はじめに
アファーマティブ・アクションは、社会で不平等な立場に置かれている人々に平等をもたらすひとつの手段となりうるものである。不平等の概念は、文明と同じぐらい古くから存在する。換言すれば、不平等はあらかじめ定義・決定されたものであり、その起源は人間の誕生とともにあると言えるのである。ジョン・ロールズも有名な『正義論』で分析しているように、あらかじめ不平等な社会にあっては、2つの人間集団はその出生そのものによって不平等である。このような立場から見出すことのできる不平等には、基本的に2つの類型がある。(1)あらかじめ定義された不平等と、(2)つくり出された不平等である。つくり出された不平等は基本的に階層に基づくものであり、時間の経過とともにゆっくりと変化する不平等であるのに対し、あらかじめ定義された不平等は固定的性質を有しており、時間の経過とともに変化することはありえない。
カースト、ジェンダー、人種、民族に基づく不平等は、あらかじめ定義された不平等体制の若干の例である。上記のいずれかの集団に生まれ、またはこれに所属する者が排除と差別に直面せざるを得なくなり、それがやがて不平等へと至ることは、一般に認められている。これらのいずれかの要因による不平等が社会で増大していることは、いまや2つの理由、すなわち(1)経済成長と(2)道徳的根拠から大いに憂慮されるようになった。現存する不平等は、社会、国家および経済全体の経済成長を阻害する。それに加え、排除と差別の要因は市場の最適な機能にとって阻害要因となる。市場が最適な形で機能しないことは、経済成長を妨げる原因のひとつとなってきた。
地球全体で福祉国家の重要性が増し、また抑圧された人々の間で意識が高まるにつれて、国家機構は成長から平等への思考転換を余儀なくされた。アファーマティブ・アクションは、社会正義を実現させ、不平等な人々に平等をもたらすために発展してきた仕組みのひとつである。
「アファーマティブ・アクション」という用語は、ジョン・F・ケネディ米大統領が1961年に発した命令に由来している。これは、大統領命令を通じ、応募者がその人種、皮膚の色、宗教、性または国民的出身に関わらず平等に処遇されることを確保しようとするものであった。大雑把に言えば、アファーマティブ・アクションとは、より平等的な社会をつくり出す目的で、伝統的にまたは歴史的に差別されてきた集団が種々の制度において代表されることを促進する政策またはプログラムと定義することができる。そこで一般的に焦点が当てられるのは、教育、雇用、政府契約、政治的代表制、住居、土地の配分、資本、ジェンダー、保健ケア、社会福祉などである。端的に言えば、アファーマティブ・アクションとは排除ではなく包摂を意味する。
アファーマティブ・アクション政策の必要性
インドでは、アファーマティブ・アクション政策に実施について熱い議論が戦わされている。その議論はもっぱら、(1)アファーマティブ・アクション政策としての留保の正当性、(2)留保の期間、(3)留保の対象という3つの論点をめぐるものである。アファーマティブ・アクション政策の内容がどうあれ、それによって社会の主流における特定集団の平等と包摂に向けた歩みを確実に進めようとするのであれば、その政策は広く受け入れられるものでなければならない。インドでは、種々の職および種々の教育施設への入学に関する人数割当制度に対し、他のカースト層や一部社会学者から反対の声が出されてきた。反対の理由は次の3つである。(1)生産効率に影響が生じる。(2)社会的緊張を生み出す可能性がある。(3)複数の世代にまたがる留保は他のカースト集団の人々の利益に影響を及ぼす可能性がある。しかし、これらの3つの主張に対しては、昨年、S. K. Thorat教授がさまざまな新聞や政経週刊誌に発表した一連の寄稿で体系的回答が行なわれた。教授の主張の要点は次のとおりである。(1)留保が効率性やアウトプットに悪影響を及ぼしているという証拠はない。(2)教育施設における留保は、ダリットがこの千年直面してきた差別的処遇と抑圧を埋め合わせるためのものであり、職業・昇進における留保は現在の差別を埋め合わせるためのものである。したがって、ダリット・コミュニティの発展のために留保は欠かすことができない。
ダリット・コミュニティの保護のためにインド憲法に特別規定が置かれ、規則が制定されて以降もなお、ダリットに対する差別、排除、虐待は日に日に増加している。われわれは、「インドにおけるカースト・職業・労働市場差別:オリッサ州およびアンドラプラデシュ州のケーススタディ」と題する研究を通じ、インドのさまざまな領域でどのような差別がどの程度行なわれているかを数量的に明らかにしようと試みた。同研究は、インド農村部の労働市場で差別が存在することを実証している。われわれはこの報告書で、労働・職業における差別の程度を測定するための標準的様式の開発を試みた。労働市場における測定の基準は、(1)完全な排除、(2)選択的包摂、(3)職場における差別的・差異化的行動、(4)一部業務への強制的包摂として把握することが可能である。われわれはこの枠組みのなかで差別の問題を数量化しようと試み、農村経済のすべての市場[1]について非常に満足のいく結果を得ることができた。ここでは、興味深い知見として、インドでは不可触民制が、48か所で、64の形態をとって実践されていることを付記しておく[2]。私はこの研究に加えて、日本の部落民に関するいくつかの研究からも同様のことを理解・吸収しようと試みてきた。研究知見の批判的分析を後掲の表に示す。
分類のため、ここではいくつかの領域を特定した。インドの文献では、差別と不可触民制の分類を試みた者はほとんどいない。その領域とは、(1)経済領域、(2)社会・文化領域、(3)政治領域、(4)政府プログラム等である。これは、差別と排除が社会に深く根づいており、この問題の根絶のために国がとる憲法上の措置に対して緊急に注意を向けなければならないことを示している。
