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2008.10.16


調査のはじめに学んだこと

小森哲郎(北九州市立大学名誉教授)


「大学の役割は教育だけではない。研究という機能もある」という声があり、糾弾(学習)会の後、数人のグループで、同和地区の人の生活実態や市民の意識を調査することになりました。しかし、同和問題に全く無知なので、大阪に先輩のU先生を訪れ、指導を受けました。

 そのとき、U先生は、「借物の尺度や分類概念を用いてはいけない」と言われました。言葉としては分からぬこともありませんが、本当の意味はなかなか理解できませんでした。そして、U先生から、福岡のH先生を紹介されました。H先生は、私たちの調査の計画を聞いて、即座に「それはこわいことですね」と言われました。「せっかく勉強しようと思っているのに、水をさすようなことを言わなくても…」と思いながら、その意味が理解できませんでした。私の調査は、この2人の先輩の注意・忠告の意味を考えることから出発したといえます。

 例えば、失業者は「仕事に就くことが可能で、公共職業安定所に申し込んで積極的に仕事を探している人」と定められています。しかし、地域差はありますが、同和地区の人の公共職業安定所の利用は多くはありませんでした。その存在を知らなかったり、字の読み・書きが不自由だったり、1人で働くことが不安だったことなどが原因でした。通常の規定をそのまま使うと、同和地区には失業者が少ないことになります。「借物の概念」は、差別の現実を隠蔽(いんぺい)することがあるのです。

 また、タクシーやトラックなどの自動車の運転手と、飛行機のパイロットや管制官を、単純に「運輸・通信従事者」に一括することは、同和地区の人の仕事を考えるとき、不適切です。U先生から、表面をなでるのではなく、ことの本質をとらえるべきことを学びました。

 H先生の「こわい」の第1の意味は、「何のための調査か」という問いかけだったと思います。免罪符を得るための調査でしたら、こわいことです。第2に、謙虚に部落差別の現実に学ぶ姿勢をもっているのか、という提起だったと思います。いわゆる「学者」の中には、素直に問題の核心を追究するのではなく、抽象的な理論で解釈する人がいないとはいえません。調査のはじめに、問題を考える姿勢を、2人の先輩に学んだのは幸せでした。

 話は変わりますが、比較的最近、「文豪・Mの大きな罪」という話を読みました。昔、軍艦で長い航海をすると、多くの乗組員が脚気になり、死亡する人さえでたそうです。ところが、洋食中心の士官は脚気になりませんでした。脚気の原因は、ビタミンB1の欠乏です。食生活と脚気の因果関係に着目した海軍では、主食を「麦ごはん」にするなど、食事の改善を図りました。ところが、陸軍では、この動きを無視しました。海軍の軍医は、イギリスの臨床重視の医学を学んだ人が中枢を占め、陸軍は、病理中心のドイツ医学を学んだ人が中心だったためともいわれています。

 食生活の改善に消極的だった陸軍では、日露戦争(1904~05年)のとき、多くの脚気患者がでました。陸軍軍医局は「犯罪的行為」を犯し、軍医総監を務めたMも罪を免れないというのです。

私は、この話を、<1>現実を直視し、将来を見極める「たしかな目」をもち、<2>自分のイメージ・観念にとらわれず、柔軟にものごとを判断する「やわらか頭」をもつべきだという教訓にしています。

2006年11月1日