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2009.03.06
「部落問題の今」をめぐる若手研究者の国際ワークショップとシンポジウム
 

報告書

「部落問題の今」をめぐる若手研究者の国際ワークショップとシンポジウム

2008年7月31日-8月2日
主催: 社団法人部落解放・人権研究所
助成: EXPO'70 独立行政法人 日本万国博覧会記念機構

アイデンティティについて学ぶ

学校と部落の青年

(原文: 英語)

クリストファー・ボンディ


はじめに:

 すべての個人はひと続きのアイデンティティをもち、それを通して男性、女性、子ども、親、配偶者、友だち、隣人をはじめとした多数の他者と交流する。しかし、それらアイデンティティがすべて等しく創られるわけではない。それぞれのアイデンティティは、そのアイデンティティを演じる当の個人と、その個人と交わる相手の両方の予想を伴なっている。両側からのこれら予想は、そのアイデンティティをもって個人が社会的世界とどう関わるのかという内的および外的理解に影響を及ぼす。すなわち、これらアイデンティティには心理的側面と社会的側面がある。この研究でとったアプローチは、青年が教育、社会運動団体そしてコミュニティの目標を通して、どのように社会化され部落アイデンティティにぴったりとはまるようになるのか、そしてさらに広い社会に出たときにそのアイデンティティをどう扱うのかを考察することで、部落民であることの意味の内的および外的理解を深める。

 アイデンティティの創造は多数の相互作用的要素を基にしている。この論文に登場する青年に関して、主に学校で形作られるアイデンティティの形成を学校での経験を見ながら調査する。このアイデンティティ創造のプロセスは、継続的で複雑だ。特定のアイデンティティを創ろうとするダイナミックなプロセスとその試みに対する青年自身の反応は一定ではない。最終的に、そして恐らく最も重要なこととして、青年は整理された環境のもとこれらアイデンティティを演じることで別のアイデンティティの知識を得る。別のアイデンティティを知れば、生徒たちはそのアイデンティティを通して相互作用する知識とパワーをもつようになる。同時に、もし青年が実行可能な別のアイデンティティを知らなければ、彼/彼女はそれらアイデンティティを通して相互作用することはできない。

 アイデンティティは時間と場所を越えて変化するため、最初に青年が外部者に自分自身をどう見せるのかという問題にぶつかるのは、大抵、家や地域社会あるいは学校の保護的な繭から出るときである。彼らが異なる形で社会化されてきた人たちと出会うのは高校に進学してからである。

 自己アイデンティティが明示されるのは他者との相互作用を通してである。特定の社会環境で特定のアイデンティティを維持することにより、人は関係性の力を必然的にシフトさせる。この理解に内在するのはアイデンティティの再帰的性質である。アイデンティ形成に選択肢をもつことは、明らかにオルタナティブがあることを知っていることを意味する。特定の選択肢は時空を越えて変化するが、これらの選択肢は常に存在する。

 過去の経験の理解は個人の経験だけに限られるものではない。集団的経験の概念も、現実であろうと象徴的であろうと、アイデンティティの形成を助ける。これらの集団的経験は幼い時に始まり、神話を通して、シンボルを通して、年長者の教えを通して調節される。集団的経験は人生の非常に早い時期に共有される。最も早い学校での経験から、生徒たちは集団的経験について教えられ、集団的振る舞いを教えられる。生徒たちは国あるいは地域社会の神話と歴史を教えられる。過去を知ることで、生徒たちは一人ひとりが共通の過去でつながっていることを教えられる。

 生徒たちは学校の授業を通して、社会的世界をそして集団的アイデンティティを認識する。教員は部落民の経験を語るとき、生徒にはこれら経験をどう読み解くかを教え、歴史的基礎とその他の部落民との歴史的つながり、すなわち、集団的アイデンティティを教える。教員がそれらを語らなければ、教員は部落アイデンティティに中心を置いていない集団のアイデンティティに生徒たちを方向付けていることになる。

 アイデンティティの構築は継続的なプロセスであり、相互作用と将来の相互作用に向けた備えに依存している。個人および集団の過去の経験と予期される将来のつながりはアイデンティティ形成の鍵を握る。個人は過去の経験の認識をもって行動しており、その認識は将来の経験における行動の基礎を形作る(Giddens, P75)。

