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2006.12.04
<人権を大切にしたキャリア教育の実践>
 
人権を大切にしたキャリア教育の実践

進路を切り拓くキャリア教育の構築
― 若者の社会的自立をめざして ―

桂 正孝  

1 今、なぜ、キャリア教育なのか

1990年代に入り、東西冷戦構造が崩壊した。経済のグローバル化が急速にすすみ、世界は市場経済重視の「大競争時代」に突入した。日本の政治は、グローバル化への国家戦略を欠き、少子高齢化社会への対応を怠り、経済のバブル化とその崩壊を招いた。今もなお、財政赤字は拡大しつつあり、未曾有の経済的破局の渕に立っている。一部大企業で景気が回復しているのに、完全失業率は4.6%(291万人、ただし近畿は4.7%、2005年11月)前後の横ばい状態にあり、雇用不安も深刻なままである。階層格差・地域格差は増大し、公的なセーフティ・ネットの未形成の中で、リストラや倒産など経済・生活問題に起因する中高年層の自殺が激増し、総数では7年連続3万人を超え、2003年は、34,427人に達している。

 日本の労働市場の特徴といわれた終身雇用、年功序列、企業内組合、企業内教育訓練などの社会経済制度が、この激変転換期のなかで、根底から揺さぶられ、解体しつつある。4月一括採用という新規学卒優遇制度の形骸化も著しい。

 とりわけ、新規高卒予定者に対する職安・学校・企業の連携による一人一社制・学業成績重視・実績主義といった学校から就職への日本型移行システムの形骸化は、従来の直接職業に関連したスキルや資格を重視しない採用慣行も手伝って、「就社意識」はあっても職業観の育成や職業準備教育が不十分な、変化に対応できない若者を大量に生み出している。

 内閣府の『平成14年版 国民生活白書』によると、フリーター(15〜34歳、パートやアルバイト、失業者)人口が2001年に417万人に達し、10年間で2倍強に増え、通学や職探し、職業訓練をしていない「ニート」(NEET)が、『平成14年 就業構造基本調査』をもとにした2002年推計で約85万人に上ると発表された。今では日本の労働者の約30%が、非正規雇用者になっている。

 近年、新規高校卒、大学卒の無業率が、それぞれ10%、20%を越え、毎年30万人近い若者が正規の就職をしない・できない状況に陥り、失業率10%前後の若者高失業時代を迎えている。いずれにしても、我が国の将来を担う若者たちが、人生の門出において仕事に誇りと将来に希望を持てず、社会的自立をはばまれている事態は、少子高齢化に向かう日本社会にとって深刻かつ重大である。

 また、産業構造の激変によって、労働内容が高度化・専門化・流動化するにつれ、専門職の需要が増大すると共に高等教育への需要が高まり、新規採用を大学卒に限定する企業・地方自治体も珍しくない。

 さらに、中小企業の海外移転や流入する外国人労働者との競合もあり、新規高卒の求人が激減した結果として、より低学歴や低所得階層の者には、世間的に忌避される3K労働や特定の職種にしか門戸が開かれなくなっている。

 また、昨年発刊された『排除される若者たち フリーターと不平等の再生産』(社団法人・部落解放・人権研究所、2005年4月)によれば、大阪のフリーターや若年失業者が、被差別部落出身者などマイノリティの中の所得・学歴・文化資本面での低い階層からより多く出現していることが明らかにされている。

 こうした背景には、企業の採用抑制戦略のもとで若者の自立支援に対応した公的で包括的な社会・経済システムが欠落しているのと同時に、より確かな職業観や労働観・人生観の確立が欠けており、それを育成するキャリア教育・職業教育の不足があることも認めねばなるまい。とりわけ、大学非進学者の多い普通科高校で高卒無業者が出現しやすい傾向が認められる。


 2 職業選択の自由を求めて

 (1) 同対審答申と就職差別撤廃闘争

 戦後、部落解放同盟が主導した部落解放国策樹立請願運動によって引き出された同和対策審議会答申(1965年、以下、同対審答申と略称)が、「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、国民的課題である」との画期的な認識を示したことに基づいて、その後33年にわたる「同和対策特別措置法」(1969年、以下、特措法と略称)等による同和対策事業が実施された。この間、生活環境改善だけでなく、労働行政、医療・福祉行政をはじめ同和教育・啓発の取組みも大きく進展した。日本国憲法の立憲主義に基づいて、部落問題の解決に国が行政的責任を認め、取り組み始めるのに、約20年近い歳月を要したことになる。

