ほんの数ヶ月前まで民主党の先行きは信じられないほど明るいようにみえた。悪化する経済、石油価格の記録的高騰により苦痛を感じる消費者が増え、米国が誤った道を進んでいると信じている国民が過半数を占め、イラク戦争に対する一般の不満が増大し、ジョージ・ブッシュ現大統領(共和党)の支持率が底なしに低迷していることがすべて重なり、米国のほとんどの人が声高に変化を求めるような状況をつくりだしている。その変化をもたらすために選挙民が誰を選ぶかを知るにはまだ早いが、歴史を信頼するならば、現在の政治状況は民主党がホワイトハウスを取り戻す何年来かの最大の機会となるはずである。さらに、民主党の大統領候補者指名を争ったのは、非常に有能で、同時に多様な人びとであった。当初、民主党の指名争いに立候補したなかには、米国で最高地位に就く最初の女性であるヒラリー・クリントン上院議員、アフリカ系アメリカ人であるバラク・オバマ上院議員、またはヒスパニック系アメリカ人であるビル・リチャードソン知事が含まれていた。リチャードソンの選挙運動はかなり早くに終わってしまったが、今年2月にはクリントンかオバマのいずれかが勝者になることは明らかになった。ホワイトハウスに最初の女性または最初の黒人大統領を送り込む、という考えに多くの民主党員は興奮した。歴史を書き換える機会になるのである。民主党は一気に政治権力を取り戻し、進歩的な党としてのイメージを輝かせ、多様性へのコミットメントを再確認できるかのようにみえた。しかし、事態は不運な方向に転じたのである。
登録された民主党員の初期の調査では、圧倒的過半数の党員が総選挙でクリントン、オバマいずれかに喜んで投票することが示されていた。しかし、ここ数ヶ月の間、選挙運動の傾向や党内の雰囲気は予期しない方向に転じた。指名争いの初期にはほとんど象徴的な役割を担っていたような人種やジェンダーの問題が多くの投票権者の頭の中でますます重要な要素となっていったのである。より驚くのは、両上院議員の選挙運動に対して、女性蔑視や人種主義の非難が浴びせられ、社会的な緊張や言い争いの加熱によって民主党が分裂するおそれもでてきた。指名争いに決着がついて数週間がたった現在もなお、11月選挙で勝利を得るために必要な党の一致団結を達成できるよう、民主党党員が自ら招いた傷を癒せるかどうか疑問に思う人も多い。
大統領選挙で最終的に勝利を得るのがどの党であるかということが二義的なことにしかすぎないという人もいる。クリントンとオバマが成功させた選挙運動は一般の人を湧かせ、何百万人もの人に初めて有権者登録する気にさせた。さらに、加熱した両者間の指名競争は、剃刀の刃ほどの差で決着したが、大統領にマイノリティの人を人びとがおおむね選ぶ用意があるという点まで国が成熟したということの争いようのない証拠として受けとめられた。特にオバマの立候補は米国が「ポスト人種的」あるいは「ポスト民族的」社会になるまで発展したという一連の評論を全国的に呼び起こしたようである。たとえば、ポール・クルグマンがニューヨークタイムズ紙の彼のコラムに述べた次の評価を考えたい。「バラク・オバマの熱烈な支持者はよく、彼をホワイトハウスに送ることは米国を変えることだという。オバマ候補には失礼ながら、それは逆である。オバマ候補はすばらしい選挙運動を行った印象的な演説家であるが、彼が11月に勝つことになれば、それは私たちの国が既に変化していたからである。」彼は続けて、「オバマ候補の指名は20年前であれば不可能であった。今日、人種的な区分が・・・その刺をほとんど失ったから可能になったのである。」と述べる。現在の社会の雰囲気に関するこのような臆面もなく明るい評価は選挙運動中の両候補自身の言葉によって少なからず促されている。オバマ、クリントンいずれも自分たちが「歴史を変える」過程にあると繰り返し話してきた。指名を得るために十分な代議員を確保した後、オバマは、今日の少年少女は女性や黒人が大統領の地位まで上ったり、その他の夢をかなえたりすることが当然のように思うだろうと述べた。彼は、人種的な壁が(少なくとも頭の中にあるものは)破壊されていることを示唆している。
