歴史をみると階層制度は、構成員に課すべき構造としてあらゆる社会においてみなされていたようである。社会的な分類は普遍的で、人の役割、たとえば指導者とそれに従う人、教師と生徒のように役割のように定義付けられ、あるいは富裕で有名または貧しく弱い立場にあるなどの階級として人の相互関係を形づくってきた。人は人を分類する様々な方法-財産や富によって、能力や教育によって、責任や職業によって、あるいは交友関係や家系によってさえ-をつくりだしてきたことは明らかである。
「社会的階級」という用語は元来経済的な水準や能力を示唆する、同じような役割を持つ人々の集団を指していた。そのような役割は地位、名声や政治権力へのアクセスの様々な水準とそれぞれ対応しており、さらにその人が帰属する社会の階層におけるその人の地位のあらゆる側面を指す。
社会的階級はその人自身の客観的な描写ではない。むしろそれは階級のアイデンティティに関連するものである。この意味において、社会的階級は個人の特性であるだけでなく、ある人の集団を特徴づける文脈的な変数である。一般的な観点から見ると、それは人々の態度や生活様式に影響される特定の階級に共有される文化である。さらに、かつて社会的階級はある人が送る人生を表し、またその人が、現状と将来担おうとする役割をコントロールしようとする闘いの決定的要因を表していた。
マイノリティ、または従属する集団はある社会の人口全体の支配的多数者を構成しない社会集団である。社会的マイノリティは必ずしも数字上の少数者ではなく、社会的地位、教育、雇用、富、政治的権力や家系の点において支配的集団よりも不利な立場にあるいかなる集団も含む。
「部落民」とは日本の封建時代のさまざまな政治、経済および社会の規則に基づいて排除された人びとの子孫である。これらの人びとは動物のと畜、犯罪者の処刑の仕事をまかされたり、皮革のなめし職人、あるいは物乞いや大道芸人などとして働いていた。神道や仏教の信仰の下で、これらの職業は「穢れている」とみなされていた。この考え方が過去において部落の人びとを貶める主な根 拠として残った。
部落の人びとを、日本社会の最下層にいる集団としてみることができるが、部落の中には明確な社会・経済的な区別がある。より高い階層には部落外で働く、より高い教育を受け、経済的により安定した低中間層の小企業経営者や公務員などがいる。この階級の部落の人の多くは特別措置による政府からの支援や部落解放運動の支援を受けてきた。
しかし、部落の低い階層にいる人は教育も十分ではなく、雇用も不安定で所得が不十分あるいは不安定なために公的な補助を受けていることが多い。移住労働者、日雇い労働者や一部工場で働く労働者などがこの集団に含まれる。2007年1月に行われた社会とジェンダーの平等に関する調査では、母子家庭の増加、保育施設へのアクセス、部落社会の非常に悪いイメージ、地域社会レベルでの人間関係の低下、部落の人の親が貧しく、働く場所が限られ、就くことのできる仕事が「汚い、危険、きつい」とされるものに限られるため、教育のレベルが低いことが多いこと、部落女性の仕事が非正規であり、労働時間が長く、賃金が低いこと、情報のアクセスが限られること、親の世代に他の労働環境のアクセスや経験が少ないため、子どもの教育について指導ができないことなどの問題があげられた。
このような状況で上層の部落の人は、下層の人に共通する強い疎外感を必ずしも共有しないため、下層の人と常に対立している。日本の社会の主流への同化が歴史的に彼・彼女たちにとって人気あるテーマであり、中には低い層の部落の人を、自己改善による差別撤廃の努力にとって「負担」と見る人さえもいる。この点において部落社会におけるこの2層の間に大きな格差がある。
今日の部落社会の変化は部落の一人ひとりがあらゆる社会的圧力を免れるために自分たちの十分な潜在的可能性を実現できるようエンパワーする、社会の衡平とジェンダーの平等に向けた人びとの闘いがあったからである。しかし社会の衡平に向けた闘いは、よりよい生活への機会がより少ないと考えられるという理由から低い層の方が高い層においてよりも一層大きい。また、部落の女性の方が男性よりもより弱い立場にあるとみなされる。
