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2008.04.11
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2007年9月号(NO.234)
戸籍法どう変わったか
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ジェンダーで考える教育の現在

第9回 障害をもつ女性の経験から、「複合的な抑圧」を考える

松波めぐみ(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)

はじめに-語られざる「複合的な抑圧」-

障害をもつ女性(本稿では障害女性とする)は、独自の生きづらさを抱えているのではないか。直接、間接にさまざまな障害女性の経験を聞き、そう思うようになった。彼女らは障害者として、かつ女性として抑圧を受けてきているとは思うのだが、それは一見わかりにくいし、語られにくい。明らかにひどい事例もあるが(例:後述する「事例4」)、より日常にとけこんでいる抑圧もある。障害女性への抑圧では、「女性であること」と「障害者であること」がどのように絡み合っているのだろうか。

「障害をもつ女子、女性」という主題は、障害児教育(特別支援教育)、福祉教育、男女平等(ジェンダーフリー)教育、社会教育等のどの領域でもほとんど取り上げられていない。なお、障害児教育の現場の実感は、「障害ゆえの大変さって、男女差より個人差のほうが大きいと思う」(私の友人である養護学校教師の言葉)といったものであろう。障害女性への抑圧は、教育においてとりあげるに値するテーマではないのだろうか?(私の答えはノーである。)

本稿の目的は、障害女性への複合的な抑圧を不十分ながらも描きだし、その背景を考察することである。

障害をもつ女性の「異なる経験」

いうまでもないことだが、障害女性は一人ひとり(障害の種類・程度はもちろん)性格も、おかれている環境も多様である。どのように記述しても例外は存在する。それでも、障害女性によくみられる「経験」や、「経験の中で身につけたもの」があるのではないか。以下の事例から考えていきたい。

事例1「ごめんなさい」という口癖

重度障害をもちアパートで一人暮らしをしている女性・Aさんの家に、私は介助者として行っていた。Aさんの指示どおりに家事や身辺援助をするのが私の仕事だ。「タオルを持ってきて」「はい」。何も大変なことはない。タオルを届けると、Aさんは「ごめんなさい」と言った。え、なんで? その後も些細なことで「ごめんなさい」と言われることが続いた(時々「ありがとう」のこともあったが、「ごめんなさい」が圧倒的に多い)。特にトイレ介助の時に「ごめんなさい」と言われると、いたたまれなくなった。

Aさんと少しうちとけてきたある日、訊いてみた。「Aさん、よく『ごめんなさい』って言わはるでしょ。でも、全然謝ってもらうことないですし…」。するとAさんは「あ、ごめんなさい」とまた言って苦笑した。「よく、『やめぇな』って言われるんですよ。でも口癖なんで…」。そして次のように説明してくれた。「子どもの頃(施設に入る前)、お母さんに、徹底的にしつけられたんですよ。『ごめんなさい』と『ありがとう』を忘れないように、って。『あんたはひと様に迷惑かけるねんし、せめてかわいがってもらわなあかんなあ』って」。

その後もAさんの口癖は抜けず、私も慣れた。それにしても、「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」が口癖になったのはなぜなのか。その答えは、Aさんがかつて入所施設で生活していた年月にあることがわかった。Aさんのいた施設では、入所者数に対して職員の数が少なく、トイレの時間が「朝は何時、昼は…」と決まっており(!)、それ以外の時間にトイレに行きたくなれば、どうしても我慢できなくなった時に限って職員を呼び、「ごめんなさい、お願いします」と介護を頼んだのだという。「生理の時とかは、特に『迷惑かけて悪いなあ』と思った」そうだ。

口癖の背景がわかるにつれ、私は怒りを覚えた。いったいなぜ、人としてあたりまえのことをするのに謝る必要があったのか?と。むろん、「施設の職員の少なさ」やそれを許容する「制度の不十分さ」を問題にすることはできる。だが、それだけで片付かない問題があることに気づいた。たとえ、「利用者の皆様の主体性や人権に配慮した」すばらしい施設が実在したところで、ギリギリまでトイレを我慢する人や、職員に遠慮する人は必ずいるのではないか。