 将来に向けたこれら準備は準備をコントロールできる特定の時間と場所において作られ維持される。アイデンティティ形成の初期には、概して個人は、リスクが完全に取り除かれてはいないが最小限に食い止められている保護的な繭にいる。この調査を行ったコミュニティの青年にとって、保護的な繭は日本の教育制度の構造を基礎にしている。教育の構造を基に、外部の人との交流は最小限に抑えられている。青年が保護された世界である中学校を卒業したら、リスクの蓋然性、部落アイデンティティをもって他者と交わり、他者からのリアクションの蓋然性は一挙に高くなる(Giddens, P40)。

 お分りのように、中学を終えて、生徒たちが地域社会での経験の保護的繭と自己意識から離れたら、彼らは新しい状況に内在するリスクに直面し、それに対してアイデンティティを柔軟に再構築しなくてはならなくなる。個人がリスクの経験にどう反応するかによって、自己があらたに形成される。個人の経歴の一部になる新たに形成されたアイデンティティは将来の経験に向けて変えられる。

 それでは人びとは部落アイデンティティをどう扱うのか?部落問題にかかわるために、あるいはかかわらないために、どのようなテクニックが使われるのか?ひとつの方法として部落民であることをオープンに受け入れることがある。

場所:

 この論文は、2つの地区の2つの中学校における部落アイデンティティに関する極めて異なる価値観とアプローチを考察した広範囲な調査の一部である。この論文は部落解放同盟の存在が強い地区であるタカガワの町の青年の経験を中心にしている。私はいつもそこで部落問題について積極的に語ってきたし、部落問題は常に町の活動の中心を占めた。

インタビュー:

 私は中学生に特に焦点を絞ることにした。その理由はいくつもある。まず、私は、閉ざされた保護的な世界である中学校が提供できる繭の内側における地元限定の設定で、生徒たちがくぐりぬける経験に焦点を絞りたかった。さらに、中学校は義務教育の最終であり、卒業すれば生徒たちはこの地元限定の設定を離れ、彼らとは大きくことなる経験をもつ生徒や教員と接触する世界へと移動する。私が3年生の生徒に的を絞った理由は、まだ自分たちの地区にいながら地区の外にある生活に期待をかけている特別な瞬間にある生徒たちと語りあいたかったからだ。

学校:

 この章では、学校の中で起きる部落アイデンティティの構築と形成のプロセスについて探る。学校は二重の正当性をもつ: 学校は国の教育課程を制定する法律と出席を義務付ける法律を通して国家の力を正当化する。学校はまた、学校の存在する地域社会にとって重要な問題にかかわることで地元地域の力を正当化する。では地元と国の意見が異なる場合、学校はそれら問題にどうかかわるのか?私は学校の授業は直接的なものであれ間接的なものであれ保護的繭の中に位置しており、アイデンティティの形成を助けていると考える。さらに、私は、国の利益と地元地域の利益が部落問題の対処において合致する場合、生徒たちは学校で教えられたことに葛藤をほぼ感じることなく対応すると考える。しかし、部落問題の見方が国と地元地域の間で合致しない場合、生徒たちはその違いを認識し、青年が自分たちの部落アイデンティティとどうかかわるかを学ぶ第一歩を踏み出す。

 部落の青年も部落外の青年も、スケジュール化された時間の大半を学校ですごす。社会全体、地域社会、そして学校の部落問題への取り組み方は、青年の部落問題と部落アイデンティティの理解に影響を及ぼす。学校の授業と社会的世界の間に合意があれば、生徒たちは懸念や葛藤をほとんど感じない。しかし、それら2つの間に乖離がある場合、生徒たちは社会の荒波を航海するのに何が必要かを学ぶ。

タカガワ:

 タカガワは人口3千強の町で、部落と部落外の人口がほぼ拮抗している。タカガワには中学校が1校あり、学年ごとに1クラスある。

 タカガワ中学校の校門に小さな池があり、そのそばに水平社宣言の結びの言葉である「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」を刻んだ石碑が建っている。校舎の入り口には靴箱があり、生徒たちは上履きに履き替えなくてはいけない。壁伝いに水槽、全国英語実力試験を知らせるポスター、町の宣言が書かれた額縁などが飾られている。額縁に視線が行く。宣言はひときわ目立つ文字で「部落解放宣言」と題されており、地域は部落問題の解決に献身してきたことが述べられている。