インドにおける制度的カースト体制はきわめて厳格であり、ダリットの人々は伝統的に受け継いできた職業をそれほど容易に変えることはできない。カーストに基づく職業は基本的には強制されたものであるが、ダリットがその職業からの転進を図ろうとしても、社会の反応はこの点ではきわめて否定的なものであった。そのためダリットの大多数は、今日に至ってもなお、農業・非農業部門で不定期労働に従事するか、伝統的に受け継いできた、カーストに基づく職業に関連する仕事をしているのが現状である。
歴史的に見れば、インドで留保制度が導入されるまで、政府機関や政治におけるダリットの代表の存在はきわめて取るに足らないものであった。留保政策があってこそ、少数のダリットが表舞台に登場し、官僚制度においても政治領域においてもいくつかの重要な地位を占めるようになったのである。
カーストに基づく差別: インドと日本
カーストとは出生に基づく分類である。「カースト」(caste)という言葉は、サンスクリット語の「ジャーティ」(Jati)に対応している。ジャーティの概念自体もひとつの制度/伝統である。世襲的な社会的階層制である。「カースト」という言葉は、基本的には、「世系」(lineage)を意味するポルトガル語の「カスタ」(casta)から派生している。カースト制は歴史的にも地理的にも広範に行なわれてきたが、今日もっともよく知られているのはインドのカースト制度である[3]。人類学者はこの用語を、より一般的に、内婚制の、職業的に専門分化した社会的集団を指すものとして用いている。このような集団は、高度に階層化された、社会的流動性がきわめて低い社会ではよく見られるものである。たとえば、多くのブラーミンは近年までダリットが自分たちに触れることを許さなかったし、ダリット(不可触民)に身体や所有物に触れられたら洗うのを常としていた[4]。
同様に、日本には部落民と呼ばれる不可触集団が存在する。部落民は日本で最大の被差別集団である。人種的・民族的マイノリティではなく、民族的には日本人とされる人々の間で、カースト制に似たマイノリティとして位置づけられている。一般的認識では、封建時代のアウトカースト集団の子孫ということになっている。アウトカーストには動物のと畜や犯罪者の処刑といった社会的職務が割り当てられたが、一般大衆は、仏教や神道の信仰に基づき、これらの職務を「不浄の行為」と見なしていた。17世紀(江戸時代初期)に社会的地位が3つの階層(武士・農民・町人)の形で制度化されたとき、現在の部落民の源流であるこれらのアウトカーストは、エタ・非人として社会の最底辺に位置づけられた[5]。インドのダリットと日本の部落民はそれぞれの社会で似たような差別に直面してきたので、彼らが直面している差別の性質についてより明確に理解できるよう、われわれはこれらの集団を「カースト差別」というテーマであわせて取り扱うこととした。
インドと日本の社会状況における差別
差別の領域 |
インドのダリット
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日本の部落民 |
経済領域
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土地市場 |
居住場所の隔離。ダリットではない人々の居住区で住居用の土地を購入することは許されない。ダリットは、ダリットではない人々から農地を買うさい、市場価格よりも高い代金を支払わなければならない。 |
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労働市場 |
ダリットではない人々よりも就労日数が少ない。賃金も市場賃金より低い。職場で異なる処遇をされる。 |
|
社会・文化領域
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教育 |
就学率が低く、脱落率は高い。高カーストの教師から異なる処遇をされる。仲間集団からも異なる処遇をされる。教室でも不可触民制が実践されており、給食が配られるときの席は別々。 |
部落民の子どもは偏見と差別に直面する。 |
保健 |
村のヘルスワーカーはダリットの集落をめったに訪れない。病院では医師その他の医療スタッフが不可触民制を実践している。医師は、緊急のさいにダリットの集落から連絡があっても応じない。 |
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公共領域 |
ダリットは寺院内での礼拝を許されておらず、いかなる機会にも祈りの言葉を唱えることができない。ダリットは、ダリットではない者の家の前では靴を履けないことがある。ダリット以外の人々の居住区で井戸から水を汲むこともできない。ダリット以外の人々と、池の同じ場所で水浴することもできない。 |
部落民は侮蔑的な戒名をつけられていた。 |
政治領域
|
職場 |
パンチャヤット制の下級組織においては、ダリットは席次や喫茶の面で異なる処遇に直面してきた。ダリットは、自分のカップは自分で洗わねばならず、水を飲むためのコップも別に用意されている。 |
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意思決定過程 |
ダリット代表の意見は他の構成員から無視されてきた。 |
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政府プログラム
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賃金雇用プログラム |
