はじめに
2007年12月、部落解放同盟中央本部・組坂委員長に「部落解放運動への提言 一連の不祥事の分析と部落解放運動の再生に向けて」(以下「提言」)が手渡された。この「提言」は、2006年に明るみに出た部落解放同盟内の不祥事(大阪・京都・奈良)を、「部落解放運動にとって戦後最大の危機」と捉えた中央本部から委託された「部落解放運動に対する提言委員会」(座長上田正昭)によるものであった。
この「提言」は、青少年拠点施設検討プロジェクトでもぜひ検討するべきではないかとのことから、2008年3月の定例会で取り上げられた。また、すでに地元住吉支部で「提言」学習会に第1回(2月2日実施)から参加していたということもあり、3月定例会での問題提起は私が行うことになった。以下の文章は、地元の「提言」学習会での内容紹介と、プロジェクト定例会での報告内容に若干加味したものである。
1 地元での「提言」学習会
地元の学習会は、部落解放・人権研究所の友永所長を講師に実施され、すでに4回を数えている。出席者は毎回10数名であるが、その多くは40歳以下の執行部員であり、彼らは1969年7月より施行された「特別措置法」の恩恵を直接受けてはいたが、法制定の成立過程やこの間の運動のありようや功罪について正しく判断する運動経験となると、豊富とはいえなかった。70年代以降に実施されていた市民やPTA会員への啓発活動、それに「部落差別第一主義的な」解放教育運動の実態も(当事者であったにもかかわらず)直接知ることがなく、我々古くからの活動家との間には、認識や経験のうえで大きな差があると思わざるをえなかった。
学習会においては、若手の活動家からも、たとえば「へー、そんなことがあったんですか」「差別のなかでも、部落差別が最も厳しく、部落差別の解決なくして日本の差別はなくならないとほんとうに考えていたのですか」というような意見や疑問も率直に出された。あらためて、支部内での学習活動による解放理論継承の必要性が浮き彫りになり、今後の課題として明確になったといえよう。
また、学習会では、特に「特別措置法」による同和対策事業の功罪について、具体的な施策を点検しながら進められた。たとえば、住環境の整備・仕事保障による経済生活の安定、教育条件の整備による高校・大学進学率の向上、結婚差別の改善(20歳代ではすでに70%以上が部落外との結婚)等々が目に見える成果として確認された。しかし同時に、「特別措置法」によって部落差別が解決するかのように思いこむという否定的側面も確認され、また、その思い込みが行政への依存体質を強めてしまったことも明らかになった。そして、部落差別の解決を目指す主体としての被差別部落民の役割が結果的に大きく後退してしまった、という指摘もあった。
「法」終結後に継続された啓発事業では、被差別部落内外住民による自然な交わり、コミュニケーションの深まりが不可欠である。しかし、現実には一方の当事者であり部落解放運動を担ってきたはずの被差別部落民による〈カムアウト(部落民を名乗る)〉が遅々として進んでいない。学習会では、「私たちの解放運動では、同和対策事業の受給者として部落を名乗ってきたにもかかわらず、それ以外の場では名乗らず、明らかにされることを〈差別〉であると追及してきたが、ほんとうにそれでいいのだろうか」と自嘲気味に語る声も聞かれた。また、残念ながら、家庭内で子どもと部落問題について語ることがほとんどない親たちは、部落民であることに何か負い目を感じているのではないだろうかという意見もでていた。最近、部落問題についての人びとの関心は急速に薄れてきていると言われるが、それに呼応するかのように、被差別部落住民自身も無関心になっている、この状況をどのように捉えればいいのかという発言もあった。
これまでの部落解放運動で、あたかも自明のように捉えられ、ほとんど論議されることがなかった「部落差別とは何か」「部落民とは何か」との問いが、あらためて私たちの前に提起されているのではないか。地元での「提言」学習会の様子からは、そのような部落解放運動の課題が浮き彫りになった。
