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2007.10.5
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2007年10月号(NO.235)
地域社会からの人権擁護制度
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『長吏文書』の世界

第1回 史料の海へ

中尾 健次(なかお・けんじ 大阪教育大学教授)

 部落解放・人権研究所では現在、「長吏文書」刊行作業が進展している。そこで、刊行を前にその意義と内容について中尾健次先生にご寄稿を依頼した(編集部)。

「長吏」とは

 「長吏」とは何か、まず紹介する必要があるでしょう。江戸には、有名な車善七を筆頭に、品川松右衛門、深川善三郎、代々木久兵衛と、4人の「非人頭」がいました。その「非人頭」に相当する蕫役職﨟を、大坂の場合は「長吏」と呼んでいます。「長吏」は、古代から中世の初頭(平安-鎌倉時代)にかけては、寺院の財政や行事を担当する役職名でした。それが、中世の後半(室町-戦国時代)には、神社や寺院に属する職人集団の頭を「長吏」と呼ぶようになり、しだいに被差別民衆の頭を称するようになります。江戸時代の関東では、かわた集団そのものを「長吏」と称し、その頭である弾左衛門は「長吏頭」と呼ばれていました。

 大坂の場合は、「非人」身分の頭を「長吏」と称し、天王寺悲田院・鳶田・道頓堀・天満の四ヶ所に居住していたので、「四ヶ所」とも呼ばれていました。江戸にも四人の「非人頭」がおり、「四ヶ所非人」と呼ばれていましたので、その点は似ています。しかし、江戸とまったく同じかといえば、そうではありません。

 江戸の場合は、車善七も品川松右衛門も、もともとは「口入れ屋」と称する蕫人足派遣業﨟だったのですが、町奉行から江戸市中に流入してくる窮民たち(これを「野非人」と呼んだりします)の支配を任されたのが、「非人頭」の起源となっています。

 大坂の場合は、四天王寺の福祉政策が発端のようで、窮民に粥を施したり、行き倒れ人の看病をしたり等、四天王寺の事業の一端を担う役職が「長吏」だったのではないかと想像しています。そのように考えれば、もともとの「長吏」の意味合いが残された役職名であったということもできるでしょう。

 さて、その大坂の「長吏」の中で、最も歴史が古く、勢力も絶大であったのが「悲田院長吏」です。JR天王寺駅の近くに悲田院町という地名があり、ほぼそのあたりに居住していたようですが、現在は、マンションと高級料亭が建ち並んでおり、むかしをものがたるものは、ほとんど残されておりません。

「悲田院長吏」家に残された古文書

 「悲田院長吏」家に古文書が残されていたことは、ずいぶん以前から知られておりました。岡本良一さんと内田九州男さんが編集され、1989年に清文堂から出版された『悲田院文書』はその一部で、これは大阪府立中之島図書館が所蔵していた史料を翻刻したものです。そこに掲載された史料は205点ですが、今回刊行を予定している「長吏文書」は、その5倍の1200点に達します。

 この1200点の史料群は、現在神戸市立博物館に所蔵されているもので、同博物館の学芸員で「長吏文書研究会」のメンバーでもある高久智広さんによれば、同博物館が古書店からこれを購入したのは1982年のことだそうです。「悲田院長吏」家にあった古文書が、どういう経過を経て中之島図書館と神戸市立博物館に分かれて所蔵されるにいたったのか、それ自身も興味深いテーマですが、今回は「長吏文書」の中身を紹介することが目的ですので、省略いたします。

 そうした経過については、ちょうど『部落解放研究』177号(2007年8月)に、藪田貫さんが「『長吏文書』との出会いと関心」について、くわしく紹介しておられますし、高久さんも、「近世後期天王寺長吏林家における相続をめぐって」(『部落解放研究』168号 2006年2月)の冒頭で、少し触れておられますので、これらの論考をご参照いただきたいと思います。

膨大な史料群

 「長吏文書」は大部な史料群ですので、編集に当たっては内容別に整理し、17の章に分類しました。以下にそれを紹介します。

  1. 由緒
  2. 四天王寺支配
  3. 天王寺村支配
  4. 人別・人口
  5. 類族改〔年代順〕
  6. 相続・跡式・代勤届など
  7. 宗教
  8. 仲間統制
  9. 垣外での生活
  10. 公役
  11. 風聞探索
  12. 番株と番役
  13. 貸借
  14. 四ヶ所関係
  15. 在方非人番関係
  16. 町触・口達

以上、17章です。

 悲田院は、四天王寺の支配を受けていますが、地域としては天王寺村に属しており、さらに大坂町奉行の支配も受けておりますので、いわば三重の支配下にあります。そのため史料には、この三者との関係がずいしょに登場します。2・3・10・11・12・15・16の各章が、ほぼそれに当たるでしょうか。

 また、長吏の組織内部のさまざまな問題も浮き彫りにされてきます。5・8・9・13の各章がそれに当たるでしょう。悲田院だけでなく、その他の長吏組織や非人組織について記した史料もあります。14・15章などがそれです。ともかく内容は多岐にわたっております。

 こうした中で、とくに興味を引くのが、第11章に位置づけた「風聞探索」です。

 長吏は、大坂町奉行に属していますが、その探索の範囲は、大坂町奉行支配の範囲を大きく越えて、西日本一円に広がっています。その際、各地に居住している非人番が、重要な役割をはたしているのですが、その活動は、『スパイ大作戦』か、アメリカのFBIの活動を思い起こさせます。しかし、このあたりでちょうど紙数がほぼ尽きてきました。その具体的な紹介は、次回にまわしたいと思います。

〈眼差される者〉の近代―部落民・都市下層・ハンセン病・エスニシティ

●黒川みどり編著 A5版 287頁 定価3,000円+税

本書は、歴史学、文化人類学・社会学などの学際的な研究を基礎に、日本近代における部落民・都市下層・ハンセン病・エスニシティなどのマイノリティを「排除と包摂/表象と主体化」という研究視角を設定しつつ論じることを通して、それぞれのマイノリティに注がれる〈眼差し〉の共通性と差異性を見いだそうとしたものである。

明治維新と被差別民

●北崎豊二編著 A5判 283頁 定価3,200円+税

本書は、近世から近代への移行期における被差別民について考察した10編の研究論文を収めたものである。近代的国民国家の創出をめざした維新政府は、封建的身分制度を撤廃したが、被差別民への差別は解消しなかった。その差別の態様を実証的に考察したのが本書である。