社会の衡平は、他の個人や集団との個人的および社会的関係にあてはめる一連の基準をさす。これらの基準は社会の特定の「階級」の一連の権利義務を含む。これらの階級は国と法律によって定義づけられ、人種、皮膚の色、国籍、宗教、ジェンダー、年齢や身体的障害などがある。
ジェンダーの平等の一般的な定義は、民主主義、社会正義や持続可能性など非常に重要な側面を含む、個人に対する期待と機会を提供する一連の行動、態度や推測を指す。すべての個人は、学校やそれ以外でも衡平な処遇を受け、衡平な成果を得ることが期待される。
ここで、中間層の部落女性の事例をあげる。ここでとりあげる彼女の生活、彼女の生活や希望を変えたきっかけは、部落を何世紀にもわたる差別から解放するために担う彼女の役割の決定的要因になるかもしれない。
調査ではXさんとしている参加者とのインタビューは、大阪の部落解放・人権研究所において、2008年1月19日、2月18日、24日に行われた。
Xさんは独身で40歳代である。短大を卒業し、旅行業に就職をしたいと思ったが、社会的条件が未整備のため、企業に就職することができず、部落の人に対する雇用優先政策により行政で総務を担当することになった。彼女は人生のそれまでの出来事により、前進する十分な力があり、学ぶ機会を得てから、より効果的な生き方を見いだすことができた。現在、彼女は人権について研究している。
以下は質問に対するXさんの回答である。
社会の平等を実現しようとする部落女性の努力の一例を挙げてください。
私には兄弟がいます。私の母は亡くなり、父は年老いて、あまり健康ではありませんので、世話をしなければなりません。兄弟は結婚したので家を出ました。日本の昔の考えでは女性が家族の面倒を見るものとされています。私はその家族観を表す一例です。私は女性なので、父親の世話をするものとみなされています。そのために、職場で私のキャリアを向上するために準備する時間も夜間学校に行く時間もありません。
生涯学習でジェンダーの平等についてもう少し説明してください。
はい。私は7、8年前からずっと父親の世話をしてきました。家族に対する責任があるためにキャリアを伸ばすことがあまりできませんでした。私自身、ジェンダーの平等について勉強し始めて以来、男女の平等の待遇の考え方がわかりました。にもかかわらず、社会の期待の圧力から、しばしば父親のために働いている自分がいます。
現状にどう対応していますか。今から5、10年先の将来を見て、生涯学習を追求する自分の目的をどう達成しようと考えていますか。
かつて、英語を勉強して、できれば海外で職を探したいと考えていたことがあります。しかし、当時私は今日多くの日本の女性に共通する、あまりに多くの圧力によって、行くことができませんでした。私が通っていた英語学校はつぶれてしまい、仕事は忙しく、母が亡くなってしまいました。母の死後、もう英語の勉強に集中することができませんでした。2006年4月になってようやく部落解放・人権研究所で人権講座に行き始めました。過去には私は自分が部落出身であることを隠してきましたが、それ以来自分のアイデンティティについて考えるようになり、一生の仕事として人権活動に関わっていきたいと思います。始めたばかりなので今現在、部落の問題に関連してどのような仕事ができるかどうかはっきりわかりません。部落問題やハンセン病、ジェンダーの平等についてもっと勉強の努力をしたいと思います。
学歴と現在の仕事を説明してください。現在の環境でのジェンダー平等はどうですか。
私は短期大学を卒業しました。20年前初めて仕事に就いたとき、私は事務所の39人中唯一の女性でした。私は1日3回、39人分のお茶を用意するように言われ、総務の仕事しかもらえませんでした。これが一番嫌だった経験です。私は男性の同僚と同じ仕事をしたいと主張して、上司は次第に私にそのような仕事をくれるようになりました。今は堺市の人権課にいます。一般的に、男性の同僚はジェンダーの平等について知っていますが、未だに女性に対して差別しがちです。例えば、上司は男性職員にはゴミ箱を掃除したり、コピーをとったり、車の鍵をとってくるように命じることはありません。それはいつも女性の仕事です。男性はジェンダーの平等について知っていると思われますが、行動はありません。十分に敏感でありません。私にとって、若い男性の方がより敏感で、女性が職場において平等の機会を与えられるべきだということについてもっと敏感に反応しています。