民主党の指名争いが深い象徴的な意義をもっていたことを疑う人は少ない。この国が創設のときから取りつかれていた人種とジェンダーに基づく差別の悪魔をようやく祓ったことを示すものとして見なすことができると論じる人さえもいた。これまで起こったことの重要性を減じるつもりはないが、民主党の主要候補者に集まった熱意と支持によってまだ大きな課題が残っているという現実が覆い隠されてはならない。米国がジェンダーおよび人種に基づく不平等を克服したという主張の誤りを暴露するいくつかの不都合な真実がある。主に進歩の指標として解釈されているが、クリントンとオバマの選挙運動はまだ残っている課題の証拠を十分に提示している。一般の人や報道陣から、クリントン上院議員に向けてあからさまに女性蔑視の発言が行われたこともあった。もっと女性らしい服装を着ていれば選挙でよりよい成果が出るかもしれないというような単純な意見から、ほとんど引き分けまで争ったにもかかわらず、不当に早く指名競争から撤退を求めるものまであった。よりひどい例としては、クリントンを、女性の社会的に認められた境界を逸脱したことで、男性を去勢する力としてあからさまに描こうとする、悪名高い「クルミ割りヒラリー」などがある。同じような趣旨で、彼女の「強靭な睾丸」についての言及などより如才ない手段もあった。
オバマも、愛国心に対するしつこい疑惑、彼がムスリムだという非難や流れ続けた殺害の脅しなど彼のマイノリティとしての地位からくる問題に対処しなければならなかった。選挙運動のこの側面は、主要メディアで報道されることはあまりないが、このようなことは彼の運動のボランティアが頻繁に対処しなければならないことである。彼の運動のボラティアに対して、どのような状況でも黒人であるためオバマには投票しないと率直に言う一般の人がいるだけでなく、そのことを上院議員自身だけでなく、彼のために働く人びとに対しても扇動的で人種主義的な悪口で伝える人もいた。当初このような問題に対して静かに対処しようとした後、オバマはとうとう事態が手に余ることを認め、彼に対する誤った情報に反論するウェブサイトを立ち上げた(FightTheSmears.com)。このような現場での事実は、ポスト人種主義的またはポスト・ジェンダー的と米国をみなす宣言が時期尚早であることを明らかに示している。目に見える改善を社会の変化の明確な指標として使うことは進歩のパラドックスの一つである。マイノリティ集団のための苦労して得た成果が、社会的な障壁が取り除かれたという議論に使われ得るのである。
オバマとクリントンが、過去の社会的な悪を克服した米国のイメージを構築するための強力な象徴として現れたのと同じように、特別措置法によって取組まれた改善の多くが、部落問題が過去のものとして退けたいと考える人にとって攻撃材料となっている。新しい住宅群、舗装道路、上下水道設備などはすべて肯定的な変化の例である。しかしこれは部落問題が解決したことを意味するのだろうか。年々繰り返し見られる差別の事例から判断すればそうではない。さらに、部落地域の住民が特別待遇の不相応な受益者であると感じている多数者の人から憤り(ねたみ?)の声を聞くこともまれではない。したがって、共同体のなかの物質的な改善は、ある程度の進歩を表していると同時に偏見をもった待遇を一層引きつける磁石ともなり得る。
二つ目のパラドックスは一つ目と密接に関連している。限定的な進歩の目に見える兆候が舞台の真中を占め、残っている課題の指標を閉め出してしまうおそれがある。部落問題の場合、残された課題には、若い世代に譲ることができる成果をはかるモニター、多くの部落地域で起こっている人口の移動が共同体を不安定にし、人口の経済的に弱い部分を集中させているのではないかということに関する調査や差別行為を削減する十分な防止策を確保することなどである。特別措置法が満たした基本的な物質的ニーズに対して、これらは二次的な重要性しかもたないかもしれないが、このようなことは部落問題が他の形態に再構築されないことを保証するために不可欠である。共同体の発展のために必要な指導的な役割を担った人びとを移動させることによって、その共同体の活力や豊かさを阻害するいかなるものも、持続的な繁栄の展望を脅かすおそれがある。端的に言うと、社会的不平等は複数の次元で現れるため(つまり、教育の達成度、所得、差別の経験、政治的代表の不足、欠如、社会サービスへのアクセスの欠如など)、部分的なデータに基づいて、尚早に結論を導くことがないよう注意しなければならない。改善に向けた変化の明らかな兆候に加えて、隠れた課題を探すためにも注意が払われなければならない。統計データを扱っている場合には特にこのことは不可欠である。一定の期間にわたる肯定的な変化を示す数値の指標によって、測定可能な成果が問題となっている集団全体にどのように分配されているかを確認するための質的分析を行うことが妨げられてはならない。
