大阪市の「市民交流センター(仮称)」提案を前にして
この原稿を書こうと思ったときに、朝日新聞大阪版2008年11月12日付けの記事で、大阪市側が人権文化センターと旧青少年会館(以下「旧青館」と略)などの同和地区(以下「地区」と略)内のさまざまな拠点施設を統合して、「市民交流センター(仮称)」を設置するという案を持っていることを知った。
もちろん今後、まだいろいろな紆余曲折がありそうで、この案のとおり進むかどうかわからない。しかし、もしも旧青館と人権文化センター等との統合を大阪市側が本気ですすめるのであれば、例えば前回この連載で取り上げた識字教室のことも、今回取り上げる生江地区「なぎさ会」や、前々回の西成地区「スプッチ」のような子ども会のことも、きちんと位置付けた上で話をすすめてほしい。また、今、旧青館のスポーツ施設部分を利用中の人びとの声も、ていねいに大阪市側は聴き取った上で、今後の施策を検討してほしい。そして、人権文化センターの施設部分だけでなく、旧青館の施設部分の有効活用も含めて、地区内拠点施設のあり方を検討していただきたい。
一方、現在、旧青館を利用してさまざまな活動を続けている人びとも、例えば子ども会活動や中高生の学習会ほか各種サークル活動、識字教室、あるいは「ほっとスペース事業」で活動中のNPOなど、それぞれの立場から大阪市側に対して、地区内にどのような拠点施設が必要で、そこがあればどのような活動が展開できるのか等、積極的に要望・意見等を出すべきであろう。そうでなければ、今、使っている旧青館は利用停止となり、風雨にさらされて朽ち果てるのを待つのみ、ということにもなりかねない。
少なくともこの2年弱ほどの旧青館を使った諸活動を見てきた者として言えば、地元から芽生えてきた自主的な学習・文化活動や子育て関連の活動などを継続させたり、さらに活性化させたりする形で、この「市民交流センター(仮称)」構想は練られるべきであると考える。また、例えば貸室部分の利用率や建物の維持費や人件費など、書類に現れた数値データだけで構想を練っていると、こうした地区内拠点施設を使って、人権尊重の視点に立ったコミュニティ形成に向けて地道に取り組んでいる人びとの取り組みを、新たな施策導入がかえって阻害することにもなりかねない。そうなってしまえば、なんのための「市民交流センター」設置構想なのか、と言わねばならない。
「なぎさ会」のみなさんとの交流から
さて、この連載記事の多くは、すでにご存知の方も多いだろうが、部落解放・人権研究所の「青少年拠点施設検討プロジェクト」の会合で報告された内容から生まれてきたものである。このプロジェクトは、大阪市内の青少年会館条例廃止(2007年3月末、以後「青館条例」と略)以来、地区内の子ども・若者や住民の学習・文化活動などを、暫定的に市民利用施設として位置付けられた旧青館を利用してどのようにすすめるかという問題意識に沿って、各地区での取り組みの現状と課題の把握を中心に、2007年6月から活動を続けてきた。そして、2007年の78月に第1次ヒアリングを行い、2008年春には第2次ヒアリングを行ってきた。また、第2次ヒアリングの結果をもとに、このプロジェクトでは各地区で実際に活動中の方に来ていただき、子どもや若者、保護者の活動状況などについてさらに詳しく事情を聴く機会を設けてきた。今回取り上げる生江地区「なぎさ会」の活動も、このヒアリングのなかで知ったものである。
2007年夏、私を含むプロジェクトのメンバーが生江地区の旧青館に第1次ヒアリングに伺った。そのとき、「我々は毎日、誰かが交代で有給休暇をとってでも、夏休み中にこの旧青館施設を使って、子ども会活動をやりきるのだ」という話が、「なぎさ会」のスタッフの側から出された。もちろん、「なぎさ会」スタッフといっても、地元の部落解放同盟支部の役員の方や、地区内の福祉施設に勤務する支部青年部の方たちである。スタッフのみなさんの「覚悟」を前に、「この人たちをなんとかして、側面からでもサポートし続けなければ」と、その話を聴いたときに私は思った。
その頃の「なぎさ会」は、高校生ボランティアと数人の子どもたちが、旧青館のどこかに場所を確保して夏休みの活動を続けていた。その活動を、支部役員や青年部のメンバーが交代でつきそい、いっしょに子どもたちとかかわっていた。夏休み中ということもあって、午前中は学校の宿題などの学習に取り組み、昼食後は近隣のプールに出かけたり、涼しい部屋でいっしょに映画を見たり、という活動内容が中心だった。その後「なぎさ会」は、例えば学期中の土曜日などにバーベキューをしたり、あるいは、施設見学に出かけたり、大阪市の体験活動デリバリー事業に参加したり、という形で活動を継続した。