 中に進むと、事務室があり、廊下伝いに黒板があり、生徒に向けたその日のお知らせなどが掲示されている。クラブ活動の変更などもここに掲示されている。いつも黒板にあるのは、学年毎の情報、クラブの名前、そして子供会(部落解放同盟と共同で主催している放課後のプログラム)のお知らせだ。職員室のドアの外には新聞立てがあり、子ども向け新聞、全国紙、解放新聞が入っている。黒板の向かい側の壁には清潔を呼びかけるポスター、国立公園のポスター、狭山裁判の闘争を説明するポスターなどが掲示されている。

 タカガワ中学の授業は部落問題を中心に置いている。1月、結婚差別について語るために特別ゲストが3年生の授業に招かれた。藤田さんという女性で隣町の小学校で教員をしている。藤田さん自身は部落出身ではないが、夫が部落出身者であり、結婚するときに差別を受けた。

 藤田さんの講話に生徒全員が熱心に耳を傾けた。中には、涙をふくためにティッシュペーパーを回しあっている生徒がいた。藤田さんの話は明らかに生徒たちに影響を及ぼした。部落出身者ではない一人の生徒は、歴史のようなものを教えられるより、個人の差別体験を直接聞く方が問題がずっと現実的に迫ってくると評した。別の女子生徒は次のような言葉で感想を述べた:

「授業で差別について学ぶとき、いつも『またか、ゲェー』って感じていました。どれだけがんばっても、差別はいつもそこにあると思っていました。でも、この話を聞いて、私にも何かできると気づきました。私の父は部落民です、母はそうではありません。二人はそれについて絶対に話しませんが、それを乗り越えていなかったら私は生まれていませんでした。」

 2月、部落解放同盟が開いている識字学級から生徒が6人学校に来て、1年生の前で話しをした。6人の平均年齢は70歳を超えていた。お年寄りたちは、若い頃に文教場(部落民に教育を提供する場)に通っていた。この文教場では、部落の生徒たちはその他の生徒とは異なるカリキュラムで学んでいた(これは戦前の教育制度のもとでのことである)。

 私は今の3年生が1年生のときの授業は出ていないのでわからないが、今の1年生の授業は一緒に受けた。個々の状況は異なるが、これまで毎年お年寄りが中学生に語ってきた話や経験はいつも同じであった。どのお年寄りも1年生に語ったことは、なぜ学校を中退しなくてはいけなかったのかという理由であり、貧困、家族の励ましがない、そして学校の励ましもなかったということであった。上原さんは生徒たちにこう話した。

「私は7歳の時に学校をやめて、港で働きました。私たちには教科書がなく、うまくいけば誰かのおさがりを使いました。だから勉強するのは大変でした。」

 吉見さんは小さな妹を背中に負ぶって学校に行かなくてはならなかったと言った。妹が泣けば、教室を出なくてはいけなかった。そしてしばらくしたら担任の先生が彼女にもう学校に来なくてよいと告げたそうだ。上原さんは同じくこう言った。

「家には6人子どもがいました。母は40歳で亡くなりました。私は家にいて、弟や妹の面倒をみなくてはいけませんでした。そのため、学校にいることはできませんでした。たまに行くことができても、スレートを使って漢字の練習をしました。帳面を買うことはできなかったのです。」

 過去と現在の関係、公式な国の歴史と再公式化された地方の歴史の関係はタカガワだけに限定されるものではない(Allen, 2002)。過去の経験を学ぶことで、タカガワの生徒たちは学習におけるもう一つ別の形の正当性を示される。教科書に描かれることで、情報や事実は正当性をもつようになる。だが部落民にとって、彼らの経験は教科書に描かれることはないため、その経験は生徒たちにとって価値や重要性を欠くことになるだろう。大人がその経験を語ることで、生徒たちは集団としての部落の経験を知り、それら経験がどのように集団としてまた個人としての生徒たちの存在の一部になっているのかを知る。