米国のマイノリティにとっても同じような危険がある。現代の米国が順調であることのすべてを表す象徴として多くの人が熱心に、一致してオバマとクリントンを指摘したことによって、簡単な解決もみえない厄介な問題をみえなくしてしまった。人種に関して、著しい格差がまだ続いている。たとえば黒人は刑務所の囚人の不相応に大きな割合を占め続けている。都市地区に黒人は集中して住み続けているが、そこでは資金不足で業績の悪い学校が個人の成功と発展のための機会を制限している。主にマイノリティの生徒が就学する学校の多くが、学校の財政に資金を投入するための税収入が少ない貧しい共同体にあるだけでなく、しばしば犯罪の多い地域にあり、生徒は教育を受けるためにギャングの縄張りの間の迷路を抜けていかなければならない。全国紙の見出しに出ることはないが、暴力犯罪の犠牲者となって若くして命を落とした将来有望なマイノリティの若者に事欠くことはない。
女性もジェンダーの不平等が過去のものと呼ぶことができるまでに対処されなければならない問題のリストを指摘することができる。女性の稼ぎは、同じ仕事に就いて男性が得る報酬の平均して約四分の三であり続けている(黒人とヒスパニック系女性の報酬は平均してもっと少ない)。女性は数字の上では過半数を占めながら、50州の議会の四分の一以下しか占めていない。これは単に数字の問題だけではなく、女性に関わる問題に対応するための充分な政治的代表が不足しているという基本的な問題である。この統計上の問題に加えて、世界でも有数の、左系の傾向があるとも思われている報道出版物による無意識でおそらく意図的でない女性蔑視の失言を指摘することができる。ニューヨークタイムズ紙に掲載されたクリントン上院議員の写真には、いくつかのグループから批判が集中した。驚くべきことに、彼女の顔はどこにも映っていない。彼女の頭は彼女の胸に焦点を当てた写真からおとされていた。多くの人はこのことを、クリントンが女性であることがいかに選挙運動中の彼女のとらえられ方に含まれているかを露骨に反映するものとしてみた。卓越した業績を何年も続けているにも関わらず、彼女はしばしば言葉やイメージによって単なる「女性候補者」にされてしまった。したがって民主党指名に肉薄したクリントンの選挙運動は、米国の政治において女性がどこまで到達できるか再評価を多くの人に迫ることになる転機として見なされ得るかもしれないが、一方選挙運動が引き起こした反応やさまざまな分野における統計上の男女間の相当な格差は女性蔑視が断末魔を迎えていると断言することに対して警告を発している。
進歩の明白な宣言が提示する課題に取組む一つの方法は、特定の集団の平等(または進歩)をはかる試みを複数の次元において評価することを主張することである。統計的な概要は特定の集団がどのような状況にあるか(つまり米国黒人の状況または部落問題の現状)に関する包括的な評価を提供するためにつくられる。しかし、私がここで提案するのは、マイノリティ集団の特定の部分が特定の分野において ?地理的、経済的、職業上、政治的または制度的に― 集団全体としてよりも顕著に一定の周縁化を経験しているかどうかに注目するアプローチである。このような分析は今日までとられて来た公共政策の取り組みの効果の幅や深みをより正確に理解することを可能にすると考える。このアプローチがマイノリティ集団をより詳細に区分し、介入を微調整することができるようなより鋭敏な評価ツールの開発を促し得ることも同じように重要である。
このような分析方法には、さまざまな社会におけるマイノリティにしばしば共通するもう一つの課題、ステレオタイプ化の問題に対処することも可能にするという付加的な利点がある。ステレオタイプは、人びとをマイノリティの地位に整理する社会的分類学に具体的で客観的な根拠があるという幻想によってしばしば支えられている。スティーヴン・ジェイ・グールドが人種や地位のような抽象的概念を具象化することの誤りについて論じてから数十年経っているが、そのメッセージはまだ今日も妥当性をもっている。個人を永久にマイノリティと識別する社会的に決定された基準が具体的なものであるとしばしば誤解されているだけでなく、これらがマイノリティの共同体の一員の行動、意図や生活が解釈されるフィルターとなる傾向がある。また米国で行われた民主党予備選挙に戻ると、両候補が当初ジェンダーや人種よりも広い言葉で自分たちの選挙運動を定義しようと細心の注意を払ったにもかかわらず、クリントンは「女性候補者」に還元されることを防ぐことができず、同じようにオバマも「黒人候補者」と呼ばれることを回避することができなかった。