はじめに
今日、日本の部落問題は、インドをはじめとする南アジア諸国に存在しているダリットに対する差別、さらにはアフリカのいくつかの国で存在している同様の差別問題等とともに、国連の人種差別撤廃委員会や人権小委員会(注1)等が重要なテーマとして取り上げるところとなってきています。
このような進展を見ることになってきた歴史的な経過をふり返ってみたとき、日本の部落解放運動や反差別国際運動(IMADR)が重要な役割を果たしてきたということができます。
本稿では、この歴史的な経過、今日の到達点、今後の課題を簡潔に述べたいと思います。
全国水平社時代の国際連帯
1922年3月3日、京都の岡崎公会堂において、全国水平社が創立されましたが、全国水平社は創立当初から国際連帯の視点をもっていました。そのことは、創立大会で採択された宣言の中に、当時の世界の先進的なヒューマニズムに基づく考え方が反映されていることに象徴されています。例えば、水平社宣言の中には、人間は勦(いた)わるべきものでなく、尊敬すべきものであるという、人権についての基本となる考え方が、盛り込まれています。これは、ロシアの劇作家マクシム・コーリキーの代表作である「どん底」に出てくる登場人物が語るせりふの中に含まれているものです。
その後、全国水平社は活発な活動を展開しますが、国際連帯として2つの重要な取り組みがあります。一つは、朝鮮の被差別民である「白丁(ペクチョン)」の解放運動である「衡平社(ヒョンピョンサ)」との連帯です。衡平社は、1923年4月に創立されましたが、創立以降、両団体の活動家が大会等へ参加し連帯の挨拶を送ったり、活動の実情を視察したりしています。もう一つは、1933年8月に、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に対する抗議文を採択したことです。
戦後の松本治一郎元委員長を中心とした取り組み
1946年2月、部落解放運動は、部落解放全国委員会として再建されました。その後、1955年8月に、部落解放同盟と名称を変更し、今日まで活発な活動を展開してきています。
戦後の部落解放運動による国際連帯を振り返ったとき、3つの段階に分けることができます。第一の段階は、松本治一郎元委員長(1887-1966)を中心とした国際連帯活動の時期です。松本治一郎元委員長は、「不可侵 不可被侵」を座右の銘とし、生涯を部落解放運動に捧げましたが、初代の日中友好協会の会長を務め日中国交回復と友好促進に貢献しました。また、1955年4月にはインドを訪問し、被差別カーストの人びととの連帯にも取り組んでいます。さらに、1956年3月には、フランスのパリで開催された人種差別・ユダヤ人排斥反対国際連盟大会に出席し連帯の挨拶を送っています。
1970年代後半からの国連の人権活動等との連帯
戦後における国際連帯活動の第2段階として、1970年代後半以降、部落解放同盟や部落解放研究所(当時)は、国連の人権活動や各国の反差別運動との連帯に取り組みます。1976年以降、両者は国際人権規約の批准運動を展開し、1977年12月には、国連のマルク・シュライバー元人権部長を招いた講演会を東京や大阪などで開催しました。1979年6月、日本は国際人権規約を批准しました。
両者は、その後人種差別撤廃条約の批准運動に取り組み、1995年12月に同条約への日本の加入を実現しました。
この間、アメリカやヨーロッパ、インドや南アフリカ等で差別と闘う人びととの連帯を深め、1980年12月には国際人権シンポジウム、1982年12月には第1回反差別国際会議、1987年4月には「アパルトヘイトの撤廃と平和の確立を求める集会」、1988年12月には第2回反差別国際会議等を開催しています。(資料①)
反差別国際運動の結成(1988年1月)とその後の国際連帯活動
1970年代後半以降系統的に取り組まれてきた国連の人権活動や各国における反差別運動との連帯活動を踏まえ、1988年1月25日、世界の水平運動をめざし反差別国際運動(IMADR)が創立され、東京の松本治一郎記念会館内に本部が設置されました。
それ以降、戦後の国際連帯活動は、第3段階に入っています。
反差別国際運動は、創立以降、南アフリカにおけるアパルトヘイトの廃絶を求めた取り組みをはじめとする活動を活発に展開したこと等が評価され、1993年3月に国連の経済社会理事会との協議資格を持った国連人権NGOとして認められました。
また、1991年10月以降、反差別国際運動は、国連の人権活動の事務局が置かれているスイス・ジュネーブに事務所を設置し、日本の部落差別をはじめとした身分差別に起因した差別の撤廃、マイノリティや先住民族の人権を確立するための活動を活発に展開してきています。(注2)
人種差別撤廃委員会での「世系(descent)」に基づく差別の撤廃
国際人権規約や人種差別撤廃条約など、国連で採択された人権条約を締結した国は、国内での履行状況に関する報告書を定期的に国連に提出することが義務付けられます。(注3)提出された報告書は、それぞれの条約の履行を監視する委員会で審査され、勧告を伴った意見が公表されます。
国際人権規約や人種差別撤廃条約の履行状況に関する日本政府の報告書を審査した、これらの条約の履行監視委員会から出された勧告では、部落問題の早期解決を求めています。