政府が部落社会を改善するためにまだしなければならないことは何ですか。
1969年、政府は部落社会を支援するために限定的な法律を特別に制定しました。その後、教科書が無料で配布され、子どもの保育環境が改善されました。(4歳児から2歳児、0歳児からへ。)いくらかの改善がなされましたが、まだ現在も部落の人に対する差別を感じます。政府の政策や社会の衡平に関する法律があってもそのような感情は人の考えから容易に消すことができません。
部落の人だとどうして言えるのですか。
住所でわかります。部落の人は特定の地域にすんでいます。部落の地域から転出すると、戸籍や住民票から、時には探偵によってわかることもあります。
部落差別を感じたことはありますか。
はい。何度も差別されたと感じました。一番忘れられないのが、叔父の結婚差別です。彼は部落外の女性と結婚していました。女性の家族・親戚は全員結婚に反対していました。彼らは結婚式に出席せず、それ以来彼女とは連絡をとっていません。私の兄弟も、部落外の人とつきあっていましたが、家族の圧力で最終的に別の部落出身の女性と結婚しました。家族における結婚差別は私に対して社会的な圧力になり、私は部落出身ではない男性とつき合うことを避けるようになりました。
部落の生徒のための特別奨学金を受けたことがありますか。
あります。奨学金を受ける代わりに、年長の非識字の人を夜間や週末に教えるよう奨励されました。非常にやりがいのある仕事でした。
学校時代に問題はありましたか。
部落地域の小学校と中学校に行き、部落地域外の高校に入学しました。当時、私は出身を隠そうとは思っていませんでしたが、他の人に知らせようとも思っていませんでした。当時あまり部落問題について考えていませんでした。短大で、就職先を探していたとき、部落に対する差別に突然直面しました。学校でいい成績をとっていたのに、私は旅行会社で採用されませんでした。私の母は就職差別を受けたのだと私に教えてくれ、堺市の職を受けるよう勧めてくれました。堺市の部落の人を優先的に雇用する制度を使って申請しました。差別を経験したことについては残念ですが、その経験があったから今、人権活動で働きたいと思います。差別の経験がある人とない人では考え方が違うと思います。職場の課では部落出身は私だけです。
過去2年でジェンダー差別を経験しましたか。
はい。今の課には今年移動したのですが、その前は固定資産税課にいました。固定資産税を扱うのは今までは男性でした。女性は総務の仕事だけでした。男性は総合職の専門家として扱われ、女性はそうではありませんでした。私は助けようとして、仕事を覚え、仕事を引き受けるようになりました。仕事をしっかりしていたのに、「足を引っ張っている」といわれることもありました。
職場のジェンダーの平等の問題について、政府に対して意見はありますか。
堺市はユネスコの普遍的基準に合わせて、一定の割合の総合職を導入しようとしています。私の職場では7人いて、私はその7人のうち唯一人の女性です。私はいつも少数派で、自分の意見を出したり新しいことをする余分の努力をしなければなりません。
堺市は管理職における女性の割合を増やすことを奨励しています。しかし、子どもの保育の問題があるので、応募する女性はあまり多くありません。仕事を引き受ければ、子どもの面倒を十分見ることができず、支援も十分ではありません。女性が子どもの面倒を見るべきだと思う人はまだ多く、家族責任の点から女性に対する社会的な圧力の一つになっています。
部落地域には女性が新しく何かを学ぶことができるコミュニティ・センターはありますか。
特に女性のためにというのではないので、今ジェンダーの衡平を求めていますが、男女両方がこれらのコースをとることができるコミュニティ・センターはあります。
部落出身でなければ、あなたの人生は何か違っていたかと思いますか。
はい。ずいぶん違っていたと思います。結婚差別のために、今でも自分の結婚について考えるのが怖いです。結婚しようとする二人の周りで多くの人がいつも傷ついてきました。