オバマの事例は特に興味深い。彼が自分をバイレーシャルであると説明し、白人の母と祖父母に育てられたことに頻繁に言及したにもかかわらず、彼を黒・白の境界線のはっきりと黒の側にいると見なす傾向が全く緩和されることはなかったからである。一般の米国人(当然バイレーシャル出身であるという人は除く)が、オバマの家族の歴史の複雑さが通常の人種の境界を複雑にすることを認めることができないということは、人種がいかに深く国民の精神に根付いているかを反映している。現場における事実が曖昧であるにもかかわらず人種と違いの単純化された考え方は人種の境界のリサイクル(およびその結果として再び刻み込むこと)をもたらす。
社会の慣習によって同じマイノリティの分類にまとめられてしまうかもしれない個人の間の大きな違いを認めないことは、その共同体の一員がマイノリティの地位に付与する意義の種類に関する劇的な変化をみえなくしてしまう。米国および日本両国の社会運動史をみると、かつて法的拘束力をもっていた特定の社会的特性(つまり日本におけるさまざまな身分や米国における奴隷制)はそれぞれの歴史的転機に次のようなものをすべてもたらした。自己改善を強調することによってマイノリティの状況を改善しようとする、社会制度内に活動する政治組織;マイノリティの地位を再確認するが、それを肯定的にとらえる政治組織;マイノリティとマジョリティの間に区別をつける慣行自体を問題とする団体や個人;(政治的に定義付されるのとは違い)文化的に定義付されたマイノリティの地位を受け入れるもの;前の世代とは条件が異なる時期(あるいは場所)に成人したため、そのマイノリティの地位が質的に違う意味を持っている新しい世代である。私がここで強調したい進歩のパラドックスとは、法的な特性が社会的、政治的及び文化的な特性に取って代わられたときにマイノリティの地位が日常生活においてより大きな重要性をもち得ることである。
純粋にマイノリティの地位だけで定義づけられることを意図的に避けようとしていたからか、オバマもクリントンも一般的な言葉で平等の価値を再確認することはあったが、特定のマイノリティの共同体のニーズや問題を取りあげることをしなかった。オバマは最終的に、人種に関して演説を行ったが、それは彼の通っていた教会の元牧師の論争を招く発言が全国の関心を集め始めた後、せざるを得なくなってから初めて行ったのである。多くの人はなぜクリントンが、オバマが人種を取りあげたような形で女性蔑視について演説を行わなかったのか不思議に思っている。このことはまさに失われた機会であったかもしれないが、私はいずれの候補者もこの機会を使い、数多くあるマイノリティの問題に関して全国的な議論を巻き起こさなかったことに失望している。また両者とも自分だけではなく相手の選挙運動のより広い意義を十分認識し、評価することはなかったように思う。指名争いの終盤になって、クリントンとオバマが、これらの課題に直接立ち向かい、それぞれの支持者や代理人が相互に投げ合った人種主義や女性蔑視の非難を回避できたであろうと思われる時期があった。
偏見と差別の非難とそれに対する非難は検討したい最後のパラドックスを反映している。私はこれを社会正義運動のバルカン化と呼ぶ。私の考えでは私利に還元できない理由により、それぞれの社会運動は、社会において同じような変化をもたらそうとしているにも関わらず、通常それぞれ孤立して活動する。このことはそれらの社会変革に向けた潜在的可能性を不必要に制限し、個別の社会運動体の長期的持続性を損なうことにもなり得る。クリントン―オバマの状況は、非常によい例である。いずれも恊働して人種主義、女性蔑視や他の形態の社会的偏見を累積的に取りあげることによって、より強い影響を及ぼす機会を逸した。それどころか、いずれも女性蔑視の方が人種主義より悪い、あるいはその逆を主張する代理人を通して、代理戦争を戦ったのである。状況を「抑圧オリンピック」に陥らせることによって、いずれも相手側に何ら共感を示すことをしなかった。これは、両候補者のいずれもマイノリティとマジョリティの両方に片側の足をおいているので、特に懸念される。男性であるからオバマにとって女性蔑視はより重要でないとみなされたのか。同様に、クリントンは白人であるから、人種的な恐怖感をあおるぎりぎりのところまで近づこうと思ったのか。両者とも大富豪の一員として、自分たちの政治的なポーズが人種、ジェンダーや階級の問題が深刻な影響をもつ社会の人びとの不満をどのように悪化させ得るかということについて冷淡だったのか。非の打ち所のない学歴をもつ、抜け目のない政治家でありながら、通常の境界を越えて連帯をつくる機会を模索するとどれだけのことが達成し得るか両者には明らかではなかったのか。