請負業者が提示する雇用日数は、ダリット以外の人々よりも少ない。ダリットに対しては、実際には定められた賃金よりも低い報酬しか支払われない。職場で異なる処遇をされる。 |
|
食糧配布プログラム |
ダリットは、食糧を受け取るために別の列に並ばねばならない。不可触民制がきわめて根強く実践されている。 |
|
インド
インド社会の特徴は、カーストと民族の制度に基づく高度な構造的不平等が存在することである。カースト制(人口の80%以上を占めるヒンズー教徒の社会機構)は、人々を社会的集団(カースト)に分断する諸原則を基盤としており、そこでは、出生によってあらかじめ定められた経済的・市民的権利が不平等に、そして序列化された形で割り当てられる。きわめて排他的な性質の制度であり、カースト集団同士の社会的排除は、内婚制と、清浄および穢れの観念を通じて確保される。
ブラーミン、クシャトリヤ、バイシャからなる上位カーストは、諸権利がこのように不平等にかつ序列化された形で割り当てられることから利益を得てきた一方、もっとも辛酸をなめてきたのは最下層に位置する不可触カーストである。不可触カーストは歴史的に、財産権、職業に関わる権利(不浄であり穢れていると見なされている一部の職種を除く)、教育を受ける権利、市民的・文化的・宗教的権利を否定されてきた。肉体労働に従事し、自分よりも上位のカーストに奉仕することを強制されてきた。これとは別に、不可触民は居住場所の隔離と社会的孤立にも苦しんでいる。高位カーストから、不浄であり、穢れており、社会的交流には適していないと見なされているためである[6]。被排除集団は、歴史的に排除されてきたこと(そして、すべてではないにしてもいくつかの伝統的な形態で同様の排除が続いていること)により、深刻な剥奪と貧困の状況に置かれるようになった。そのことは、所得創出につながる固定資産(農地や事業等)、教育、(ある種の)雇用にアクセスできないこと、市民的・文化的・政治的権利が欠如していること、そして最後に貧困と栄養不良の状況に表れている。以下の表2を参照。
表2: インドにおけるカースト集団の不平等(2000年、単位:%)
発展の指標
|
SC
|
OC
|
全住民
|
貧困
|
|
|
|
1 |
貧困-貧困率(農村部) % |
36 |
21 |
27 |
2 |
貧困-貧困率(都市部) % |
38 |
21 |
24 |
3 |
農業労働者の貧困率(農村部) |
46 |
39 |
45 |
4 |
不定期労働者の貧困率(都市部) |
58 |
45 |
49 |
栄養不良・低栄養
|
|
|
|
1 |
乳児死亡率 |
83 |
62 |
不明 |
2 |
幼児死亡率 |
39 |
22 |
不明 |
3 |
貧血児童の割合 |
78 |
72 |
不明 |
4 |
低体重児 |
21 |
14 |
不明 |
農地・固定資産へのアクセス
|
|
|
|
1 |
1世帯あたりの総資産価値(ルピー、1992年) |
49189 |
134500 |
107007 |
2 |
自作農の割合 |
16 |
41 |
不明 |
3 |
賃金労働者の割合(農村部) |
61 |
25 |
不明 |
4 |
不定期労働者の割合(都市部) |
26 |
7.0 |
不明 |
失業率(農村部) (Current Daily Status) |
5.5 |
3.4 |
不明 |
農村労働の非農業部門賃金(ルピー) |
61.06 |
64.9 |
不明 |
識字率
|
|
|
|
1 |
農村部の識字率(2001年) |
51.16 |
62.55 |
58.74 |
2 |
都市部の識字率(2001年) |
68.12 |
81.80 |
79.92 |
非農業部門労働者の割合(職の多様化) |
27.07 |
32.2 |
不明 |
差別と虐待
|
|
|
|
1 |
登録された差別事件数(1992~2001年) |
14030 |
- |
- |
2 |
登録された虐待事件数(1992~2001年) |
81796 |
- |
- |
3 |
差別事件・虐待事件の合計数(1992~2001年) |
285871 |
|
|
SC: 指定カースト OC: その他のカースト(指定カースト・指定部族以外)
出典: Employment and Unemployment Survey, 1999-2000, National Sample Survey, National Sample Survey Organization New Delhi, Consumption Expenditure Survey, National Sample Survey Organization New Delhi, Rural Labor Enquiry Report, 1990-2000, National labour, Simala, National Family Planning and Health survey -1998-99, International Population Research Institute, Bombay, Population Census, 2001, Register General of Population Census, 2005, Annual Report of Commission for Scheduled Caste and Scheduled Tribe 2005, Commission for Scheduled Caste and Tribe, Delhi, Thorat (2005) "Persistence Poverty-Why SC and ST Stay Chronically Poor" DFID Working Paper (2005).
