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2007.08.28
若年就労問題文献リスト
 
若年就労問題文献リスト

レビュー

「フリーター」「ニート」をめぐる研究動向

亀山 俊朗

一 フリーター・ニート研究の諸分野

 「フリーター」や「ニート」をタイトルに冠した書籍が書店の店頭にあふれている。「小泉改革」が格差を拡大したかどうかについて、政治的な議論が活発になっているが、ここでも若年層で不安定就労や無業の者が増え、格差拡大の要因となっていることが問題になっている。

 フリーターやニートは、社会科学的に正確な定義のある概念ではない。『労働白書』などの行政文書では、フリーターはおおむね35歳未満で、従業上の地位がパート・アルバイトである者(女性既婚者を除く)であるとされる。ニートは同年齢帯で、学生でもなく仕事もしていない者である。フリーターやニートは、経済学的にみれば非典型雇用にある労働者であったり、失業者であったり、非労働力化した者である。

 そう考えると、その分析に対応する学問分野は経済学、とくに労働経済学であろう。そしてその延長線上には、典型雇用をどう増やすのか、あるいは非典型雇用の労働条件をいかに整えるのか、といった政策が考えられる。しかし、フリーターやニートは純粋な経済学や経済政策の問題とは受け止められていない。若者の意識の変化がその増加の要因と考えられているからだ。確かに雇用をめぐる環境は厳しいかもしれないが、昨今の若者は勤労意欲に乏しいためにフリーターやニートになっている、という見方は強い。そのため、若者の心理や若者への教育が問題になり、心理学や教育学がこの問題を扱うことになる。若者が親に依存し自立しないためにフリーターやニートになるとも考えられているため、家族社会学もこの問題を扱う。以下、研究分野別に概観したい。

 フリーターをまず問題にした研究分野は、教育社会学だった。「フリーター」という語は、「フリーアルバイター」を省略したものだ。「フリーアルバイター」は、1980年代後半アルバイト情報誌に登場した造語である。そこでは、当時の好景気を背景に、自分の生活を楽しむためにあえて正社員ではなくパートタイムで働く若者像が想定されていた。しかし1990年代に入り景気が後退すると、学校を卒業しても正社員になれず、アルバイトとして就労する者が増加し、そうした者もフリーターと呼ばれるようになり、その存在が教育現場で大きな問題になった。日本では、従来、高校から仕事への移行(新卒時の就職)を学校が取り仕切っており、生徒は学校により正社員の職を紹介され、就職する傾向が強かった(苅谷、1991)。しかし1990年代後半、労働需要の減少とともにこのシステムが機能不全に陥り、それが教育社会学における大きな課題になった(矢島・耳塚編、2001)。高校の教育や進路指導のあり方とフリーターになることの関連が検討されるようになり、行政文書や研究報告でフリーターという語が用いられるようになった(小杉編、2002、3-10頁)。労働問題を扱う労働政策研究・研修機構においても、2000年ごろから「フリーター」をテーマにした様々な研究が行われているが、それを中心的に担ったのは教育社会学者であった。同機構を中心に、高校から仕事への移行に主眼を置いた研究成果が示されている(小杉編、2002/小杉、2003/安田、2003/小杉編、2005/本田、2005a)。

 教育社会学はまた、階層などによって不利な条件を持つ者がフリーターになりやすいことに注目した。学校生活へのコミットメントの不足や、地域や家庭の文化的影響が問題にされ、不利な条件を持つ生徒の学校からの排除が、彼らが社会的に排除されることにつながっていると論じられた(部落解放・人権研究所、2005)。学習意欲について階層による差が広がっていることも、大きな問題として提起されている(苅谷、2001)。 2003年ごろから「ニート」が問題になり、若年者の問題は教育問題であるという認識が強まった(あるいは教育問題であるという認識のもと、ニートという語が広がった)。ニート(NEET)とは“Not in Education, Employment or Training” の略で、生徒・学生ではなく、就労もしておらず、職業教育を受けているわけでもない若者を指すイギリスの行政用語である。これが2004年ごろから日本で急速に広まった(玄田・曲沼、2004/小杉編、2005)。これに対して「ニート」は若年雇用の問題を若者の意識の問題に帰結させるようなレッテルだとの批判も生まれている(本田・内藤・後藤、2006)。

