「コミュニティ(community)」とは、実に多義的で、奥行の深い、そして大いに謎めいた概念である。とりあえず訳語的には地域社会、あるいは共同生活体といったこととされているが、そうした言い代えは、なに程の理解ともなりえない。ところが、このコミュニティという概念は、教育の理論と実践において、しばしば決定的な価値と役割を持つキーコンセプトとされてきた。それ故コミュニティなるものをいかにとらえ、それを基盤にした教育をどのように創りあげていくのか、そうした課題を前にして多くの研究者、実践家は思索をこらし、心を砕き、叡智をかたむけ、試行錯誤を積み重ねてきたのである。
まぎれもなく、池田寛は、こうした教育における最重要議題に、果敢に立ちむかい続けた、優れた学究の一人であった。
池田は、教育におけるコミュニティの概念を「教育コミュニティ」として一歩踏込みながら「『教育コミュニティ』とは、学校と地域が協働して子どもの発達や教育のことを考え、具体的な活動を展開していく仕組みや運動のこと」であるとしながら、そこには「ともに集う場」「共通の課題」「力を合わせて取り組む活動」といった基本的な要素があると指摘している。(本書11~12頁)
では、池田はこうした「教育コミュニティ」の理論をどのようにして深め創りあげようとしていたのか。それは彼自身が示しているように「act locally, think globally」ということのなかで追求しようとしていた。周知のように池田は大阪府の「地域教育協議会(すこやかネット)」の設置に深くかかわっていた。もちろん、それ以外にも、多くの地域での「生活総合実態調査」等の先頭に立っても来た。それらは実に彼の「act locally」の面目躍如といったところであった。
その一方、池田の視野はまさにgloballyであり、インターナショナルなものであった。それは本書に収録されている「コミュニティの再生と学校改革」あるいは「シカゴ教育改革の理念と学校再建の取り組み」等が如実に示しているところである。
しかし、池田が「act locally, think globally」としてきたのは、単に世界の知見をこの地で生かす、といった便宜的なことではない。「教育コミュニティ」づくりを、グローバルな視点からとらえながら、そのことによってわが国の「教育コミュニティ」づくりの核心的課題を照射しようとしていたのである。
「日本の教育改革論議で家庭や親の責任に言及するものは多い。(中略)しかし、社会的不利益層の問題にはほとんどふれていないし、そのような家庭の保護者に対するエンパワメントの必要性に言及したものもほとんどない。日米を対照したときの大きな相違点がここにある。子どもに対する家庭の保護・養護・教育は、保護者個人の心構えや責任感以上に、経済的な安定性や周囲の人々の支え、政策的な支援などが大きくものを言う。特に、生活保護家庭、単親家庭、障害者家庭、同和地区家庭、ニューカマー家庭など、マージナルな家庭に関してはエンパワメントが不可欠である。」(本書47~48頁)
「act locally, think globally」のなかから、池田が求めていた「教育コミュニティ」づくりのなかでは、「社会的不利益層」といわれる人々のエンパワメントこそが欠くことのできない鍵となっている。この点にこそ池田の「教育コミュニティ」づくりの核心を見ておかねばならない。そしてこうした視点を軸に、市民性教育(citizenship education)の構想が準備されようとしていたのである。
池田が、「教育コミュニティ」づくり、そして「市民性教育」の追求といったことを自らのライフワークと思い定めていたことは間違いない。しかし、その課題が並たいていでないことをも彼は痛感していた。時にそれはある種の苛立ちのように池田を苦しめていた。
遺稿のなかで池田は「従来の学校―地域関係論に欠けていたのは、学校―地域を含む全体のソシキ論だったのではないか」としている。つまり、学校は「地域の権力構造、人間関係、利害対立、政治的背景」といった外部環境にとりまかれ、それらの情報を受け止め「外部環境と相互作用、という以上に外部環境のエネルギーを内部摂取しなければ生き残れない時代」となってきている。にもかかわらず、相変わらず学校はその内部環境にのみ目をむけ「家庭や子どもの能力には差がある。しかし学校では私たち教師はそういう境遇にかかりなく子どもたちを平等に扱っている。」「学校のだけは平等だ。そういう平等な環境の中で差別のない友愛に満ちた仲間集団が生まれる。」と思い込んだりしている。しかしそれは「欺瞞」でしかない。学校の「授業改革、教師どうしの相互研修とモラールの維持・高揚、秩序ある統制」といった内部環境だけではなく、「外部との関係にも目をくばり、学校が立地する地域全体の組織的特徴を把握した上で学校経営に当たる必要がある」としている。(本書88~89頁)
池田は彼の求めていた「教育コミュニティ」としての学校づくりの方法論的な課題がどこにあるのかを、その病床のなかからさぐりあて、見極めようとしていたのである。
個人的なことで言えば、私は池田寛と多くの共著を編んできた。その度ごとに思ってきたのである。あの方向に飛んだ打球の処理は池田にまかせておけばいい。このチャンスに池田に打順が回ってくれば、必ずなんとかしてくれる、と。そして彼は。その期待を決して裏切ることはなかった。私たちの闘いのチームの中心にいつも池田寛は居た。
そのことを確認しつつ、同時に今は、その池田の不在を確認しなければならない。私たちの闘いにとって、それがいかばかりの大きな戦力ダウンになるのか、それすらをも計りかねている。
しかし,池田が居ないから闘えない、池田を欠いたから負けたのだという言い訳は許されない。その言い訳は、なによりも池田寛が許すところではないはずである。池田の果たしていた守備範囲がどのようなものであったのか、彼が努めようとしていた役割が何であったのか。そのことを改めて問い直しながら、私たちの戦線を早急に立て直していかねばならない。
まさしく、そのためにこそ、本遺稿集の刊行はなされたのである。こうした思いを込めて、本書は今は亡き池田寛に捧げることとしたい。
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