はじめに
部落解放・人権研究所では、このたび『人権教育・啓発プログラムの開発に向けて』(2007年)と題する報告書をまとめた。これまでにも研究所では、『自己実現・社会参加への誘導要因―効果的な成人教育の企画・運営のためのケーススタディ』(2003年)、『部落問題に対する意識形成調査研究報告書』(2003年)、『結婚差別の現状と啓発への示唆』(2004年)、『学校と地域の協働と人権意識の変容』(2005年)、『人材養成プログラム等開発整備事業』(200年)などの報告書をまとめてきた。また、大阪府の事業であるが、研究所のスタッフが関わったものとして『人権啓発推進リーダー養成のための意識調査等研究事業』(2007年)もある。今回の『人権教育・啓発プログラムの開発に向けて』は、上記の研究を参考にしながら、人権教育・啓発の今日的な課題を探るとともに、具体的に展開するにあたっての参考プログラムを提起するものである。
報告書は8人の執筆から成り、第一部では人権啓発のあり方全体をとりあげ、市民向けの人権啓発、企業向けの人権啓発(個人情報保護の問題を含む)、行政職員向けの人権啓発の三分野を扱っている。これに加えて、社会教育の手法を使った人権教育・啓発のプログラムの企画・運営について一章を割き、講座のあり方等を示している。また、市民リーダーとしての豊中市人権教育推進委員協議会の取り組みと、企業における人権啓発の取り組みについて、8人以外の執筆者から資料提供を受けた。第二部では、コミュニティ形成を通じた人権啓発に触れ、第三部では結婚差別を題材にした啓発を考えた。なお、補論として、人権教育・啓発プログラムの評価について述べている。いずれも、具体的なプログラム例を提起することをめざしたものである。
これらを私なりに整理してみると次のようになる。
一 市民の人権学習
1 参加型学習の問題
近頃、人権学習においても参加型学習が提唱され、よく行われるようになってきている。経験豊かな成人の学習にあっては、経験交流の教育効果が大きく、経験と触れ合うなかで学習を進めるとともに、主体的な学習を展開し、さらには教育の担い手にもなることをめざすことから、成人教育や社会教育では、以前から参加型学習の重要性が指摘されていた。話し合いを中心とした共同学習、生活懇談会方式の学習、生活記録や自分史学習などがなされてきたのである。ただ近年は、参加型を狭くとらえ、ゲーム的なものに焦点化してこの言葉が使われていることもある。
ゲーム的なものは、参加しやすく、また疑似体験で学ぶことができるという長所がある。かつても、学習の始まりに、雰囲気を和らげ、討論を容易にするために、レクリエーション的手法を入れるということがよくあったが、ゲームはそのような効果も持つのである。しかし、それだけでさまざまな人権や人権問題について深い認識・理解がもたらされるかということになれば、限界がある。多様な方法を組み合わせるなかで、この手法を用いることの意味はあるとしても、一回限りの研修の機会などでこれだけを単独で人権啓発の手法として使うのは、必ずしも適切でない。
ゲーム的なものは、学校教育における手法として開発された面がある。小さな子どもを対象とした人権教育にあっては、模擬体験が中心になることが少なくない。また、継続性を持った学校教育であれば、他の方法との組み合わせが可能である。しかし、成人の場合、模擬体験以上にリアルな体験があるのであり、それを活用した学習が有効である。学校教育とは異なり、継続学習が保障されにくいことについても考慮が必要である。
すでに述べたように、参加型学習のなかには、討論やフィールドワークなど多様なものが含まれるのであり、認識を深めるということでは、講義とともに討論が重視されなければならず、模擬体験だけでなく、現地を訪れたり、被差別当事者の話を聞くことが大きな意味を持つのである。ワークショップでKJ法も盛んに用いられている。さまざまな考えを出し合い整理する上で有効であるが、それだけで深まりのある学習になるとは限らない。
参加型学習の問題として、興味深い指摘がある。参加型学習における強制性についてである。講義であれば、聞くか聞かないかに関して学習者の自由があるが、参加型の場合、ある種、参加を強制されるということがある。それに意味がないわけではなく、これまで受身の学習であった人が積極的に関わるきっかけを得ることになるといった効果があるが、そのような参加を望まぬ人には苦痛を与えるということもあり得る。このあたりが成人教育では難しい問題で、実際、参加を促すことに対して反発したり、退席する人も見られることがある。参加型学習の課題として、拒否の自由は認めながらも、参加の可能性を広げていくことについて、十分考えておくことが重要である。
2 心への傾斜の問題