 このように若年者の雇用問題の分析は、教育社会学が先導してきたのだが、2000年代に入って労働経済学者の発言も目立つようになった。労働経済学は、非典型雇用の問題として、女性パートタイマーについて様々に議論してきたが、若年者固有の問題はそれまであまり取り上げてこなかった。1990年代後半、大企業の倒産が相次ぎ雇用不安が社会問題となったが、そこで関心を集めたのは中高年のリストラや失業であり、深刻な中高年の問題に対し、フリーターは若者の意識の問題であるという認識が強かったのだ。しかし、労働経済学者である玄田有史が、中高年大卒ホワイトカラーよりも、若年の中・高卒者に失業者が多いことを指摘した(玄田、2001)ころから、労働経済学においても若年者の問題が注目され始めた。中高年の雇用はまだまだ日本的慣行に守られているのに対して、新規採用が抑制されている、といった世代間の不公平が問題になった。橘木俊詔(2004)のように、労働政策によって若年者の雇用を増やすべきだといった主張はあらわれたものの、後述するようにそうした主張は大きく広がったとは言いがたい。労働経済学はまた、近年の所得や資産の格差について分析し、社会的な注目を集めている(橘木、1998年/樋口、2001/樋口他、2003/大竹、2005)。

 フリーターやニートは住居や家計を親と同じくしている場合が多く、家族社会学の研究対象にもなっている。家族社会学者である山田昌弘は、1990年代、親の家から離れようとしない若者を指して「パラサイト・シングル」であると論じ、親の家計に依存することで豊かな消費生活を送る若者像を描いた。しかし、2000年代になり若者の雇用不安に注目が集まると、家族社会学は若者が層として社会的弱者になっていると警告を発した(宮本、2002)。山田自身も、希望を持てない若者が増え社会的統合が危ぶまれていると主張するようになった(山田、2004)。2005年にはマーケティングの専門家による『下流社会』(三浦、2005)がベストセラーになった。そこでは若者は労働についてだけでなく、消費や生活においても意欲に欠けるとされ、また「下流」でも自足するような独自の文化的特徴を形成しているとされる。そしてそうした階層分化が遺伝にもとづく可能性があるとまでされている(三浦、2005、285頁)。

 フリーターやニートが若者の意識の変化によって生じたと考えるならば、それは心理学や精神分析学の対象である。心理学は、これまでも「モラトリアム」論といった青年心理学を展開してきた。そうした流れは、教育社会学においてフリーターがその意識から「モラトリアム型」「夢追求型」「やむを得ず型」に類型化される(小杉、2003、12-15頁)といった形で影響力を示している。また、精神分析学は「社会的ひきこもり」論(斎藤、1998)を経て、ニート論に大きな影響力を持っている。教育社会学や労働経済学がキャリア・カウンセリングの重要性を訴えていることから、今後も心理学の影響は大きいだろう。その一方で、職業能力が個々人の心理の奥底にまで関わるものとみられるようになっていることへの懸念も表明されている(本田、2005b)。

 以上、フリーターやニートを扱う学問分野として、教育社会学、労働経済学、家族社会学、心理学をみてきた。これに加えて、直接フリーターやニートを論ずるわけではないが、フリーターなどの問題に大きな影響を及ぼしているものとして、社会保障論に触れておきたい。すでにみたように、フリーターやニートは本人の意識の問題だとされやすいのだが、本人の意思でそうなっているとしたらそれを社会問題として取り上げる正当性が疑われる。そこで持ち出されるのが、フリーターやニートは将来の社会的コストであるという論点である。収入の少ない、あるいはない者が増えると税や社会保障の制度が危機に陥る、それゆえフリーターやニートへの対策が必要だというのだ。とくにジャーナリズムにおいては、社会の主流にある者の社会的権利を侵害するがゆえに、フリーターやニートは問題であるとされる傾向が強い。それに対して、フリーターやニートの問題が当事者自身の権利の問題として法の用語で語られることは少ない。これは、従来の労働権が仕事を強く求める主体を前提としていたためかもしれない。フリーターやニート自身の人権といった問題設定も、杉田俊介(2005)のような例外を除けば少ない。

