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自衛隊内で悪質な差別事件がおきた

「四つのお願い」を歌うのは部落民だ、と

カラオケスナック店内で

2006年2月20日 第2257号
抗議受けても差別発言をくりかえす

自衛隊内で03年に悪質な差別事件が起きた。これに関して、2月24日には高松高裁で第1回目の控訴審裁判の支援闘争も中四ブロックを中心にとりくむ。この悪質な差別事件の具体的な中身と、第1審での判決内容の説明と批判を、弁護団の一員である大川一夫・弁護人に書いてもらった。当面は裁判を軸に支援体制を組んでいく予定。

大川 一夫(弁護人)

妻が抗議を恐喝とねじまげ訴え

 2003年3月に、徳島県で部落差別事件が発生した。
 ことの発端は、カラオケスナックで被差別部落民を前にして、「『四つのお願い』を歌うのは部落民」と発言したことにはじまる。この発言自体は「無知」から発した可能性もあるが、その誤りを指摘された発言者は誤りを謝罪するどころか、かえって発言をエスカレートさせていった、という事件である。

 この事件の被害者Hさんと加害者のTとその妻の三者は、いずれも海上自衛隊自衛官であり、HさんとTは事件当時、徳島教育航空群に所属していた同僚どおしである。この2人が、2003年3月20日にスナックへいき、そこでHさんを前にして、Tが先にのべたような部落民一般にたいする差別発言をした。本来なら、その発言が差別であることを指摘されれば謝罪するのが誠意ある態度だろうが、Tの真摯な謝罪はいっさいなく、それどころか、その後、日をおいて、かえって差別発言をくり返したのである。

 その内容は、部落民一般について、「お金がないから服が汚い」「部落の子どもは親がお金をやらないからスーパーで万引きする」など、きわめてひどい内容のものである。HさんがTにやめるようにと注意してもやめず、差別発言をくり返した。Tがこのような差別意識をもったのは、結婚後、Tの妻の偏見による影響が大きい。しかも、その妻は、Tからこの件についての相談を受けた後に、Hさんの抗議をあたかも恐喝されたかのようにとらえ、自衛隊の上司にかけ込んだのである。それを機に、Hさんは、(差別事件の被害者でありながら)恐喝事件の加害者のような扱いをうけるようになったのである(自衛隊警務隊は、Hさんの恐喝行為はなかったと最終判断した)。

被害者は損害賠償を求めて裁判

 こうして、HさんはT夫妻にたいして、Tが一連の差別発言をおこなったことと、Tの妻が恐喝被害を受けたと申告したことにたいして、損害賠償を求め、2004年8月26日に徳島地方裁判所に訴えた。裁判は2005年10月25日に判決が出された。その内容はTによる不法行為を認め、35万円の支払を命じたものである。

 これにたいし、2005年11月7日、Hさんが控訴した。控訴審は、2006年2月24日に高松高等裁判所で第1回口頭弁論が予定されている。この事件はあまり知られることなく、一審は、Hさんの代理人として、徳島県内の弁護士が担当したが、控訴審では部落解放同盟の支援のもとに、松本健男・弁護士をはじめ、大阪の6人の弁護人が担当することとなった。

不法行為を認める

 この事件は大きくいって<1>裁判の対象とした事実についての問題<2>裁判の対象としなかった事実の問題があるので、つぎにその2点に分けて論じる。
 裁判上の問題としてはつぎの点がある。

 事実経過の概略は先ほどのべたとおりであるが、一審判決の事実認定にはいくつもの誤まりがある。なかでも大きな誤りは、つぎの2点である。

  1. Tが2003年10月に「反省文」を作成したことがないにもかかわらず、作成したとしていること。
  2. Hさんが「お金の話」をもち出したことはないにもかかわらず、Hさんから「お金の話」をもち出したとしていることである。

 一審判決の評価として、不法行為を認めたこと自体は評価できる。原審(第1審、徳島地裁)では、和解過程で裁判官は「差別発言は、故意ではない限り、違法とするのは難しい」という趣旨の発言をしていた。そうであれば、請求棄却かと思われた。ところが、判決は一部認容している。その理由は、「差別発言」のみならず、その後の「真摯な謝罪をしなかった」などの点と結合させ、いわば合わせ技をもって違法行為としたのである。

 故意・重過失の差別発言はそれ自体が「違法行為」であるのは明らかだが、軽過失(無教育のためにそれが「差別発言」と知らなかった場合)の場合に、その発言だけをとらえて違法行為とするのは、現在の裁判ではなかなか認められにくい。しかし、差別発言後、「差別」と指摘されたあとの言動・態度と合わせて評価するという「手法」で、結果として違法と認定したこと自体は評価できる。

判決の事実認定に3点の誤りが

 しかし、この判決は、問題点もきわめて多い。
 第1は、事実認定に誤まりのあることである。原判決が証拠を丹念に検討したとは思えず、安易に加害者の主張に依拠した認定が目立つ。
 第2は、慰謝料の額の低いことである。これは差別行為の違法性や被害者の損害を軽視しているものである。
 第3は、何よりもTの妻の責任を認めなかったことである。この事件を生んだ背景として、実際には妻の役割は大きいのである。

 控訴審は始まったばかりであるが控訴裁判所の対応はかなり厳しい。弁護団としてはこうした問題点に対応して、たとえば、差別を受ける側の苦痛の立証のために、現在もつづく差別事件や、差別による被害を立証していくなど、原審ではおこなわれなかった立証活動をおこなうなどして、控訴審では、一審判決を大きく前進させ、勝利をめざしたいと考えている。

 裁判上の問題点をあげたが、この事件では、裁判の対象としなかった事柄についての問題点もある。

 たとえば、この事件にたいして、国の構成員である自衛隊員のTが差別事件を起こしただけでなく、事件発生後も自衛隊(国)は何ら、積極的に解決案を講じていない。その意味で使用者責任と自衛隊(国)そのものの国賠責任が生ずるのではないかとの問題はある。さらにTの妻にたいして、そもそも、Tが部落差別意識を形作ったのは、その妻(とその母など)の影響であったという、その責任を問えないのか、という基本的な問題がある。

 これらの裁判外の問題は、ある意味では大きな事柄である。それらの問題は、社会的、運動的に解決されるべき事柄として、裁判ではあげなかった。
 それは一面、裁判に勝つためのものである。しかし、控訴審が決して容易でないことはさきにのべた通りである。
 皆様のご支援を期待するしだいである。

徳島教育航空群とは

 1941年に第2次世界大戦で海軍飛行予備学生の訓練基地=徳島海軍航空隊の跡地を利用。56年に海上自衛隊の徳島航空隊設置が決定、58年に海上自衛隊徳島航空隊として発足。
 73年に徳島教育航空群に改編された。現在、海上自衛隊の航空基地として使用され、パイロットを育成している。