「おとこは大学、おんなは短大」そんなのおかしい
70歳台前半の女性との会話のはじまりである。彼女の子育ての中で、奨学金制度もでき、子どもを学校に行かせることができるようになったという話の中で、連れ合いが上の男の子が大学に行き、下の女の子が受験する時期になって「女だから、短大ぐらいでいい」と言ったときに、彼女が連れ合いに「『おとこは大学、おんなは短大』そんなのおかしい」と言ったという。結果は、連れ合いに押し切られてしまい、娘は短大を受験したという。彼女の話は続く。「大学に行きたがっていた娘にはかわいそうなことをした。今だったら、連れ合いになぜおかしいのか言うことができるけど、そのころはおかしいとは思ってもなぜおかしいのか言うことができなかったのがくやしい、だから学習が必要なんだ」と。彼女にとっての学習の場は、日々の部落解放運動である。
「部落解放運動は教育に始まり、教育に終わる」と言い続けてきた。その「教育」とは、社会教育・学校教育・家庭教育など生活の全領域にわたるものである。部落解放運動も教育であり、学習の場でもある。
部落解放運動のなかでジェンダーが課題になってきたのはごく最近である。運動のなかで、「部落解放運動の半分は女性が支える」という言い方をされながら、女性は常に運動の中にあって運動を「支える」役割であった。多くの女性もまたそのことを当然と思っていた。
部落の女性たちは、地域や部落解放同盟のなかにおいても女性であるということだけで差別を受けている。女性差別を自覚した女性たちはまず、部落差別と女性差別とを対立した関係として捉える。部落差別をなくすことがまず先決であると考える。部落差別の現実に直面していると、女性差別はたいしたことではないことと思えてくる。一方、なんとなく息苦しさを感じていても、女性差別については言わないほうが波風が立たないという直感が働くのも偽らざるところである。部落差別をなくすことがまず先と考え、女性差別はその次の課題という認識である。もちろん、女性差別と部落差別は対立的に捉えるものでなく、同時に捉えるべきものとして考えなければならない。だが、理念としてはわかっていても現実はなかなかそうはいかず、その営みはまだ始まったばかりである。
部落解放運動は、いうまでもなく差別を撤廃するための運動であり、広い意味での教育運動である。地域に基軸を置く部落解放運動は、変えることがもっとも困難であるといわれている地域を変えることにつながる。だからこそ部落解放運動のなかでの女性差別をなくしていく取り組みが重要なのである。
部落解放同盟の女性についての方針から
解放同盟の女性にかかわる運動方針は、当然ながらその時々の部落女性の状況をうつしだしている。
「部落解放同盟」に名称変更した第10回大会(1955年)では「婦人分科会」が設けられている。「平和と子供と生活をまもり、部落の解放と婦人の解放のため団結してやってゆきましょうとちかいあった。」と報告されている。
「女性差別撤廃条約」を日本が批准した翌年の第43回大会(1986年)は「婦人が変われば部落が変わる、男性もともに変わることが女性解放にとっても重要。各級機関に婦人が積極的に位置づけられ、政策決定の場に参加しうることが重要」。第50回大会(1993年)では、「婦人」についての名称が議論され、「女性」に名称変更した。第51回大会(1994年)は「部落解放と女性解放の課題は一体のもの、性差別の現状を明らかにしつつ自らの解放をなしとげる主体者としての自覚を高める」、北京会議が開催された年の大会である第52回大会(1995年)は「女性の人権侵害、マイノリティや先住民族の女性として二重の差別を受けている女性と積極的に交流し部落問題を全世界の女性に訴えていく」との方針であり、北京会議において中央女性対策部主催で「アジア・太平洋マイノリティ・先住民族ワークショップ」の開催につながっていった。
第55回大会(1998年)では「男女共同参画プランに人権の視点を」、そして第58回大会(2001年)で「男女平等社会実現基本方針」を策定するにいたった。第64回(2007年)では、「1.部落差別撤廃をはじめ、男女平等社会の確立、人権社会の実現にむけてとりくみをすすめる 2.組織内の各級機関や政策決定の場に参加できる力量を身につけるとともにそのための条件、環境整備をつくる 3.次第を担う人材育成 4.マイノリティ女性の視点を踏まえた男女平等条例の制定を求める。審議会などに被差別当事者の声を反映させるために被差別当事者が委員になるように積極的にとりくむとともに委員のネットワーク化をすすめる(後略)」との方針を出している。
