はじめに
これまで本連載では、主に大阪市内の各地域にあるもと青少年会館(以後「青館」と略)の現状報告をおこなってきた。大阪市の関市長(当時)と市議会は、子育て・教育や人権諸課題に関わる地域住民の青館へのニーズ、多様な課題を抱える子ども・青年にとっての居場所・相談場所の必要性等を顧みることなく、青少年会館条例を2006年度末に「廃止」した。その結果、かつての青館諸事業への市のサポートの打ち切りという事態が生じたが、その他方でもと青館施設を利用した自主サークル活動や、地域の保護者を中心としたあらたな子育て・教育のネットワーク活動等、青館がはたしてきた機能の「継承」に向けた自主的な取り組みが徐々に立ち上がりつつあるというのが、今の状況である。
青館諸事業の「廃止」という状況に直面し、これを乗り越えるために、地域の力を背景としてあらたに開始されつつある試み。実は、こうした動きは大阪市内に限ったものではない。例えば兵庫県尼崎市でも2006年4月をもって、大阪市と同様に青館(市内全6館)が「廃止」された。だがそのうちの一館である神崎地区・旧青少年会館では、「廃止」以後、「スマイルひろば」として主に中高生を中心とした多世代交流の試みが続けられ、今春の施設リニューアルを経ることで、ますますその活動が活発化しつつある。
本稿では、青館「廃止」以後の子育て・教育運動と青少年施策のあり方を考える切り口として、この「スマイルひろば」(旧神崎青少年会館)の取り組みを紹介していくこととしたい。
なお、本稿は、筆者も一員として参加している部落解放・人権研究所「青少年拠点施設検討プロジェクト」による調査をもとにしたものであることを、まずおことわりしておく。そして、お忙しいなかをプロジェクトの例会において報告をしていただき、さらにプロジェクトによる取材に応じていただいたスマイルひろばの関係者の方々に、この場をお借りしてあらためてお礼を申しあげる。
スマイルひろばの日常と取り組み
最初に、「スマイルひろば」の日常の様子について紹介する。まず、館自体の規模は、大阪市内の同種の施設と比較すると、グラウンドやステージのある防音ルームも含めてやや小ぶりな印象を受ける。この管理をしておられるのは、日中が市の職員、夜間がシルバー人材センターから派遣されている方々だという。
主に午前中は、乳幼児の子育てなど自主サークルの利用の時間帯である。大人の自主サークルの館利用は活発で、バスケットボール・卓球・太極拳をはじめさまざまなスポーツなどが行われている。また、先にもふれた防音ルームは、今春の館リニューアルに際して整備された大変立派なもので、本格的なステージが設置され、カラオケセット等も用意されている。この部屋を使った和太鼓やカラオケなどの文化サークル活動もさかんにおこなわれているようである。
午後3時を過ぎる頃からは、学校を終えた中高生たちが館にやってくる時間帯である。館内には20畳ほどの畳敷きのゆったりとくつろげる部屋があり、友達と連れだって、「今日も来たで!」といったような声を館のボランティアや職員の方にかけながら入室する子どもが多い。この部屋にはテレビが置かれ、マンガなども数多く並べられていて、各人が思い思いに過ごせるようになっている。また、お菓子や飲み物を持参してくる子どももいる。利用者としては、近くにある小田北中学の生徒の割合が多いが、それ以外の中学・高校から通っているケースもある。多い日には50人ほどの子どもが、グループごと学校ごとにわかれたり、時には一緒に遊んだりしている。他にも館内で卓球をしたり、グラウンドに出てバスケットボールをしたりと基本的に自分たちで過ごし方を決めて、思い思いに過ごしている姿が印象深い。帰宅の時間は、だいたい夕方六時頃となっているそうである。
このように「スマイルひろば」には、毎日、気軽にふらりとやってくる中高生の風景がある。また、それが可能になる条件として、子どもたちにボランティアとして日常的に接している方の存在が大きい。筆者の取材に応じてくださったボランティアの女性は、地域の諸団体の役員も務められており、学校・保育所の給食調理の仕事を退職されるまで長年にわたって子どもたちと接してきたという方である。今は、午前中から子どもたちの帰宅する夜まで館内で過ごし、子どもたちを見守っておられる。子どものおなかが空いている様子の時、彼女は備えつけのお菓子を提供したり、雑談をして過ごしているが、そのようななかで、時には相談事を持ちかけられることもある。また、そうした場合、学校に顔見知りの教員が存在していることや、地域の住民・家庭との日常的な関係も持っているということもあって、子どもたちの相談にも可能な範囲で関わっているという。このように、館にいて、子どもたちをじっくりと見守ることのできるボランティアの方の存在を柱としながら、「スマイルひろば」の日常は成り立っているといえるのだろう。
スマイルひろば開設の経緯と運営体制