 同対審答申は、「近代社会における部落差別とは、市民的権利、自由の侵害」であり、「市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり」、なかでも「職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことがとくに重大である」との認識を示し、「近代産業から締出され、いわゆる停滞的過剰人口が同和地区に数多く滞留している」と分析した。

 同対審答申の社会的認識は、産業構造の近代化を課題とする、いわゆる「二重構造」論の理論的枠組みによって立論されていた。それは、経済のなかに近代的な部分と前近代的な部分が並存しており、その先進的、近代的な部分を前近代的な部分が支えているという経済構造の特質を意味していた。部落差別を、「半封建的な身分差別」と規定し、「前近代的な身分社会の性格を持っている」ととらえ、「二重構造を解消する政策の一貫として」、同和対策を位置づけていたのである。こうした観点から、具体的方策として、「学力の向上措置」「進路指導に関する措置」や「就学、進学援助措置」などが打ち出された。

 同対審答申の視座は、憲法の基本的人権の条項、とりわけ、第14条(法の下の平等)、第22条(職業選択の自由)、第25条(生存権)、第26条(受教育権)、第27条(勤労の権利)などに立脚し、「職業選択の自由」の保障には、「就職の機会均等」の保障が不可欠で、表裏一体の関係にあるとの認識に立っていた。

この「就職の機会均等」の旗印のもとに、1960年代の前半、中学校・高等学校の現場教員を中心として就職差別撤廃闘争が行われ、人権保障の観点から「就職指導」「進路指導」という既成の用語に対し、「就職保障」「進路保障」という新しい用語が、全国同和教育研究協議会の研究活動の深まりの中で創出された。

 さらに、1960年代後半から70年代にかけて、特措法下で成績条項を撤廃した部落解放奨学金の制度が確立され、就職差別撤廃闘争を通して各地で進路保障協議会が結成され、新規高卒者用の全国統一応募書類を策定するに至った。

こうして、被差別部落(以下、部落と略称)の子どもたちの高校進学率も、1975年にかけて急上昇し、全国平均で部落外との格差が5%まで縮小したが、それ以上の縮小は見られず、高度成長時代においても、定・通制高校への進学者が多く、就職時に「金の卵」扱いされることはなかった。高校中退率は部落外の2〜3倍に達し、その傾向は現在も続いている。大学進学率も、全国平均の半分から3分の2程度で低迷しており、高等教育への教育機会における差別的格差構造は、今日に至るもほとんど解消されていない。

    (2)就職差別撤廃運動の新たな地平

 同対審答申の「職業選択の自由と就職の機会均等の保障」という視座は、職業安定法第3条において「何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導について、差別的取扱を受けることがない」と明記されている。

だが、統一応募書類の使用が開始される以前の従来の採用選考においては、戸籍謄(抄)本と社用紙の提出が応募者に課せられていた。その社用紙には、本籍地、家族の職業・役職や学歴、収入、資産、住居の種類や畳数、宗教、尊敬する人物などを記入させ、部落をはじめ社会的底辺の人びとを排除する、いわゆる「人別帳」の資料として悪用されていた。さらに、これに基づいて差別的な身元調べや面接が行われていた。そのうえ、学内選考では、学業成績重視の慣行が根づいていた。このように、部落出身生徒や社会的底辺階層の生徒たちは、業務の遂行にかかわる個人の能力や適性とは無関係の事由によって、就職の機会均等から排除されてきた。

 差別的な求人要項や社用紙に苦しみ耐えて記入し、差別選考の結果、不合格になっても抗議すらできない生徒を前にして、事態を黙視できなかった教員たちが、部落解放運動に励まされながら、労働行政の下請けである就職斡旋の業務から、部落差別を軸にして、生徒の側に立った就職指導の取組みに方向転換していった。本籍欄や家族欄等を削除した現行の全国統一応募書類は、そうした地道な努力の成果である。