運動方針の基底にあるのは、部落差別と女性差別を対立的に捉えるものでなく、同時にとりくむべきものとの考えかたである。しかも、その捉え方は年々進化していっていることも運動方針から伺うことができる。しかし、現実はどうだろうか。
冷蔵庫3日分
女性集会に参加する女性のなかには「冷蔵庫に3日分、全部食事のしたくをしてきた、家に帰ったら掃除と洗濯で大変」と自慢げに話す女性たちもいる。確かにすぐ食べられるようカレーやおでんを炊いてくることぐらいはある。しかし、その女性の連れ合いは、ご飯を作れないのか作らないのか、子どもに食事を作る教育をしてこなかったのか。こんな話はちっとも自慢にすることではない。子どもに人として生きていく上での最低限のことを教えるのは親として子どもに対する義務である。あるとき、女性集会に参加した1人の女性が「私はお金を置いてくる、おとうさんと子どもで好きなもの作ったり、外食したりして楽しんでいるみたい」。彼女のこの言葉でそれ以降、「冷蔵庫3日分」の自慢ばなしはなくなった。この自慢ばなしをする彼女たちの意識のなかには、1人で子育てをしている女性やシングルの女性、子どもを産みたくても産めなかった女性、子どもを産まない選択をした女性など女性にも多様な生きかたがあることへの共感はない。
女性が解放運動で家を空ける、しかも泊まりがけででかけるようになるまでには、相当のエネルギーを必要とするのも事実である。第10回大会の報告でも、家の反対を押し切って出てきた女性、今までは反対であったけれど今回は応援してくれた報告など、50年を経たいまも「家」の中の実態はさほど変わっていないのが現実である。
女の子に対しては、食事のしたくや片付け、掃除などさせているが、男の子となるとほとんどなにもやらせていないというのが部落の一般的な姿である。あるとき、青年部の学習会でジェンダーについて話し合おうという企画に参加したときのことである。なぜ、結婚をするのかという話の中で、「ご飯を作ってもらうため」と答えた青年がいた。彼は本気でそう思っていて正直に発言したのだ。
長い年月のなかで作られてきた意識がある。「女の子は、素直で誰にでもかわいがられて家のなかのことがよくできるように」、「男の子は、一家を養わなければならない、強く、たくましく」というように、大なり小なりこのような育てられかたをしてきた。言い尽くされていることだがこの意識は「こうあらねばならない」という呪縛をもたらして女も男も生きづらくしている。
愛知の部落女性アンケート調査からみるジェンダー
2006年1月から3月にかけて愛知の部落女性アンケートを実施した。日頃、女性部の運動をおこなっている人を軸に親戚、友人、知り合いというように広げ、290人の女性たちからの協力を得ることができた。
アンケートの中から、部落差別体験と女性差別体験についての結果、以下の回答があった。
「自分が部落差別を受けたことがある」89人(30.7%)。「自分は受けたことはないが差別に出会ったことがある」50人(17.2%)。「特にない」128人(44.1%)。無回答23人(7.9%)である。年齢別に見ると30歳未満で「自分が差別を受けたことがある」と回答したのは16人(55.2%)、30-39歳13人(23.2%)、40-49歳4人(16.0%)、50-59歳19人(32.3%)、60-69歳14人(23.3%)、70歳以上は21人(43.8%)であった。いずれの年代においても「部落差別を受けた」と回答する女性は一定数存在する。
女性差別体験については、「自分が女性差別を受けたことがある」48人(16.6%)、「自分は女性差別を受けたことはないが差別に出会ったことがある」46人(15.9%)、「特にない」160人(55.2%)、無回答36人(12.4%)である。年代別では30歳未満で「自分が女性差別を受けたことがある」と回答したのは11人(37.9%)。「自分は受けたことはないが差別に出会ったことがある」と回答したのは46人(15.9%)であり、他の年代と比較すると多い。これは、実際の女性差別実態ではなく、若い世代ほど女性差別を敏感に認識しているということであり、中・高年齢の女性への課題の一つがあきらかになった。