例えば、2001年3月、日本政府の第1・2回報告書を審査した人種差別撤廃委員会は、最終所見の中で、日本の部落差別が人種差別撤廃条約第1条で定める「世系(descent)」に基づく差別であることを指摘し、差別に対する保護並びに市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的権利の完全な享受を確保するよう勧告しました。(注4)
人種差別撤廃委員会は、インド政府の報告書審査(1999年9月、2007年3月)、ネパール政府の報告書審査(2000年8月)、バングラディシュ政府の報告書審査(2001年3月)等においても、カースト制度に起因する差別を「世系(descent)」に基づく差別と指摘し、その撤廃を求めています。
人種差別撤廃委員会の、上記の勧告にも関わらず、日本政府やインド政府は、日本の部落差別やインドのカースト制度に起因する差別を、条約第1条に規定する「世系(descent)」に基づく差別であるとは認めないとの見解を表明したこともあって、人種差別撤廃委員会は、2002年8月、条約第1条に規定する「世系(descent)」に関するテーマ別討議を行い、「一般的勧告29」を採択しました。この中では、「世系」に基づく差別が、「カースト及びそれに類似する地位の世襲制度等の、人権の平等な享有を妨げまたは害する社会階層化の形態に基づく集団の構成員に対する含むことを強く再確認」したうえで、48項目に及ぶ差別撤廃のために求められる措置をとりまとめました。(注5)
人権小委員会の「職業と世系に基づく差別」に関する取り組み
部落解放同盟や部落解放研究所(当時)の代表は、1980年代初頭から国連の人権関係の会議、とりわけ人権小委員会等に積極的に参加しています。1983年には、人権小委員会のもとに設置された現代的奴隷制の作業部会で、翌1984年には人権小委員会で、代表が日本の部落差別の現状を訴え、国連がこの問題に関心を持つことを要請しています。1990年代の後半に入ると、インドの被差別カースト(被差別の当事者の間では「ダリット(抑圧された人びとという意味)」と呼ばれている)に対する差別撤廃にとりくむ団体からも同様の働きかけが行われました。
こうした各方面からの要請を受けて、人権小委員会は、2000年8月、「職業と世系に基づく差別に関する決議」を採択し、この問題の実情を把握し提言をまとめるための特別報告者を設置する決議を採択しました。(注6)
それ以降、人権小委員会のもとに設置された「職業と世系に基づく差別」に関する特別報告者によって、以下に列挙するような取り組みが積み重ねられてきています。
- 2001年8月 グネセケレ委員による報告(南アジアにおけるダリットに対する差別と日本の部落差別に言及)
- 2003年8月 アイデ、横田両委員による報告(上記に加え、アフリカにおける同様の差別にも言及)
- 2004年8月 アイデ、横田両委員による拡大報告(上記に加え、ディアスポラ(注7)のなかでの同様の差別にも言及)
この人権小委員会で、2007年8月までに「職業と世系に基づく差別」を撤廃するための原則と指針を取りまとめ報告するための特別報告者として、横田・鄭委員を任命することを求める決議を採択
- 2006年8月 横田、鄭両委員による「職業と世系に基づく差別」の撤廃に関する原則と指針案が取りまとめられる。
この間、国連改革の一環として、2006年3月、およそ60年間活動を続けてきた国連人権委員会が活動の幕を閉じ、2007年6月から活動を開始した国連人権理事会へと引き継がれました。これに伴い、人権小委員会も2007年以降、国連人権理事会諮問委員会へと改組され、2008年8月に第1回会合が開かれることとなっています。この結果、上記「原則と指針」の最終取りまとめの取り扱いがどうなるかについて、不明確であるという残念な状況にあります。
複合的な差別に関する指摘
先に紹介した2001年3月の日本政府報告書を審査した人種差別撤廃委員会の最終所見では、「委員会は、締約国に対して、今後の報告書に、ジェンダー並びに民族的及び種族的集団ごとの社会・経済的データ、並びに性的搾取及び性暴力を含むジェンダー関連の人種差別を防止するためにとった措置に関する情報を含めるよう勧告する。」(22パラグラフ)との指摘を行っています。
また、2003年7月、日本政府の第4・5回報告書を審査した女性差別撤廃委員会は、最終所見のなかで「委員会は、日本政府に対し、次回のレポートでは、日本におけるマイノリティ女性の状況について、分類ごとの内訳を含む包括的な情報、とりわけ教育、雇用、健康状態、うけている暴力に関する情報を提供することを求める。」(30パラグラフ)との勧告を行っています。
こうして、「世系」もしくは「職業と世系」に基づく差別をうけている人びとのなかでも、女性の置かれている状況について、特別の関心を持って差別撤廃に取り組んでいくことの重要性が、近年強く叫ばれるところとなってきています。
人種主義に関する国連特別報告者の日本公式訪問報告書での指摘