 その他、差別の歴史的形態と地元地域の経験の間にもつながりが作られた。ある授業で、複数の先生が来て、タカガワ中学校の戦前の生徒の記録をみせた。社会科の先生が教壇に立ち、他の先生は壁側に立った。社会科の先生が生徒の名前が載っている記録を広げた。赤い線で囲まれた名前がいくつかあった。これは何と思うかと、先生は生徒に尋ねた。数分の沈黙の後、先生はタカガワ中学校の戦前の生徒名簿だと説明した。そして、赤で囲まれた名前は部落の生徒のものだと説明した。「そんな!」という声と「信じられない」という声が教室全体から返ってきた。先生は学校も差別に加担していたと言った。

 生徒に実際に起きたことを見せるのは解放学級の現実味あふれる教材となる。それは「生きた」歴史であり、生徒たちに大きな意味を示す生の経験である。

 ある教員によれば、そのような手法の目的は、「生徒たちに部落民であることの過去および現在の価値を示すこと」だそうだ。一人の生徒はそのような授業に対して次のように述べた。

「先生が授業で部落民として何に困ったかについて話してくれたけれど、それはほんとうではないと思って聞いていました。しかし、今、私は部落の歴史と文化を学び、それが目の前でぱっと広がるのを見ました。部落の歴史の重要な点について学んでいなかったら、たぶん私は地区に生まれたことを恥ずかしく思ったままだったと思います」

 実際、私がインタビューをしたタカガワの生徒たちはすべて、差別の克服において教育が重要だと強調した。「教育を通して差別を克服できます」という言葉は繰り返し聞いたし、明らかにこの言葉は学校でも常に言われていることだ。私が彼らを問いつめて分かったことは、すべての生徒がこの問題を等しく真剣に考えているわけではないことであった。子供会に参加していないある女子生徒はこう述べた:

「どれだけ部落民が勉強しても、差別は絶対になくならないと思う。私は部落民だけれど、心の中では部落のことを学ぶのはバカげていると思っている。どれだけ学習しても、外にいけば差別をする人はいっぱいいる。学習すべきは部落外にいる人たちなのに、部落民だけこのように学習しても時間の無駄だと思う。」

 しかしその他の生徒たちは、教育をただ部落民の歴史や経験を学ぶことだけとは見ていず、いつか差別を受けたときに立ち向かえるよう必要な道具を与えてくれていることだと見ている。3年生の女子生徒はこう述べた、「差別にあったとき、『それは悪いことだ』と言えるように学習している。」。しかしすべての生徒がこのように感じているわけではない。多数の生徒は解放学級を退屈でおもしろくないと思っているようだ。(タカガワでは同和教育とは呼ばず、解放教育と呼んでいる)。私が出席した解放学級では、大勢の生徒が居眠りをしているかメモを回し読みしていた。これはどの学年でも行われていた。解放学級の教材にあからさまに無関心を示すのは、部落の生徒も部落外の生徒も同じであった。この関心のなさは解放学級に出席している人たちを困らせた。事実、池田が発見したように(2000年)、「部落外の生徒が同和授業を真面目に受けなければ、それは部落の生徒に彼ら自身のことも真面目に考えていないことを示していることになる」。(29ページ)。

 解放教育の効果を測る真の試金石は生徒たちがタカガワ中学を卒業した後にくる。タカガワの囲みを出て差別にあったとき、あるいは他の学生の意識のなさを知ったとき、生徒たちはどのように反応するのか。その時こそ、解放教育の効果を一番象徴的に表わすことになるであろう。部落問題を学校が丸抱えすることは例外的なことで、外の社会はタカガワ地区やタカガワ中学校のようなレベルで部落問題に取り組まない。

 タカガワの取り組みは手ごたえがある。部落問題の知識の伝達はタカガワでは強力だ。教室の内外で使われている教材がそれをはっきりと実証している。教育の社会化の側面は両方の学校において重要である、日本全国の中学校の場合と同じように。タカガワの生徒たちは部落問題を認識し、差別をなくすために積極的な態度をとるよう社会化されている。最後に、部落問題に取り組むことで、タカガワ中学校はオープンな議論を正当化し、部落差別に直接対応してきた。部落差別は学校が注意を促したように生徒たちの身に起きる。そのため学校は生徒たちがその心構えをしておくことが必要だと考えた。