前掲の表は、生活水準および差別に関わる指標との関係で2000年初頭にSC[指定カースト]が置かれていた状況を、他の人々(SC / ST以外の人々)と比較しながら示したものである。指定カーストは全般的に、今日においてさえ、固定資産の所有権や雇用にアクセスする機会がより少なく、教育水準がより低く、高度の貧困に苦しみ、市民的・政治的・文化的権利を全面的に享受できていない。SCのおよそ70%は農村部に住んでいる。2000年にはSCの約16%が自作農で、他の12%は農業以外の事業を行なっていた。したがって約28%が何らかの固定資産にアクセスできていたことになるが、SC / ST以外の集団の数字(56%)と比較するとはるかに低い。ひとりあたりの世帯資産(富の格差を反映する)は、SCが49180ルピーであったのに対し、SC / ST以外の集団は134,500ルピーであった。
資産を保有していないために、指定カースト世帯の60%以上が不定期の賃金労働に依存している。その他のカースト世帯が4分の1であるのに比べ、はるかに高い確率である。指定カーストの失業率(5.5%)は、その他のカーストの失業率(3.5%)の2倍近い。識字率は、その他のカーストが62%であるのに対し、51%に留まっている。これらの剥奪が累積したことによる影響が、貧困率の高さに表れている。その他のカーストの貧困率はわずか20%であるのに対し、指定カーストの貧困率は約37%にのぼるのである。
高い貧困率のために、SCの乳児死亡率(83%)と幼児死亡率(39%)も、その他のカースト(それぞれ61%、21%)に比べて高くなる。SCの女性は少なくとも56%が貧血を患っている。SCの子どもの栄養不良率・低栄養率も高く、子どもの半数以上が問題を抱えている。
SCの識字率が52%であるのに対し、農村部におけるその他のカーストの識字率は63%である(2001年)。都市部における識字率は、それぞれ68.5%、81.5%となる。
差別に関しては、1991~2001年にかけて約81,786件のカースト差別事件(虐待)が、1955年の不可触民制禁止法(市民権保護法)と1989年の虐待防止法に基づいて警察に登録された。合計で285,871件の差別事件・暴力事件が登録されたことになる。
他に、他の宗教に改宗した元不可触民カースト、とくにシク教、仏教、キリスト教に改宗した不可触民が存在する。このような人々はインド人口のおよそ4%に達しており、すべての領域ではないにしても、一部領域でカーストに基づく差別に苦しんでいる。政府のアファーマティブ・アクション政策の受益者として考慮されているのは、これらの集団のうち2つ、すなわちシク教と仏教に改宗した不可触民のみである。ただし、不可触民キリスト教徒による請願が政府と裁判所に受理されており、留保の有資格者リストに含めるかどうかの検討が行なわれている。
日本
「エタ」、あるいは現在ではより適切に部落民と呼ばれている人々は、日本社会の被抑圧カーストである。日本にはひとつの人種集団、すなわちモンゴロイド人種しか存在しないため、外部の者にとっては、日本はいかなる社会的差別もない均質的な社会のように映る。しかしEmiko Ohnuki-Tierneyによれば、部落民は「目に見えない」。他の日本人から区別されるような身体的特徴が存在しないためである[7]。
部落民は「エタ・非人」とも呼ばれてきており、この言葉は今日でもまだ用いられている。「エタ」という言葉は「非常に穢れている / 不浄である」と翻訳できるし[8]、非人というのは単純に「人ではない存在」という意味である。そのためこの集団は、日本において、多数派の日本人からは何のアイデンティティも与えられず、真正な人間としても認められてこなかった(部落民に対して用いられる蔑称のひとつには、4本足の動物を示すヨツというものがある)。したがって、抑圧と不当な取扱いが彼らの歴史的運命となってきたのも、驚きには値しない。この30年の間に彼らの状況は全般的に向上してきたが――これは主として立法によるものである[9]――、にも関わらず、部落民は依然として日本人公衆の意識のなかではさげすまれており、「差別を受けている」[10]。これまでのところ、日本の国レベルの議会である国会に部落民が選出されたことは一度もなく、アイヌもひとりしか選出されたことがない[11]。(編集注: これは事実誤認であり、国会議員に選出された部落民は複数いる)
部落民に対する差別は、日本の封建社会にまでさかのぼることが可能である。17世紀以降、部落民は他の日本人共同体からアウトカースト、不可触民として取り扱われてきた。部落民は日本で最大の被差別集団である。人種的・民族的マイノリティではなく、民族的には日本人とされる人々の間で、カースト制に似たマイノリティとして位置づけられている。一般的認識では、封建時代のアウトカースト集団の子孫ということになっている。かつては4本足の動物(人間ではない存在)と見なされていた。そのため彼らには、動物のと畜、皮革関連の仕事、犯罪者の処刑といった、一般大衆が仏教や神道の信仰に基づいて「不浄の行為」と見なすような仕事が割り当てられた[12]。
1993年に政府が実施した調査によると、全国には4442か所の部落に約120万人の部落民が存在していた。しかしこの数字では、同和地区(部落を指す)に指定された地域しか数に入れられていない[13]。Buraku Liberation News(1998年3月)は、日本政府が実施した調査によれば、「全国的には、同和事業が実施された4,442地区に298,385世帯、892,751人が暮らしている」としている[14]。
部落民の生活水準は過去に比べれば向上したとはいえ、部落民とそれ以外の人々との間にはいまなお格差が存在する。また、とくに結婚・雇用に関わって多くの差別事件が起きているほか、部落民以外の人々(公職者を含む)による差別的発言・調査も少なくない[15]。
1998年には、日本の企業が差別的な雇用慣行を行なっていたというスキャンダルが持ち上がった。部落民かどうかを判別し、その応募を拒絶するために企業が収集した情報には、国籍や本籍にも含まれていた[16]。これまでのところ、日本の国レベルの議会である国会に部落民が選出されたことはない[17]。 (編集注: 上記同様、これは事実誤認である)
このような背景を踏まえつつ、以下、インドと日本におけるアファーマティブ・アクション政策の性質と形態について理解しようとする興味深い取り組みを試みる。