2005年7月、国連人権委員会のもとに設置された現代的形態の人種主義・人種差別・外国人嫌悪及び関連する不寛容に関する特別報告者のドゥドゥ・ディエンさんが日本を公式訪問されました。その報告書(以下「ディエン報告」と略)が2006年9月に開催された人権理事会へ報告されましたが、以下に紹介するような重要な指摘が行われています。(注8)
- 被差別部落をはじめとするマイノリティが教育、雇用、健康、居住等へのアクセスにおいて周辺化された状況で暮らしている。
- 被差別部落をはじめとするマイノリティが、国政において「不可視(invisible)」の状態におかれている。
- 国として、被差別部落をはじめとするマイノリティに対する差別が存在していることを認め、これらの差別の撤廃のために闘うことの意志表明を行うこと。
- 実態調査を実施すること。
- 差別を禁止する法令を制定すること。
- 平等及び人権のための国内人権委員会を設置すること。
- 政府内に部落問題を含む差別問題解決のための適切な部局を設置すること。
- メディアがマイノリティに関する番組の放送枠を拡大すること。
- マイノリティナイの女性の権利を高めること。
今日の到達点
1970年代の後半から本格的に取り組まれてきた、国連の人権活動との連帯のもとで部落問題の解決を展望していくという取り組みは、今日、次に述べる地平まで到達してきています。
- 日本の部落問題が、自由権規約委員会や社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会、女性差別撤廃委員会などの条約履行監視委員会における政府報告書の審査を踏まえた勧告のなかで、言及される課題となってきた。
- 日本の部落問題が、国連人権小委員会、国連人権委員会のもとに設置された特別報告者が関心を持ち、解決に向けた提言をするところとなってきた。
- 日本の部落問題が、インドをはじめとする南アジア諸国に存在するダリットに対する差別、アフリカのいくつかの国に存在している同様の差別、さらにはディアスポラ社会のなかにも存在している同様の差別とともに人種差別撤廃委員会では、「世系に基づく差別」、人権小委員会では「職業と世系に基づく差別」として把握され、国際的に関心を持たれる課題となってきた。
- 日本国内においても、部落問題の解決が、国際的責務であるとの認識が広まってきている。(例えば、1996年5月に出された地域改善対策協議会意見具申では、「同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するように努力することは、国際的な責務である」との指摘がなされている。)
- 以上に列挙したように、部落問題をはじめとした「世系」もしくは「職業と世系」に基づく差別を国連が関心を持つように系統的に働きかける主体として、反差別国際運動や国際ダリット連帯ネットワーク(IDSN)が創立され発展してきていること。(注9)
今後の課題
これまで紹介してきたように、日本の部落問題をはじめとする「世系」もしくは「職業と世系」に基づく差別は、今日、国連が関心を持った課題となってきていますが、これらの差別を撤廃し平和な世界を構築していくためには、日本国内はもとより国連レベルでも少なからぬ課題が存在しています。そこで、今後の課題を、以下に列挙します。
- 日本政府に、人種差別撤廃条約の「世系」の対象に部落問題が含まれることを認めさせ、人種差別撤廃委員会から出された勧告や「世系に関する一般的勧告29」の遵守を求めていくこと。
- 日本政府に、自由権規約委員会等からの勧告、ディエン報告等を誠実に受け止め、部落問題をはじめとする差別撤廃に積極的に取り組むことを求めていくこと。
- 人権小委員会のもとに設置されてきた「職業と世系に基づく差別」の撤廃に向けた取り組みが、人権理事会の枠組みのもとでも発展的に継承されるよう、関係方面に働きかけていくこと。
- 「世系に基づく差別」、「職業と世系に基づく差別」の撤廃に向けた国連の宣言や条約採択の可能性を検討すること。
- このために、世界のどの地域に、どのような形で、この種の差別が存在しているのかの調査・研究を深めること。
- 反差別国際運動や、国際ダリット連帯ネットワークを強化すること。
おわりに
あらゆるものがグローバル化している今日、日本の部落問題をはじめとする「世系」もしくは「職業と世系」に基づく差別の解決も、国際的な視点、国際連帯の視点を欠いては実現することはできません。
1998年10月、マレーシアのクアラルンプールで開催された「第一回カースト差別撤廃世界会議」で、主催挨拶をされたマレーシアの上院議員であるM・Gパンディタン(ダリット出身)さんは、「世界各地で3億人ものダリットが差別に苦しんでいる。アパルトヘイトが廃絶された今日、ダリットに対する差別問題こそが世界最大の人権問題である。」と訴えられたが、この訴えは正鵠を得たものと思われます。(注10)
「世系」もしくは「職業と世系」に基づく差別の撤廃は、今日、国連をはじめ国際社会が強い関心を持った課題となってきていますが、この取り組みがさらに深まっていく上で、全国水平社創立以来86年を超す歴史を持っている、日本の部落解放運動に掛けられている国際的な期待は大きいものがあります。
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