はじめに
先日、「青少年施設を中心とした各地区拠点施設のあり方プロジェクト」に出席、当サークルの活動を報告する機会を得た。このプロジェクトは、大阪市立青少年会館条例廃止後の各地での活動の状況報告と、これからの活動を今後にどう活かすかが大きな目的であると思う。また、今後のプロジェクトの取り組みでは、大阪市内各地の青少年会館で行われていた「子ども広場事業」など、各種事業の「歴史的検証」作業を始めていくという。
さて、条例廃止に伴い、すでに青少年会館から子どもたちの歓声が遠ざかって一年半が過ぎようとしている。多くの子どもたちの集った「広場事業」もすでに「歴史」となりつつあるのか。また、条例廃止後に活動を始めた我々のサークルも、各地で活動する団体の中でどのような位置をしめるのであろうか。今回の報告で、各地での取り組みの一助になればと思い、この間の活動について少しばかりの振り返りを行うことにしたい。
どこへいった一一八人のニーズ
条例廃止以前の西成青少年会館で行われていた「子ども広場事業」(長橋チップス、以下、チップスと略)では、2006年度の登録者数は、低学年65名、高学年34名、中学生19名の合計118名が登録していた。この年度の活動実績は、低学年7,371名、高学年5,174名、中学生1,966名であり、活動日数281日、1日平均51名の活動実績があった。給食提供は3,507食(土曜日や夏、冬、春の長期休暇時)、補食(おやつ)提供は5,334食(1日平均、18食)にのぼる。
ちなみにチップス(CHIP,S)とは「小さな木のかけら」という意味で、C=CHALLENGE(チャレンジ)挑戦する。H=HUMAN(ヒューマン)人を大切にする。I=INTEREST(インタレスト)興味を持つ。P=PLAY(プレイ)あそび。S=SELF(セルフ)自分で・自立しよう。という思いが込められており、小さなかけらでもみんなが集まり、友達といっしょに楽しく遊びながら、いろいろなことに興味を持ち、自分で進んでいこうという意味も含まれている。具体的な事業内容等については、後述する。
チップスの登録者は複数の小学校区に及ぶ。条例(チップス)廃止後の主要な小学校区の「児童いきいき活動」(以下、「いきいき活動」と略)の登録、活動状況と比較してみる。2006年度の低学年の登録は88名、2007年度は94名である。また、高学年の登録者数は、2006年度では68名、2007年度は71名である。したがって、条例廃止前後での登録者数の変化は、低学年はプラス6名、高学年はプラス3名である。その上、実際に「いきいき活動」に参加した参加者数を2006年・2007年の5月時点での数字で比較すると、低学年は1日平均でマイナス1(2006年38人/2007年37人)、高学年はマイナス4(2006年16人/2007年12人)となっている(ちなみに、「いきいき活動」とチップス活動は重複して登録、参加できる)。したがって、この数字だけ見ると、チップスの廃止が必ずしも「児童いきいき活動」への参加へと結びついていないとも言える。両事業ともに登録者数と参加者数に差がある。
条例廃止に伴い、チップスに参加していた118人のニーズはいったいどこへ、そしてどうなったのであろうか。
なお、西成青少年会館では、「チップス」以外にも「青少年育成相談事業」(延べ回数941回/総人数1,076人、以下同じ)、「青少年サポート事業」(103回/1,423人)、「主催講座等」(547回/18,544人)、「その他」(6,154回/39,037人)の利用者がいた。そのこともあわせて紹介しておきたい。
子ども広場事業・長橋チップスについて
長橋チップスの発足は、歴史的には1959(昭和34年)年頃、部落解放同盟西成支部を中心に、特別修学奨励費獲得を中心とする教育と子どもを守る運動が展開された。その運動の中で、放課後の「鍵っ子」対策として、地域の子どもたちを対象として「子ども会」が結成されたことにさかのぼる。
一方、大阪市の事業としての「子ども広場事業」は、家庭・地域教育の推進(子ども育成事業としての性格を持っていた。その目的は「子どもの育つ力を支援する「あそび」や学習の機会提供を、保護者の参加・参画を得て、地域ぐるみの子育てを促進する中で行っていく。この場では、障害のある子とない子が一緒に育ち合う取り組みや児童いきいき放課後事業との連携・交流もあわせて図っていく」である。