2「提言」の内容に関して
一方、プロジェクトの定例会では、「提言」の内容について、私のほうから次のような問題提起を行った。以下、その概要を紹介しておきたい。
「提言」は「(1)はじめに-危機的状況を直視する、(2)一連の不祥事の背景の分析と問題点、(3)部落解放運動再生への道、(4)真の人権政策の確立を求めて、(5)むすび-改革を停滞させないために」の5章で構成され、A4用紙24枚に及んでいる。この小文で「提言」についての論議をすべて紹介することは不可能であるため、主として前半の部分に限定せざるを得ないことを了承していただきたい。
(1)「はじめに」には、「確固たる解放の運動主体が形成されないまま、部落解放同盟が社会的に孤立し、権力の介入や行政の部落問題解決への責任放棄を招く危機的事態に立ち至っている」、「部落解放運動は、戦後最大の危機に直面している」、「水平社宣言」(全国水平社)に込められた「85年におよぶ輝かしい闘いの歴史も、このままでは地に堕ちることになりかねない」などの危惧が率直に提示されている。また、「部落解放同盟に対しては、この提言を受けて、あくまで主体的に、徹底した内部討議と総学習を行い、誠実な運動再生への実践を期待する」と結ばれている。
しかし、各地の部落解放同盟支部組織は、2002年3月末で終結した同和対策事業のための「特別措置法」後の新しい運動方向を模索中であり、一時的停滞をきたしている状況にあった。このため、この「提言」を受けとめ直ちに学習・点検活動を支部独自で実施するまでには至っていなかった。また、確かに今回の不祥事は部落解放同盟への信用失墜にかかわる大変な事態かもしれないが、以前にもこれに類似したスキャンダルが起こっており、それに対する内部からの批判もあった(1981年北九州市での部落解放同盟幹部による土地転がし事件への駒井・西岡意見書など)。にもかかわらず、その多くは解放同盟組織そのものの課題として真摯に受けとめられることなく不問にされてきた。
そして87年には、部落解放同盟とともに長く活動してきた藤田敬一氏(岐阜大学教員、当時)は著書『同和はこわい考』(阿吽社)によって、部落解放同盟の「地対協『基本問題検討部会報告書』」(1986年8月)への批判的見解には見過ごすことのできない弱点があると警鐘を鳴らしていた。ところが、部落解放同盟中央本部は、あろうことかこの著書を「権力と対峙しているこの時期に、利敵行為に当たる差別文書である」と中央本部機関紙『解放新聞』紙上で断罪したのである。このように真摯な問題提起を無視しつづけてきた中央本部の姿勢が、同盟員や解放運動に連帯してきた人びとを相当数失望させたことは、紛れもない事実であった。
今回の不祥事に、彼らの多くが「またか、と白けている」ことを私たちは正しく知る必要がある。また、プロジェクト定例会の議論においても、たとえば、かつてと似たような不祥事のくり返しに対する失望感を表明する意見もあった。それ故、今回こそ不祥事を厳しく批判した「提言」に対する曖昧な対応は許されないとの決意が必要なのである。
(2)では、一連の不祥事の背景が分析されている。当然、前述した過去の事件も念頭においた提起であると考えられるのだが、それに対して「今度こそ、事件の背景にある運動論、組織論にも、固定観念にとらわれずにメスを入れ、原因と問題点を真剣に分析、考察する必要がある」と指摘されている。
しかし私にはこの指摘だけでは不満が残る。なぜなら、部落解放同盟の「運動論」と「組織論」を支えてきた支柱とも言える解放理論にメスを入れなければ、今回の不祥事の原因について十分に解明できないと考えるからである。つまり、70年代以降の部落解放運動において、闘争の指針、解放理論の柱と位置付けられてきた「2つのテーゼ」に対する批判的検討なくして、一連の不祥事の背景についての解明が可能なのか、ということである。