反差別法またはアファーマティブ・アクションに関する憲法上の規定
被差別集団のためのアファーマティブ・アクションが憲法上の規定で担保されている国は、世界に4つしかない。これらの国々の名前は、インド(詳細な規定)、マレーシア、南アフリカ、ナミビアである。憲法に反差別規定がある国々の名前は、日本、中国、パキスタン、スリランカ、ネパール、ブラジル、ボリビア、ペルー、メキシコ、ナイジェリア、米国、フランス、ドイツである。
マイノリティおよび被差別集団を特定するための基準
マイノリティまたは被差別集団を特定するための基準としては、人種、カースト、民族、先住民族集団、宗教、在住領域、住民集団等がある。マイノリティや被差別集団がどのように特定されるかは、国によってそれぞれ異なる(表1参照)。
表1. マイノリティおよび被差別集団を特定するための基準
大陸 |
国 |
集団 |
特定のための指標 |
アジア |
インド |
ダリット(SC・ST・OBC)、イスラム教徒 |
カースト、民族、宗教 |
日本 |
部落民、沖縄人、アイヌ、在日コリアン |
カーストに基づく集団、先住民族集団、マイノリティ |
中国 |
55の少数民族 |
民族的マイノリティ |
マレーシア |
ブミプトラ |
民族的マジョリティ |
パキスタン |
バルーチ、パシュトゥーン、部族集団 |
地域的後進民族 |
スリランカ |
シンハリ |
民族的マジョリティ |
ネパール |
ダリット、先住民族集団 |
カースト、民族 |
出典: Thorat, S. and Martin Kamodang (2006)
いくつかの国におけるアファーマティブ・アクション政策
アファーマティブ・アクション政策がとられている国々
アファーマティブ・アクションがとられている国々の名前は、アジアでは、インド、日本、中国、マレーシア、パキスタン、スリランカである。ラテンアメリカ大陸では、ブラジル、ボリビア、ペルー、メキシコがある。アフリカ大陸では南アフリカ、ナイジェリア、ナミビアで、北米大陸では米国とカナダで実施されている。ヨーロッパでは、北アイルランド、英国、フランス、ドイツで積極的差別(アファーマティブ・アクションに代わるものとして受け入れられている呼称)が見られる。ニュージーランドでは、マオリ族は優遇政策を利用することが可能である。
アファーマティブ・アクションの性質および形態
さまざまな被差別集団を対象としたアファーマティブ・アクションの性質および形態は、その国内においても、また国によっても明らかに異なっている。このようなバリエーションは、それぞれ異なってはいるが関連性のある3本の軸によって生じるものである。まず、プログラムにおいて割当制をとっている国がある一方で、割当制とは一線を画している国もある。第2に、優遇政策またはアファーマティブ・アクション・プログラムの淵源となる法的規範がどのようなものであるかも国によって異なっており、このような措置が憲法上の委任に基づいてとられている国もあれば、立法措置の賜物である国もあり、時には行政命令で規律されている場合もある。第3に、このような政策ないしプログラムがどのような分野で実施されるかも、国によって異なっている(Thorat and Martin; 2006)。
アファーマティブ・アクション政策はマイノリティ集団を対象とするのが一般的だが、マレーシア、南アフリカ、ナミビアのような例外的事例では、民族的マジョリティ集団が対象とされている。アファーマティブ・アクションの利益を享受するのは、そのような政策の立法権限を有する集団である。そのため、マレーシアの場合、アファーマティブ・アクション政策は非常にうまくいっている。
アジア大陸におけるアファーマティブ・アクション
インド
インドでは、アファーマティブ・アクション、あるいはより一般的には留保政策(インドにおけるアファーマティブ・アクションの呼び方)として知られている政策は、憲法で、より力の弱い層(SC / ST / OBC)を対象として定められており、割当制を基盤としている。アファーマティブ・アクションの割当制(特定集団のために若干の席を義務的に配分する)が厳格に実施されるのは、政府機関(公共部門)、教育施設、立法機関のみである。もちろん、民間部門における実施方法についての議論も進められている。しかし現時点では議論の域を出るものではない。
留保政策――雇用・教育施設・立法機関
より力の弱い層ないし周縁化された集団に対するインド政府のアプローチは、基本的には憲法の規定によって形作られてきた。憲法は、法律の前の平等を保障するとともに、SC / STの教育上・経済上の利益を促進するための特別規定を定める権限や、種々の領域における差別を禁ずるための法的その他の保障を設ける権限を国に認めている。
政府はSC / STのために二元的戦略を用いてきたが、これには次のようなものが含まれる。(a)差別を禁ずるための法的保障。(b)国家部門、および国の資金を通じて部分的・全面的に支援されている諸部門を対象とした、留保政策という形の積極的措置。(c)民間部門(とくにSC / ST労働者の90%以上ガ従事している農業・民間工業部門)を対象とした、非公式なアファーマティブ・アクションとしての性格を有する政策。これは、中央政府または州政府がとる一般的開発措置またはエンパワーメント措置の一環として進められる。
反差別のための措置としては、1955年の不可触民制禁止法(1979年に市民権保護法と改称)および1989年の指定カースト / 部族虐待防止法などがある。前者の法律に基づき、公共の場所およびサービスにおける不可触民制の実践と差別は犯罪として取り扱われる。後者の法律は、高位カーストによって行なわれるいくつかの種類の暴力および虐待からの法的保護をSC / STに提供するものである。
政府機関、教育施設、そして立法機関のような政治的機関におけるSC / STのための留保は、反差別措置に限定されたものではなく、積極的措置も含まれている。これらの積極的措置は、さまざまな公的分野に、SC / STが人口に比例する形で参加できるようにするために用いられてきた。