さて、長橋チップスの取り組みは、実施時間は月曜日から金曜日の放課後から午後5時(延長もあった)、土曜日及び春、夏、冬の長期休業中の午前9時30分から五時までであり、早朝からの参加も可能な対応があった。事業対象は大阪市内に居住し、参加を希望する小中学生(おおむね中学校区を想定)としていた。
事業内容としては、身体を使った活動(ボール遊び、かけっこ、一輪車、縄跳びなど)、豊かな心を育む活動(読書、絵画、工作、手芸、ブロック遊び、紙芝居、歌、劇遊びなど)、歴史や地域文化に学ぶ(史跡見学、仕事場見学、調査、伝統芸能など)、知育ゲームなど(囲碁、将棋、オセロ、ジクソーパズルなど)、その他、児童生徒の健全育成を図るために必要な活動を行ってきた。また、事業のなかでは、保護者、地域の人材等を活用し、大人から子どもへ引き継がれていく伝統文化、地域の歴史などを積極的に取り入れることも考慮されてきた。
「2006年度子ども広場事業、長橋チップス登録案内」では、これらの事業目的を基本としながら、下記の年間活動を基本として行われた。
(年間の主な行事)
4月 新一年生活動
5月 家庭訪問
6月 遊び体験活動
7月 プール活動・夏期教育活動
8月 キャンプ(びわ湖)、夕涼み会
9月 プール納め
10月 親子活動
11月 室内ゲーム大会
12月 お楽しみ会
1月 冬期活動
2月 保育所年長児との交流
3月 館まつり・春期活動
あらためてチップスの活動内容をみるとき、条例廃止に伴う見えぬ子どもをめぐるセイフティネットの逸失は計り知れぬものだと思わざるを得ない。また、これらの事業の実施については、ハード(施設)としての青少年会館と、ソフト(人的資源)としての社会同和教育指導員をはじめ館職員の存在をぬきには語れない。
西成子ども応援サークル「スプッチ」の立ち上げ
2006年6月から大阪市の「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」での議論を経て、10月10日、今後の見直し等についての方針案が示された。この方針案のなかで、大阪市側は、「青少年会館条例の平成18年度末で廃止、その他(子ども広場事業などは)については本市の事業としては廃止する。(中略)なお、平成19年度に限り、現行の青少年会館は普通財産として暫定的に管理することとし、市民の幅広い利用に供する」と発表した。「その他については本市としては廃止する」という表現は、「チップス」など子どもの広場事業に参加していた子ども、保護者に思いを寄せることもない、わずかな言葉での表現である。
子どもたちにとって、「チップス」はどのような意味をもっていたのであろうか。残念ながらすべての子どもたちに聞くことができなかったので全体像はつかめないが、学校帰りに青少年会館で「遊び」「勉強する」(宿題をする)「食べる」(補食・おやつ)事ができる、自由に過ごせる安全な「居場所」であった。だからこそ、日常的に50名を超える参加者があった。
保護者にとっても、家や公園などで子どもだけで遊ばせているよりも安心であり、働いている保護者を応援するという面もあった。子どもを迎えに行ったとき、その日の子どもの行動で気になることなどの「引き継ぎ」があるので、子どもの遊ぶ姿も連想できた。また、早朝、延長で子どもが参加でき、指導員が見守る制度もあったので、何よりも早朝から働く者にとってはありがたかった。ちなみに、2007年11月9日毎日新聞夕刊(大阪版)の記事「巨大都市を問う07大阪市長選」では、「子ども広場事業」を利用するため、わざわざ引っ越しまでした保護者の「学校や家庭との連携も緊密で、助かっていた。子どもの居場所がわからなくなったときは職員も一緒に捜してくれた」という意見が紹介されていたほどある。
チップスの廃止は、子どもにとっての「居場所」のひとつがなくなることを意味する。チップスの保護者たちは、青少年会館条例廃止反対とチップスの存続を願っての署名(4千人以上を集めた)や西成区選出の市会議員への要請行動や大阪市との話し合いも行った。これらの活動は当事者である子どもたちの保護者の主体的な活動であったが、大阪市の決定を覆すことには至らず、結果的には実を結ばなかった。