二 なぜ教育が強調されるのか

 フリーターは当初、学校から仕事への移行システムの機能不全として教育社会学が取り上げ、やがて若年者が正社員から構造的に排除されているとして労働経済学が問題にするようになった。しかし、とくに政策的には、労働経済学の知見にもとづく労働市場への規制よりも、若者への教育や訓練が重視されている。その理由としてあげられるのは、フリーターやニートが若者の意識の変化のため生まれたという認識が強いことだろう。しかし、以下のような背景もあると考えられる。

 玄田は、労働力調査を用いて、中高年大卒ホワイトカラーの失業より若年の中・高卒者の失業が圧倒的に多いことを示した。また、若年正社員は残業が多く労働時間が長くなっていることを指摘した。こうした状況にもとづくならば、企業に対して従業員の年齢構成のゆがみの是正を求めたり、残業の規制を強化して新たな雇用創出をはかるような政策が考えられる。しかし、玄田の議論は若者の職業能力の開発育成、最終的には起業も目指すようなキャリア開発に焦点をあてる(玄田、2001)。企業側の問題が規定的だとしながらも、若者側の能力開発が主要な出口として示される。

 労働経済学がそうした傾向を示す理由を、代表的な労働経済学者である橘木(2004)の議論に沿って考えたい。橘木は、若者側にも問題はないとはいえないが、基本的に問題は労働需要側、すなわち企業側にあるとする。そうした視点から、残業賃金の割増率アップが提案される。日本の残業割増率は諸外国に比べ低く、そのため企業は新たな社員を雇うよりも、既存の社員に残業をさせて業務をこなそうとする。逆にいえば、残業賃金が上昇し、また、残業への規制が強化されれば、企業は新たな社員を雇おうとするだろう。また、最低賃金を上昇させ、正社員と非正社員の格差を是正することも提案されている(橘木、2004、 61-71頁)。こうした政策は、フリーターなどの問題を雇用問題と考えるならば、オーソドックスな対応策といえる。しかし、橘木も認めるように、規制緩和が基調とされる現在、こうした「規制強化」策は経営側から無視されがちだ。橘木によれば、最低賃金制度の撤廃を主張する経営者すら珍しくない。また、大企業の正社員主体の日本の労働組合も、労働時間が短縮されたり非正社員の賃金が上がることで正社員である組合員の賃金が減少することを望まない。竹信三恵子は、2000年ごろ日本でもワークシェアリングによって組合員の解雇を防ぐ道が模索されたが、労働組合の中核世代は住宅ローンや教育費を理由に賃下げを伴うようなワークシェアリングに応じようとしなかったという(竹信、2005、74頁)。同じ組合員の解雇に対してすらそうした状況であり、彼らが組合員でない非正社員の雇用を増やしたり労働条件を改善したりするために積極的に動くことはないだろう。「規制強化」をすすめるような主体が見当たらないのだ。

 こうした状況のもと、労働経済学であっても、政策提言としては教育や訓練を重視することになる。若年者の能力を高めることが、企業に若者を正社員として雇用させる最も有力な道であると考えられている。若者の意識や労働観の問題が大きいという認識と相まって、教育が強調されるようになる。

 たしかに若年者の雇用をめぐる問題について、ヨーロッパにおいても近年職業訓練が重視されている。しかし、日本の公共的な職業訓練の支出は、OECD諸国のなかでも非常に低い(橘木、2004、59頁)。ヨーロッパ諸国では、もともと高額の失業手当が存在しており、その給付の条件として訓練が課せられるようになっている場合が多いことも無視されがちだ。財政赤字解消が政策の最優先課題とされる現在、日本では大規模な公共的職業訓練の拡大を提案することは難しい(それに給付を組み合わせることはなおさら難しい)。そこで、既存の学校教育における職業教育・キャリア教育が重視され、また、学校から仕事への移行の支援が強調されることになる。教育社会学が、とくに政策面においてフリーターやニートに関する議論を主導するのには、こうした背景があると考えられる。