留保政策は国が運営・支援する小規模な部門に限定されており、SC / ST労働者の90%以上が従事する大規模な民間部門は除外されているため、そこで行なわれる可能性がある差別からの保護は依然として提供されないままである。民間部門では留保政策がとられていないため、国はSC / STの経済的・教育的・社会的エンパワーメントのための「一般プログラム」を活用してきた。そこで焦点が当てられてきたのは、固定資産(土地およびそれ以外の資産)の私的所有の向上、教育、そして住宅、健康、飲料水、電気等の社会的ニーズへのアクセスの改善である。固定資産の私的所有、教育および社会的ニーズの改善ないし構築のための戦略は、一般的には貧困対策プログラムの一環としてとられてきたものではあるが、一定の割合をSC / STのために配分し、またSC/STのために非公式な形で割当を確保するための手段としても用いられてきた。
政府部門を対象とする留保政策
本稿では主としてアファーマティブ・アクション政策に焦点を当てているので、国家部門を対象とした留保政策についてやや詳しく論ずる。留保政策が運用されているのは主に3つの領域、すなわち政府機関の職、公立教育施設への入学、そして中央・州・地方の立法機関その他の機関における議席等である。役務および教育については、アファーマティブ・アクション政策は政府部門および政府の援助を受けている部門の役務と教育施設に限定されており、民間の職と私立教育施設は政策の適用範囲から完全に除外されていることに触れておかなければならない。時間の経過とともに、政府の行動と影響力が及ぶ領域は拡大し、それとともに留保の適用範囲も広がってきた。新たな領域としては、政府が供給する住宅、商店や商業活動において政府が確保するスペース、細々とした他の多くの領域などがある。
もっとも重要なのは政府機関における留保である。〔憲法〕16条(A)は後進カーストのための留保を認めており、政府は、この規定の実施を追求する過程で、SCとSTを対象としてその人口比率に応じた留保を行なってきた(表2参照)。被用者の昇進についても留保が行なわれている。政府機関には、政府の行政機関、公共事業体、法定設置機関、準政府機関、政府の管理下にありまたは補助金を得ているボランティア機関等が含まれるのが一般的である。中央レベルではいくつかの機関が留保の対象から除外されており、代表的なものとして軍や司法機関がある。
留保とあわせて、これらの集団が政府機関の職に就くことを促進し、そのための競争力を向上させることを目的とした、他の一連の特別対応もとられている。これには、入職のための最低年齢を緩和すること、適格性に関する最低基準を合理的範囲内で緩和すること(必要な最低限の資格を有することが条件とされる)、手数料を減免すること、SC / STを対象として試験前研修や別枠の面接のような対応をとること、選抜委員会その他の機関にSC / ST出身の専門家を任命することなどが含まれる。
留保が行なわれている2番目の重要な領域は、教育である。〔憲法〕15条4項は、国に対し、SCおよびSTの進歩のために特別な対応を行なう権限を与えている。国は、この規定に基づき、カレッジや総合大学(中央・州政府が運営する専門技術大学、工科大学、医科大学や、政府の援助を受けている教育施設を含む)などの教育施設で、SCおよびSTの学生を対象とした入学枠を留保してきた。このような体制を支えるために、数多くの財政計画も用意されている。教育支援計画の一環でとられている措置としては、奨学金、SCおよびSTの学生を対象とした特別寮、授業料等の減額、教科書補助金、補習授業等がある。
留保が行なわれている領域で3番目に重要なのが、中央・州議会における代表の確保である。法定留保は、指定カーストおよび指定部族をとくに対象とした義務的憲法条項のひとつとなっている。憲法330条、332条および334条に基づき、中央議会と州議会では、指定カーストおよび指定部族のために人口比に応じた議席が留保されている。同様の留保は、県・郡・村レベルに設けられている地方機関でも行なわれている。指定カースト / 部族に対しては、人口に占める割合に応じ、(連邦議会・州議会に選出されるための)選挙区が留保される。したがって、インド全土で見ると、連邦議会の総議席数のうち、選挙区(議席)の約14%および7%がそれぞれ指定カーストと指定部族に割り当てられている。留保された選挙区からは、指定カースト・部族出身者しか立候補することができない。たとえば2004年には、連邦議会の543選挙区(議席)のうち75が指定カーストのために、41が指定部族のために留保された。議席数は、10年ごとに実施される国勢調査に基づいて算出される。州以下のレベルで用いられる方法もこれと同様である。これらの選挙区は留保選挙区とされ、そこでは指定カースト・部族の人口比が相対的に高い。
留保議席に関する憲法条項は、SCとSTの政治参加を増進させるための法律の規定によって補完されている。選挙のさいの供託金も、これらの集団の構成員については減額されている。なお、政治的留保には期間制限があることに触れておいてもよいだろう。当初は10年とされ、10年ごとに延長することができる旨の規定が置かれた。1937年に初めて留保が導入されて以来、10年ごとに延長が繰り返されてきており、現在の延長期間が終了するのは2010年である。
また、10年の期間制限は政府機関および政府系の教育施設における留保には適用されないことにも、言及しておいてもよいかもしれない。憲法では、指定カースト / 部族に対して十分な配分を行なうよう求めた一般的規定は置かれているものの、留保政策をどこまで追求するかは政府に委ねられている。留保政策が終了するのは、政府が、指定カースト / 部族に対する差別が大きな問題ではなくなったと考えたとき、またこれらの集団が十分にエンパワーされ、通常のやり方で正当に代表されかつ参加することができるようになったと考えたときのことである。同様の基準は、立法府における留保を10年ごとに延長するさいにも用いることができる。
また、留保を際限なく延長することについて懸念を表明する少数意見はあるものの、指定カースト / 部族の差別と社会的排除が根強く残るかぎり延長に賛成する意見が支配的であることを認識しておくことも必要である。指定カースト / 部族の社会的排除と差別は複数の領域で大規模に蔓延しており、またこれらの集団は依然として剥奪状況に置かれていることから、政府内には、期限を考慮しない留保政策に対する一般的支持が存在する。それどころか、インド社会の排他的性質にかんがみ、政府機関における留保は、その他の後進カースト(インド人口の27%を占める)、シク教や仏教に改宗した指定カースト、イスラム教徒の後進カーストといった他の集団にも拡大されてきた。キリスト教に改宗した指定カーストのための留保についても検討が進められており、州によっては、限られた規模ではあるが、政府機関におけるイスラム教徒向けの留保をすでに発表したところもある。