私の父の学歴は中卒です。母はおそらく高卒です。両親は高等教育についてはあまり知りません。部落社会、部落外の教育や仕事について知っているだけです。私は自分の両親と自分の将来について話すことができませんでした。男の子は高い教育を受け、いい仕事に就くべきだけど女の子はそうではないと考える親はまだ多くいます。若い人もこの考え方を引き継いでいます。今私たちは「否定的循環」に直面していると思います。私たちの環境は、新しく導入された制度によって昔に比べるとよくなっていますが、まだ生徒が学校から落ちこぼれています。生徒たちの人生の目標は、特に女の子の目標はあまり高くありません。面倒を見てくれる人と結婚したいという女の子が多くいます。政府の努力にもかかわらず、家族の文化はあまり変わっていません。家にいる妻になるのが人生の目標である女の子は、非常に若い間に結婚して子どもを産む傾向があり、よく結婚に失敗します。彼女たちは福祉手当を受ける生活を強いられ、働いた経験がないので職に就くのが非常に困難です。ここでも、女性がより明るい未来への希望を失う否定的な循環があります。
働く母親に対する保育支援はありますか。ご自分の地域の事例をあげて下さい。
日本では子どもの世話をすることは母親の役割と考える人が多く、多くの場合、母親は子どもをおいて自分の楽しみや他の用事で出かけることをためらいます。堺市には父親の産休もあります。もう一つジェンダー差別のよい例があります。学校がPTAの役員名簿を公表するとき、いつも役員として記載されているのは男性の名前です。しかし活動のほとんどは女性の会員で運営されています。私の母は夜、仕事の後に部落解放の活動に参加して、父が私の面倒を見てくれました。今考えると、私の両親は社会的に平等だったのでしょう。父は家事を全部こなすことができました。
他にどのような社会問題について話したいですか。
この国には人間関係が希薄になっています。親は仕事で忙しい。子どもは勉強の圧力がかかっています。夫婦には会話の時間があまりありません。子どもはインターネットや携帯電話を使いすぎです。非常に若いときに結婚して、子どもを産み、離婚して、政府の援助を受けると多くの場合、不良グループやチンピラがそれらの子どもの面倒を見ます。そのような部落の環境におかれた多くの子どもが麻薬を使うことを覚えます。もう一つの例は父親が忙しすぎて、母親が一人で子どもの面倒を見る場合です。子どもが学校に行っている間、母親は誰も話し相手がおらず、その結果、インターネット中毒になってしまいます。母親がインターネットに熱中していると、子どもも話し相手がなくなることになります。また、子どもの日常生活も危ういと報告されています。多くの子どもが朝食を食べずに学校に行き、夜遅くに寝ます。ストレスを内に溜めて、ある日誰かをいじめ始めます。
いじめは昔と今では違いますか。
はい。昔は、一人が他の子をいじめていたら、誰かがその子を止めていました。今は自分も標的になるのが怖くて、誰もいじめを止めません。昔、いじめが起これば、教師がお互いに話をさせましたが、今はそうしなくなっていると聞きました。
学びの場での問題について知っていますか。
部落はニートの割合が低いです。理由の一つは同和社会には独自の産業があり、ニートの人にとって仕事を探しやすいからです。部落の外では、人間の相互関係がより少なく、そのような機会はほとんどありません。しかし、部落問題の研究は十分行われておらず、部落社会にどのような利点や不利な点があるかわかりません。部落問題の研究は、常に微妙な問題で、調査対象の部落の人を見つけるのが難しいので容易ではありません。自分の生活を公の調査に開放しようという人は非常に少なく、個人情報を提供することになると人は非常に敏感です。
この事例では現在の部落の女性は自己実現の闘いの中で多面的な性質を持っていることに留意する。公正と正義のための継続的な闘いやアドボカシーの中で、ある中年の女性が今日生活を送っている意義を考えることは、彼女の社会における地位を向上させるために効果的であったかも知れない政策、プログラムや活動を示すことになる。彼女が担う、および担おうとしている役割は個人の自己実現によって影響を受けている。女性は自分がもっていないものを与えることはできない。女性は自分の社会の変化にどのように大きな影響を与えることができるかに気づくためには自分に満足していなければならない。