最近の人権学習の傾向として、「こころ」がよくとりあげられるようになっている。政府の人権教育・啓発白書を見ても、そのことがうかがわれる。教育全体にあっても、この傾向が強まっていて、心理へのアプローチと道徳教育の比重が高まっているのである。そこには、いじめや暴力の問題を、もっぱら心理や心がけの問題としてとらえていることがある。このような状況のもとで、人々の内向的傾向が強められ、問題をもたらしている社会に目が向かず、それに立ち向かう動きが弱くなっている。社会の仕組みを変えることに向かわない啓発は、現状の支配構造維持につながる統制的機能を持つことになる。その点で、個人と社会をつなぐ学習プログラムの形成がきわめて重要である。
もともと人権学習は、権利の主体としてのエンパワーメントの意味があり、権利学習を機軸にすえなければならない。権利ばかり主張するという人権学習への批判があり、権利と義務を対置して義務が強調されることがあるが、そこには、権利に対する誤解や曲解が含まれていることが少なくない。権利主張はあって当然のことであり、そこに自他の権利を守る義務が生じるのである。今必要なのは、権利についての学習を深めることである。 今日、心理学がブームのようになっているが、自己の内面への沈潜に終始するのでなく、社会とつないでいくのであれば、社会心理学の知見を利用する意味はある。世間にあわせるといった同調過剰、自らこうむっている抑圧を他者攻撃することでうさばらしをするといった抑圧委譲、時に事実を曲げて伝えられるうわさ話としての流言、偏った見方としての偏見などが、差別を支えたり、人権を否定するところがあるので、そのメカニズムを明らかにすることは必要であろう。これまでの日本における社会心理学を含めた心理学的な研究が、人権問題に取り組めているのかといった問題があるが、これらの学習が権利学習と重ねてなされれば有効であろう。
3 人権問題を通じての人権学習
市民の人権学習は、学校や企業での人権学習と違って、自由参加、任意参加に依拠するところが大きい。自らが当事者であることを意識しないと、容易には参加に結びつかない。それぞれの人が自らの人権を考えることなくしては、問題が他人事で終わってしまい、本当に身につく学習にならない。人権は抽象的に考えられがちであるが、それを具体的に示したのが部落問題など人権問題であり、それへの取り組みを通じて、人権の意味、個人を規定する社会などについての認識が深まったのである。人権問題を通じて各人の人権について考える学習が重要である。
部落問題にあっては、教育を受ける権利、職業選択の自由、居住・移転の自由、婚姻の自由などの問題を浮かび上がらせた。部落問題への取り組みによって、他の人権問題も意識化され、同和教育においても、女性差別、民族差別、障害者差別などさまざまな人権問題がとりあげられてきたのである。この意味においても、人権問題学習のなかで部落問題を抜きにすることはできない。人権問題といっても具体的なかたちで存在するのであり、部落問題と他の問題とを関連させてとらえることによって、人権学習が現実に即したものになるのである。部落差別につながる身元調査が、民族差別にも関連し、また単親家庭の子どもなどの進路を阻み、個人としての評価を妨げていることも、明らかにされてきた。
さらに、人権を人と人との関係においてとらえていくこと、つまり関係性を重視していくことが必要である。差別が存在するなかで、それを傍観することは、現状温存に寄与し、結果的に差別に加担することになることに着目した学習が重要である。どのようなときに他者を見下したり、排除することが行われるかを、自らを省みながら学ぶことで、当事者性が意識されてくる。
自らを省み、意識の形成過程を自覚し、自分と社会のかかわりを把握するうえで、生い立ち学習や人生史学習が盛んになっている。それぞれの生きてきた過程を記録し、報告しあい、その背景にある社会の歴史を探る学習は、人権学習においても大いに活用されるべきものである。糾弾にあってもこのような営みが見られたが、いかに自分が形成されてきたかを考えるなかで、つくられた偏見や差別意識を振り返り、つくられたものはつくりかえることができるという展望を持つことができるのである。住民人権意識調査を活用しての学習も進められなければならない。データの背後にあるものが何かを考えあうことが大切である。近年は多変量解析等によって要因分析が進んでいるが、それをさらに具体的なものにするには、多角度からの検討が要るのである。
4 まちづくり等との関連
住みよいまちとは、安全で、人と人とがつながり、互いの人権を尊重するまちである。このようなまちづくりの活動と人権学習を重ねることができる。事件や災害の発生により、安心・安全なまちづくりが切実な課題となっているが、人権尊重の視点を抜かすと、監視カメラの氾濫や相互監視による異質なものの排除になりかねない。まちづくりにあっては、計画段階からの学習が重要となる。住民で、意見を交わし、人権尊重の観点からのまちづくりをどのように進めるかについての学習と実践を行うことが必要である。かつてオールロマンス事件で指摘されたように、消防車の入れないような地域が放置されていないか、衛生環境は整備されているかどうかなどに取り組むことは、まさに人権学習でもある。