 加えて、差別選考を撤廃させる仕組みづくりの過程で、生徒の学力や労働能力が問われることになった。当時、神戸市で高校教員として進路保障の教育実践に取り組んだ中川福督氏が、「就職指導とは、単に生徒の就職先をあっせんすることではなく、生徒にどのような生き方を選ぶのかを考えさせ、働き抜くための課題を明確にさせ、その課題に向かって取り組ませていく」営為と総括した観点は、現在直面しているキャリア教育の課題と重なる(『部落問題・人権事典』473頁)。

1960年代半ばより、同和教育にかえて「解放教育」という用語が使われるようになった背景には、差別や抑圧に立ち向かう子どもたちが、被差別部落の生徒だけでなく、在日韓国・朝鮮人の生徒や、身体障害者の生徒、その他のマイノリティーの貧困家庭の生徒などにまで広がり、就職保障の多様な取組みを広げていった経緯があった。

 要するに、就職保障、進路保障の取組みは、求人者側、企業側、労働行政の側と教員の側との部落問題を基軸とした人間観、学力観の理非をあらそう価値争奪の闘いであったといえよう。


 3 キャリア教育がめざすもの

(1)キャリア教育の概念

 若者の就職難という雇用問題は、経済のグローバル化や情報化にともなう企業の雇用戦略の変更によってもたらされたが、若者と学校教育の側にも対応すべき課題や、学校教育から仕事への接続のミスマッチの問題もある。いわゆる学歴社会の序列を競う受験競争偏重に傾きがちな普通科高校で、キャリア教育や職業教育が軽視されてきたことは否めない。中・高・大学の新規学卒者の就職後の離職率が「7・5・3離職」と呼ばれ、失業も「自発的離職」という傾向が強くなっている。

 こうした事態の深刻化に対応して、1999年12月に提出された中教審答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」は、「『学校と社会及び学校間の円滑な接続を図るためのキャリア教育』(望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路選択する能力・態度を育てる教育)を小学校段階から発達課題に応じて実施する必要がある」と提言した。

 この提言は、2002年11月に設置された「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議」の報告書「児童生徒の一人一人の勤労観、職業観を育てるために」(2004年1月28日)に具体化されている。

 この「報告書」は、「キャリア」概念を「個々人が生涯にわたって推進する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くことの関係付けや価値付けの累積」ととらえている。この概念規定のうえに、「キャリア教育」を「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」であり、端的に言えば、「児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育」であると定義している。

 この定義からも、キャリア教育は、特定の職業・職能に対応した能力や資格を習得させる準備教育ではなく、学校のすべての教育活動を通して推進しなければならないものであり、進路指導の取組みは、「キャリア教育の中核をなすもの」として位置づけられている。

 キャリア教育のめざすものは、高等教育への進学率の上昇にともない強まってきたモラトリアム傾向の強い若者に対する社会的・精神的自立力の育成にある。豊かな人間関係を築き、有意義で充実した人生設計を立て、職業や仕事への夢や希望を育み、個性の開花とシティズンシップの形成をめざす自己実現力と共生力、すなわち「生きる力」を育成することにある。

 それを目指して、人権総合学習では、子どもが生きていくうえで不可欠な、人間の生命や尊厳、生き方にふれる重い意味をもったテーマを取り上げ、できるかぎり子どもたちの身辺にあり、自分で体験して納得できるような参加体験型の学習形態を採り入れた授業を創出してきたのである。

(2)キャリア教育推進の条件

さきに紹介した「報告書」の提言を時宜に適したものと評価するにやぶさかではないが、子どもの進路選択過程の現状認識がきわめて抽象的・心理的レベルにとどまり、その生活現実への切り込みがなされていない点も指摘しておかなければならない。

 個人の尊厳と基本的人権に基づく立憲主義の日本国憲法のもとでも、結婚・就職差別のように、「世間」型差別文化は根強く生き続けている。日本社会には、法の支配の及ばない閉鎖的な生活世界が潜在し、排他的な人間関係の掟が暗黙裏に支配している。

 たとえば、日本の近代化の「負の遺産」である学歴差別と職業差別が連動し、新自由主義政策のもとで階層格差と地域格差は拡大し、「勝ち組」「負け組」の二極分解が野放しにされている。現在、教育現場や家庭・地域が直面しているいじめ・暴力・非行・虐待などの反社会的な問題行動や、脱社会的な不登校・ひきこもり・人格障害の問題状況も、差別の重層構造のなかで生起していることは否めない。それゆえ、「子どもの権利条約」の人権尊重の精神から、キャリア教育も位置づけられなければならないのである。