ただし、留保の適用対象とされた集団のなかでさらに対象を限定した留保を行なうことについては、見解の相違がある。たとえばその他の後進カーストについて言えば、「クリーミー層」と呼ばれる相対的に裕福な階層は、留保の対象とされていない。クリーミー層かどうかは、所得およびその他の補完的指標によって判定される。指定カースト / 部族の場合、クリーミー層の概念は適用されていない。相対的に裕福な層も貧しい層も、インドの発展過程で差別と参加拒否に苦しんでいるためである。相対的に裕福な指定カースト / 部族でさえ、政府機関の職、教育施設および立法機関では留保の対象とされる資格があるとはいえ、所得基準に基づく経済的便益や、政府の管轄外の領域からは排除されている。
日本
反差別立法
依然として続く差別に直面した部落民衆は、1922年、日常的に生じる差別に団結して立ち向かうために全国水平社を創設した。しかし、日本が軍国主義に向かい、第2次世界大戦に参戦する過程で水平社は弾圧され、十分な活動ができずに終わった。戦後、部落解放運動は1946年に部落解放全国委員会としてふたたび団結し、これがその後、現在の名称である部落解放同盟(BLL)へと発展していった。全国委員会はまず、政府機関の怠慢のせいで極度に貧しい状況にあった部落地区の生活環境を向上させるよう、担当の地方当局に要求した。この闘争は、部落問題に関する国家的政策を要求する運動へと発展していった。その結果、内閣の同和対策審議会は、1965年の答申で、部落問題の解決は国の責務であると明言した。全国委員会およびその後進である部落解放同盟(BLL)は、政府を動かし、部落地区の生活環境を向上させるための法律を次々と制定させることに成功した。
1969年に特別措置法(SML)が施行された。この法律は、数千の同和地区を、場合によっては文字どおりゼロから再建するうえで役に立った。これらの事業のための資金は、国や都道府県その他の自治体から拠出されたものである。コミュニティの再建のために用いられた資金のほか、住宅補助、部落青年のための奨学金、部落家庭の金銭的負担を軽減するためのその他のプログラムの保証のためにも資金が活用された。部落差別に終止符を打つため、政府は1976年に戸籍法10条を改正し、戸籍へのアクセスを制限した。これによって身元調査ははるかにやりにくくなった。
部落解放同盟は、部落解放基本法の制定を求める全国キャンペーンを主導し、1985年に独自の法律案を提示した。法律案では、部落差別を根本的にかつ速やかに解決するための、政府と国民の義務が定められている。政府に対しては、人権教育の推進、部落差別の規制、差別の被害者に対する救済制度の確立、同和事業の実施のために法制上の措置をとるよう求めている。このキャンペーンには、労働界、産業界、宗教界、学界、自治体その他の部門から、さまざまな団体が参加してきた。政府は1996年12月に人権擁護施策推進法を制定した。同法では、政府が人権擁護推進審議会を設置しなければならないと定めている。審議会は、人権教育および人権啓発に関する措置についての答申を2年以内に、人権侵害被害者の救済措置に関する答申を5年以内に提出するものとされた。これに加えて政府は、1997年2月、地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律の、5年間の延長を決定した(2002年3月に期限切れ)。2000年、政府は「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」を制定した。
特別教育
同和教育は当初、1940年代、部落出身ではない兵と部落出身の兵が軍内の和を乱さないようにするために、日本政府によって構想されたものである。大阪府・市教育委員会は『にんげん』という同和教育副読本を発行し、全校に配布した。詩、歌、短い物語や記事から構成されたこの副読本は、人権および部落民、在日コリアン、女性、障害者等に対する差別の問題について子どもたちに紹介することを目的としたものである。
1970年代以降、多くの自治体が同和教育指針を定め、同和教育担当教員の研修プログラムを導入し、部落の子どもたちが就学している学校に教員の加配を行なうようになった。
とくに部落民青年の高等学校進学率の面では相当の改善が見られ、92%に達した。全国平均(96.5%)との差はおよそ4ポイントにまで縮まっている(総務庁 1995: 62-63)。1963年に36.5ポイントの差があったことからすれば、劇的な減少である。当時、部落民生徒の平均進学率は、全国平均が66.8%であったのに対し、30.3%に留まっていた。
障害者
基本法
障害者基本法[18]は、障害者の自立および社会参加の推進を目的として、障害のある人々に関する基本的施策について規定している。政府は、この法律に基づき、基本的施策を実施するための障害者基本計画を策定しなければならない。
雇用
障害者の雇用の促進等に関する法律[19]は割当課徴金制度を確立した。事業主は、一定の割合の身体障害者または知的障害者を労働者として雇用しなければならない。その割合は、障害者の雇用の促進等に関する法律施行令で定められている。現在の割合は、民間部門については1.8%、国・地方公共団体については2.0%である。56人以上の労働者を雇用する事業主は、この法定雇用率に従わなければならない。法定雇用率に達しているかどうかの算定にあたっては、重度障害者は障害者2人と見なされる。親会社は、定められた基準を満たす子会社で雇用されている者を含めることができる。法定雇用率を超えて障害者を雇用している事業主に対しては、超過分の人数に応じて政府から調整金が支給される。法定雇用率に達しない事業主は、過少分の人数に応じて納付金を支払わなければならない。この法律に基づいて日本障害者雇用促進協会が設置され、割当課徴金制度の運営を担当している。同協会は、労働政策をつかさどる厚生労働省の管轄下にある。同法は、障害のある人々の雇用を推進するための、職業訓練センターその他の施設についても定めている。