大阪市との話し合いでは、廃止に伴う「受け皿」として「児童いきいき活動」へ誘導するとのことであった。前述の数字から必ずしも「誘導」しきれたと言えないが、ただ、それは活動内容と子どものニーズ、選択の問題でもある。
ところで、チップスの保護者会では、2007年1月くらいから、指導員も含め何回かの打ち合わせを行ったが、条例廃止後どうするかについて、明確な方向は出せなかった。従来通りの大阪市の事業としての財政的、人的資源の応援はまったく皆無となる。この状況下では今まで通りの活動の継続は果たして可能なのか。かなりの困難が予想された。この時点で保護者会では、「チップス」が廃止される現状において、今までの「チップス」の趣旨、目的を継承させた活動をするのであれば、保護者を中心として「何らかの新たな活動」を立ち上げるしか方法・選択肢はなかった。
そんななか、3月21日にはチップス最後の親子行事である「つなごう!つながろう!親子バーベキュー交流会」があった。4月以降の活動の提案はこの日を逃すと難しくこの日が提案のリミットであった。
西成青少年会館の広報誌「実のなる木」(西成青少年会館だより)(最終)号において「2007年3月21日午前10時、青少年会館で、チップス(子ども広場事業)保護者世話役会主催のバーベキュー交流会をおこないます。子ども広場事業としてのチップスは、今年度限りとなりますが、何とか来年度もチップスを引き継ぐ活動をしたいと検討しているところです。この交流会で、2007年4月からの子どもたちの活動、居場所について、保護者の世話役から具体的な提案があります。提案の内容について、保護者の皆さんと率直に話し合いたいと考えています。あるいは、日常の問題意識を出し合い、保護者がつながっていけたらいいなぁと思っています。一人でも多くの保護者の参加をお願いいたします。参加した子どもたちには、夏のキャンプやチップス活動の様子を思い出すビデオ上映もあります。保護者や子どもたち、職員、スタッフなどが楽しいひと時を一緒に過ごす交流会にしたいと思います。基本的な対象は、チップス利用者や保護者ですが、来年度の活動に興味のある方も大歓迎です」と呼びかけを行った。こうして3月21日を迎えた。
「つなごう!つながろう!親子バーベキュー交流会」は保護者も参加するチップス最後の行事であったが、その前段の保護者集会で世話役から、月に1回、毎月第四土曜日に子どもたちの「居場所」を提供する活動を保護者、ボランティアが中心となり行うことを提案し、参加を呼びかけた。(当日の資料は当サークルブログのフリーページを参照このサークル名は「スプッチ」であり、「児童、生徒の育つ力を支援する「遊び」や学習の機会提供を保護者の積極的な参加、参画を得て、地域ぐるみの子育てを促進する中で行い、豊かな人間形成と会員相互の親睦を図る」ことが目的であり、チップス(子ども広場事業)の目的を基本的に踏襲し、保護者の積極的参加を加えた。すでにお気づきの方もおられることと思うが、サークル名は「チップス」の逆さ読みである。「チップスがこけてもた」という、ある指導員の実際の発言にヒントをもらった(「チップス」が(大阪市によって『こかされて』しまった。廃止させられたという意味もある)。
スプッチ活動の実際
スプッチを発足し、子どもたちの「居場所」となるような活動を始めるに当たって、運営、受け入れる側の体制の問題があった。当然、それらの活動を必要とする子どもたちと保護者「世話役」が中心となり、今までの指導員に変わる役割が求められた。参加した保護者には確たる自信があったわけではなかったが、活動を継続したい気持ちが活動を支えた。まずは、保護者を中心としながらも、チップス時代からの指導員、事務職員の方々にボランティア参加を要請した。
四月から月に一回、青少年会館を子どもたちの「居場所」として、引き続き自由にのびのびと遊ぶことから始めた(具体的な活動内容は、前出の当サークルブログを参照)。活動には、財政的裏付けは何もなく、現在も不十分であるが、活動ごとに昼食費や交通費など参加費実費を徴収し、青少年会館での活動に加えて館外活動として無料施設の見学会を行った。また、大阪市の「子ども体験デリバリー事業」の豊富なメニューリストから活動を誘致し定期活動日(第四土曜日)に、これらの事業の受け入れ団体としてスプッチ参加者以外にも参加者を募って取り組んだ。この事業は子どもたちにとっても親しみやすく楽しい参加型の豊富なメニューが用意されている。これに加えて、大阪市の生涯学習ネットワーク事業の実施団体として、「盲導犬の役割と活動」の学習会を定期活動に盛り込んで実施したり、活動を維持するため地域諸団体主催の行事のバザー出店を活動と位置づけて取り組んだり、アルミ缶のリサイクル回収を行ってきた。そして、地域諸団体の協力を得て、子どもの「居場所」と「自主学習」を支援するために冬休み、春休みの長期休暇中に青少年会館で活動を行った。