右に触れてきたような中高生を中心とした多世代の交流の日常、つまり子どもたちが気軽にふらっと立ち寄ってホッとできる居場所としての「スマイルひろば」は、「青館がつぶされないように地域で取り組んでいく」という関係者の「初心」が一定実現してきた結果とみることができよう。青館の「廃止」前後の経緯と、現在のスマイルひろばの運営体制について、以下で触れていきたい。
まず館における「若者を中心とした多世代交流事業」への積極的な位置づけという、今日のスマイルひろばにつながる流れは、「廃止」以前から存在していたということである。2003年度より、館では兵庫県の「若者ゆうゆう広場事業」を活用し、居場所事業としての「ゆうゆう小田北広場」を展開していたのである。この「若者対象の事業」の実績は、尼崎市の「財政再建」名目による「公共施設の再編(=青館廃止)」の波がおしよせるなかにあって、地域の「青館は地域の宝」「(小学校での放課後の児童育成事業といった)受け皿のない中高生をどうするのか」という声とも結びついていった。
2006年の青館「廃止」前後の特に緊迫した時期には、地域の住民や子どもたちによるワークショップが開始され、それに基づきスマイルひろばの企画運営委員会の結成-具体的な政策提言がなされることで、行政側との間で「多世代交流」という館のあらたな活用の方向性が確立されていくこととなった。また、その後は、先述のゆうゆう小田北広場の日常活動の継続に加え、広く地域住民に呼びかけるかたちでフリーマーケット、たこ焼き大会などさまざまなイベントも開催され、多くの中高生の子どもたちも活躍するという実績が生み出されていった。ちなみにこのたこ焼き大会には、多くの市の幹部や議会関係者が来賓の「審査員」として招待され、子どもたちの作ったたこ焼きが大変好評を得たそうである。これなどは、関係者や子どもたちによる、スマイルひろばの認知・理解を広げるためのさまざまな努力の一端をうかがわせるエピソードではないだろうか。
こうした経緯を経た2008年度からは、あらたに兵庫県の「県民交流広場事業」を活用することで、「スマイルひろば」はリニューアルオープンを迎えることとなった。リニューアル式典は、来賓・舞台出演者・出店者・運営ボランティアなどを含め600人以上の人びとが参加する盛大なものとなった。リニューアルは、館内の防音室の整備等の本格的なもの(改修費用は県の助成)で、市の総合センター分館=「多世代交流施設」としてのスマイルひろばの位置づけがより明確になったとも理解できる。
今日の「スマイルひろば」は、まとめるなら「県からの助成金」(カネ)、「市からの施設提供」(モノ)、「地域による管理運営」(ヒト)という三者の協働がその存立基盤である。「スマイルひろば地域推進委員会」は、二つの連協(社会福祉連絡協議会)をはじめ、人権団体、学校PTA、老人クラブ、文化団体、NPOなど多様な団体の代表者によって構成されており、地域の声や課題を広く反映させる回路としての役割を担っている。初期の段階から地域の要求を「若者を中心とした多世代交流」という政策的方向性として定め、さまざまな既存施策の活用の可能性も含めた提言としてまとめあげ、積極的な行政への働きかけをおこなってきたこと、そのうえで今日の推進委員会にみられるような、スマイルひろばをとりまく幅広い地域の理解・協働の輪をつくりだしていることなど、こうした実践は、今後、各地域における青少年施策や子育て・教育運動の実現を考える際に大きく参考になるのではないだろうか。
まとめにかえて
「スマイルひろば」を支えている地域の「協働」の力を感じさせるものとして、付近にある館の小規模な菜園がある。じゃがいもやトマトなどが植えられ、普段は近くの住民の方がボランティアとして世話をされている。収穫の時期には、子どもたちもお手伝いに参加するとのことである。館の玄関前では、収穫されたジャガイモが一袋100円で販売されていた。ほかにも、スマイルひろばの財政に寄与しているのが、近所の住民の方々から寄せられるアルミ缶であり、館のボランティアの方が圧縮してリサイクルに出すことで運営費に充てているという。あるいは、先述のボランティアの方が折々に子どもたちに提供しているお菓子は、近くの大型ショッピングセンターより館に寄付されたものだそうである。このように地域の「協働」ということが、非常に具体的なかたちで実現されていることに、実際に館を訪ねてみて強い印象を受けた。
もう一つ、実際に訪ねてみて感じたのが、スマイルひろば全体に漂う、何とも言えない「居心地の良さ」である。比較的、施設全体が小さめのつくりということもあり「学校的」な雰囲気が希薄なこと、子ども対応のボランティアの方の目配りや「ほっとできる居場所に」という対応、そして先述の「協働」により支えられているという手作り的な雰囲気が施設全体にあることなど、これは子どもたちにとっても過ごしやすいところなんだろうと納得させられるところが多かった。一日平均20人近い中高生が立ち寄る「居場所」が、困難を乗り越えた結果として継続していることに、あらためて敬意を表したいと強く思う。