私が日本に滞在していた間、これが可能であると確信させられるいくつかの出来事があった。本稿を明るい調子で締めくくるために、最後にそのうちのいくつかをここであげたい。
逸話1: 電車の男
ある日、私がいつもの電車で帰宅していたとき、座席数フィート離れた向かい側に座っている男性に気がついた。彼はまっすぐ私を凝視していた。日本にいるアフリカ系アメリカ人として、人が私のことをこっそり見ることにはなれていた。しかしこれは、こっそり見るというのを越えていた。居心地が悪くなり始めて、じろじろ見られるのをやめさせようと、自分も彼を凝視した。しかし、通常ならば直接視線を合わすことは、好ましくない、好奇の目の注意をそらすのに十分であるのに、それさえも逆効果のようだった。男性は小さな笑顔を見せた。間もなく私は目的地に着いた。この風変わりな出会いを終わらせたくて、私は電車を降り、出口に急いだ。改札口を通った直後、私の背後で「ちょっと待って」という声がした。そうすべきではないと思いながら、私は振り返ると、遠くから私を凝視していた男性が今や私の真ん前に立っていた。どうしようと私が考えていると、彼は最も予期しないことを言った。「私たちは同じだ。」最初私は彼が何を意味しているのかわからなかった。いったいどうして私たちが同じであるのか。私よりも何歳も年上の日本人男性と私に一体どのような共通点があるというのか。私が混乱しているのを感じたのか、彼は私に自分がコリアンであると明かして説明した。それでも何が起こっているのか理解するのに数分かかった。明らかに私は韓国から来たのではない。そのことを指摘するために、まず自分がアメリカ人であると述べた。この情報でも彼はあきらめなかった。彼は私たち両方とも外国人であると続けた。
逸話2: ウィー・シャル・オーバーカム
強く心に残る描写のひとつとして、私がフィールド調査を行った地域、幸町(仮名)に住み始めて間もなく行われた歓迎夕食会の間に起こった出来事がある。私を歓迎してくれた人たちは歌い始めた。「ウィー・シャル・オーバーカム、ウィー・シャル・オーバーカム、ウィー・シャル・オーバーカム・サムデイ・・・」私も一緒に歌っていると、この米国市民権運動からのプロテスト・ソングによってノスタルジックな思い出がわき起こった。頭の中で私は、米国深南部における抗議行動の行進、ワシントンDCでの大規模な集会と、その間に聞こえるマーティン・ルーサー・キング牧師が行った「私には夢がある」胸躍る演説、自ら危険地に入り、アメリカのアパルトヘイトに立ち向かおうとしたフリーダム・ライダーたちの勇気やスウィート・ハニー・イン・ザ・ロックのような、深い魂のあふれる抗議と良心の声のような1960年代のドキュメンタリーからのさまざまな場面を思い描くことができた。スウィート・ハニー・イン・ザ・ロックの音楽は、そのとき私が日本で経験していたように、音楽が社会変革の前線に立つ人びとにとって癒し、希望や決意の源として重要な役割を演じて来た(そして演じ続ける)ことを思い起こさせてくれる。
歌の二番を歌い始めると、私のノスタルジアは好奇心に取って代わられた。「ウィール・ウォーク・ハンド・イン・ハンド、ウィール・ウォーク・ハンド・イン・ハンド、ウィール・ウォーク・ハンド・イン・ハンド・サムデイ、オー・ディープ・イン・マイ・ハート、アイ・ドゥー・ビリーヴ、ウィー・シャル・オーバーカム・サムデイ・・・」なぜ、私を招いてくれた人たちはこの歌をこのようによく知っているのだろうと私は不思議に思った。歌っているほとんどの人は市民権運動時代に成人した世代に比較的近い人たちだった。米国で何が起こっているかのニュースが海を渡って日本にまで届いたのだろう。これが私の前にある謎の答だろうか。
「ウィー・シャル・リヴ・イン・ピース、ウィー・シャル・リヴ・イン・ピース、ウィー・シャル・リヴ・イン・ピース・サムデイ・・・」私はこの時点でパニックに陥り始めた。私は歌詞を思い出すことができなくなっていた。運動の絶頂期のあとに生まれた私は歴史的な市民権の闘いとは一世代違った。したがって、米国史のこの時期に関する私の知識は二次資料からきていた。直接経験していないため、その時代の仔細は十分に知らなかった。私の無知が公に知られることを避けたくて、3回目のコーラスを歌いながら、歌が終わることを願い始めた。「オー・ディープ・イン・マイ・ハート、アイ・ドゥー・ビリーヴ、ザット・ウィー・シャル・オーバーカム・サムデイ・・・」