フィリピン社会の文脈でみると、全人口の5%をしめるイスラム教徒はフィリピンで最も重要なマイノリティである。他のフィリピン人と明確な違いはないが、宗教と生活様式のため、社会の主流の外にいるとみなされている。政府の放置による長年の経済的苦境と偏見に対する人々の憤りが現在のイスラム教徒による反政府活動の要因であるとも考えられている。
フィリピン政府は1957年に国家統合委員会をつくった。後にそれはイスラム問題及び文化共同体局となり、社会の分断に対応している。さらに、1990年、ミンダナオ自治区が導入され、安全保障と外交を除く統治の一部をイスラム教徒に委ねられた。大きな変化が起こり、地域外への移住を増やす道筋がつくられ、それによって教育の需要が増え、ムスリム女性の役割が再活性化された。年がたつにつれ、フィリピン社会の主流への同化がよりすすみ、非イスラム教徒との結婚もみられるようになった。にもかかわらず、イスラム教徒とキリスト教徒は一般的に別個の社会であり続け、政府のプログラムや改革を共有する。
2005年、ビルテ・ブレヒトによって行われた、「南フィリピンにおけるムスリム女性のリーダーシップ:文化の変容に関する論説」の調査はマイノリティ社会の改革者としてのフィリピン・ムスリム女性の役割に焦点を当てていたが、このことはマイノリティによって担われる役割に別の視点を提供し得る。
調査対象地域はフィリピン南部のミンダナオ、特に北ラナオ州と南ラナオ州のマラナオである。マラナオは近隣のキリスト教徒とは違う一連の法律を持つことが認められている。この法律は1977年に制定され、フィリピン・ムスリム身分法と呼ばれている。コーランに基づいた相続や家族の権利を含み、ミンダナオのシャリア法廷を通して執行される。マラナオの女性はようやく学校に行き、一般教育を受けることが認められ、それによって職を見つけ、公的な指導的地位に就くことができた。マラナオ女性の生活に入ることにより、この研究者はマニラのフィリピン大学で勉強する若いマラナオ女性(Rohairah A. Lao)にインタビューすることができた。彼女はこう引用している。
「現在、特定の分野で-法律家、医者、・・教師、エンジニア、政治家さえも男性よりも秀でた、知性ある、将来有望なムスリム女性が多くいます。彼女たちのそれぞれの分野での知性と高度に専門的な技術は世界中のムスリム社会の発展にとって大きな助けとなります。しかし、これらの教育を受けた、高度な知識を持ったムスリム女性が、自分の宗教、イスラム教によって禁止されていたら、どうやってその知識を広め、自分たちの社会を発展させることができるのでしょう。私自身は現実と宗教の教えとの間で道を見出すのに苦労しています。」
この調査の結果、マラナオの女性は社会の政治・経済の指導的地位を占める可能性もあることを明らかにした。しかし、指導的地位にある女性は、よいイスラム教徒、つまり子どもにとってよい母親であるという主要関心事を持ち、他人である男性と協力や仕事を避ける側面と、そのリーダーシップの素質を向上させることの矛盾を抱える。調査はさらに、イスラム教において、女性のリーダーシップの定義は、誰が定義し、どのようなリーダーシップであるかによって多様であるが、公職の最高位は常に男性が占め女性は男性がそうすることができない場合のみその地位に就くことができるとしていると述べている。
女性の権利に関する分野では、問題への対処に男性と女性の視点の違いが常にある。人によって意見は異なることがよくあるが、社会的および政治的視点はすべてのイスラム教徒に共通する枠組みにくくられる。女性の政治的リーダーシップの効果は、女性が家族および社会の役割モデルとなり、同時にイスラム教徒の神への畏敬に基づく責任を果たすということにまとめられる。
異なる点も多いが、ここで挙げた二つの事例において、部落であれ、ムスリム女性であれ、今の世代の女性は発展の重要な主体であることが明確に示されている。平等の機会があれば、彼女たちは多くの社会に肯定的な変化を引き起こし得る。彼女たちの帰属する社会的階級は、彼女たちが望む多元的な役割を可能にする必要な支援を提供することができる。しかし、宗教的違いや家系など社会的階級の欠陥はまた彼女たちの負う責任を果たす妨げともなり得る。
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