葉が出ていました。「創氏改名」によって、日本式の名前にすることを強制され、「皇国臣民の誓詞」を唱えさせられました。「我等ハ大日本帝国臣民ナリ。忠誠モッテ君国ニ奉ゼン」といわされた「朝鮮」の友人の気持ちを察すると、胸が痛くなる思いです。

 「日韓併合」後、多くの「朝鮮人」が日本に来ました。生活の安定を求めて自分の意志で来日した人もいましたが、強制的に連行された人がいたことは間違いないと思います。第2次世界大戦が終わった1945(昭和20)年、日本にいた「朝鮮人」は210万人といわれますが、多くの人は帰国しました。しかし、日本での生活が安定していた人、故郷に生活基盤のない人たちなどは、日本に残りました。

 植民地時代の「朝鮮人」は、強制的に日本国籍に編入されましたが、1952(昭和27)年、主権を回復したわが国は、日本にいる韓国・北朝鮮の人の日本国籍を剥奪しました。そして、「指紋押なつ」を含む「外国人登録法」と「出入国管理法」を適用しましたが、社会保障制度からは除かれました。

 その後、「指紋押なつ」は廃止され、1995(平成7)年、最高裁判所は、地方選挙で定住外国人に選挙権を与えることは憲法上禁止されていないとの判断を示しました。しかし、公職選挙法はまだ改正されていません。また、職員の採用を日本国民に限定する「国籍条項」をかたくなに守っている自治体があります。さらに、東京都が外国人職員の管理職昇任試験を拒否したことについて、最高裁判所は、「重要な決定権をもつ管理職へ外国人が就任することは、日本の法体系では想定されておらず、違憲ではない」との判断を示しました。2005(平成17)年のことです。

 働くことは私たちにとって非常に大きな意味をもっていますが、日本にいる韓国・北朝鮮の人の失業率は高く、職業は「技能工、採掘・製造・建設作業者、労務作業者」と「販売従事者」が多いという調査結果があります。職業選択の自由が狭められているのです。また、多くの韓国・北朝鮮の人が本名ではなく、日本的な通名で通しているのは、わが国に残存している差別意識の反映といえないでしょうか。

 北朝鮮が、日本人を拉致したり、国際世論に逆らってミサイルを発射したりしたことは、許せません。また、韓国との間の竹島(独(トク)島(ト))問題は、釈然としません。

 しかし、私は「朝鮮」で生まれ、その実態を多少は体験しているだけに、日本が「朝鮮人」の人権を侵害してきた過去を忘れられません。このことも踏まえ、国民が納得する対応・外交が行われることを願っています。


 *なお、大韓民国は韓国、朝鮮民主主義人民共和国は北朝鮮、南北分断の前は、カッコをつけて「朝鮮」「朝鮮人」と表記しました。

2006年11月1日