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2008.10.16


誤ったハンセン病対策

小森哲郎(北九州市立大学名誉教授)


 ハンセン病のことを、ここで少しまとめておきます。

 ハンセン病は、「らい菌」の感染によるもので、1873(明治6)年にノルウェーの医師アルマウエル・ハンセンが「らい菌」を発見するまでは、遺伝病と考えられていました。同じ家族の人が発症することが多かったためです。その症状は人により異なりますが、初期は知覚マヒをともなう皮疹(ひしん)(発疹)が一般的で、進行するのにともない顔面や手足に結節(けっせつ)が隆起し、やがて潰瘍となり化膿(かのう)します。毛髪が脱けたり、鼻が陥没(かんぼつ)したり、四肢が欠損したり、失明などが加わることもあります。

 わが国では、長い間、「らい病」といわれてきましたが、1996(平成8)年に「日本らい学会」が変更を決めてから「ハンセン病」といわれるようになりました。

 ハンセン病は、感染率が低く、感染しても発症することは多くはありません。「らい療養所」に勤めていた医師や看護師などで1人の罹患者もでていないと聞きます。しかし、根治は難しく、1907(明治40)年に、らい予防のための法律が制定され、1909(明治42)年には5つの療養所が開設され、患者は隔離されることになりました。(なお、現在、国立療養所は13ありますが、今後どうするかが問題となっています)。

 アメリカでハンセン病の治療薬「プロミン」の有効性が報告されたのは、1943(昭和18)年で、その後、多剤併用療法が確立され、今では3日から1週間の治療で完治するそうです。そのため、世界保健機関(WHO)は、1952(昭和27)年に隔離政策の見直しを、1960(昭和35)年には差別的法律の撤廃と外来治療の実施を提唱しました。

 しかし、わが国では、1948(昭和23)年に制定された「優生保護法」で、ハンセン病患者の「断種」と「妊娠中絶」が規定され、1953(昭和28)年に、法は「らい予防法」と改められましたが、隔離規定はむしろ強化されました。

 わが国の対策は、病気の予防・治療という医学的な見地よりは、<1>外国人の目にふれないようにする、<2>子孫の素質の向上を図る、<3>患者団体の運動を抑圧するなどの社会的な要因が強かったようです。

 「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されたのは1996(平成8)年です。療養所への入所、外出制限などはなくなりましたが、元患者などの生活保障や人権回復に結びつくものではありませんでした。

 ところが、2001(平成13)年、熊本地方裁判所は、「らい予防法」は憲法違反とし、隔離政策に対する国の責任を認め、原告への賠償を命じました。そして、この判決を支持する世論が高まり、国は控訴を断念し、判決は確定しました。

 現在、新規の患者は年間10人未満で、近い将来なくなるものと予想されています。しかし、元患者は高齢化し、感染を恐れて接触を避ける人たち、あるいは、多くの国民の関心のなさなど、問題が完全に解決したとはいえません。

 また、かつて日本の植民地統治下にあった韓国・台湾でハンセン病療養所に入れられた人たちが、日本。の「ハンセン病補償法」の適用を求めた裁判で、正反対の判決がでました。しかし、2006(平成18)年6月、厚生労働省は、ともに賠償金を支給する決定をしました

2006年11月1日