安全なくらし、住みよいまちづくりと関連させた人権学習のプログラム例としては、つぎのようなものがあげられる。「災害から生活を守るには」―住民みんなが行動しやすい環境、防災と人権。「情報社会における人権」―情報格差、プライバシーをめぐる問題、メディアのあり方、身元調査。「人権尊重のまちづくり」―人権侵害の事例、人権を守る取り組み、住民のつながりをもたらす実践例。「互いのつながりを深める」―住民の連帯についての各地の実践事例。また、豊かな人間関係づくりに関連させたプログラム例としては、次のようなものが考えられる。「人間関係の社会文化的基礎」―人間関係を規定する慣行等人間関係を阻む事例。「流言、うわさ、伝聞の問題」―話の伝達経路、伝聞による判断の事例。「偏見・固定観念からの脱却」―判断の枠組み、思い込みの事例。「開放的な人間関係」―抑圧委譲のメカニズム、抑圧からの解放。
人権学習に参加しない住民が少なくないことも問題となるが、必ずしも人権学習と銘打っていない活動や学習にあっても、人権の視点や人権問題との関連での学習は可能であるし、そこにプログラムの工夫の余地がある。着物教室において、服装の機能、身分統制と結びついた衣服の統制などをとりあげることができるし、料理教室でも、食品公害や食材の輸入、そこに見られる南北問題なども考えることができる。
相談と学習をつなぐことも課題で、相談にあらわれる、人々の抱えている問題をとりあげて、その解決に向けての学習を進めることが望まれる。人々のニーズを発掘し、それに迫る学習を展開するなかで人権について学ぶことが促進されなければならない。教育関係機関にあっては、人々の来館(所)を待つだけでなく、アウトリーチで、人々のいるところに出かけて、ニーズを把握しての学習の展開援助ということも考えなければならない。
事例を取り扱っての学習が、住民の関心に沿い、理解を容易にし、実践につなぐために有効である。結婚問題には、そのような事例が多く見られる。結婚問題の学習は、家族問題と関わらせて考える資料を提供することになる。結婚は本人の同意に基づいて行われるものであるにもかかわらず、いまだに家族や親戚の干渉がなされる例が多く、そこには、家意識や家族のあり方について考えさせるものが多い。そこでは、さまざまな葛藤が見られ、それ自体が討論の素材となるとともに、それを解決するに至ったプロセスを明らかにすることによって、問題解決への手がかりを得る学習とすることができるのである。
5 リーダーの学習
人権啓発というと、少なからぬ人々が、啓発する側と受ける側といった二分法で考える傾向があり、それも行政が啓発し、住民がそれを受けるというようなイメージが強くなっている。行政が啓発に無関係であってはならないが、住民間の学習を盛んにする条件整備といった役割を十分に果たすことが肝心である。それには、公民館など身近に学ぶことができる施設の整備、人権センター等の教材開発・情報提供機能の充実などが重要である。
住民の学習の展開にあたっては、教育機関とともに住民リーダーの役割が大きい。リーダーが力をつけていくうえで、さまざまな人権問題の内容についての学習は行われてきたが、一般の人々の学習と変わらず、散発的であることも多かった。人々の学習を支えたり、討論を深めたりといった方法に関する学習が必ずしも十分であったとは言えない。最近は、ファシリテーター(学習促進者)の養成やコーディネーターの役割についての学習など、方法を組み込んだ学習も増えてきているが、まだまだ研究の余地がある。継続的な学習によって力量も高まっていくのであり、実践と関係づけながらのリーダー学習が少人数でじっくり行われる必要がある。
住民リーダーの役割として、学習会場に足を運ばない人々への働きかけもある。近隣の住民との自由な話し合いのなかで、人権学習につなぐ機能を発揮することが期待されるのであり、そのような草の根リーダーとでもいうべき人々の学習機会の充実が求められるのである。豊中市の人権教育推進委員協議会は、住民の個人加入で校区単位の活動を重視してきたが、その検証と意義の確認が課題である。地域の人権教育・啓発協議会などには、各種団体を結集したものが多いが、協議会として代表者の集まりでの学習や活動だけでなく、構成単位団体の学習や活動の交流を進めることがあってこそ、多くの住民の人権学習が進むのである。また、人間性を追求する文化活動には、人権学習と重ねることができるものが多いことにも着目する必要がある。
二 職域における人権学習