日常的な運営は、今までのように青少年会館が担った役割を保護者自身が担うため、各種取り組みの連絡体制など課題はあった。そこで、スプッチのブログを立ち上げて、活動などの連絡手段とし、サークルの活動をその都度アップしていった。フリーメールのアドレスを作成して連絡することにした。ただし、これですべての連絡がスムーズにできるわけではないが、かなりの連絡事務のスリム化も図れた。ブログを活用してサークル会員への情報提供を行っている。更新の作業は大変だが、活動の感想なども書き込めるので、参加者の意向もある程度ブログから把握できるようになった。
できることを、できる人から-これからの課題-
保護者を中心としてボランティアの協力により、スプッチはどうにかこうにか1年間の活動を継続し、現在も継続中である。1年間の活動で、スプッチの目的をどこまで達成できたのであろうか。まずは「居場所」として青少年会館で活動する「形」は作れたが、とても「広場事業」(チップス)廃止後の受け皿にはなりきれていないし、とてもチップスと同じ活動は維持できない。ここがチップスとスプッチの違うところである。
これからのスプッチの活動は、子どもと保護者を中心としつつ、ボランティアとじっくり活動内容を検討しながら進めていきたい。また、月1回の活動では、チップスのように1年間かけての子どもの集団作りは非常に難しいが、毎月1回の活動を楽しみにしている子どももいるので、それには応えたい。
子どもだけでなく参加する保護者、ボランティアにとっても負担感ばかりでは長続きしないので、できることを、できる人からという緩やかな運営も必要である。そういう意味では、このコーナーでよく拝見する住友剛さん(京都精華大学)のブログには勇気づけられた。
住友さんがブログに書いていた下記の内容は、当サークルのホームページでも紹介させていただいたが、まさに「我が意を得たり」であった。
- 子どもの居場所が必要であれば、動ける人・動きたい人が、自分たちの動ける範囲で、まず、青少年会館で何かの活動をはじめる。そのため、ひとりで無理であれば、二人、三人と仲間を集めて、何かできるのではないか。
- 自分から何らの活動を初めて、わかってきたこと、明らかになったことについては、活動に参加している者で、積極的に情報の共有をする。
- そのためにも、自分たちが何を目的にして、どう活動しているのかという情報を発信することが大事である。
スプッチではこの三点に勇気づけられ、参加者がたとえ少なくても集まれる人だけでも集まろうと思い活動を継続している。
スプッチ活動を初めてあっという間に一年半が過ぎた。毎月の活動に加えて、春、夏、冬の長期休暇中の活動も行った。今後は平日に週に何日でもいいから、青少年会館で学童保育的な日常活動をできないかと思う。実現のためには何が必要か、保護者、ボランティアなど関係者との議論を始めたい。
おわりに
親の立場から、「子ども広場事業」(長橋チップス)と条例廃止後のスプッチの活動について書いてみた。あらためて、子どもの「学び」を応援する貴重な機会が無くなってしまったことに落胆する。
しかし、逆戻りはできない。まずは子どもたちの「居場所」を必要とする者から声をあげ、自分たちで活動を創ることが重要である。そして、元社会同和教育指導員をはじめ、今までこの事業に関わった人、団体に協力してもらえるようになればと思う。
最後に、大阪市の青少年会館で行われてきた諸事業の検証ともなれば、これらに実際に関わってきた元社会同和教育指導員や関係職員による作業が不可欠ではないかと考える。同時に歴史的検証のみでなく、培われてきたものの地域での子どもに関する活動への還元・継承の作業も併せてお願いできればと思う。
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