2つのテーゼの一つは「ある言動が差別にあたるかどうかはその痛みを知っている被差別者にしかわからない」であり、2つは「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」である。この「2つのテーゼ=朝田理論」には被差別部落民に「部落差別の認定権」を与え、「立場の絶対化」をもたらすことによって、「何が部落差別なのか」の決定を、その時々の状況に委ねてしまう危うさが含まれていた。
「行政による主体性の欠如」についても法律の延長論議のたびに繰り返し改善が求められてきたが、何故「主体性の欠如」が克服されなかったのか、その要因として、この「立場の絶対化」が深く関与していたと指摘されることはなかった。しかし、これまでの行政闘争の多くがこの「立場の絶対化」を拠りどころとして展開されてきたことは明らかなのである。
すでに、20年以前に先述の著書で藤田氏はこの「2つのテーゼ」に対する根底的な疑義を提起していた(57頁)。同時に「差別は人間の尊厳を犯すといいますけれども、しかし差別は、差別される人の人間性をもゆがめるともいえます。部落解放運動をみるとき、『差別の結果』という分析はあっても、崩壊させられていっている感性を、どうとりもどすかが、ほとんど語られないのは、どうしたことかと、私は、いぶかしく思っているのです。『傲慢さを許しているのが、差別だ』という声は聞きますが、その傲慢さの中で、人間がダメにされていっていることへの警鐘が鳴らされることがあまりに少ないのは、どうしてでしょう」(94頁)と、部落解放同盟に対する鋭い問いかけを行っていた。
しかしながら、これらの指摘は部落解放同盟中央本部によって完全に無視されただけではなく、現在もなお公式には『同和はこわい考』は「差別図書」とのレッテルを貼られたままなのである。また、金時鐘氏は、水平社70周年を記念した『京都新聞』(1992年4月)のインタビューの中で、「差別される側のエゴイズム」として次のように語っている。「差別されることにふだんに慣れちゃうと、差別がひどいというのは悪し様に人からひどいことを言われるとか、社会的機構的に格差をつけられるとか、ある特定の場所、勤務先、仕事上から疎外されるとか、そういった機構上の歪みだけじゃないんだね。本当のひどさは、そのことで自分を省みる内省力がなくなっちゃうことなんだね。人からひんしゅくを買うことを一切気にしなくなってしまうことだね」と。
私は、今回の一連の不祥事は藤田氏や金氏が指摘しているように、差別されることによって感性が崩壊し、内省力がなくなった状況のなかで引き起こされたものであり、先の「2つのテーゼ」に依拠することでさらに増幅されたものではないか、と考える。
もちろん、「提言」にもこれまで見てきた事柄について、「7.独善を生んだ運動論のゆがみ」の項には「日本社会では部落差別こそが最も深刻な問題であるという『部落差別最深刻論』の展開が、時には方向を間違えて排除の論理に陥り、他の人権課題に関わる人びととの間に溝を生じさせたきらいがある」、「また、差別の痛みは足を踏まれた者にしか分からないという『差別の痛み論』を突きつけることによって、相手を屈服させる手段に使われてきたという問題もある」と指摘されている。
おわりに
この「提言」を受けた私たちの課題として、「主体的に、徹底した内部討議と総学習」が求められているのであるが、その際、組織の健全さを図る尺度でもあり、われわれ被差別部落民にとって苦手であった、相互批判や自由な内部批判が保障されねばならないことはいうまでもない。この相互批判や内部からの批判の機会を保障するといった点については、プロジェクトの会合でも、参加者からその重要性を指摘する意見が出された。
そのうえで、内部討議では先の「被差別側のエゴイズム」や「ゆがみ」を「部落差別の結果」として、責任を外部に転嫁することなく真摯に受けとめ、その克服を我々自身の部落解放運動の課題と捉えることが求められている。
今日、「2つのテーゼ」についても徹底した論議を通じて、被差別部落民にとって「部落差別とは何か」を新たに定義する解放理論の再構築が期待されている。部落解放運動の再生は、これらの作業なくして達成されるとは考えられない、というのが、私の率直な意見である。