 部落問題の議論は部落アイデンティティがどのように形成されるかという点において重要だ。生徒たちにとって、学校がとった手法は現在および未来の備えにおいて、個人のアイデンティティ形成に効果を及ぼす。将来、それぞれの地区の青年が部落問題に対処する方法は、彼らの過去の経験のレンズを通して形作られる。タカガワの生徒たちの過去の経験は部落問題を受け入れてきた過去だ。

 この章では両方の学校の生徒たちが直接あるいは間接的にアイデンティティについて教えられていることをとりあげた。次に、若者たちが地元の保護的な繭の外に出てから、このアイデンティティをどのようにして維持しているかを見てみる。

繭の外:

 中学校の三学年は日本の青年にとって一生で最も重要な時期の一つである。この学年で義務教育が終了し、高校進学試験に向けて緊張が頂点に達する。日本全国のほぼすべての中学3年生にとって高校入試で最も重要な問題は、「私は受かるのか?」である。なぜなら、どの高校に合格するかは、社会に出てからどうなるのかということにまでかかわる重要なことだからだ。これはタカガワの生徒も全国のすべての生徒も抱く不安だ。しかし、タカガワの生徒の将来にとって、問題はこれだけではない。高校に進学した生徒たちは、広く言えば異なる社会化の経験をもっており、具体的に言えば部落問題とも異なるかかわり方をもってきた人々と交り合っている。競合するような異なるアイデンティティをもつ青年同士が出会ったとき、傷つく可能性のあるアイデンティティ、違いが最も鮮明なアイデンティティを隠すか、歪めるか、あるいは否定するだろう。タカガワの部落の青年にとって、これは自分の部落アイデンティティをオープンにするか、あるいはオープンにしないかを決めることを意味する。たいていの十代の青年にとっては気持ちが進まないことであり、これが当てはまらない状況は、異なる自分をさらけ出しても十分安全であると感じた時だけである。

高校進学:

 日本では4月に新学期が始まり、高校に入る生徒たちは人生の新しいステージに踏み出す。もはや、近所の子どもたちと一番近い学校に一緒に通うことはない。同一の町にある高校に通う生徒もいるが、それ以外は遠ければ他府県にまで通学する。そこでは、いろいろな町からくる多様な経験と理解をもつ新しい相手と出会う。これは特に、生徒の部落問題の理解に関連した経験を対処するときに重要である。生徒たちが保護的繭から、そして過去から離れて異なる社会環境に移動するとき、リスクは内在している。今日この時期までこれまでの経験や出身についてほとんど考えてこなかった生徒は、人生で初めてこのようなリスクに遭遇し、解決しなくてはならない。

新しい社会環境でのパッシング:

 リスクを予防するあるいは最小限に抑えるときにしばしば取られるひとつの方法としてパッシングがある。この章では、アイデンティティに対処する一つの道具としてのパッシングについて議論をしたあと、青年が自分たちのアイデンティティについて選択的開放性でもって対処していることを見てみる。生徒たちが直面するリスクはいつでもそこにあるわけではないし、いつでも明らかなわけでもない。生徒たちは、リスクの可能性について現実的な心配をすることなく日常生活を送ることができる。しかし、保護的な繭が破れるとき、リスクが表面に出てくる"決定的な瞬間"となる。この瞬間、青年は他者とどう交流するのかを決めなくてはならない。これまで社会化されてきたように部落アイデンティティを共有するか、あるいは出身を共有しないかを決める瞬間である。この決断は簡単ではない、なぜならどちらを選んでも反動がかえってくるからだ(Giddens P114)。

 自分のアイデンティティをオープンに共有することにまつわるこの緊張は、共有したときに何が付随してくるのかを知っている限り、自分の出身をまだ共有していないすべての青年に常に存在する。だが、自分の出身を共有しないと決めたとしても、ある時突然誰かが保護的繭を破る可能性は常にある。この緊張は、たとえそれを意識していなくても、常に存在する。保護的繭が破れる可能性は常にあり、それも人生を変えるほどの結果をもたらすかもしれない。