2008年の7月、あらためて「なぎさ会」の活動をサポートしているスタッフの方に、プロジェクトとして話を聴く会を設けた。そこであらためて、「なぎさ会」が1年以上にわたって活動を継続する中で培ってきたものの大きさを実感した。
「なぎさ会」は2008年夏の時点で、平日の放課後や土曜日も旧青館内になんとか場所を確保しつつ、高校生ボランティアと支部青年部のメンバーが中心となって、子どもの居場所づくり活動を続けていた。当初は10名弱くらいでスタートした会であったが、2008年夏頃になると常時20名弱の子どもが居場所に集まってくるとのことだった。また、人数は少ないものの、障がいのある子どもや、地区外の子どもも居場所活動に参加していた。以前、「子どもの広場事業」があった時期から旧青館に通っていた子どもたちだけでなく、ここで居場所活動をしていることを聴いて、新たに参加するようになった子どももいるそうだ。なお、「なぎさ会」の活動への理解や協力を得るべく、活動に参加する子どもの保護者会も結成されている。
このときに関係者から話を聴いたときには、最近、「なぎさ会」は集団づくりを意識して、毎日、夕方の解散時刻の前になると「おわりの会」を開き、居場所活動でのルールを確認しているとのことであった。そのルールは、例えば「使ったモノの片付け・整理」や「あいさつをする」「ことばづかいに気をつける」ということが主なものであるが。また、2008年の夏休みには、福井県の敦賀市で2泊3日のキャンプを実施したのだが、そのテーマは「自分たちのことは、自分たちで責任をもってやろう!!」というものであった。そして、そのキャンプでは高校生ボランティアや年長の子どもが、家を離れてはじめて寝起きする年下の子どもの面倒をみる姿が見られたという。なお、2008年夏のキャンプの実施にあたっては、青年部スタッフの手で、イラスト入りの色刷りのパンフレットも作成されていた。
実際、夏休みのある日、私は生江地区の旧青館で活動中の「なぎさ会」の様子を見る機会を得た。この日はキャンプの前でその準備があるため、例えば近隣のプールに行くなど、特に行事の予定が組まれていた日ではなかった。子どもたちは朝から集まってきて、各自の宿題に取り組んだり、高校生ボランティアといっしょに遊んだり、子どもどうしでゲームを楽しんだりしていた。その場には、支部青年部のメンバーや支部役員の方がいて、子どもたちも何かと話しかけていた。
私の印象では、この日の「なぎさ会」は、まさに「子どもたちが集まって、のんびりと過ごす居場所」という雰囲気だった。また、私に同行した他支部の役員の方は、「こういう、まずは集まる場所をつくる活動からはじめていいのであれば、私らにも、旧青館を活用して何かできるかもしれない」と語っていた。そして私は、常時活動できる場所の確保や運営資金、スタッフの配置といった課題さえクリアできれば、この「なぎさ会」が母体となった学童保育活動や中高生の学習支援活動などができるのではないか、と思った。
「なぎさ会」の活動にこめられた願い
もちろん、「なぎさ会」は何もかも順調というわけではない。例えば、2008年夏のヒアリング時点でも、今は高校生ボランティアの卒業後、子ども会活動はどのように継続すればいいか、という課題があるとのことだった。また、支部役員や青年部のメンバーが子ども及び高校生ボランティアをサポートしているが、それぞれの方の本業との関係で、本業が忙しい時期であれば、それにも限界があるとのこと。さらに、経済的にしんどい家庭の子どもの場合、例えば2泊3日のキャンプを実施する時や、施設見学などで遠出する際の金銭的な負担が大きいと参加しづらいということもある。このほか、活動に参加する子どもたちの「学力」問題への取り組みや、子どもたちの人権学習や部落問題学習への取り組みをどうすすめるか、といった課題もある。そして、どのような形であれ「なぎさ会」に参加する地区の子どものことはいいとして、そこに参加していない子どもがどのような状態に置かれているのかが心配だという声もある。