 しかし、学校教育などで若者を教育訓練して正社員にしようとしても、企業側がコアとなる正社員を絞り込み、安価な非典型雇用を必要とする限り、限界があるのは明らかである。出身階層などの不利な社会的条件によりフリーターやニートに陥りやすいことはもちろん問題だが、彼らへの教育を強化するだけで問題が解決するとは考えられない。

 フリーターの問題は、非典型雇用で働く女性パートの労働条件をめぐる問題と直結している。非典型雇用であっても、賃金や社会保障の面で不利にならないことが求められている。また、若者向け政策における「自立支援」の強調は、障害者やホームレスに対する「自立支援」の強調と軌を一にしている。いま現在「働けない」若者が、できるだけ「働ける」ように手助けすることは必要だが、それが「働けない」状態のままでは無権利でもしかたがないということを含意しているのならば、大きな問題だろう。

 本稿でもみたように、既存の企業、組合、行政による調整システムでは、若年者の雇用をめぐる問題はうまく解決していない。そうしたシステムの外に存在する無償労働(主に女性が担ってきた家事、育児、介護などの労働)も含めた様々な労働を、だれがどのように担うべきなのか。税や社会保障のあり方はどのようにあるべきなのか。新たな調整や意思決定の枠組みが求められている。

※ 本稿の内容は、『フリーターとニートの社会学』(太郎丸博編、世界思想社から7月刊行予定)において、より詳しく述べられている。参照していただければ幸いである。

文献

  • 部落解放・人権研究所(編)(2005)『排除される若者たち』解放出版社
  • 玄田有史(2001)『仕事のなかの曖昧な不安』中央公論新社
  • 玄田有史・曲沼美恵(2004)『ニートフリーターでもなく失業者でもなく』幻冬舎
  • 樋口美雄(2001)『雇用と失業の経済学』日本経済新聞社
  • 樋口美雄・財務省財務総合政策研究所(2003)『日本の所得格差と社会階層』日本評論社
  • 本田由紀(2005a)『若者と仕事』東京大学出版会
  • 本田由紀(2005b)『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版
  • 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智(2006)『「ニート」って言うな!』光文社
  • 苅谷剛彦(1991)『学校・職業・選抜の社会学-高卒就職の日本的メカニズム』東京大学出版会
  • 苅谷剛彦(2001)『階層化日本と教育危機』有信堂
  • 小杉礼子(編)(2002)『自由の代償/フリーター』日本労働研究機構
  • 小杉礼子(2003)『フリーターという生き方』勁草書房
  • 小杉礼子(編)(2005)『フリーターとニート』勁草書房
  • 三浦展(2005)『下流社会』光文社
  • 宮本みち子(2002)『若者が《社会的弱者》に転落する』洋泉社
  • 大竹文雄(2005)『日本の不平等』日本経済新聞社
  • 斎藤環(1998)『社会的ひきこもり』PHP研究所
  • 杉田俊介(2005)『フリーターにとって「自由」とは何か』人文書院
  • 橘木俊詔(1998)『日本の経済格差』岩波書店
  • 橘木俊詔(2004)『脱フリーター社会』東洋経済新報社
  • 竹信三恵子(2005)「忘れられたワークシェアリング」『現代の理論』vol.5、73-82頁
  • 矢島正見・耳塚寛明(編)(2001)『変わる若者と職業世界』学文社
  • 山田昌弘(1999)『パラサイト・シングルの時代』筑摩書房
  • 山田昌弘(2004)『希望格差社会』筑摩書房
  • 安田雪(2003)『働きたいのに…高校生就職難の社会構造』勁草書房