 最後に、青年は学校で部落問題にどう取り組むかを学ぶだけではない。当然のことながら、彼らを取り巻く数多くの社会的状況で、どのように振舞うのかも学ぶ。

将来:

 タカガワの教育事情や社会事情を経験したタカガワ中学校の卒業生たちは、自分たちをどう表現するのかについて取捨選択する知識をもっている。彼らは地域のリーダーから、学校の教員から、そして仲間から、それが何を意味するのかを学ぶだろう。彼らは自分自身をそして自分の出身を明らかにした場合の結果を、あるいは誰かに明らかにされたときの結果を認識している。見知らぬ人や新しい友だちからの単純な一言が、不安と混乱の感情を引き起こす。「どこから来たの」とか「どの学校に通っていたの」というようなありふれた質問は、それほど単純ではない。なぜならそのように尋ねられるたびに、答を聞いた相手はどのように反応するのだろうかという心配と葛藤がつきまとうからだ。これは青年だけに限ったことではない。タカガワの大人たちもこうした質問を受けるたびに緊張を味わう。

 私はタカガワの大人たちが地区の外にいるときに自分の表わし方を変え、自分の出身については選択的に共有してきたのを目撃した。しかし、この変化はタカガワで子どもたちに教えてきたこととは対立する。彼らは出身についてはオープンであれと教えられるが、親たちをみて、「パッシング」することの教訓をじかに学ぶ。学校では保護的繭の外に出れば差別に合うことを教えられてきた。しかし、新しいクラスメートに自分は違うことをみせまいと思う気持ちの中で、青年は出身を共有すること以外の代替があることを学ぶ。部落アイデンティティをオープンにしてつきあわないことで、若者たちは誰も自分の出身は知ることはないし、気持ちの準備ができるまでは差別と公然と向き合うのを引き延ばすことができるということを知る。

 タカガワ中学の生徒たちは高校に進んでからこのような瞬間に初めて遭遇する。タカガワの生徒たちは中学校のときに、自分たちと同じレベルでは部落問題を意識していない人々とか、部落民に対して偏見を抱く人たちがいるということを繰り返し言われてきた。そして、私がインタビューしたタカガワの生徒のすべては、それが事実であることを発見した:新しいクラスメートの誰も彼らほどのレベルで部落問題を意識していない。要するに、彼らはこの新しい社会状況に他者の力なしで向き合わなくてはならないということだ。子ども会の活発なメンバーで人気者のテツヤは次のように述べた:

「中学校では、高校で、また高校卒業後に、どのようにして差別と闘う力をもつのかを学んだ。でも今は分らない・・・僕には全然力はない」。

 生徒たちは答えのもつ意味を知っているため、出身を説明する力、そのことについて沈黙を守る力をもっている。自分の出身を説明するそのような瞬間は本質的に不安で包まれている。中学子供会に参加はしなかったが高校に入ってから参加し始めたミドリは、次のように述べた:

「高校の友だちと話しているとき、奨学金の話題になりました。以前は奨学金は部落の生徒だけのものでした。私は高校進学で奨学金をもらったと言いました。友だちはみな、「えっ!?」という表情で私を見ました。それは私は部落民だと友だちに言えるチャンスでした。しかし、私はできませんでした。苦痛、心の痛みは強烈で、私には言えませんでした。『私は部落民だ』とだけ言いたかったのですが、できませんでした。」

 できるだけ長く保護的繭にいようとする生徒もいれば、他者との共有の機会をつかむ生徒もいる。この自分をオープンにすること-カミングアウト-は容易にできる決断ではない。一端オープンにすれば、後戻りはできない。次のライフステージに進むにつれ、彼らにはさらなる自己改変の機会が生じてくる。しかし、同じ社会環境に留まる限り、レッテルを貼られるだろう。そのため、自分を明らかにする相手に対して深い信頼が必要となる。自分が誰なのかという認識、反射的に構築される自己認識はそのような瞬間に劇的な変化を遂げる。新しい要素をとりいれることで、次にこの再編成されたアイデンティティをもって他者と交わらなくてはならない。タカガワの青年にとってすべての結末が否定的であったわけではない。ジュン子のケースはそのような運命的瞬間に関わったもう一つ別の例である。

ジュン子:

 ジュン子は学校でも子供会でもリーダーだった。クラスメートも下級生も彼女を頼りにしていたし、彼女の話をいつも熱心に聞いていた。子供会の会合で世話役をしているとき、部落問題に真剣に向き合っていないと思える子どもたちがいれば叱ったこともある。ジュン子は部落問題を学校全体で議論する会合の進行役の一人であった。両親から兄弟姉妹に至るまで、家族は長い間地元の部落解放同盟に関わってきた。高校は、優れた英語のプログラムで有名な学校を選んだ。通学は電車で1時間近くかかった。学校は遠くにあったため、新しいクラスメートは誰もタカガワの町について知らないように思えたし、町と部落問題との関係についても知らないようであった。

 運動での役割や家族ぐるみでの部落問題への取り組みの経験をもつジュン子は、部落アイデンティティをオープンにもち続け、それを通して他者と関わるタイプの人間であった。しかし、ジュン子は新しい環境で最初にこの部落アイデンティティを使って他者、少なくとも新しい友人たちとは交わることをしなかった。たくさん友だちもできたし、ボーイフレンドもできたが、彼女はその誰ととも自分の出身を共有しなかった。ボーイフレンドとつきあい始めて10ヶ月目になり、ついに彼女は勇気をもって自分の出身を告げることにした。

 打ち明けるときジュン子は不安でいっぱいであった。彼女は両親に詳しく話した。両親はあなたがやりたいようにすればよいと安心させた。これはジュン子が自分自身で対処しなくてはならないことだった。彼がどのように反応するのか予想はつかなかった。これで付き合いは終るのだろうか?ジュン子はそうなることをまったく望んでいなかった。その一方で、自分が大切に思っている人に自分の重要な部分を隠しつづけることもしたくなかった。自分が誰なのかを共有することは二人の関係に終止符が打たれることになるかもしれないと思い、ジュン子は不安で圧倒されそうであった。同時に、彼女は自分自身のすべてについて彼に告げることなく今の関係を続けることはできないとも考えていた。

 彼女は決断した。彼女は彼に自分が部落地区で育ったこと、そして自分は部落民であることを説明した。彼からは彼女が最も予想していなかった返事がかえってきた: 「ブラクミン?それ何?」同じ県の出身でありながら、彼はその意味をまったく知らなかった。気付いたら、彼女は自分にとって部落民とは何を意味するのかを彼に説明していた。彼にとっては、そのことはお互いの関係においてほとんど意味をもたなかった。彼は部落民であることがどういうことなのか充分認識していなかったが、彼女と一緒にいたいということだけは確かであった。

 ジュン子の話から分るように、出身を共有するためにこのステップを踏む人たちにとっても、それは大きな恐怖を伴う。ジュン子の家族は常に運動において積極的な役割を担ってきたし、ジュン子自身も子供会やクラスのリーダーであった。そのため彼女はこの他者に打ち明けるという挑戦に挑む心構えが最もよく出来ている生徒の一人であった。ジュン子のボーイフレンドの対応が多くを語っている。彼は同じ県の出身であるが、彼の教育環境や社会経験は大きく異なっていた。彼にとって、部落問題を知らないことは彼が賢くないとか関心がないということを表わすものではない。簡単に言えば、彼は部落問題にほとんど力を注いでいない学校制度の産物である。

 タカガワの教員たちはいつも生徒たちに、君たちの経験は他に類がないと言っていた。君たちが通学するようになる高校は、タカガワの経験や知識と同じレベルで部落問題に取り組んではいないであろうとも言った。それは事実となった。ジュン子が述べたように、「高校で議論する人権問題は、大抵はジェンダーの問題か障害者の問題である。部落民に関することは滅多に出てこない」。中学時代に子供会に参加しなかったミユキは、「高校で部落問題について少しは話しをするけれど、タカガワで学んだこととは比較にならない」と言った。

 タカガワの生徒たちは全員、新しい環境で部落問題に関するトラブルや衝突が起きれば、中学時代の友人に相談すると答えた。彼らが新しい環境に移ってしまってからも、保護的繭との関係はそのまま残っている。松下一世の調査(2002年)でとりあげられた20歳のマナは次のように述べている、「私にとって地区は一番大切です。地区の人間関係には安心できます。要するに『安全』なのです」(P31)。だからといって、過去に戻ることができるわけではない。子供会で活動していた物静かなミチ子は、この点について次のように語った:

「部落問題について話ができるのはタカガワ中学のときの友だちだけです。高校の友だちは(そのような話ができるほど)十分近くには感じません」。

 こうした気持ちはユウジも同じだ。彼は中学時代に時折子供会に参加していた。

「中学では友だちと何でも話すことができたけど、高校では友だちと話すことができない内容がたくさんあります。今はタカガワの高校子供会に出ています。そこでは、新しい学校でこの問題についてどう対処しているのかを話せます」。

 これは基本的には信頼とそれに関係する安心の問題である(Berger 1922)。タカガワの青年にとって、高校での支援ネットワークに居心地のよさを感じていないし、満足もしていない。そのため、彼らはタカガワの町に戻ってくることにずっと大きな安心感をもっている。

 松下はまた、彼女の調査した部落の青年は対立が起きた場合、自分たちの地区にあるすでに確立された社会支援ネットワークに戻ることを発見した。彼女はこれについて4つの理由を挙げた: 共通の経験、共通の感情、社会における同一の立場、そして社会的ネットワークの中にいる大人たちから学ぶということ。(p78)

 しかしこれは部落地区の学生にだけあてはまるものではなかった。タカガワの青年にとって、これらのパターンは事実であり、彼らのより広い経験蓄積の助けとなっている。青年は近隣住民との絆や学校での経験を通じて一まとまりの共通の体験を共有する。そのため、社会的立場の認識はタカガワの青年にとって重要である。タカガワの青年は部落出身という共通の基盤の上で自分たちがよく似た状況にいることを知る。

結論:

 タカガワの生徒たちは将来どのようなことに直面するのかを言われ続けてきた。地域共同体の価値観と学校での教えを通して、彼らは人生のいくつかの段階で差別に向き合うことになると認識している。事実、保護的繭は部落差別の現実に直面することからの、この場合は免れるための、本当の安全装置にはならないことに彼らは気づいている。地区内での差別に関するこれまでの経験がそれを物語っている。タカガワの青年にとって、保護的繭は生徒たちが地区を離れる前から穴があけられていた。しかし、繭に穴があくのも青年がタカガワにいるときと高校に進学してからでは根本的に違いがある。なぜなら最初の穴あけは集団でのものである。

 部落民であることの誇りを強調し、タカガワの青年に偏見と差別の挑戦に向きあう準備をさせたアイデンティティ構築がもたらした予期せぬ結果とは、青年はいとも簡単にこのオープンな部落のアイデンティティとの相互作用を止めることができるということだ。生徒たちが問題をオープンに議論しないとか、部落民としてのアイデンティティを示さないと決めたならば、そうすることに対して否定的な制裁はない。地域や学校の誰一人として、生徒たちのところに出かけていき、彼らが部落アイデンティティとオープンに相互作用しているかどうかを質したり、チェックするようなことはない。しかし、生徒たちが部落問題に関して一つでも教訓を得たとすれば、次のようなことだろう:彼らは差別に直面する。これまで見てきたように、一部の人々にとって、カミングアウトはリスクに値しない。

参考文献

  • マシュー・アレン、2002年「沖縄のアイデンティティと抵抗」。Lanham, MD:Rowman & Littlefield

  • 秋定嘉和、桂正孝、村越末男(編纂)2002年「新修 部落問題事典」解放出版社。

  • レイモンド・バーガー 1992年「ゲイ男性のパッシングと社会支援」Journal of Homosexuality Vol.23(3), pp 85-97

  • 部落解放同盟〔タカガワ〕支部「第42回支部大会議暗誦」

  • 部落解放・人権研究所、1998年「今日の部落差別」、解放出版社

  • アンソニー・ギッデンス、1991年「近代化とセルフアイデンティティ: 近代後期における自己と社会」、スタンフォード大学出版。

  • 池田寛、2000年 「学力と自己概念―人権教育・解放教育の新たなパラダイム」、解放出版社。

  • 松下一世、2002年、「18人の若者たちが語る部落のアイデンティティ」、解放出版社