教育
憲法26条に基づき、障害児は平等な教育に対する権利を有する。学校教育法[20]53条〔訳注 / 75条・71条〕は、障害者のための特殊学級と、盲者、聾者、肢体不自由者、知的障害者のための特殊学校について定めている。教育政策をつかさどる文部科学省は、子どもの障害の種類と程度に応じた特殊学校の設置に努めてきた。最近、主流の学校教育への障害児の統合が始まっている。特殊学校への就学がふさわしいとされる障害児を普通公立学校が受け入れるかどうかは、学校および市区町村教育委員会次第である。日本の法律では、障害のある人々の平等な権利と一般的福祉を促進しなければならないことが認められている。1999年の障害者基本法は、政府に対し、障害者施策に関する基本計画の策定を委任している。この委任条項により、雇用、教育、交通、公共サービスへのアクセスに関する実質的措置について扱い、また政府プログラムの運営および法律の実施・執行の責任を国・都道府県・地方自治体間で分担するための、さまざまな法令が定められてきた。
影響
多くの部落は、特別措置法の結果として相当に変貌してきた。部落の住宅や生活水準はかなり向上している。たとえば大阪の幸地区(仮名)の住民が暮らしているのは、もはや老朽化した住宅ではなく、高層アパートである。同地区が住民に提供している便利さとサービスへのアクセスのよさには、たいていの地区がかなわない。保健診療所、講堂付きのコミュニティセンター、複合スポーツ施設、食品雑貨店、ユースセンター、高齢者センター、水泳プール、保育所が地域内に揃っている。経済面では、特別措置法の施行前は雇用が非常に不安定だった。住民はあちこち移動しなければならず、子どもを学校にやることさえできなかった。通学していた子どもたちも、教員による不当な処罰の対象とされていた。しかし現在では、幸地区の多くの部落民にとって雇用状況は向上している。幸地区の住民のおよそ3分の1が公務員(男性10.6%、女性11.2%)である。同和地区では、標準税率で課税されるだけの所得を有する世帯数が徐々に増えてきた。この税率区分に該当する世帯は、1971年には43%だった(部落解放・人権研究所 1997: 60-61)。1975年にはこの割合が53.9%にまで上昇し、1993年には過去最高の58.2%に達した。しかし、1992年には日本の世帯の80%が標準税率で税金を支払っていた。1971~1993年にかけて、この税率区分に該当する部落民世帯が15%増加したにも関わらず、その所得水準はなお部落以外の人々には追いついていなかったのである。
[1] 市場には、土地市場、労働市場、インプット市場、アウトプット市場および信用市場を含む。
[2] Shah and et al (2006), Untouchability in Rural India, sage publication参照。
[3] 出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Caste_system
[4] 出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Caste_system
[5] 出典:部落解放同盟ホームページ(http://www.bll.gr.jp/eng.html)
[6] 出典:Akerlof, 1976, Scoville, 1991, Lai, 1988, Ambedkar, 1936 and 1987, Thorat, 2005.
[7] Emiko Ohnuki-Tierney, The Monkey as Mirror: Symbolic Transformations in Japanese History and Ritual (Princeton, N.J.: Princeton University Press, 1987), p. 98.
[8] 徳川期のエタと中世のエタを同列のものとしてとらえることには問題が多い。この言葉はもっと早い時代(鎌倉・室町時代)から存在していたようだが、江戸時代のエタはそれ以前の集団とは異なる人々である。An Introduction to the Buraku Issue: Questions and Answers, trans./intro. by Alastair McLauchlan (Richmond, Surrey: Curzon, 1999), 80 ffにおける北口末広(Suehiro Kitaguchi)の説明を参照。
[9] 部落の状況の改善にもっとも寄与したのは、同和対策事業特別措置法である。「1969年から1994年にかけて、特措法の規定にもとづき、国と市町村が責任を分担する形でおよそ140億円が『対象地区』のために用いられた」(Kitaguchi, An Introduction to the Buraku Issues, p.4)。
[10] cf. Kitaguchi, An Introduction to the Buraku Issue: Questions and Answers, p. Iff.
[14] Shigeyuki Kumisaka, "The Current Condition of Minorities in Japan and Challenge: The Buraku Issue," Buraku Liberation News, no. 101, March 1998, p. 5.
[16] 出典:John H. Davis Jr, "Blurring the boundaries of the Burakumin" in the edited book "Globalization and social change in contemporary Japan" edited by J.S Eades, Tom Gill, Harami Befu, Trans Pacific Press, Australia, March, 2002.
[18] 1970年法律第84号(1999年法律第160号により改正)。
[19] 1960年法律第123号(2002年法律第35号により改正)。
[20] 1947年法律第26号(2000年法律第10号により改正)。
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