ただ、「なぎさ会」を支部青年部や役員、高校生ボランティアなどで運営するようになって、「とてもよかった」とのこと。その理由は、「今まで青館事業があった頃は、青館任せに地元の子どものことをしてきた」ので、「今のほうが、1人ひとりの子どもと支部のメンバーとのつながりを、直接つくることができるようになった」からとのことである。また、生江地区では支部の教育対策部を経由して連絡をとりあうことによって、地元の学校園や関係機関との連携をはかることもできているとのことであった。
そして、忘れてはならないのは、2007年夏の第1次ヒアリングの際、子ども会活動の再建に向けて乗り出そうとした理由として、「このピンチをチャンスに」と言った支部役員の方の思いである。このときのヒアリングでは、ある役員の方が、「飛鳥会事件以後、青館条例廃止への腹立ちなどはいろいろあるが、親が部落解放運動をやっていること自体へのマイナスイメージが出てきている。おとなはそのマイナスイメージやプレッシャーを乗り越えられるかもしれないが、子どもにとってはどうだったのか」ということを語っておられた。また、あらためて自分たちが中心になって、旧青館を活用して子ども会活動をはじめるときに、保護者の間から「大丈夫かな」と心配する声があったそうだ。
しかし、支部のみなさんは「なんとかして活動を継続して実績をつくるしかない。そこからもう1度、部落解放子ども会的な取り組みを再開することができないか」と考え、「何か日常活動を地元主体でとにかく打っていこう」「自分たちがクタクタになっても、ひとりでも参加者がいればやろう」という思いで、2007年の春から動いてきた。まさに、支部役員や青年部のみなさんは、「青館条例廃止という事態を迎えても、部落解放運動へのマイナスイメージが強くなっても、そのことで、地元での子どもに関する取り組みの火を消してはならない」という願いを抱いていた。その願いが、この「なぎさ会」の活動を継続させていくエネルギーになったのではないか。
私は「なぎさ会」スタッフへの2度のヒアリングを通して、あるいは、実際の活動場面の見学を通して、このことを実感した。また、だからこそ私は、「粘り強く各地区の旧青館を使って、子ども・若者の活動や識字教室の活動、保護者会や学習・文化サークル活動などに取り組む人びとにこそ、これから先の展望を切り開く何かがある」と考えて、可能な限りの支援を続けたいと思う。
着実に実績をあげている新たな地元の動きへの支援を
最後にもう1度、「市民交流センター(仮称)」の話に戻る。
大阪市が今練っている「市民交流センター(仮称)」構想は、「なぎさ会」のように今、着実に地元の子どもたちを集め、居場所づくり活動などを行っている取り組みに対して、負の影響を与えるような構想になってはいけない。逆にプラスになるものであれば、どんどん、大阪市に取り組んでいただきたい。
今でも旧青館を使って子ども会活動をするときには、例えば調理室が使えない等、さまざまな制約があると聞く。また、土曜日などは他の利用者との競合で場所とりがうまくいかず、活動内容を変更せざるをえないケースもあるらしい。そこから考えると、「市民交流センター(仮称)」をつくることによって、大阪市側が人権文化センターのみに地区内の施設利用を集約させ、旧青館等の施設自体が全く使えないということになれば、条件次第では子どもや若者、地区住民の活動場所に関する制約は厳しくなるかもしれない。施設機能の集約ということによって、確かに施設の利用率があがるかもしれない。だが、逆にそのことで、子どもと保護者、地区住民、高齢者などの多世代交流活動が停滞することになれば、何のための「市民交流センター(仮称)」なのか、ということになるだろう。
このような危険性を考えても、今、もうすでに「なぎさ会」のように着実に実績をあげている地元からの新たな取り組みに対しては、まずはその活動継続と活性化に向けての支援施策を、例えば旧青館の施設利用面から考えてもよいのではないだろうか。また、そういう施策は、例えば行政施策の担当者が庁舎のなかで、利用率や人件費・光熱水費等の数値データばかりを見ていてもでてこないように思う。おそらく、行政の担当者が現場に出向いて、子どもや保護者、地元住民等の活動状況を見て、直接、当事者の意見を聴かなければわからないことも多いのではないか。そして今、旧青館で活動中の人びとの話をよく聴くなかで、従来よりも経費負担も少ないだけでなく、かえって遊休施設もうまく活用できるような、そんな施策のアイデアも多々でてくるように思うのだが、いかがなものだろうか。
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