残念なことに、歌は終わらなかった。口パクする誘惑に抵抗して、私は次の歌詞が歌われているときには黙って座っていた。その間、笑顔で、拍子に合わせて頭を横に振りながら、コーラスで再び合唱できるまで時を待った。この時点で自信を持って歌えるのはそれだけだった。私の仲間たちのほうが私よりも米国文化のこの特定の側面についてははるかによく知っていることが痛いほど明白だった。
最後にこの二つの逸話で締めくくるのは、いずれもマイノリティであることの意味を再考させられたからである。電車における男性の話はマイノリティの分類の恣意性を強調するだけでなく、新しい共同体をつくる機会が常にあることも示している。私が米国ではなく日本にいるという社会的現実に精神的に適応すると、マイノリティであることの意味をより柔軟に理解しなければならないと気がついた。明らかに、私は異なる文化的文脈に移動したので、私がなじんでいる社会的分類によって日本における私のマイノリティの地位の性質をもはや理解することはできない。今、この出来事について考えると、さまざまなマイノリティがどのように異なる文脈(米国および日本両方)において構築されているかということについて考えを受け入れると同じプロセスが、共通の基盤を発見し、前進するための政治的な同盟をつくるより多くの機会を提供し得ると気がついた。
二つ目の逸話はいつまでも大切にしたいと思っている。私を謙虚にさせてくれ、同時に市民権運動の歴史的重要性についてより深く理解することができたからである。私が謙虚になったのは、市民権運動とのつながりが私よりもはるかに強い人びとと出会ったからである。私は初めて歴史を知ることと歴史を生きることの違いをはかることができた。あの歌には夕食会の主催者たちと共鳴する何かがあり、その何かはその人たちにとっての部落問題の意義をよりよく理解する鍵を提供してくれるかもしれない。前述の逸話のように、これはさまざまな場所で同盟者を見つけ出す(そしてつくる)私たちの力を思い出させるものだった。それ以上に、現在起こっていることを理解しようとする際、歴史の重要性を無視してはならないことを思い起こさせてくれた。
両方の出来事は、周縁化した集団の間で、きずなをつくりだし、新しい政治活動の方法を引き出すためにいかに恣意的な社会的区分が崩れたかまたは越えられたかを強調することによって、それらの集団の間の思い切った政治的な行動の可能性を表している。更に、それぞれの逸話は特にこの時期、非常に個人的な理由から希望の光であり続ける。私は、幾夜となく私の1才の娘の寝顔を見ながら、おそらく最も不思議なパラドックスについて考える―彼女が自分自身の人間性を十分に謳歌する力を阻害することなく、彼女がおそらく出会うであろう社会的偏見に強く立ち向かえるように彼女を鍛えることができるのだろうか。彼女が培うであろう自己意識に私からは指図したくはないので、彼女の背景を説明するためにどのような言葉を使うことかさえも思いついていない。アフリカ系アメリカ人の父親と日本人の母親がいることを、何と言えば良いのか全くわからない。時には、あまり言わないほうが良いのではないかと思う。問題は彼女のアイデンティティの問題というよりもむしろ人種主義、民族中心主義や女性蔑視によって彼女が出会う課題の問題であるからだ。彼女の存在のすべての側面を受け入れるよう教えることができ、米国と日本両方において彼女と連帯する多くの人がいることを思い起こさせることができれば、十分であるかもしれない。異なる場所におけるマイノリティに共通する課題がどれだけあるかを認識することは、どの問題の根も彼女のなかにあるのではなく、社会正義をつかみ所のない目標とし続ける機能不全の力学にあることを強調するのに役立ち得る。このことは地球のあらゆる場所でのマイノリティの闘いの歴史によって証明されている。彼女が、力強い新しい未来に向けて進むためにエンパワーする鍵はさまざまなマイノリティの闘いの歴史的意義と微妙な点を理解するようしむけることにあるのかもしれない。よりよい未来の図を描くために、過去に目を向けるのは矛盾しているようにみえるかもしれないが、過去の前線で学んだことを現在行われている闘いに取り入れることはすべての人を公正に扱う社会に生きるという希望を実現するための最善の機会を与えてくれるのである。
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