Aさんの母親のように明言しないまでも、同様のしつけを受けた障害者は少なくない。障害をもつわが子(特に「娘」)が「わがまま」と思われないように、好かれるように、というのが「世間の冷たさ」を知る親の切なる願いなのだろう。適切に「ごめんなさい、ありがとう」を言えることは、一種の「世渡り」術ともいえる(知的障害や言語障害のためにそれが果たせない場合、周囲の反応はキツい)。Aさんの母親は、Aさんが周囲の人から可愛がられ、施設生活を円滑に送れるようにと願っていたのだと思われる。(仮にAさんが息子(男の子)であったとしても、母親は同様にしつけたであろうか。「愛される」ことに価値がおかれ、「他者のケアをする側」に位置づけられる女性だからこそ、いっそう「迷惑をかけてごめんなさい」と言えるよう仕向けられた、とは言えないだろうか。)

「障害者役割」と「(女)性役割」

障害者がおかれている状況を読み解く道具として、「障害者役割」という概念がある。これは全盲の社会学者・石川准の説明によれば、「社会の中で障害者が暗に期待されているふるまい」を指す。その期待とは「愛やヒューマニズムを喚起するようにふるまうこと、愛らしくあること」である。

障害者は黙々と努力し、我慢し、受身で、何かをしてもらったら笑顔でお礼を言うことを期待されている。これに「違反」すれば冷たい目で見られる。Aさんの母親のしつけは、いわば「障害者役割」を身につけさせることだったといえよう。

この「役割」は、実は社会の中で女性に期待されているふるまい(性役割)と似ている。「障害者役割」は男性にも適用されるが、障害女性により親和的といえるように思う。

女性役割と障害者役割の類似は偶然ではない。女性も障害者も、社会構造上、他者に従属して生きることを強いられてきた。「お前はもともとこの社会の主役じゃないんだから、分をわきまえて生きよ」とでもいわんばかりの圧力や呪縛があるのだ。その呪縛の不当さに気づいた、障害のない女性たちは、経済的自立をめざし、家族をもつ人は家事の分担を求め、性と生殖において主体的になろうとしてきた。「異性愛カップルによる法律婚」以外の家族のかたちを模索する女性たちもいる。その結果、この数十年で性役割意識も多少は変化した。だがその成果は障害女性にまで届いているだろうか?(そもそも「稼ぐ」ことも、パートナーや子どもを得ることも、自分には無縁だと感じている障害女性はおそらく多い。)

では、障害女性へのまなざしはどのような将来展望につながるのだろうか。

事例2「手に職を」

生まれつき下肢と言語に障害をもつBさんは、母親から「手に職をつけなさい」と言われて育ち、小学生のうちから洋裁を習った。Bさん自身は洋裁が嫌いだったが、母の熱意にこたえようとした。しかしBさんの母親は、障害のない妹には決して「手に職を」などと言わず、「好きなことを勉強しなさい」と励ましていた。母親の「手に職を」という言葉の裏には、「Bちゃんは結婚できないだろうから、せめて…」という意味が隠れていることに気づき、十代だったBさんは鬱屈していたという。

(ちなみにBさんは洋裁ではなく事務職についた。現在は夫と子どもと暮らしている。)

Bさんの母親は、障害のない妹は「いずれ結婚するから」仕事はどうでもよいが、Bさんについては「結婚できないだろうから、社会の片隅にでも、居場所(働く場)を見つけてやらなければ」と、使命感を抱いていたそうだ。

さほど重度(常時身辺介助がいるような)の障害ではない人が、「手に職をつけよ」と言われてきたケースは非常に多いようだ。教師からそう言われたという話もよく聞く。そこには「結婚して扶養される」ことを期待できないという予測がある。本人が、どんな仕事やライフスタイルを望むかよりも、少しでも無難な道を、と周囲は考えるのだ。

ちなみに、もしBさんが「息子」だったら。もちろん親は就労を切望したであろうが、そこで「結婚」は二次的な問題だ。そして、仕事に挑戦する機会は、より多く与えようとしたのではないか。

障害女性への「結婚・出産は無理」という決めつけは、「性」についての情報の遮断をも意味する。次はその事例である。

事例3「教える必要はありません」?