成人教育においては、地域だけでなく職域での学習が重視されなければならない。海外では、さまざまな職場―病院、軍隊、刑務所に至るまで―そこで行われている教育を成人教育としてとらえ、成人教育者の力量形成を図っている。そのなかにはかなり一般教育的なものが含まれているのである。日本での職域における教育は、成人教育として位置づけられることが弱かったが、雇用主が行うもの、労働組合が行うもの、厚生団体が行うもの、サークル・クラブ等が行うものなど、多様なものがある。かつては、公教育機関との連携で行われた職場青年学級なども見られた。今日でも、公教育機関による出前講座などが職域で行われることがある。このような学習は、外部での学習への職員の派遣とともに、今後も促進されることが望まれる。
職場研修として行われている人権学習には、一般的な内容で行われているものが多い。職場で働く人は、職業人であるとともに市民でもあるから、市民としての一般的教育が職場で行われることは意義がある。職業人の場合、なかなか地域での学習に参加できる状況にない。調査結果を見ても、職業人では、人権学習は地域でよりも職場で受けたという人が多い。それだけに、職域における学習機会の保障が課題となっているのである。ここでも、部落問題などをきちんと位置づけての取り組みが重要となるのである。
その一方、それぞれの職業・職種と関係づけての学習も重要である。自らの職務がどのように人権と関わっているのかを認識し、その立場から仕事を進めることにつながるような学習が必要とされるのである。行政職員の場合、住民の人権を守るのが公務員の仕事ということからも、意識的に日常業務の見直しを行いながらの学習が進められなければならないのである。企業にあっても、社会的責任が問われているし、企業の存立は社会的信頼にかかっているから、仕事と人権のかかわりを念頭に置いての取り組みが求められるのである。たとえば、バスなど交通機関などの場合、だれでも利用しやすいように、バリアフリーになっているか、停留所名などが読みやすい文字(かな、漢字、ローマ字などの併記)で書かれているか、乗降客の多いところなどでは文字と音声による案内がなされているかなどが、たえず検討されなければならないのである。
個人情報保護も、企業等における人権学習に欠かせないものである。個人情報には顧客情報もあるが、従業員の情報もあり、これらの扱いについて学ぶことは、業務に関連した人権研修の一例である。採用など人事を公正に行うための研修についてはある程度意識されてきたが、働きやすい職場づくりも人権学習の題材となる。そこでは、セクシュアル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどの問題も関連してくる。従業員が生き生きと働くことができる環境が、顧客への対応にも影響してくる。ワークシートなどを用いて、具体的に学ぶ機会を持つことが期待される。
職域の場合、年に一、二回、講演会のようなかたちでの研修が少なくないが、OJTとしてよく見られるように、仕事のなかで職務と関係づけて人権についての話し合いや検討がどれだけなされているかが問われるところである。その意味でも、職場リーダーの人権学習が継続的になされ、各職場での日常的な話し合いを的確に行うよう、力量を高める必要がある。職場でリーダーシップを発揮しやすい立場にある人に学習機会を提供するとともに、研修を受けた人に、研修計画作り、プログラムの編成、講師選定、ファシリテーター としての役割遂行などの活動機会を用意しなければならない。
企業の場合に難しいのは、企業文化が必ずしも人権文化と整合性をもっているとは言えないことである。企業文化をどのように見直すかも課題となるのである。その点でも、トップの理解がないとなかなか前に進まない。近年は、経営との関連で男女共同参画や多様な人々の共生の意義を深める研修も見られる。ダイバーシティ・マネージメントによって企業の中に多様性を確保したときに、自由な発想、優れたアイデアが生まれてくることなどが考えられるのである。男女、さまざまな国・民族が含まれ、活かされていることの意義が語られている。リフレッシュ休暇が話題になったこともあるが、これによって新鮮な考えや人とのつながりが生まれ、企業が活性化することもある。さらに、グローバル化の影響が大きい時代にあって、国際的な人権の動向も理解しての企業活動が必要となっているのである。
今日の職場には、正職員、嘱託、パートタイム従業員など、多様な就業形態の人々が見られる。これらすべての人々に人権学習の機会を保障することが必要である。また、指定管理者制度の導入などもあって、公設施設等でも民間事業者やNPO等が運営にあたる例が増えている。仕事の公共性からも、人権学習を行うことを前提としての指定管理者の選定や、研修への公的援助が促進されなければならないのである。行政各部局にあっても、庁内はもとより、これまでにも土地等不動産業者や建設業者等への働きかけにも見られたように、関係業者の人権学習の機会提供にも力を入れることが望まれる。