アンケート協力者の体験として、女性差別より部落差別体験者が多いということは、実際に女性差別体験がないのではなく、女性差別を女性差別としてまだ見抜けていないということである。部落差別体験においても部落差別との認識がなければ、部落差別の体験もしくは部落差別に出会ったとの回答にはならない。女性差別の場合、たとえば役所や企業のなかで、女性がお茶くみをするのは当然の時代があった。上司・同僚はもちろん後輩であっても自分が女性であるというだけで毎朝女性のお茶当番があった。来客があればもちろんお茶を出すのは女性である。このことを差別と捉えるか、女性だからあたりまえと思うのかどうかということである。女性だけのお茶当番を差別として見抜けるようにならなければ差別体験としては現れてこない。
このアンケート調査のなかで地域のなかでの経験を聞いた項目がある(複数回答)。「役員の名前は夫でも、実際の仕事は自分がしている」42人(14.5%)。「女は口をだすなといわれる」35人(12.1%)。「地域の決め事に女性の意見が反映されにくい」36人(12.4%)。「地域の掃除など参加するのはほとんど女性である」92人(31.7%)。「行事のときのお茶だしや後かたづけは女性がしている」97人(33.4%)。「地域のつきあいの香典や祝儀は夫や父の名前で出す」161人(55.5%)。「いずれの経験もない」56人(19.3%)。無回答22人(7.6%)である。これらの地域での事例は言うまでもなく女性差別だと言えるだろう。したがって、この数字からみても「いずれの経験もない」56人と無回答の22人をのぞいた212人(73.1%)は、女性差別を受けた体験があるわけである。ところが、一方で先ほど上げた女性差別体験を聞くと、「自分が女性差別を受けたことがある」48人(16.6%)、「自分は女性差別を受けたことはないが差別に出会ったことがある」46人(15.9%)。両者を合計すると94人(32.4%)が女性差別を受けた体験を認識している。少し乱暴な比較ではあるが、212人と94人の差は、女性差別を差別として見抜けているかどうかが数値の差としてあらわれてきていると推察される。
自分の思いを話せること、話すこと
もちろん女性差別について、しっかりと見抜くことができ、取り組まなければならないと考えている男性もいる。女性差別を差別として見抜けていない女性も当然いる。地域において、自分の思いを語るには、本当にエネルギーがいる。部落解放同盟という組織のなかでは、部落差別をはじめあらゆる差別をなくすために取り組んでいこうということが前提にあるので、解決に向けてさまざまな困難は伴っても問題提起をすることができる。
しかし地域にあってはそうはいかない。だからこそ、地域に拠点を置く部落解放同盟の運動のなで、女性差別をなくすためのとりくみが大切なのである。日常の組織運営のありかたや女性が施策決定機関に参画するために目的意識をもって女性を育てているかどうか。旗開きの食事の準備は女性部の仕事として位置づけられていないかどうか。日常の目に見えないが必要な仕事は女性の仕事とされていないか。部落の女性はずっと働きつづけながら、子育てや家事・育児・介護を女性が現実に担っていることについての問題など支部活動の具体的課題は山積している。
また、地域の文化センター(隣保館)の掲示やパンフレット、リーフレットでは「部落差別をなくそう」とかかれたものが大部分であり、部落のなかでも当然存在している(あたりまえのことだが)女性や障がい者、在日外国人についての相談窓口の案内などが文化センターに置かれるようになったのはごく最近のことである。センターの行事や講座のあり方も検討されなければならない。部落の女性たちにとって参加しやすい内容になっているのか、交流事業を名目に部落の女性たち、もちろん男性も排除されていないかどうか。差別は時代と共に、現象形態を変える。ネット上での差別事件がその典型である。内容においても女性差別を前提にした企画になっているかどうかなど、いつも点検していく必要がある。
部落差別と女性差別をどう交差させ、同時にとりくんでいくのかまだ答えは出ていない。
日々の運動のなかで実践を通してその回答を見いだしていきたい。