Cさんは軽い知的障害をもつ20代の女性。ずっと自宅に住み、養護学校卒業後は作業所に通い、地域でのサークルにも顔を出す。かわいらしい顔立ちのCさんは、よく男性から声をかけられている。Cさん自身、恋愛に興味はあるが、セックスや避妊についての知識は乏しい。Cさんと毎日作業所で接している女性スタッフYさんは、そのことが気がかりだ。たとえばCさんが望んでデートに至ったとしても、Cさんが性的に搾取されるのではないか。以前通所していた知的障害女性が「望まぬ妊娠」をしたことを思い出す。Cさんと「性」の話をする機会をつくれないかと思ったYさんは、Cさんの母親に相談した。すると母親は「あの子に男女のことは関係ない。教えたってわからないでしょ。教える必要はありません」と言い張った。そして母親はYさんに「作業所からまっすぐ(寄り道せずに)帰宅するように指導してください」と依頼した。

障害をもつティーンエイジャーが性教育を受ける機会は少ない(*)。ただでさえ、女子は男子よりも「性的なもの」から遠ざけられがちだが、障害をもたない女子なら、大人の意向が何であれ、雑誌や携帯、インターネット、友人などから性に関する情報を入手できる。しかし常に親や教師が横にいるような障害者には、それは困難だ。そして情報を得られないことのツケは本人にまわってくる。(**)

「母」が悪いのか?

ところで、ここまで述べた事例はいずれも、「母親」に関係していた。意図してそういう事例を集めたわけではないのに、そうなってしまった。

A、B、Cさんの母親たちに、認識不足や思い込み、ジェンダー・バイアスを見出すことは容易だ。しかし「障害児の母親」もまた、この社会の中で露骨な差別に直面してきた人たちであり、その経験をふまえて「よかれ」と思って娘をしつけたり、将来を思いやったりする。それは障害者当人にとって抑圧的にはたらきうるが(だからこそ1970年代以降の障害者運動では「親は敵」、「親の偏愛をけっとばしてでも」自立しなければ――という主張がなされた)、彼女らを責めるのは問題の矮小化であろう。実際、母親が「ジェンダー・センシティブ」になるだけで解決するような問題ではない。

批判すべきは、母親たちの意識や認識ではなく、彼女たちをそのように仕向けた「社会のあり方」だ。障害をもつ人の生を「価値が低い」と決めつけ、障害児の出生を抑制しようとし、障害児とその親に哀れみと侮辱を与え、養育責任を母親に押し付け(障害児の家庭では「性別役割分業」がいっそう強化されることが、調査から判明している。あるいはシングルマザーとなる場合も多い)、障害者が使いにくい道路や住宅や交通機関しか用意せず、教育や雇用の場からさまざまに排除し、メディアでは「けなげな子どもと献身的な母の感動物語」を流し続け、――という社会。(まだまだあるが、このぐらいにしておこう。)

母親は「障害のある子をうんだのは自分の責任」と、自責の念をもちがちだと言われる。こうして、「障害をもつ子の命運を一身に背負う」女性がひとりいることによって、その女性に負担を押し付ける「社会」は免責されている。

事例4「自分が良いのか悪いのかわからなかった」

最後に、2001年に実施された障害女性対象の調査で聞き取られた事例を紹介する。

Dさんは30代の聴覚障害をもつ女性である。聾学校高等部卒業後、美容師として働いていたが腰を痛めて入院。そこに見舞いに来た先輩から、病院のベッドでレイプされ、妊娠してしまった。声を出せず、助けを呼ぶこともできなかった。その男性は以前から一方的にDさんとの結婚を望んでいたが、Dさんは断っていた。しかし妊娠してしまったので、自分をレイプした嫌で嫌でたまらない人だけど結婚した。(伊藤智佳子編『女性障害者とジェンダー』六七頁、一橋出版)