 そこで、小学校段階から、キャリア教育を推進するには、人権・同和教育と結合した実践的取組みが不可欠となる。子ども一般という抽象的存在ではなく、子どもを一人の生活者として、同時代人として生きる社会的存在として具体的にとらえなければ、キャリア教育は実効性を失い、心理主義の陥穽に陥ることになりやすい。

 子ども・若者の社会的自立支援を目指すキャリア教育の推進は、同和教育、男女平等教育、多文化共生教育、障害児教育など人権教育の実践と結合して展開しなければ、対症療法の域を出ることはできない。

 したがって、部落の子どもだけでなく、アイヌの子ども、障害のある子ども、難病の子ども、児童養護施設の子ども、在日韓国・朝鮮人など外国人の子ども、帰国・新渡日の子どもなど、近代化やグローバル化のもとで、差別の重層構造の中に組み込まれて、社会的に抑圧され厳しい状況に置かれてきたマイノリティの子どもたちの人権と学習権を保障する観点から、キャリア教育は構築されなければならない。

 キャリア教育の取組みは、指導・支援する側からは、一人ひとりの生活現実や生育史をふまえ、保護者・家族、地域の生活課題を教育課題としてとらえ直すことから始められる。学校が、子どもが生きていく上で不可欠な自己実現の場になっているかどうか、という教育的な居場所を問い直すことから自立支援が始まるのである。人生の希望や展望とそれを実現する進路を拓くために、何をどのように学べばよいのかが明確になるような学びの場が用意されなければならない。すでに同和教育や人権総合学習は、この観点から取り組まれている。

 学業不振に陥った子どもの学習意欲を高めるには、とりわけ授業のなかに知的好奇心をよびおこす学びの場があり、友達や教職員と共に楽しい学校生活を送っているのか、が問い直されなければならない。

 さらには現代社会に潜在する差別支配と対峙し、サバイバーとして逆境をもバネにして生きる人々の多様な生き方に学ぶことが、求められている。今日、さかんに言われている「学校を地域に開く」ことも、地域社会の中で暮らしを見つめ、歴史を掘り起こし、自助・共助・公助の仕組みをつくった先人の足跡に学び、子ども自身が大人とともにまちづくりに参加し、「平和な国家及び社会の形成者」(教育基本法第1条)になること、すなわち市民的リテラシーを学ぶためである。

 そのためにも、学力保障とキャリア教育の結合による進路保障の取組みが、当面する教育改革の重要課題であるといえよう。ここで学力保障という場合の学力観について留意すべきことは、学校で習得した知識の量を測るテスト学力(評点)の位相だけで学力をとらえないことである。むしろ、21世紀に生きる地球市民として、グローバル化した社会経済生活に参画し、変化の激しい「知識社会」を人間らしく生きぬくことを支える学力の質と構造の側面を重視することである。

 具体的に言えば、学力保障の取組みは、基礎学力のみならず、ものごとの本質や意味を把握する批判的思考力や想像力、コミュニケーション能力、総合的な判断力、生涯学び続ける能力・態度・技能などの能力の形成をめざすことによって、人権と平和・民主主義の文化創造に貢献することができるのであり、キャリア教育の土台となることができるのである。

 ※ 本小論は、『部落解放研究』第164号(部落解放・人権研究所紀要、2005年6月刊)に寄稿した小文に加筆・修正を施したものである。

<参考文献>

  • 兵庫解放教育研究会編、1975、『就職差別反対闘争』(上、下巻)、明治図書
  • 刈谷剛彦、1991、『学校・職業・選抜の社会学』、東京大学出版会
  • 宮本みち子、2002、『若者が《社会的弱者》に転落する』、洋泉社新書
  • 小沢牧子・中島浩籌著、2004、『心を商品化する社会』、洋泉社新書
  • 高梨昌編、2004、『若者に希望と誇りをもてる職業を』、(財)社会経済生産性本部
  • 小杉礼子編、2005、『フリーターとニート』、勁草書房
  • 熊沢誠著、2006、『若者が働くとき』、ミネルヴァ書房