広い視野を得るには、外部での学習機会を積極的に利用し、異分野で活躍する人との交流も大切にすることの効果が大きいことは、部落解放・人権研究所が事務局を務める部落解放・人権大学の修了者調査の結果からも読み取ることができる。企業主催のみならず、任意団体が職域において人権学習を展開することも促進されるべきことである。
三 人権学習の深まりと拡がり
先に述べたように、地域であろうと職域であろうと成人の学習を進めるうえで成人教育として共通の面があるのであり、連携が重要になる。これまでにも、部落解放・人権大学等で、地域や職域での学習に取り組んでいる人々がともに学ぶことによって、新しい気づきや視点を得ることができている。職域も地域の中にあるのであり、地域の人権教育・啓発協議会には職場単位の参加もみられるのであって、そこで互いの情報を交換し、共同の取り組みを進めることが期待されるのである。また、地域や職域における人権学習で、関連のある調査結果や、ニュース、資料などに基づいて家庭での話題の提供をし、家庭での話をまた地域や職域の学習で出し合うということが望まれる。
学習に関しては、効果の評価も大事である。ただ、成人教育にとっては、評価は容易ではない。これまでも、経年調査の実施によって、住民の人権意識がどのように変化しているか、その間にどのような教育がなされ、それがどのように受け止められているか、学習に参加した人とそうでない人との差異はどうかなどを見ることは行われてきた。これまでの各地での住民対象人権意識調査結果を分析したところでは、数回程度では学習参加回数と比例に意識が高まるとはいえないが、回数を重ねると高原状態から飛躍して変化する段階があり、学習理論で言われていることがある程度実証される。もともと意識の高い人が多く参加していることによる結果ではないかとの疑問もあるが、よく調べると多くは他律的参加から始まっていて、やはり継続学習による変化とみることができる。しかし、個々の学習の効果を見るためには、学習に先立っての調査と事後の調査との比較による判定などが必要である。
事業評価としては、事後に感想を書かせることによるものが多いが、ただ、よかったかどうかといった問いかけでは、十分な判定はできない。成人の意識変容などにおいては、自明としていたものにゆさぶりがかけられ、既成観念等がゆらぎ、時にそれに抵抗する心理も働いて、葛藤が生じることが多い。またその過程を経てこそ、真に変容がなされることがある。その意味で、葛藤と切り結ばないで、既成観念に動揺の少ない内容の学習であったから「よかった」との反応が出ることもあるのである。話し合いもまじえて多角度から分析しての評価でなければならない。
さらに実践につながっているかどうかも見る必要がある。他者への説得が可能となるためには、学習成果が相当自分自身のものとなっていなければならず、また、そのような実践のなかで学習を深めることの必要性が意識されてくるのである。学習が実践につながるには集団決定が有効であると言われ、集団学習とともに、実習のような体験学習が重要である。イギリス等での成人教育者教育で、教育実習にかなりの時間がかけられていることも想起されなければならないのである。
最近は、費用対効果について問われることが多くなっていて、学習会においても参加人数が多いことが求められる傾向があるが、少人数でじっくり学んで力をつけた人たちが、周囲に働きかけることによって、その効果は大きいものになる。たとえ多数の人が集まっても、その場だけの学習になることも多いのであり、それにくらべて少人数の学習の影響が多数に及ぶということがあり得るのであって、その点を考慮しての効果判定でなければならない。
人権学習を広げていくうえで、身近な地域にある公民館等社会教育施設の役割が大きい。このことは、福岡市の同和教育において、校区公民館の存在が各地域の取り組みを支えたことにも例を見ることができる。これによって、地域課題などさまざまな学習とも関連させて、人権学習を進めることができるのである。都市化によって、かつての町内会や婦人会など地域網羅的な団体も任意加入となり、以前にくらべれば地域の自治会や女性会の組織率は低くなっている。人々の自由な学習参加を可能にし、集団形成を促すには、専門職員を持つ施設の役割が大きい。人権啓発センターも、男女共同参画センター、障害者福祉センター、国際交流センターなど関連機関との提携とともに、地域の社会教育施設との連携が欠かせない。
博物館も、展示等を通じて、人々の任意の学習を進める機能を持っている。人権博物館のみならず、多くの博物館、さらには各施設の展示コーナー等の活用による人権学習の機会提供も促進されなければならない。
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