ここまで読んで、「えーっ、なんで?」と思わない人はいないだろう。私はこの箇所を読むたびに「奴隷」という単語が頭に浮かぶ。

この「結婚」についてDさんは「幼稚部から高等部までずっと聾学校と自宅を往復する狭い世界で過ごしてきたため、知らないことが多すぎた」と振り返る(Dさんの親は手話ができなかった)。レイプされた時、「自分が良いのか悪いのか、誰に相談したらよいのかもわからなかったし、レイプが犯罪だということも知らなかった」という。

Dさんは結婚生活でも、昔の友人とのつきあいを禁じられるなど、さまざまな虐待を受ける。幸いDさんの親が窮状に気づいて離婚することができたが、何年かはまさしく「奴隷」に等しい生活をしていたのだ。(この本の調査結果では、同じように日常的に虐待されている障害女性が数多くいることが示唆されている。)

日本社会ではこの10年ほどの間に、「女性への暴力」が人権問題であることが認識され、法の整備も進んできた。しかし、閉鎖的な環境で生活していたり、コミュニケーションの制約があったりする人は、自分を守るべき最低限必要な情報も持たないことがよくある。

レイプやDV(ドメスティック・バイオレンス)について、学習する機会をもちにくい障害女性は、性的被害に遭遇しやすい人たちでもある。卑劣なことに、「この女は通報しないだろう(通報しても信用されないだろう)」という見通しのもとでの性的虐待はかなり多い。街中にせよ、施設内にせよ、家庭内にせよ。それも、被害にあった女性が自分の体験を言語化できなかったり、どこに相談してよいか(また、そもそも「相談してよい」ということ)を知らなかったりするために潜在化している被害はさらに多いと思われる。

おわりに-「複合的な抑圧」を見据えることから-

本稿では、障害をもつ女性がどのような経験をしているか、周囲の(障害をもたない)大人からどのようなまなざしを向けられてきたのかを考えてきた。

教育現場における障害児へのまなざしが、いつも障害者役割やジェンダーバイアスにまみれているわけではないだろう。むしろ教師は「障害があるからといって、特別扱いしていません」「うちのクラスでは、障害のある子もない子も同じようにケンカもするし、仲良くやっています」などと語るのではないだろうか。

しかし「特別扱いしない」「同じように」という言葉があふれているこの社会の中で、障害女性は(もちろん障害男性も。以下略)、独特の抑圧を受けている。障害者役割を内面化した彼女らは、自由な行動や思考を自分で抑制してしまう。そのため、権利意識を持ちにくいとさえいえるのではないか。教育が何もしないことは、抑圧の再生産を帰結する。

まず、「障害ゆえの不便さ」などとは別個に、社会的抑圧が存在することを認識する必要があるだろう。その上で、障害女性が自分のおかれている立場を理解し、自己肯定感をもって安心して(かつ、多くの選択肢をもちながら)生きていくことができるような仕掛けや、教育機会を模索していくべきではないか。障害者自身による「自立生活運動」や「ピア・カウンセリング」の考え方から学べることが多いと思う。(日本でピアカンを主導したのは、安積遊歩ら障害女性たちであった。)

障害女性への抑圧は複雑すぎて何が問題かを見定めることも、「解決」の展望を得ることも難しい。難しいからよけい放置されてしまうこともあるだろう。しかし抑圧の糸をときほぐすことを試み続けたい。社会的抑圧は社会がつくりだしたものだから、なくしていくこともできるはずなのだ。


(*)東京都立七生養護学校は知的障害児への性教育に意欲的に取り組んだが「ジェンダーフリー・バッシング」の標的にされた。

(**)なお障害女性とセクシュアリティに関しては、以下を参照。松波めぐみ「戦略、あるいは呪縛としてのロマンチックラブ・イデオロギー -障害女性とセクシュアリティの『間』に何があるのか」(2005年『セクシュアリティの障害学』明石書店)

なお障害女性を含むマイノリティ女性のDV被害について、近刊『笑顔を取り戻した女たち』(2007年、パド・ウィメンズオフィス)がある。